旦那様は魔王様

狭山ひびき

5

「なんだか最近、様子がおかしいですね」

シヴァに、自身の所有する領地に関する報告書を渡しながら、アスヴィルはそう切り出した。

シヴァはアスヴィルから渡された報告書に目を通しながら、

「どこがだ?」

と、いつもと変わらない抑揚の欠いた声で答える。

しかし、シヴァと長年のつき合いであるアスヴィルは騙されなかった。

常に整然と整えられているシヴァの机の上が、いつもより散らかっている。

もっと言えば、ぐしゃぐしゃに握りつぶされた手紙らしきものが机の上においてある。握りつぶしたくせに破棄することができず、とりあえず机の端においている――そんな感じだ。

アスヴィルは無言で机の上の握りつぶされた手紙に視線を注いだ。

長年の勘で、シヴァの様子がおかしいのはその手紙が原因であろうと推測する。

「何かよくない知らせでも?」

シヴァはあきらめたように息を吐きだして、アスヴィルに握りつぶした手紙を差し出した。

アスヴィルは手紙のしわを伸ばし、ざっと文面をなぞり、この世の終わりを見たような顔をした。

「これはまた……」

「あの馬鹿が戻ってくる」

不機嫌を隠すことを諦めたシヴァが吐き捨てた。

「そうですか……。十年ぶりですかね?」

魔界に住む住民は長生きだ。十年前なんてついこの前のように感じる。だが、シヴァにとって本件については「ついこの前」ではなかったらしく。

「十年……、この十年平和だったのに。またうるさいのが戻ってくる……」

渋面を作り、チッと舌打ちしている。

よほどこの十年が安息の時だったのだろう。

だが、今回に関してはアスヴィルにも多分にシヴァの気持ちが分かった。なぜなら、シヴァの言った「あの馬鹿」が戻ってきた場合、アスヴィルも十分に被害を受けることが想定されるからだ。

「閉め出せないんですか」

真顔で言う友人に、シヴァはあきれた。

「お前もなかなか言うな……。それができるならとっくにやっている」

「それもそうですね」

アスヴィルは眉間にしわを刻んだ。

「ミリアムを部屋に閉じ込めなくては……」

アスヴィルの一言に、シヴァはぴたりと手を止めた。なぜならそれは、シヴァが沙良≪さら≫に対して行ったことと同じだったからだ。

(俺もおなじことをしたが、人の口から聞くと破壊力があるな……)

軟禁。監禁。不穏な単語が脳内に閃いて、シヴァは小さくかぶりを振った。

けれど、こればっかりは自分の判断は正しいはずだ。なぜなら「あの馬鹿」は会う前から沙良に興味を示している。

「最後に嫌なことが書いてありますね」

まさに今、アスヴィルが指摘したとおりだ。

そう、手紙の最後にはこう書いてあった。


追伸
愛とか恋とか無縁そうなあなたが選んだっていう花嫁とは、ぜひ仲良くさせていただきたいですね。絶対紹介してくださいね!
あ、そうそう、愛する僕のミリアムにも一言お伝えください。今度こそ、お兄ちゃんが魔の手から救い出してあげるからねって。


ボッ

突如として、アスヴィルの手の中で手紙が燃えた。

シヴァは沸々とした友人の怒りを感じて、燃える手紙を見、はあ、と嘆息する。

こうなるとは思っていた。

最後の一文を見て、アスヴィルがキレないはずがない。

「ふ、ふふ、魔の手……。言ってくれますね」

笑顔が怖い。

シヴァは手紙を灰までも燃やし尽くした友人にそっと声をかけた。

「頼むから、前のときみたいに城を破壊するなよ」

十年前。

それは、ミリアムがまだアスヴィルと結婚する前の時のことだ。

そのころアスヴィルはミリアムに絶賛求婚中で、ことあるごとにミリアムを追いかけまわしていた。

その時、さんざんアスヴィルを妨害し、あまつさえアスヴィルに関するありもしない噂話を捏造し、とことんまでにミリアムとの仲を裂こうとしたのが「あの馬鹿」である。

それでなくともミリアムに相手にされず、むしろ邪険にされていたアスヴィルにとって、その妨害は脳の神経をぶった切るに十分すぎるほどの行為で――

結果、極限までに精神的に追い込まれたアスヴィルが激怒し、応じた「あの馬鹿」と大喧嘩をはじめ、この城の三分の一が破壊された。

その一件にはさすがのシヴァも黙っておらず、「あの馬鹿」には向こう十年間の城から追放を言い渡し、ある意味被害者であったアスヴィルには、一年ほどミリアムの半径十メートル以内への接近を禁止したのだった。

(あの一年は面白かったがな……)

半径十メートル以内の接近を禁止されたアスヴィルは、離れたところから大声で愛を叫びはじめ、結果、城のいたるところでアスヴィルの「ミリアム愛しています!」の声が響くという、迷惑だが面白い一年になった。

もっとも、夜中に叫びだしたときには睡眠妨害されたシヴァが激怒して、アスヴィルは一晩地下牢に投獄されるはめになったのだが。

「とにかく、前の時のような騒ぎは困るぞ」

「わかっています。さすがに前の時のような騒動は起こしませんよ。なぜなら今幸せの絶頂ですから」

でれ、と一転して笑み崩れたアスヴィルにシヴァは冷ややかな視線を送った。

「ところで――」

シヴァはアスヴィルから受け取っていた領地の報告書の五ページ目を開いて、その文面をトントンと指先で叩いた。

「この、ミリアム記念館計画とは何のことだ?」

アスヴィルは厳つい顔を限界まで輝かせた。

「それは、ミリアムの美しさや愛らしさ、気品、すべての魅力を余すことなく後世に伝えるべく計画している壮大な資料館の――」

「却下だ」

シヴァはアスヴィルの説明を途中で遮ると、にべもなく一刀両断した。

シヴァの表情が地獄の底を見たようになる。

「どうしてもだめですか?」

「通ると思っている方がおかしいだろう!」

アスヴィルはシュンとした。まるで大型犬が飼い主に怒られて耳をペタンとさせているようであった。

「じゃあ、ミリアムの魅力を世の中に伝えるためにはどうすれば……」

昔は聡明であったはずのこの男が、ミリアムの存在でどんどん人格破壊を起こしていく事実に、シヴァは半ば本気で嘆きたくなった。

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