旦那様は魔王様

狭山ひびき

8

――時刻は、一時間ほど前に遡る。

夕食後、ミリーが煎れてくれたハーブティーを飲んだあと、沙良は夜着に着替えとようして首を傾げた。

いつも着ている、薄ピンクの夜着が、ない。

(あれ?)

くるぶしまである、ふんわりした素材のその夜着は、いつもベッドの上に畳んでおいている。

たぶん、お昼すぎまではベッドの上にあったはずだ。

沙良は念のためベッドの周りに落ちていないかどうか探して、そこにないとわかると、クローゼットを開けた。

クローゼットの中は、お姫様が着るような豪華なドレスがたくさんかかっている。

ミリーが揃えたものだが、日に日に増えていくような気がして、最近、沙良はひそかに怖くなっていた。いつかクローゼットに収まりきらなくなるのではないだろうか。

その、レースたっぷりのかさばるドレスの間もくまなく探し、沙良は困ったように眉尻を下げた。

「ない……」

夜着がない。

沙良は自分の格好を見下ろした。

ミリーによって着せられた、ヒラヒラ、ふわふわしたドレス姿である。こんな格好で眠れるはずがない。

途方に暮れていると、コンコンと軽やかなノックのあと、部屋の扉からミリーが顔をのぞかせた。

「沙良様ぁ、そろそろ着替えますよね?」

最近、この無駄に布面積の広いドレスの脱ぎ方を覚えた沙良だが、ミリーはこうして、よく着替えを手伝いに来てくれる。

沙良はミリーを見て、困った顔で訴えた。

「それが、パジャマがないんです……」

ミリーはにっこり微笑んだ。

「ああ、あの夜着は、洗濯に出してますよぉ」

「え?」

いつの間に洗濯に出したのだろうか。

洗濯するにしても、いつもはかわりの夜着がベッドの上においてあるのだが。

「あの、ミリー。それじゃあ、かわりのパジャマは……?」

「ああ、ちゃんと持ってきましたよぉ。大丈夫です」

沙良はホッとした。

ありがとう、とミリーが持ってきたかわりの夜着を受け取ろうとして、沙良は、ピシィ、と凍りついた。

「はいどうぞー」

にんまり、と笑ってミリーが差し出したのは、例によって、あのスケスケのミリアムからのプレゼントの夜着だったのだ。

「さ、着替えましょ」

「いやですー!」

打てば響くように即答して、沙良は慌てて部屋の隅に逃げた。

「えー? でも沙良様、その格好で眠るんですか? それとも裸で?」

「う……。ミリー、それ以外に、かわりのものってないんですか……?」

「かわりの夜着はこれしかないんですよぉ」

そんなはずはない。

沙良は知っていた。沙良用の夜着は、ちゃんと何着も用意があるのだ。

沙良は半泣きでミリーをちょっと睨んだ。

「嘘です。ちゃんとあるの知ってます」

「いつもはありますけどぉ、今日はこれしかないんですぅ」

わざとだ。沙良は確信した。

ミリーは意地でもそのスケスケの夜着を着せたいらしい。

沙良は部屋の壁に張り付いて、ささやかな抵抗を試みた。

ミリーは沙良のベッドの上に座ると、ひらっと夜着を広げておいた。

「沙良様が、どうしても裸で寝たいって言うなら、わたしは別にいいんですけどぉ。でも、風邪ひいちゃうと大変だし、できれば着てほしいなって思うんですよねぇ」

そんな薄っぺらい夜着が、どれほど暖を取るのに役立つのかはわからないが、裸、と言われて沙良はごくっと唾を飲み下した。

裸は嫌だ。

だけど、そのシースルーの夜着も嫌だ。

せめてガウンか何かがあればいいのに、と部屋の中に視線を彷徨わせるが、それらしいものはどこにもなかった。

「ほらぁ、沙良様、ベッドに入ってしまったら一緒ですよぉ。別に、これを着て城を歩き回るわけじゃないんですからぁ。それにこれ、着心地はすっごくいいはずですよぉ?」

さあさあ、と促されて、沙良はじっとその夜着を凝視する。

薄い。

すごく薄い。

ベッドの布団の小さな花のがらが透けるほど、薄い。

だが、ミリーの言う通り、ベッドに入ってしまえば大丈夫だろう。

恥ずかしいのは、着替えている間だけだ。すぐにベッドにもぐりこめばいいのだ。

このままミリーと押し問答していてもらちが明かないのは沙良もわかっている。

沙良は嘆息して覚悟を決めた。

「わかりました、それに着替えます……。でも! 明日はちゃんと、いつものパジャマを用意してくださいね?」

「はいはい、わかってますよぉ」

沙良が諦めてくれてご満悦のミリーは、うんうん、と何度もうなずいて沙良のドレスを脱がしにかかった。

手慣れたもので、脇のところで編み込むようにクロスされている紐も、するすると外していく。

そうして沙良を下着姿に剥くと、ミリーは薄紫色のシースルーの夜着を沙良の頭からかぶせた。

ばっちり下着が透けるその夜着は、沙良のほっそりした体のラインに沿うように流れて、膝が隠れるくらいまでを覆った。

沙良は顔を真っ赤にした。

想像以上に恥ずかしい。

自分の体を隠すように腕を交差し、背を丸めて、「それじゃあ、おやすみなさい」と慌ててベッドに入ろうとした沙良の手首を、ミリーがやんわりつかんで押しとどめた。

ミリーの満面の笑顔が――怖い。

「せっかくだからぁ……」

ミリーがぎゅうっと沙良の手を握りしめて、言った。

「シヴァ様に、見てもらってきてください!!」

ポンッ

――こうして、沙良はミリーによってシヴァの部屋まで魔法で飛ばされてしまったのだった。

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