先生の全部、俺で埋めてあげる。

咲倉なこ

*2


…独り言なんて言って、へんな奴と思われたかも。
そう思うと恥ずかしくて、無表情のまま目線を本に戻した。

いつからいたんだ?
考えごとをしていたせいで、近くに人が来ていたなんて全然気づかなかった。
手に持っている本のページをめくろうとしても、何故か上手くめくれない。

さっきから心臓がうるさい。
なんだよこれ。
少し落ち着けよ。

俺は今日、彼女に振られたんだぞ。
本当なら悲しみに浸っていてもおかしくない。
なのに今の俺は、今日の出来事が全部吹っ飛んでしまうくらいに、目の前に座る女性のことで頭がいっぱいだ。

…さすがにもう、こっち見てないよな?
そう思って少しずつ目線を上げる。
案の定、本越しにみる女性は、真剣な表情で本を読んでいた。

伏し目がちな目。
長いまつ毛。
血色のいい唇。
透き通るような白い肌。
ナチュラルブラウンのロングヘアーが窓から入る風になびいて、さらさらと揺れている。


キレイな人。


俺はこの人のこと何も知らないのに。
今日初めて会ったはずなのに。
一度視界に入れてしまうと、目が離せなくなるのは何故だろう。
やっと落ち着いた鼓動がまた足早に動き出す。

しばらくその女性に見入っていたことに、ふと気が付いて、慌てて手に持っている本に視線を落とした。
するとガラガラと椅子を引く音が聞こえて、もう一度顔をあげると目の前の女性が席を立つところだった。

帰るのかな。
もう会えないかもしれない。
そう思うと自分も席を立っていて。
そんな俺に気が付いた女性がこっちを見たから、そのままもう一回座った。

あー、何やってんだろう俺。
穴があったら入りたい。


「その本、面白いよね」
「え?」
「私も好きだよ」

まさか彼女の方から話しかけてくるなんて思ってもいなかった。


「俺も好きです」


本の内容なんて全然知らないクセに。
俺は、何に対して好きだと言ったのか、この時は分かっていなかった。


あれから毎日のように図書館に行って、あの日のあの人のことを探すけど、いつもいない。
もう来ないのかな。
あの日、一日だけだったのかな。

もう会えないなら、あの時どう思われてでも連絡先ぐらい聞いておけばよかった。
後悔が日に日に強くなった。


高2の春、俺はずっと不機嫌だった。

コメント

コメントを書く

「恋愛」の人気作品

書籍化作品