旦那様は魔王様

狭山ひびき

6

沙良はハンカチで口の周りをぬぐうと、ミリーが両手に持ってヒラヒラさせている夜着を指さして、わなわなと震えた。

薄紫色のそれは、ミリーが動かすたび、蝶が羽ばたくように揺れている。

「そんなの服じゃありませんっ!」

「何言ってるんですか、ちゃんと服ですよぉ。ほら、袖も襟もあるでしょ?」

沙良はぶんぶんと首を振った。

「袖と襟があっても、そんな、す、す、す――」

「スケスケ?」

「そう! そんなスケスケな服が服なはずありませんっ」

沙良は全力で叫んだ。

肺活量が乏しいので、叫んでもたいして大声にはならないのだが、それでも沙良にしては頑張った方だ。

ぜーぜーと肩で息をしながら、ミリーがヒラヒラと揺らして見せつけてくる夜着を見て、いやいやと首を振り続ける。

ミリーが持っている夜着は、持っているミリーの姿が透けて見えるほど薄い素材だ。レースカーテンよりも薄い。

「そんなの着たら、全部見えちゃいますっ!」

「だからいいんじゃないんですか」

一生懸命訴えたのに、ミリーはあっけらかんと答えた。

「スケスケ。いい響きですよねぇ。わたし、チラ見せよりスケスケの方が好きなんですよぉ」

意味がわからない。

言葉が通じなさすぎて、沙良は泣きそうになった。

ここできちんと拒否を示しておかないと、ミリーに強引にそのシースルーの夜着を着させられるのは目に見えている。

誰が見るわけでもないとわかっているが、たとえ見る人がいなくとも、そんなほとんど裸に近いような姿にはなりたくない。むしろ裸の方がまだ恥ずかしくない気さえする。

だが、ミリーに言葉で勝てる気がしなくて、沙良は「あうあう」と口を言葉なく開閉させた。

そんな沙良に、ミリーはにっこりと満面の笑顔を浮かべて、一通の手紙を差し出した。

「はい、ミリアム様からですよぉ」

ミリアムとはシヴァの妹である。

沙良がこの世界に来た夜、一度会ったきり顔を合わせていなかったが、そのミリアムからなんの手紙だろう?

沙良は薄いピンクの可愛らしい封筒を開き、同じ色の二つ折りの便せんを広げた。

沙良ちゃんへ、ときれいな文字で手紙ははじまった。


『沙良ちゃんへ
わたしからのプレゼント
気に入ってくれたかしら?
ピンクと紫で悩んだんだけど
うちの旦那が紫って言うから紫にしてみたの。
是非、着てみてほしいわぁ。
透け感も申し分ないし
体のラインもきれいに見せてくれそうなのを選んでみたのよ。
これでうちの朴念仁なお兄様もイチコロね!
また感想聞かせてちょうだいね。
愛をこめて       ミリアム』


沙良はたっぷり数十秒は沈黙した。

手紙を持って硬直する沙良の前で、ミリーは相変わらず夜着をひらひらさせている。

「ほらぁ、可愛いですよぉ、沙良様ぁ」

沙良は、油をさし忘れた古びたブリキ人形のように、ぎこちなく首を動かした。

確かに、可愛いか可愛くないかで答えろと言われれば、可愛いと答える。

だが、それは自分が身につけないという前提あっての話だ。

おそらく、ミリアムのように神がかったスタイルの持ち主の女性であれば、このスケスケな夜着でさえ、きっと芸術作品のように着こなせるのだろう。

だが、沙良は、どちらが前かうしろわからないようなペタンコな体型だ。しかも細いせいでシヴァの言葉を借りるなら「貧相」である。

似合うはずがない。

もちろん、たとえスタイルがよかったとしても、沙良は絶対着たくないが。

沙良は手紙を丁寧に折りたたんで封筒に戻すと、言葉で勝てないなら沈黙で勝てとばかりに黙り込んだ。

ミリーがヒラヒラさせている夜着を見ないよう視線をそらす。

「沙良様ぁ?」

ミリーが顔を覗き込むが、沙良はぎゅっと目をつむって拒絶した。

ミリーのことは大好きだが、それとこれとは話が別なのだ。

そうして沙良は断固として拒絶を示したのだが、ミリーがおとなしくなるまで目を閉じていたため、気がつかなかった。

にんまり、とミリーが人の悪い笑みを浮かべていたことに――

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