藤ヶ谷海斗は変われない。
決着。
「グォォ……」
低く唸る声と共に、緑の怪物が立ち上がる。その大きさは俺の2倍は優にあるだろう。思わず冷や汗が頬を伝う。
『助けたいなら、さっさと覚悟決めなさい。』
「——おう。」
覚悟を決める。その言葉に応じて、意識を切り替える。もう調子には乗らないし、全力で殴るだけだ。全く持ってかっこがつかないが、それくらいが俺にはちょうどいいだろう。
「らぁぁッ!」
柄にもなく大声を出しながら拳を振り抜く。急所までは全く届かないので、足に狙いを定めた。
銃が発射されるような破裂音と共に、オークの足が抉れた。
「グォォ……ガァァァ!」
恐怖が湧いたのか、焦燥を感じさせるような粗雑な攻撃が飛んでくる。
『スズ、だっけ。あいつの動きを思い浮かべて、真似して見なさい。』
そのまま殴り合っても勝てそうではあったが、この力については明らかにリードの方が見識が深い。言うことは聞いておくべきだと判断し、スズの姿を思い浮かべる。
気づけば、俺の口は、リードと口を揃え、まるで他人のものかのように、知らないはずの言葉を口遊んでいた。
『「欲せ、願え、そして叶えろ。」』
振り下ろされた緑の腕を“ずらし”、スレスレで避ける。そのまま懐に入ると、下から抉り上げるように拳を振り上げた。
緑の怪物はその攻撃に耐えきれず後ろに倒れ込んだ。殴った自分の体が信じられず、思わず拳を見つめる。
「……今のは?」
まだ未熟だった俺の雑な受け流しとは違う、スズのような静謐ノ型。少し荒いが、それでもおかしい成長速度だ。
……しかも、自分の体に、自分でない何かが増えていくように感じる。これは、模倣だ。俺の中に、スズのコピーが存在している。
『模倣・静謐ノ型、ってところかしらね。』
その言葉は予想の通りだった。やっぱりだ。そうなると、この溢れんばかりの力もまた、模倣によるものなのだろうか。
『ああ、それは違うわ。どちらかというと副作用ね。すぐに消えるわ。』
「副作用?」
現代では聞き慣れた言葉ではあれど、ここで聞くことになるとは思わなかった。しかも、薬とかそんなものじゃない「何か」の副作用だと。
そしてその主作用にあたるのが、今の模倣なのだろうか。とはいえ、今考えても仕方ないことだろう。こんな状況だ。
「使えるもんは全部使うしかない、よな。」
そう言って駆け出す。相手の傷はもう治っているが、おそらくあそこまで傷がついたのは初めてなのだろう、やはりその表情には恐怖が窺える。
少し躊躇した。相手も魔物でありながら生きているのだ。人と同じ二足歩行だからだろうか、多少の知能はあるのだろう。けれど、今度はその躊躇に体を止めない。殴り抜くと、まるで粘土かなにかを殴ったかのように、簡単に化物は吹き飛ぶ。
だが。
化物はやはり、再生していく。どんな攻撃も、足や手を吹き飛ばす程度では決定打にはなり得ない。この力もすぐに消える、とリードは言っていた。このままじゃジリ貧なのは、さっきと結局変わらない。頭を吹き飛ばせば、あるいは。そう考えて、倒れた相手の頭を蹴り飛ばす。
サッカーボールのように、簡単に頭は吹き飛んだ。ついでに、倒れた巨体の心臓部分に当たりそうな場所にも拳を打ち込んでおく。簡単に穴が開いて、少しこの力が怖くなってきた。
「……スズは。」
そう呟いて振り返る。左腕がひしゃげて曲がった彼女は、意識を失っているようで、苦痛を感じていないだけひとまず安心した。苦しんでいる姿はあまり見たくは無かった。
「後ろッ!」
スズにも近づこうとした時、セシリアの叫ぶ声が聞こえた。まるで自分の体では無いように体が動いて、前転する。直前のおれの場所に、黒く蠢く肉塊が叩きつけられていた。
『魔力が尽きるまで再生するって言ったの忘れたの?私がいなかったらあんた、死んでたかもしれないわよ。』
リードの声が聞こえて、今の動きはリードによるものだと察する。
「……俺の体動かせたのか、お前。」
自分の体が勝手に動くなんてことをこんなにも連続で経験するのは俺くらいじゃないだろうか。……乗っ取られる可能性が頭をよぎって、少し身震いする。
『割と無茶したわ。あんたの意思に反する動きをするの疲れるのよ。』
確かに疲労を感じる声で、リードはそういう。だがその言葉は、逆に俺の意思に沿っていれば、体を動かせるような。
『というかあんた、力の使い方下手なのよ。私が覚醒した副作用の方ばっかに頼ってて、本来の方を全く活かせてない。』
彼女の説明口調で淡々と紡がれる言葉の中、化物はその形を取り戻していく。分たれたはずの頭と体は、黒いもやのようなもので繋がって、再生する。……新しい顔よー、とふざけている余裕もなさそうだった。スズは早急に治療が必要な状態だ。
「……さっきの、俺の意思に反しなければ、体を動かせる、ってことでいいのか?」
『本当に少しの間だけ、ね。』
俺の推測に対して、リードは肯定する。そして、今この状況でこの力を俺よりリードの方が上手く使えるというのは明らかだった。
「……この状況、なんとかできるんだよな。」
『オークのあの変化は私にとって仕組まれたかのようなくらいに都合のいい変身の仕方だから、私ならすぐになんとかできるでしょうね。』
その言葉を聞いて決めた。他人に体を預けるなんて、まるで悪魔との契約かなにかのようで恐怖はある。できれば自分の力だけで戦いたいものだったが、そうも行かない状況で、一縷の望みがあるのなら、それに縋るしかない。使えるもんは全部使え、と先ほど自分に言い聞かせたばかりなのだ。
「頼む、この状況をなんとかしてくれ。」
『はあ……もっと格好つく頼み方はないのかしら。いいわよ、10秒で片付けてあげる。』
そうして、俺の体は前へと動き出す。迎撃しようとする化物の攻撃を、静謐ノ型で受け流し、転ばせる。そのままリードは掌を胸部へと当てた。
『欲せよ、希え、侵奪せよ!』
先ほどとは違う詠唱のようなものを叫ぶと、俺の掌に、黒いモヤが集まる。
何かが体に入っていく感覚がして、化け物は風化したかのように黒い砂としてさらさらと消えていく。ランの姿はその中にはなく、彼女を助けることはできなかったのだろうと感じながらも、それに胸が痛むことはなかった。
—《スキル「魔物化」を獲得しました》
—《スキル「魔力再生」を獲得しました》
『ふぅ、こんなもんね。』
「……今のは?」
『ああ、あのオーク、無理やり人間にスキルをねじ込んで作られた人造の魔物だったのよ。』
一仕事したと言わんばかりに息を吐いたリードは、そう簡単に言ってのけた。
「無理やり……スキルを捻じ込む?」
『そう。後天的な獲得方法の一つだけど……禁忌として失われたはずの手法のはずなのよね〜。』
人の命が弄ばれたというのに、彼女はあっけらかんとしている。そして、その事実を聞いたというのに、俺もまたそこまでの衝撃を覚えていなかった。なにより焦っていたのだと信じたい。知らない誰かの不幸よりも、スズの現状が心配だった。命の危険まではないにしろ、左腕が使い物にならなくなってしまう可能性はあるのだ。
「カイト!」
声が聞こえて、まだ何かあるのかと思いながら振り向く。今度は体が勝手に動くこともなかったので、ただセシリアがこちらへと向かってきていた。
「セシリア……大丈夫だったか?」
考えれば、かなりの無茶をした。非戦闘チームだというのに、セシリアまで振り回して、スズとリィにも無茶振りして、当の本人は気絶。ほぼ満身創痍でありながら、一応誰も犠牲にならないで戦いを乗り越えられた。何か忘れている気がするが。
リィを呼んでこよう。たしか回復促進のポーションを持っていた気がするし、それで応急処置をするしかない。
何もかも、完璧とまでは行かないが計算外のリードのおかげでなんとかなった。
そう思っていたのだ。
〓〓〓〓〓
同刻。
「強欲が目覚めたかな?」
ぺろりと舌を舐めると、乾いた唇にしばしの潤いが与えられた。けれどそれもすぐに乾いてしまう。
「まあ、概ねシナリオ通り……かな。うん、帰ろ。」
彼はそう言って去っていく。酷く冷静な彼の声は、死屍累々としている戦場だった場所には似つかわしくない声音で、空虚に響いた。
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