旦那様は魔王様

狭山ひびき

14

 君の血、飲んでいいかな――
 
 突然ジェイルにそう言われ、沙良の表情は凍りついた。

 悲鳴を上げた沙良は半べそでシヴァにしがみついて、シヴァはその沙良を抱きしめてなだめながら、ジェイルをじろりと睨みつける。

「いいわけないだろう。ふざけるな!」

「いえ、ふざけているわけじゃなく、おなかがすいて……」

「その辺で野ウサギでも狩って血を飲むか、普通に食事をしろ!」

 シヴァに怒られて、ジェイルはしょんぼりとうなだれた。

 心得たゼノがメイドを呼びつけて、ジェイルのために簡単な食事を整える。もちろん血ではなく、パンとスープ、スクランブルエッグといった普通の軽食だ。

 シヴァは小さく震えている沙良の耳元でささやいた。

「大丈夫だ。いきなり噛みついたりしない」

「きゅ、吸血鬼……!?」

「あー、いや、まあ、そういう類の男だが、別に血を飲まなくても生きていけるから、無理強いして誰かを襲うようなことはない」

「……血、美味しいですけどね」

「だ、ま、れ!」

「はい……」

 ジェイルはゼノが用意した食事を黙って口に入れた。物欲しそうな目で沙良を見るが、シヴァが本気で怒りだしそうなのを察して、慌てて視線を逸らす。

 ジェイルが食事を終え、沙良が落ち着いてくると、シヴァはゼノが煎れた紅茶を飲みながら「それで?」と切り出した。

「ゼノ。なぜエルザが、この城を徘徊しているんだ?」

「それは僕に会いたいから―――」

「お前は少し黙っていろ。話がややこしくなる」

 シヴァに怒られて、ジェイルはシュンと縮こまった。

 ゼノは少し困ったような顔でジェイルを一瞥し、口を開いた。

「ひと月ほど前のことでございます。何が原因かまでは存じ上げませんが、エルザとジェイル様は、ひどい大喧嘩をなさって、それっきりエルザはこの離宮を訪れることがなくなりました。けれどもつい数日前、彼女はふらりとこの離宮に戻ってきて、何やら血走った目で、ジェイル様の心臓をよこせ、と」

「心臓!?」

 沙良がびっくりしたような声を出して、ぎゅっとシヴァの服を握った。シヴァは子供をあやすように沙良の頭を撫でながら、続きを促す。

「私共は、様子のおかしいエルザをジェイル様に近づけるわけにはまいりませんので、当然、彼女を離宮から追い出しました。それで事なきを得たと思っておりましたが、どうやら勝手に忍び込みはじめたようですね」

 ゼノは、はあ、と疲れたように嘆息する。

 シヴァはジェイルに視線をやった。

「なんだってお前は心臓を狙われてるんだ?」

 ジェイルはなぜかうっとりした。

「僕の心がほしいというエルザの愛のせいです。ああ、そんなことをしなくても、僕の心は君のもの―――ぶ!」

 鬱陶しくなったシヴァが無言で投げたクッションが、見事にジェイルの顔面に激突した。

「くだらんことを言ってないで、真面目に答えろ」

「僕は真面目に答えています!」

「どこがだ」

「だってそれ以外考えられないじゃないですか!」

 つまり、ジェイルもなぜ自分の心臓が狙われているのか、皆目見当もつかないということだ。

 シヴァはこめかみをもみながら、話題を変えた。

「では、ひと月前の大喧嘩とやらは、なんだったんだ?」

 う、とジェイルは言葉を詰まらせた。

「い、言いたくありません……」

 シヴァは片眉を跳ね上げた。

「と、ともかくです! 喧嘩なんて大したことはありません! エルザと僕は永遠の愛を誓い合った仲ですよ! 多少の喧嘩が何だと言うんです」

「……いつ、お前とエルザが永遠の愛を誓い合ったんだ?」

「そんなもの、エルザが産まれた日に決まってるじゃないですか」

「訊いた俺が馬鹿だった」

 シヴァはジェイルの相手をしているのが嫌になって、ゼノに視線を投げた。

「ジェイルの心臓がどうなろうと俺には知ったことではないが、様子のおかしいエルザに離宮の中を歩き回られては困る。簡単には入り込めないように結界を張っておくが、お前も注意しておいてくれ」

「な! シヴァ様、エルザを締め出すおつもりですか!?」

「お前は頼むから黙っていてくれ!」

 ジェイルはシヴァに怒られて、不満そうに口を閉ざした。

 シヴァはようやくおとなしくなったジェイルを見て疲れたように息を吐きだす。

「とにかく、事情が分かるまでエルザを離宮に入れるわけにはいかない。沙良も、念のために一人になることは避けるように。俺がいないときはゼノか……、俺もゼノもいないときは、ジェイルのそばにいるように。この阿呆は、こう見えて一応は強いからな。血がどうこう言いだしたら殴っておけ。俺が許す」

「……シヴァ様、昔から思ってましたけど、僕に対して容赦ないですよね」

 ジェイルが口をとがらせて文句を言ったが、誰も彼のつぶやきには反応しなかった。

 沙良はシヴァの服を掴んだまま、ちらりとジェイルを見て、不安そうな顔で小さくうなずいたのだった。

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