旦那様は魔王様

狭山ひびき

12

ボウルに割った卵をかき混ぜながら、沙良は隣で小麦粉をふるいにかけているアスヴィルを見上げた。

眉間にうっすらと皺を刻んだいかつい顔に、ふりふりエプロンの奇妙な組み合わせには慣れないが、それでも見た目ほど怖くない人だとわかったからか、沙良の緊張はだいぶ溶けた。

「あのぅ、ここの方たちって魔法が使えるんですよね?」

アスヴィルは手を動かしながら答える。

「そうだな」

「アスヴィル様も、魔法使えるんですよね?」

「ああ」

「ちょっと気になったんですけど、お菓子って魔法で作ったりはしないんですか?」

もちろん沙良は自分の手でお菓子を作りたい。

だが、魔法が使える人たちが、わざわざ手を動かしてお菓子作りをする必要性はどこにもないのかもしれない、と沙良は思った。

アスヴィルは手を止めて沙良を見下ろした。

「菓子作りは奥が深い」

「……はい?」

突然何を言い出すのかと、沙良は首をひねる。

アスヴィルは真剣な目をして続けた。

「いいか? 魔法は確かに便利だ。もちろん魔法で菓子は作れる。だが、菓子作りは非常に繊細なんだ。混ぜ方、温度、材料の鮮度、微妙な加減で全然味が変わる! そんな繊細な作業を魔法で代用はできない。だから、魔法で作った菓子は、大雑把な味で全く駄目なんだ。菓子は魔法は使わず、己の手で、目で、行わなくてはならない!」

いきなり熱く語りはじめたアスヴィルに、沙良は目を丸くした。

「あー、相手にしなくていいですよぉ。長いですからぁ」

この人たまにアホなんですよねぇ、とミリーがソファーでチョコを頬張りながら言った。

アスヴィルはじろりとミリーを睨んだ。

「人が作ったチョコレートを食べながら何を言う」

「うんうん、お菓子は美味しいですよぉ? 明日はチョコケーキが食べたいですねぇ。今日は、あとは今作ってるクッキーがあればいいですぅ」

「そうか、わかった」

(……ん?)

もしかして、アスヴィルは毎日お菓子を作っているのだろうか。

それを、毎日のようにミリーに献上している?

だが、七侯ななこうの一人で偉いはずのアスヴィルは、それがさも当然と言うように頷いている。

(ミリーって、もしかして、すごいんじゃ……)

思ったが、いろいろ突っ込んだことを聞くと怖そうなので、沙良は黙って手を動かした。

アスヴィルは再び小麦粉をふるいにかけながら、ちらりと卵を混ぜている沙良の手元を見た。

「泡立てるなよ」

「は、はい!」

「ある程度ほぐれたら、そこにある砂糖を半分ほど入れろ」

「わかりましたっ」

「……シヴァ様に連れてこられたと聞いた」

沙良はぴたりと動きを止めた。

少しばかり心配そうに細められた双眸が、沙良の顔を見つめていた。

「あの方は、少し気難しいが、悪い方ではない」

「は、はい……?」

「大変かもしれないが、がんばれ」

「え?」

何をがんばると言うのだろう。頑張って生贄になれということだろうか。

アスヴィルは小麦粉をふるい終わり、別のボウルでバターを混ぜはじめた。

「今日作るのはチョコチップクッキーだ」

急に話が飛んだ。

「え?」

「ミリーが好きだからな」

「は、はい?」

「シヴァ様に持って行って差し上げれば、きっと喜ぶと思う」

「――えっと……」

「ミリーとシヴァ様は、味覚が似ている」

「そう、なんですか……」

よくわからないが、ミリーと味覚が似ているからシヴァもきっとチョコチップクッキーが好きで、持って行ってあげれば喜ぶから、完成したら差し入れろ、ということか。

あの仏頂面でクッキーを食べるシヴァを想像しようとして、沙良の想像力は限界をきたした。

無理だ。

視線で人を射殺せそうな怖いあの顔で、クッキーを食べている姿は想像できない。

「何言ってるんですかぁ、シヴァ様にあげる分け前なんてありませんよぉ。そんなものがあるなら、全部わたしの胃袋の中ですぅ」

「そこに作りおきがあるから、お前は俺が作った分とそれで我慢しろ」

ソファテーブルの前のクッキーが入った皿を指してアスヴィルが言えば、ミリーが口を尖らせた。

「これ、チョコチップが入ってないじゃないですか」

「かわりに紅茶の茶葉を砕いて入れた」

「また無駄に細かいことをしましたねぇ」

ミリーは紅茶の茶葉入りのクッキーに手を伸ばした。

「まあ、これはこれで美味しいですから、今日のところは我慢してあげますぅ」

にこにこと幸せそうにクッキーを食べるミリーを見て、アスヴィルの顔が少しだけ優しそうになる。

「アスヴィル様とミリーは、仲良しさんなんですね」

兄妹ってこんな感じなのかなと思いながら沙良が言えば、アスヴィルの目元が少しだけ赤くなった。

「あ、ああ、俺たちは……」

「昔からの顔なじみなんですよぉ!」

ミリーがアスヴィルを遮った。

「……ああ」

アスヴィルは頷いたが、沙良の目にはどことなく不満そうに見える。

アスヴィルはため息をつくと、バターを混ぜてクリーム状にしたボウルを沙良に手渡した。

「ここに、卵を少しずつ入れて混ぜていけ」

「はい」

意外だったが、アスヴィルの教え方は非常に丁寧だった。

沙良の動作に合わせてくれているのだろう、ゆっくりと次の作業を指示してくれる。

最後に小麦粉を混ぜ合わせて、薄く伸ばし、星やハートといったクッキー型でくりぬいてオーブンに入れた。

焼き上がりを待つまで、ソファに座って、ミリーが煎れてくれた紅茶を飲む。

アスヴィルがフリフリエプロンを脱いでくれたことに少しほっとしつつ、沙良は優雅に紅茶を口に運ぶアスヴィルを見やった。

「アスヴィル様は、シヴァ様とも仲良しなんですか?」

「そう、だな……。別に不仲ではない」

「あの、じゃあ、生贄って、どういう殺され方をするかご存じですか?」

「……生贄?」

アスヴィルはぐっと眉を寄せた。

「なんだそれは」

アスヴィルの疑問にはミリーが答えた。

「シヴァ様がぁ、沙良様を『生贄』として連れてきたそうですよぉ」

「……ばかな」

「ねー、おバカですよねぇ」

アスヴィルは眉間に人差し指を当てて嘆息した。横目で沙良を見る。

「……殺され方、か?」

「はい」

「………、聞いて、どうするんだ?」

「心構えとか……?」

「………、それほど、ひどいことはされないと思うが」

「そ、それほど、痛くはないんでしょうか?」

「………………、そういうことは、本人に聞いてみるのがいいかと……」

どうやら困らせてしまったようだ。

厳つい顔をさらにしかめて、アスヴィルは助けを求めるようにミリーを見た。

ミリーはひらひらと手を振った。

「大丈夫ですよぉ、ほら、ミリアム様がシヴァ様を追い払ったでしょ? しばらく手出しはしてこないはずですからぁ。それに、アスヴィル様はシヴァ様と違って、誰かを生贄とか呼ぶ趣味はないですから、聞いたって答えは出ないですよぉ」

「……趣味」

趣味で片付けられるのだろうか。

趣味で殺されてはたまらない。

しょんぼりとうつむいていると、アスヴィルが武骨な手を伸ばして、沙良の頭を撫でた。

びっくりして顔を上げると、アスヴィルの双眸が優しそうに細められている。

「大丈夫だ」

「……はい」

昨日ここにきて、たくさん人のやさしさに触れた気がする。

生贄は怖いけれど、優しくされるのは嬉しくて、沙良がちょっぴり泣きそうになったところで、チンッと軽やかなタイマーの音がして、クッキーが焼き上がった。

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