彼女たちを守るために俺は死ぬことにした

アサミカナエ

6/25(木) 部田凛々子

 カフェの扉を開けると。


「おかえりなさいませ、ご主人様ー♡」


 カフェリトルバードの名物ウェイトレス、いちごが笑顔で迎えてくれた。
 なんの店だよここは!

 しかし忙しいのか、いちごは「あとでね☆」と言うとすぐに、脱力していた俺から離れて仕事に戻った。店内を見ると、なるほど、ほぼ満員だ。
 ふと、奥に珍しい人物を見つける。


「お帰り、チュン太」

「なんで……会長がいるんっすか」


 私服だったからすぐに気づかなかったけど、カウンターに会長がひとりで座っていた。
 カーキのタンクトップにデニムのラフな格好だけど、サマになってるんだよなあ。


「今日は親がいないから晩ごはんをいただきに来たんだけど、な・に・か?」

「いや別に。珍しくて」

「ならいいんだけど。今なら隣に座ることを許可するわ」

「どーも」


 勧められるがまま座ると、母親がカウンター越しに顔をのぞかせた。


「おかえり知! ねえ、凛々子ちゃんきれいになったわねー」

「そんなことないですわ、おばさま」


 オイ声! 誰だよ! 猫かぶって、まあ……。


「ううん、とても美人なお姉さんになっちゃって。あ、今も知がお世話になってるんですって?」

「うん。まあ、委員会の集まりでね」


 そう答えて、全部覚えてしまったメニューを読むふりをする。すごく、気まずい……。


「そういえば、最後に会ったのは中学だったわね。この子、凛々子ちゃんのこと大好きだから。高校でも仲良くしてもらえてるなら安心だわ」


 おいおい、マジかよ。
 隣を盗み見ると、案の定、会長も湯のみを見て固まっていた。それに気づかず母親はしゃべり続けている。
 ぶっちゃけそのあとの言葉は何も頭に入ってこなかった。中学の話はわざと避けていた話題だった。俺と会長にとって、暗黙の了解になっていた。というか、そうせざるを得なかったんだけど。


「あ、注文入ったからちょっと外すわね。知、ごはんもう少し待ってて」


 そして最悪なタイミングで去る母親。沈黙のまま、俺たちは横並びで座っていた。


「「……」」


 気まずい時間はなぜもこんなに長く感じるのだろう。耳に飛び込むのは意味のない雑音ばかりで、たまにオーダーを取るいちごの声が混じった。


「……相変わらずね、おばさま」


 ぽつりと、苦笑いで会長が口を開いた。


「中学か。ここも久しぶりに来たけど、覚えていてくれたから、調子に乗ってたくさん話してしまった」


 手元の湯のみをぎゅっと握りしめているのが視界の端に映った。


「もし、あんたが良ければ、強制はしないけど……あんたの気持ちもあるだろうから、聞き流してもいい」


 そう前置きして、ふうと息をついて。


「中学の頃みたいに、な、名前で呼んでくれても……いいんだけど」


 心臓が跳ねた。
 頭の中に響く血流のどくどくと波打つ感覚。薄暗いところから急に日の下に出て来たときのように、視界が白くぼやける。
 それを悟られないように。できるだけ自然にふるまえるように深く息をはいた。
 そうか。会長がそれを望むのであれば、俺は。


「そうだね、凛々姉りりねえ


 にっこりと笑って、部田凛々子を見た。

 小学生の頃はずっと、そう呼んでいた。
 中学の途中で避けるようになって、虎蛇に勧誘されるまで、正直話した記憶がない。
 だから、名前を呼ぶのがなんとなく気まずくて、ずっと“会長”って呼んでごまかしてた。
 彼女は、そんな俺のことを前と同じあだ名で呼んでくれていたのに。そうやって、小さく拒絶していたのは俺だけだった。
 はは。拒絶、か。
 俺が葛西先輩に感じていたような不安な気持ちをずっと、凛々姉も感じてたのかな。


「凛々姉……」

「なに?」

「あ、いや言ってみただけ」


 名前をつぶやくために作る唇の形に、懐かしさがこみ上げてくる。


「気安く呼ぶなばか」

「なっ……っ!?」


 文句を言おうとして凛々姉を見ると、耳が真っ赤になっているのに気づく。だから俺は口ごもってしまった。


「か、帰る! 日野、お会計お願いっ!」

「あ、凛々姉」

「だから呼ぶなっ!」

「呼べって言ったり呼ぶなって言ったり、なんなんだ!!」

「は? 呼べとは絶対に言ってない! 別に呼んでもいいとしか言ってないっ!!」

「わかったわかった、もーどっちでもいい! あのさ相談があって! 夏休み、虎蛇のみんなで合宿しようよ!」


 大声を出したせいでお客さんの注目を浴びてしまい、恥ずかしいけど一気にまくしたてる。
 凛々姉の勢いは止まったけど、その頭に疑問符が浮かび上がるのが目に見えるようだった。


「というのもさ、夏が終わると文化祭だけど、それまでにみんなの絆を深めたいなって思ったんだよ。とくに葛西先輩はまだ自分を出せてない気がする」


 今日、五百蔵に見せていたあの笑顔も、虎蛇の誰もが知らない表情だ。


「そう……。副会長がそこまで考えてるなら、前向きに考えるわ。また学校で話しましょう」


 伝票を持って席を立つ凛々姉の背中を、黙って目で追った。
 ことん、と目の前に料理が置かれて、母親がカウンターの上から見ていたことに気づく。


「どしたの知、見とれちゃって」

「そんなんじゃねーよ」


 ふてくされながら、目の前のナポリタンに顔を埋めるようにして、一気にほおばった。
 ちりりん。
 玄関のドアベルが、涼しげな音を立てた。

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