夢の中でも愛してる

狭山ひびき

1

――婚約式をしたら、もう逃げられないよ。

リリックのその言葉が頭から離れない。

リリー――遥香はるかは、読んでいた本から顔をあげて、そっと窓の外を見下ろした。

先ほど朝食をすませたばかりで、まだ太陽も低い位置にある。窓から見える庭の噴水の近くにはクロードの姿があった。彼は天気のいい朝にしばしば庭に降りて、噴水のそばのベンチで本を読んでいる。

それに気がついたのはつい最近だが、気づいてからはなんとなく窓から庭を見下ろすのが日課になった。クロードは本当に絵にかいた王子様そのもので、一つ一つの動作も優雅で洗練されている。遠目から見る彼はどこか近寄りがたく、少し意地悪な顔をして笑うときの彼とはかけ離れていて、どちらもクロード本人だというのに、まるで違う人物みたいで少し不思議だった。

その近寄りがたい雰囲気を持ったクロードが、なんとなく「作られた」ものであると感じはじめたのも、ここ最近のことだ。

クロードに本物も偽物もないが、おそらく彼は、普段は「王子」としてすごしている。遥香が「絵にかいた王子様のようだ」と感じるのはそのためだろう。それは、姉であるコレットが、式典や外交などのときに見せる顔と少し似ていた。普段は派手好きな姉も、「王女」はかくあるべきという仮面をかぶるときがある。クロードも他人の目があるときは「理想の王子」の仮面をかぶっているのかもしれない。

そして、遥香に見せる意地悪なクロードが、おそらく仮面を取った素顔の彼。

これはあくまで推測でしかないが、あまり人前に出ず、のんびりとすごしていた遥香とは違い、世継ぎの王子は他人の目を気にして、自分自身すら押し殺す必要があるのだろう。そう考えると、王太子妃という立場になることがとても恐ろしく感じられる。

(わたしには、できるかしら……?)

遥香には自信がなかった。考えるほどに不安になり「逃げられない」というリリックの言葉を思い出してしまう。逃げるなら、今しかないのだと。

リリックには、がんばってみるつもりだと答えた。その気持ちに嘘はない。けれど、まだ心は不安定で、ともすれば決意が揺らいでしまいそうになるのも事実だった。

遥香は朝日をあびてキラキラと輝くクロードの金髪をじっと見つめる。――そのとき、ふと本を読むために下を向いていたクロードの顔が上がった。

「あ……」

顔をあげたクロードが振り向いて、クロードを見つめていた遥香と目が合う。

クロードは本を閉ざして立ち上がると、遥香に向けて口を動かした。

(そっちに、行く……?)

声は聞こえないが、おそらくそう言いたいのだろう。

城の方へ向けて歩き出したクロードの姿が見えなくなると、遥香は侍女のアンヌを捕まえて、クロードのために紅茶を用意するように頼んだ。

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