旦那様は魔王様

狭山ひびき

5

沙良は自分のおかれている状況が理解できず、ぐるぐる回る思考回路を持てあましていた。

――ここは、さきほどまで沙良がいた部屋ではない。

天蓋つきの広いベッド。

真っ黒いソファに、真っ黒い机。

広い部屋。

そして窓の外には、真っ赤な月がぽっかりと浮かんでいる。

沙良はベッドの端にちょこんと座って、もう一時間も頭を悩ませていた。

あの、冷たい目をしたあの人は、シヴァと名乗った。

ここはあの人の世界で、あの人の家――城――、らしい。

シヴァは沙良を「生贄」と呼び、問答無用でここへ連れてきた。

そして、沙良をこの部屋に押し込め、そのままどこかに消えてしまった。

ここは、沙良のいた「日本」ではないらしい。

日本どころか、沙良のいた世界とも違うそうだ。

何も知らない沙良に、シヴァはイライラしながら、こう告げた。

生贄、だと。

昔、沙良が産まれる前、沙良の両親がシヴァと「契約」したそうだ。

沙良の母親の命を助ける代わりに、沙良を生贄に、と。

沙良が十七になったら、迎えに来ると。

それを聞いて、沙良は驚くより先に、「ああ」と納得してしまった。

(だから、お母さんとお父さんは、わたしを愛してくれなかったんだ……)

長年、ずっと悩んでいた疑問に、答えが出た。

悲しくはなかった。

生まれて十七年、一度も与えてもらえなかった愛情だ。

いまさら、悲しいとは思わなかった。

ただ、ちょっとだけ寂しくなって、うつむいた沙良の腕を引き、シヴァは沙良をこの場所に連れてきた。

正直、どうやってたどり着いたのか、沙良にはわからない。

目の前を真っ暗な闇が覆ったかと思えば、次の瞬間にはここにいた。

「生贄……か」

沙良はぽつんとつぶやいた。

生贄って何だろう。

小説の中だったら、殺されて、バリバリ食べられたり、豊穣祈願のため神様にささげられるのだけど、沙良も、そんな扱いなのだろうか?

よくわからなかったけれど、唯一なんとなくわかっていることは、きっと自分は死ぬんだな、ということだ。

生贄だから、殺されるのだろう。

だが、沙良は不思議と怖いとは思わなかった。

実感がないことも理由なのかもしれないが、生まれてこのかた「生きたい」と思ったことがないからだ。

だからと言って、死にたい、と思ったこともないのだが。

このまま生きていても意味があるのかな、と漠然と思ったことは何度もある。

殺されるのなら、できれば、痛くも怖くもないといいな――、沙良がそう考えたとき、コンコンと部屋の扉が叩かれた。

返事をしてもいいのか悩んでいると、

「入ってもいいでしょうかぁ」

少し間延びした明るい声が聞こえてきて、沙良は声を絞り出した。

「は、はい」

まだ、喋ることには慣れない。舌を噛みそうになる。

「失礼しまぁす」

そう言って扉から入ってきたのは、真っ赤な髪をツインテールにした十二歳くらいの女の子だった。

ふっくらした頬がピンク色に染まっていて、とてもかわいい。

女の子は沙良を見るとにっこり笑った。

「はじめましてぇ! 沙良様のお世話を言いつかりました、ミリーといいまぁす!」

沙良「様」と言われて、沙良は目を丸くした。

それと同時に、好意的な笑顔を向けられたのははじめてで、どうしたらいいのかわからなくなる。

おろおろしていると、ミリーがとことこ近づいてきて、沙良の顔を覗き込んだ。

「どうしましたぁ? 沙良様ぁ」

かわいい。

まるでお人形のようなミリーに、思わず沙良は抱きしめてみたくなるような衝動を覚えた。

ついさっきまで暮らしていた部屋においてあったテディベアを抱きしめたくなるのと同じ心境だ。

「あ、あの、ミリーさん」

「ミリーでいいですよぉ」

「は、はい。ミリー。あの……、わたしの、お世話というのは……?」

喋り慣れないから、ゆっくりと、たどたどしく話す沙良にも、ミリーは嫌な顔をしなかった。

「身の回りのお世話ですよぉ? あ、お茶煎れますね」

ミリーはパタパタと部屋の隅の棚まで駆けていって、備え付けてあった茶葉とティーポットを取り出した。

水差しを取ると、ティーポットに茶葉を入れ、水差しから直接水を注ぎはじめた。

水で入れるお茶なのだろうか、と少し不思議に思って、沙良はミリーの動作を見つめる。

やがてティーカップを持ってミリーが戻ってくると、差し出されたカップを見て、沙良は愕然とした。

湯気が立っている。

カップが温かい。

「え?」

自分用のカップを持って、沙良の隣に腰を下ろしたミリーを見て、また手元のカップを見て、沙良は首をひねった。

「どうしましたぁ?」

琥珀色のお茶を飲みながら、ミリーが不思議そうな顔をする。

「紅茶、嫌いでしたかぁ?」

「う、ううん、嫌いじゃないです……けど」

「けど?」

「どうして、暖かいんでしょうか……?」

「え? 冷たい方がよかったですかぁ?」

「あ、そういうことじゃ、ないんですけど……」

うまく伝えられなくて、どうしよう、と悩んでいると、ミリーが「ああ」と何かに気が付いたように頷いた。

「そっかぁ、魔法、はじめてですか?」

「まほう?」

それはあれだ。

小説の中に出てきた、手品みたいなすごい技だ。

だが、言葉は聞いたことがあるが、実際に見たことはもちろんない。

「お水、沸かしただけですよ。ティーポットにそそぐときに、お湯に変えたんですぅ」

「お湯に……」

「この世界じゃ、当たり前のことなので、慣れてくださいね?」

「あ……、はい」

慣れろと言われて、すぐに順応できるとは思えないが、沙良は、とりあえず頷いた。

(よくわかんないけど……、きっと、ここではこれが普通?)

恐る恐るティーカップに口をつけて、沙良は入れてもらった紅茶を飲む。ほんのり甘くて、ほっとする味だった。

いろいろあって緊張していた体が、少しだけ落ち着く。

「あとで、お昼ごはんももってきますね? 今日、お誕生日って聞いてますんで、すっごい大きなケーキも用意しますぅ」

「え?」

大きなケーキ。

それはとても魅力的だが、沙良はそれよりも別のことに驚いた。

「おひる、ごはん……?」

窓の外には月が昇っていた。

すごく大きな真っ赤な月で、あたりはかなり明るいが、あれは月だ。

「夜、ごはんじゃなく、て?」

「ん? 今、お昼ですよ? 明るいでしょ?」

いやいやいや――

ここでは、お昼に月が昇るのだろうか?

では、夜に太陽が昇る?

どうしても気になったので沙良が聞いてみると、ミリーはクスクスと笑い出した。

「あー、違いますぅ。ここには太陽はありませんよぉ。月が昇ったら朝で、沈んだら夜です」

――いろいろ、頭がおかしくなりそうだ。

「大丈夫ですよぉ、慣れてしまえば不思議じゃないです!」

可愛い顔をしてミリーがにっこり笑うから、沙良は少しほっとして頷いた。

慣れるまで、沙良が生きていられるかは別として、深く考える必要もないのかもしれない。

沙良は生贄で、どうやっても元の世界に帰ることはできないのだろうから。

沙良が少しだけ悲しくなってうつむいたとき、ミリーが「そういえば!」と明るい声をだした。

「シヴァ様に会いましたよね? どうでした? どう思いました?」

キラキラした目で見つめられて沙良は戸惑った。

(どう……?)

シヴァの顔を思い出す。

黒い髪に黒い瞳を持った、びっくりするくらい綺麗な男の人だった。

だが、同時に恐ろしく冷たい空気をまとっていて、氷みたいな冷たい瞳をしていた。

沙良はちらりとミリーを見た。

ここは、正直に言ったら怒られるのだろうか?

何を言うのが正解だろうか?

困っていると、ミリーがぷっと吹き出す。

「困らないでくださいぃ。正直に言っていいですよ。どうせ、こぉーんな仏頂面だったんじゃないですか~?」

ぷっくりした小さな手で自分の眉間を寄せて怖い顔を作るミリーに、沙良は思わず笑ってしまった。

「やっぱりねぇ。ニコリともしないのは紳士じゃないですよねぇ」

「あの、シヴァ、様って、どんな人なんですか?」

「あ、シヴァ様に興味持ってくれました?」

「えと、興味、というか……」

「あー、いいんですいいんです、あんな仏頂面じゃぁ興味なんて持てませんよねぇ。どうせまともに自己紹介もしなかったんでしょうし。シヴァ様は簡単に言うと、魔王様ですよ」

「へ?」

「だから、魔王様ですぅ。この世界の王様ですよぉ」

魔王。

あれだろうか。小説の中とかで世界征服を企てる悪の親玉?

いや、でも王様なら、すでに征服しているのだから、もう征服するところはどこにもないだろう。

――そんなことよりも。

「魔王、様……」

もしかしなくても、とんでもない人の「生贄」なのだろうか。

(もしかして、とんでもなく酷いことされたり、するのかな……)

ぼんやりしていた生贄という言葉が、急に現実味を帯びてきて、沙良は青くなった。

生贄という立場を疑っていたわけではない。

だが、祭壇とかにささげられたり、泉に沈められたり、そんな生易しいものではなさそうな気がしてきて、途端に怖くなってくる。

(本当に、頭からバリバリ食べられたり、切り刻まれたり、しちゃうのかな……)

できれば痛くしないでほしい。

そういう希望も、相手が魔王様なら、聞き入れられないかもしれない。

沙良が顔を青くしていると、ミリーが訝しそうな顔になった。

「どうしましたぁ?」

沙良はすがるようにミリーを見た。

聞いたら教えてくれるだろうか?

「あの、ミリー、生贄って、どんな殺され方、するんでしょうか……?」

「はぁ?」

ミリーは素っ頓狂な声を上げた。

「なんですかぁ、突然」

「あ、だから、生贄……」

「沙良様って生贄に興味あるんですかぁ?」

「や、そうじゃなくて……、あ、そうなんだけど……えっと、心構えというか、知っておいた方が、いいのかな、とか思ったり。あ、でも、逆に聞かない方が、いいのかな……」

ミリーはぐっと眉間にしわを寄せた。

「あのぉ、まさかとは思いますけど、生贄って、自分のことですかぁ?」

沙良はコクリと頷いた。

「シヴァ様の生贄でしょ……?」

「それは、シヴァ様が?」

コクリ、ともう一度頷くと、ミリーはポカンとした。

そのあと、しばらくして、突然にんまりと口端を持ち上げる。

「あぁー、なるほどなるほど」

ミリーはベッドサイドのテーブルにティーカップをおくと、沙良の肩にぽんっと手をおいた。

「いいですか、沙良様。生贄というのは」

「生贄というの、は?」

ミリーはふと真面目な顔を作って声を落とした。

「シヴァ様に、『食べ』られちゃうんです!」

(やっぱり!)

ピシッと沙良は凍り付いた。

その様子を見てミリーがぷくくくと小さく笑っていたが、あまりのショックに沙良は気が付かない。

ミリーは沙良の耳元に口を寄せて、こう告げた。

「いいですか、シヴァ様が『食べ』に来たら、こう言うんですよ。――」

沙良はごくりと息を呑んでから、ぎこちなく頷く。

そのあと、ミリーの宣言通り、昼食後に結婚式とかに登場しそうな何段もあるタワーみたいなケーキが運ばれてきたが、ショックを受けていた沙良は、結局一口も食べられなかったのだった。

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