夢の中でも愛してる
3
グロディール国行きの日程はすぐに組まれた。
何日も馬車に揺られるのははじめてのことで、グロディール国の王都に到着したころには、遥香はくたくたになっていた。
「あと少しよね」
同じ馬車に乗っているアンヌに疲れた顔で話しかけると、アンヌも同じく少しやつれた顔で頷いた。
「王都に入りましたから、あと少しのはずですよ」
馬車の帳をほんの少しだけ上げて外を見ると、先ほどまで山や畑が多かった景色が、街並みにかわっている。城壁に囲まれた城下町に入るころには、その様子は活気にあふれ、見ていてとても楽しかったが、疲れている遥香は帳を下ろすと馬車の背もたれに寄りかかった。
(やっとついた……)
間でしっかり休憩を取りながら移動してきたはずなのに、体に蓄積された疲労感は半端がない。馬車での長距離の移動がこれほど大変だとは思わなかった。ずっと座りっぱなしだったので、立ち上がると足元もおぼつかない。
そのせいで、城の前に止められた馬車から降りようとするときにふらついてしまい、危うく転びかけるのを、誰かが抱き留めてくれた。
「相変わらず、危なっかしいな」
笑みを含んだ低い声が頭上から聞こえてきて、遥香はハッと顔をあげた。
「ようこそ、グロディール国へ」
口元に笑みを張りつけているのは、およそ二か月ぶりに見るクロードだった。
金色の髪が初夏の日差しを受けてキラキラと輝いている。遥香はびっくりして、しばらく何も言えずにポカンとクロードを見上げた。すると、苦笑したクロードに、軽く頭を小突かれる。
「どうした、立ったまま夢でも見ているのか?」
ささやかれて、遥香は慌ててクロードから離れると、自分の足でしっかりと地面に降り立った。
「ごめんなさい、足元がふらついてしまって」
「長旅だったんだ、無理もない。疲れただろう? 先に部屋に案内しよう」
クロードが遥香の背に手を添えて、城の中に誘導しようとする。王子自ら部屋まで案内してくれるのかと少し驚いたが、おそらく、遥香が緊張しないようにと配慮してくれているのだと判断して、クロードの好意に甘えることにした。
「この二か月の間は、どのようにすごしていた?」
回廊を歩きながらクロードが訊ねてくる。
「特に変わったことはありませんでしたよ」
「相変わらず、城の中で本を読んだり刺繍をしたりしてすごしていたのか?」
「そうですね……、あと、母の最近の趣味が機織りだそうで、それを教えてもらったりしてすごしていました」
「そうか」
はじめて会ったときは、緊張して、クロードが怖くて仕方がなくて、うまく話すこともできなかったのに、こうして穏やかな気持ちで会話ができている自分が驚きだった。
クロードは、遥香に合わせてゆっくり歩きながら、簡単に城の中を案内しながら目的の部屋までを進んでいく。
いたるところに花が飾ってあり、ふんわりと温かい雰囲気のセザーヌ国の城と違い、グロディール国の回廊には、壺や絵画がポツンポツンと点在するだけで少し寂しい雰囲気だ。だが、回廊に囲まれた中にある中庭は優美で、その洗練された中に不釣り合いにも見える、大きな木の枝に括りつけられているブランコを見つけたときは笑ってしまった。
「子供のころ、あれでよく遊んだものだ」
遥香の視線がブランコに注がれているのに気がついたのだろう、クロードがそう言って小さく笑った。
「母が生きていたころの話だがな。ブランコに座っているとき、母がよく背中を押してくれていた」
そう言って笑うクロードの顔はとても穏やかで、他界した生母である前王妃のことをとても大切に思っているのが伝わってくる。
クロードの父であるグロディール国王は、前王妃が他界してすぐに、側室であった妃を王妃にしたそうだから、今の王妃はその側室だった人なのだろう。
グロディール国の王子はクロードしかいないそうだが、国王と現王妃の間に、十一歳になる姫が一人いるそうだ。
「エリーゼはおてんばだからな。言って聞かせておくが、興味本位にお前の部屋に行くかもしれない。その時は適当に相手をしつつ俺を呼んでくれ。すぐに連れに行くから」
母が違う妹のことを、それなりに気にかけているのだろう、兄の顔をしたクロードがそう言って肩をすくめる。
遥香が使う部屋に到着したときには、先回りして荷物を運んで準備していたアンヌが、紅茶を用意して待っていてくれていた。部屋は日当たりのいい二階の角の部屋だった。
「王太子妃の部屋の準備を急いでいたのだが、さすがに間に合わなかった。結婚式までには整えさせるから、今回はこの部屋で我慢してくれ」
クロードはそう言うが、部屋の中はとても広く、家具や調度も新調してくれたのだろう。白地に淡いピンクと黄色の小さな花の絵が描かれた壁紙に、繊細なレースの天蓋のついたベッド、モスグリーンのソファの上には、ふわふわした手触りの白いクッションがおいてある。とても可愛らしい部屋だった。
ソファに腰かけ、紅茶を口に運ぶクロードの横で、遥香はクッションを抱きしめた。この手触りは、さっそくお気に入りの一つになりそうだった。
「それから、侍女は城で働いている数人を回しておいた。アンヌを連れてきたようだが、一人だと大変だろう。身の回りのことは、彼女たちを使えばいい」
そう言ってクロードが視線を滑らせると、部屋の壁際に音もなく立っていた四人の女性が、順番に頭を下げた。
遥香は立ち上がり、深めにお辞儀を返す。
「リリーです。ひと月の間お世話になります」
「リリー、そんなにかしこまらなくてもいい。それに、今回はひと月だが、五か月もすればお前の家はこの城だ」
「そうですけど、挨拶は大事ですよ」
ソファに座りなおしながら遥香がそう返せば、クロードが笑いをかみ殺したような顔して遥香の頭を撫でた。何が面白かったのだろうと首をひねるが、クロードはおかしそうな顔をしたまま、四人の侍女たちを部屋から追い払う。アンヌもグロディール国の城の仕事を確認すると彼女たちについて行くと、部屋の中にクロードと二人きりになった。
「お前のその、下の人間を見下さない性格が、俺は好きだな」
「え……?」
遥香は瞠目した。クロードに「好き」だと言われたのはこれがはじめてのはずだ。その「好き」は、女性としてではなく、単純に性格の一部分が好ましいと言われただけのことだったが、不意打ちのその発言に遥香の鼓動が早くなる。
「お前はセザーヌ国の姫で、この国の王太子妃になるのだから、もっと偉そうにしていてもいいんだが」
「それは……」
「どうせ無理だと言うんだろう。だから、お前はそのままでいい。だが、下手に出すぎると甘く見られてしまうから、少し注意しておいてほしい」
「はい」
遥香が頷けば、クロードは安心したような顔をする。
そのあと、グロディール国の国王との謁見時間が迫るまで、離れていた時間を埋めるように、クロードといろいろな会話をして楽しんだ。
何日も馬車に揺られるのははじめてのことで、グロディール国の王都に到着したころには、遥香はくたくたになっていた。
「あと少しよね」
同じ馬車に乗っているアンヌに疲れた顔で話しかけると、アンヌも同じく少しやつれた顔で頷いた。
「王都に入りましたから、あと少しのはずですよ」
馬車の帳をほんの少しだけ上げて外を見ると、先ほどまで山や畑が多かった景色が、街並みにかわっている。城壁に囲まれた城下町に入るころには、その様子は活気にあふれ、見ていてとても楽しかったが、疲れている遥香は帳を下ろすと馬車の背もたれに寄りかかった。
(やっとついた……)
間でしっかり休憩を取りながら移動してきたはずなのに、体に蓄積された疲労感は半端がない。馬車での長距離の移動がこれほど大変だとは思わなかった。ずっと座りっぱなしだったので、立ち上がると足元もおぼつかない。
そのせいで、城の前に止められた馬車から降りようとするときにふらついてしまい、危うく転びかけるのを、誰かが抱き留めてくれた。
「相変わらず、危なっかしいな」
笑みを含んだ低い声が頭上から聞こえてきて、遥香はハッと顔をあげた。
「ようこそ、グロディール国へ」
口元に笑みを張りつけているのは、およそ二か月ぶりに見るクロードだった。
金色の髪が初夏の日差しを受けてキラキラと輝いている。遥香はびっくりして、しばらく何も言えずにポカンとクロードを見上げた。すると、苦笑したクロードに、軽く頭を小突かれる。
「どうした、立ったまま夢でも見ているのか?」
ささやかれて、遥香は慌ててクロードから離れると、自分の足でしっかりと地面に降り立った。
「ごめんなさい、足元がふらついてしまって」
「長旅だったんだ、無理もない。疲れただろう? 先に部屋に案内しよう」
クロードが遥香の背に手を添えて、城の中に誘導しようとする。王子自ら部屋まで案内してくれるのかと少し驚いたが、おそらく、遥香が緊張しないようにと配慮してくれているのだと判断して、クロードの好意に甘えることにした。
「この二か月の間は、どのようにすごしていた?」
回廊を歩きながらクロードが訊ねてくる。
「特に変わったことはありませんでしたよ」
「相変わらず、城の中で本を読んだり刺繍をしたりしてすごしていたのか?」
「そうですね……、あと、母の最近の趣味が機織りだそうで、それを教えてもらったりしてすごしていました」
「そうか」
はじめて会ったときは、緊張して、クロードが怖くて仕方がなくて、うまく話すこともできなかったのに、こうして穏やかな気持ちで会話ができている自分が驚きだった。
クロードは、遥香に合わせてゆっくり歩きながら、簡単に城の中を案内しながら目的の部屋までを進んでいく。
いたるところに花が飾ってあり、ふんわりと温かい雰囲気のセザーヌ国の城と違い、グロディール国の回廊には、壺や絵画がポツンポツンと点在するだけで少し寂しい雰囲気だ。だが、回廊に囲まれた中にある中庭は優美で、その洗練された中に不釣り合いにも見える、大きな木の枝に括りつけられているブランコを見つけたときは笑ってしまった。
「子供のころ、あれでよく遊んだものだ」
遥香の視線がブランコに注がれているのに気がついたのだろう、クロードがそう言って小さく笑った。
「母が生きていたころの話だがな。ブランコに座っているとき、母がよく背中を押してくれていた」
そう言って笑うクロードの顔はとても穏やかで、他界した生母である前王妃のことをとても大切に思っているのが伝わってくる。
クロードの父であるグロディール国王は、前王妃が他界してすぐに、側室であった妃を王妃にしたそうだから、今の王妃はその側室だった人なのだろう。
グロディール国の王子はクロードしかいないそうだが、国王と現王妃の間に、十一歳になる姫が一人いるそうだ。
「エリーゼはおてんばだからな。言って聞かせておくが、興味本位にお前の部屋に行くかもしれない。その時は適当に相手をしつつ俺を呼んでくれ。すぐに連れに行くから」
母が違う妹のことを、それなりに気にかけているのだろう、兄の顔をしたクロードがそう言って肩をすくめる。
遥香が使う部屋に到着したときには、先回りして荷物を運んで準備していたアンヌが、紅茶を用意して待っていてくれていた。部屋は日当たりのいい二階の角の部屋だった。
「王太子妃の部屋の準備を急いでいたのだが、さすがに間に合わなかった。結婚式までには整えさせるから、今回はこの部屋で我慢してくれ」
クロードはそう言うが、部屋の中はとても広く、家具や調度も新調してくれたのだろう。白地に淡いピンクと黄色の小さな花の絵が描かれた壁紙に、繊細なレースの天蓋のついたベッド、モスグリーンのソファの上には、ふわふわした手触りの白いクッションがおいてある。とても可愛らしい部屋だった。
ソファに腰かけ、紅茶を口に運ぶクロードの横で、遥香はクッションを抱きしめた。この手触りは、さっそくお気に入りの一つになりそうだった。
「それから、侍女は城で働いている数人を回しておいた。アンヌを連れてきたようだが、一人だと大変だろう。身の回りのことは、彼女たちを使えばいい」
そう言ってクロードが視線を滑らせると、部屋の壁際に音もなく立っていた四人の女性が、順番に頭を下げた。
遥香は立ち上がり、深めにお辞儀を返す。
「リリーです。ひと月の間お世話になります」
「リリー、そんなにかしこまらなくてもいい。それに、今回はひと月だが、五か月もすればお前の家はこの城だ」
「そうですけど、挨拶は大事ですよ」
ソファに座りなおしながら遥香がそう返せば、クロードが笑いをかみ殺したような顔して遥香の頭を撫でた。何が面白かったのだろうと首をひねるが、クロードはおかしそうな顔をしたまま、四人の侍女たちを部屋から追い払う。アンヌもグロディール国の城の仕事を確認すると彼女たちについて行くと、部屋の中にクロードと二人きりになった。
「お前のその、下の人間を見下さない性格が、俺は好きだな」
「え……?」
遥香は瞠目した。クロードに「好き」だと言われたのはこれがはじめてのはずだ。その「好き」は、女性としてではなく、単純に性格の一部分が好ましいと言われただけのことだったが、不意打ちのその発言に遥香の鼓動が早くなる。
「お前はセザーヌ国の姫で、この国の王太子妃になるのだから、もっと偉そうにしていてもいいんだが」
「それは……」
「どうせ無理だと言うんだろう。だから、お前はそのままでいい。だが、下手に出すぎると甘く見られてしまうから、少し注意しておいてほしい」
「はい」
遥香が頷けば、クロードは安心したような顔をする。
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