彼女たちを守るために俺は死ぬことにした
10/2(金) 穂積音和⑫
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下からたくさんの拍手と声援が聞こえた。
こんなに大勢に注目されることは、ほとんどないのだろう。おじさんの足はガクガクと震え、緊張した息遣いが、マイクを通して聞こえる。
けれど、おじさんは負けずに前を向いた。
まっすぐに。
震えながらも、いつもの猫背をピンと伸ばして。
「君の拠り所は本来、親である僕が作るべきものだったのに。今まで知実くんに、押し付けてしまっていましたぁ!」
おじさんから今まで聞いたことのない声量が、夕刻の空へと解放される。
「妻が僕の前から消え、君にも嫌われたらもう僕は立ち直れないと思った。君の怒る顔や泣き顔を見たくなくて、楽しいことだけしか与えなかった。なのに、君の無邪気な笑顔は愛想笑いになり、素直だったのに本音を話してくれなくなってしまった。僕の願いとは、まるで真逆になってしまったんだ」
声は時々上ずって聞き取りづらい。見ていられないような痛々しい主張が、マイクを通して校内に響く。
しかし下には大勢の人がいるはずなのに、茶化す者はなく、それどころか人の気配は完全に消え、おじさんが独白をしているようにも見えた。
「辛いことや苦しいこと、面倒ごとから逃げる親なんて頼れないよな。だけど、ぼ、僕は変わりたい! もう、君らしさを奪うだけの人間でありたくない! やっと気付いたんだ。目玉が欲しければくりぬけばいい。両足だってくれてやる。君が幸せなら、君に嫌われてもいい!」
慣れない大声に、ついに声が掠れた。
だけどおじさんはぐっとつばを飲み込んで耐える。
「君が、君らしく生きていけるなら、喜んで自分の全てを差し出せる。そうだ、それは君が生まれたとき。君と初めて会い、愛しくて不思議と涙が出たそのときに誓ったことだった。それなのに、今までどうしてそれを忘れて、なにを怖がっていたんだろう……! ごめんな音和。未熟な僕にもう一度、父としてのチャンスをもらえないだろうか………」
七瀬がぐすっと鼻を鳴らすのが聞こえた。俺も下を向いて耐える。
音和はどう思っているのだろうか。
彼女のことは一番よくわかっているつもりだったけど、おじさんへの気持ちだけ、掴めなかった。
「……パパは、パパだから!」
下からマイクの入っていない声が聞こえた。
もともとボソボソと小さくしゃべるやつなのに。しっかりと屋上まで、声は届いた。
「小さな頃、構ってくれないパパのこと知ちゃんに愚痴ったらね、『パパは音和のために一生懸命働いて、それで頭がいっぱいなだけだよ。落ち着いたら前みたいにおしゃべりできるから、それまで待とうね』って言ってくれたの! だから、あたしずっと待ってた!」
それはいつか、穂積のおじさんが音和にあまり構わなくなったころに聞いた話。
そこから俺が音和の話を聞くようにすると、音和は一切、愚痴をこぼさなくなった。
あれからおじさんのこと、待っていたんだ。
「パパは一生、あたしのパパなんだよ! どんなに弱くても、泣き虫で、ダメで、カッコ悪くてもっ。あたしのこと、今まで育ててくれたから! だからっ、ちゃんとお父さんなんだよぉ!!」
顔は見えないけど彼女が今、全部の力を振り絞って、声を届けていることがわかった。
おじさんは手すりにしがみついて、下を見つめていた。
「あたしのこと、興味ないんだって苦しかった! 嫌いとか迷惑とか、思ったこと一度もないよ! ずっと待ってた! もっとお話しもしたい! 家族に戻りたいじゃなくて、あたしはずっと、今も! 家族だと思って待ってたんだよーーー!!」
いつかおじさんと話せる。
それだけを希望にして、我慢強く待っていた音和。
もう寂しさを諦めなくていいよな。
「うぅ。ありがとう……」
おじさんが絞り出す声を祝福するかのように、拍手が大きく大きく膨らむ。
「野中!」
「ういっす」
俺たちは目配せして、駆け出した。
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