異世界なう―No freedom,not a human―
175話 思惑と剣
「ひ、酷い目にあった」
美女にキスされておいて酷い目というのも変な話だが、天川の聖剣がエクスカリバーになったことがバレたので酷い目という言い方でもあながち間違いではあるまい。
天川明綺羅は男子高校生(年齢的には)である。故に、今部屋に帰って一人悶々とするのは避けたかった。
夜風にでも当たろう、そう思った天川が廊下を歩いていると……
「アキラ様! こんなところにいたんですわね」
「ティアー王女」
「もう、二人きりの時はティアーとお呼びくださいな」
ティアーがこちらへ駆け寄ってきた。
その頬はやや紅潮しており、息もわずかにあがっていることから自分のことを探し回っていたのかもしれないと察する。
「どうされたんですか?」
笑顔で問うと、ティアーもまた笑顔で応対する。
「お茶でも……と思いまして。よい茶葉が手に入ったんですわ」
「ではお言葉に甘えて」
一緒に彼女の部屋の隣にあるティールームに入る。お互いに立場があり、さらに異性である以上部屋に入るわけにはいかない。なので、彼女とはもっぱらこの部屋でお喋りしたりお茶を飲んだりしている。
デネブの塔に行くまでは天川達の行動についてきていた彼女だが、流石にもう全員のレベルにはついてこれなくなり専ら城で政務に精を出す日々だ。
「アキラ様は座っていてくださいな。わたくしが淹れますわ」
「ありがとうございます」
彼女がお茶を淹れる後ろ姿を見ながら、ぼんやりと思考を巡らせる天川。
(勇者という『職』、その血筋か……)
何故、自分にこの『職』が与えられたのか。
何故、自分にこの強大な力が与えられたのか。
自分は強いから、他人を守るのは義務だ。だから戦っている。
しかし……その結果、もたらされるものはなんなのだろう。
それはあくまで『力の使い方』というだけではないのだろうか。
(父さん……俺はどうすれば?)
「どうされたんですの? 暗い顔をされていますわ」
「……何でもありません。それよりも、いい香りですね」
「ええ。今年は例年に比べて良い出来だと言っていましたわ」
それはどこぞのワインのようにではなく、だろうか。
少し失礼なことを考えながらも、カップを口に近づける。
「……美味しいですね」
「気に入っていただけて何よりですわ。クッキーでもあればよかったのですけれど……」
ちょっと残念そうな顔になるティアー。天川は特に気にしないが、ティアー的には大切なことなのか「今度こそ」などと気合いを入れている。
「今日はもうお仕事は終わりなんですか?」
「ええ。ですけどパーティーがありますから……今夜もアキラ様の寝所には行けませんわ」
来られたら首が飛ぶ、物理的に。
とはいえそれは彼女なりのジョークだったようで、ニコニコとして紅茶を飲んでいる。
「ふふ、アキラ様達救世主方がもっと戦いやすいように予算を引っ張ってきているところですわ。もう戦場でのサポートは出来ませんが……こうして微力ながらお力になれればと思いまして」
迷い無き眼をするティアー。彼女は感情の起伏が激しいように見えて、その実自身の限界とやるべきことを弁えている人間だ。
……塔で清田に言われた言葉を何度か反芻し、それを実行することにしたらしい。素直さは美徳であるとは言うが、彼女を見ているとそれを強く実感する。
(それに比べて……俺は)
やや自嘲気味な笑みを浮かべ、ふとティアーの顔を見つめる。
「ど、どうされたんですか?」
あまり見つめすぎたからか、ティアーが少し頬を染めて問うてきた。
天川はあまり何も考えず、反射的に口を開く。
「ティアー王女は……いや、ティアーは俺のことをどう思っていますか?」
「ふぇっ?」
しゅぼっ、と。
頬を染め――というか茹で蛸のようになるティアー。天川はその反応を見て「しまった」と苦い顔になってしまう。
だがここで、己が言った意味が相手にどう伝わっているか理解した顔をしてはならない。
天川は慌てず……淡々と、自身の放った言葉の意味だけ解説する。
「俺は、未熟者です。なのに勇者と呼ばれる日々……そんな現実と乖離した現状にある俺を……どう、思いますか?」
ティアーはそこまで言われ、ハッとした顔になる。そしてもう一度顔を……今度は桜色に染めてからコホンと咳払いした。
「アキラ様はアキラ様ですわ。わたくし達の救世主、勇者様ですわ」
何もしていない自分を、勇者と呼ぶ。
何故なのか。
「俺は……以前とは見違えるほど強くなったと自負しています。剣の腕だけじゃない、仲間との連携や知識も増えました。基礎的なトレーニングだって欠かしていません」
どろり、と溢れ出す。それは一度零れると止まらない泥のような感情。
「でも、俺は……覇王を退けたり、たった二人で塔を踏破したりしていません。悪人をこの手にかける覚悟すらありません」
自嘲、とも違う。
自身への失望。
「清田は王城から出て、圧倒的な強さを手に入れていた。白鷺とは出会っていませんが、やはり強くなっていることでしょう。でも俺は! 俺は、何も成し遂げていない。この世界で、俺だけが何も!」
前の世界の自分は輝いていた、とは言わないがそれなりにやってきた。こちらの世界でも人並み以上に出来るはずだ。
しかしそんなことはなかった。現実の天川明綺羅は、ただ他人より少し力のあるだけの一兵卒でしかなかった。
勇者などという分不相応な肩書きが余計に自分の惨めさを際だたせる。振るわれない剣など、どれほどの価値があるものか。
外に出ればいい。積極的に武功を立てればいい。塔に上ればいい、AGとしてのクエストを引き受ければいい。
きっと現状を知らない誰かはそう言うだろう。でも無理なのだ。
自分は既に「政治」というシステムに組み込まれている。「救世主」であり『勇者』という『職』を持つ自分は、誰につくかによってバランスを崩してしまう存在になっている。
それは実力が評価されているのではない。『勇者』という『職』がそうさせているのだ。
かつて塔を踏破した『勇者』の『職』を持つ『異世界』からの『救世主』として有名になっている以上、単独で外に出て何も関係なく独力で武功を立てるのは難しいだろう。
結局、城内にとどまるしか選択肢は無い。
「どうすれば……俺は何をすればいいんだ! 何をすれば『勇者』なんだ!? 『職』さえあれば『勇者』なのか!?」
何も成していないのに『勇者』として扱われる。ただ期待と責任だけが重くのしかかる。
自分では成長していると言ったが――果たして本当にそうだろうか。
未だにラノールからは一本もとれない。魔族を倒した時も結局は神器頼り。
国王からのクエストで倒す相手も雑魚ばかり。Aランク魔物を倒したことはあるが、それは塔に上る前からどうにか出来ていただろう。
ラノールから渡された本を読めばそれが分かるかとも思っているが――それでも、心のどこかで本を読んだ程度で分かるものかと囁きが聞こえる気すらする。
「アキラ様……いいえ、アキラ」
はっ、と。
ティアーに声をかけられて自分が大声を出していたことにようやく気づく。
「落ち着いてくださいな。……わたくしの魔法、覚えてらっしゃいますか?」
「え? ……疲労回復、の魔法ですよね」
「ええ」
ティアーの魔法は回復魔法の中でも珍しい疲労回復の魔法。その腕前はなかなかの物で、感覚的には彼女から魔法をかけ続けられれば三日は不眠不休で動ける気がする。
それがどうかしたのだろうか。
「わたくしはもう一つ、魔法があるんですわ。狙って出来るものではございませんが」
「そうなん……ですか?」
「ええ。あまり人に言いませんもの」
自分の魔法は切り札だ。それが特異であればあるほど。
であれば言わないのも当たり前と言えば当たり前だが……。
「どんな魔法……なんですか?」
「未来予知、ですわ」
未来予知。
フィクションではよく見る能力だが、そんなことが可能なんだろうか。
天川が首を傾げていると、ティアーは薄く微笑んでから話し出した。
「わたくしが見た未来は……アキラがこの世界を救う未来でしたわ。詳しくは分かりませんが」
それを言われ、ホッとした自分と……同時にホッとしている自分に嫌悪を抱く自分がいた。
ティアーはそんな天川を見抜いたのか、ひとつうなずく。
「そうですわ。アキラが戦う日なんて来ない方がいいんですわ。世界の危機なんて……絶対、来ない方がいいんですわ」
確かに。救世主が必要とされるということは世界が危機に瀕するということだ。
そして世界が危機に瀕しているということは――たくさんの人が悲しむということ。
ならば、そんな未来は無い方がいい。
「アキラが功績を打ち立てる日……それは、世界が危機に陥る日ですわ。ならば、アキラはずっと訓練で終わった方がいい。そうは思いませんか?」
その通りだ。
力をつけることは間違いじゃない。しかし戦う者が活躍する日は来ない方がいいに決まっている。
世界が平和である方がいいのだから。
少し思考が冷えた天川は、目の前のお茶を飲み干す。ほんの少しだけ冷めたそれを。
「ありがとうございます。少しだけ……心が軽くなりました。そうですね、俺が活躍する日は来ない方がいい。当然です」
溢れ出した泥、こぼれて空いたグラスに暖かい物が注がれるような心地になる。暖かい、人の温もりのような液体で満たされる。
「ええ。それにアキラの力は戦いのためだけではございませんわ。今まで通り、仕事をこなすことも大切ですわ」
そんな彼女の微笑みに、心が跳ねる天川。自分も思春期男子なのだな、なんてぼんやり思いつつ立ち上がる。
「少し走ってきます。ジッとしてるといろいろ考えてしまいそうで」
「ええ、気分転換も大切ですわ」
ティアーにそう言われ、天川もひとつ微笑み部屋から出て行く。
焦りは禁物だ。そう自分に言い聞かせつつ。
「ふぅ……」
そして自分一人になった部屋で、ため息を一つつくティアー。
もうすっかり冷めつつある紅茶を一口含み、後ろに声をかける。
「男女の逢瀬を眺める……あまりいい趣味とは思えませんわ。シムラ」
「よく分かったな」
面白がった雰囲気の、眼鏡の小男が現れる。マールの護衛であり、ロリコンのミリオ・シムラだ。
「天川にも気づかれなかったというのに」
「わたくしだって最後まで気づいていませんでしたわ。貴方が急に気配を出したのでしょう? 何が目的ですか」
シムラは肩をすくめると、「相席してもよろしいですか? ティアー王女様」と慇懃無礼にお辞儀をする。
ティアーが眉間にしわを寄せつつ頷くと、スタスタこちらへと歩いてきた。
「何が目的も何も。マールが『お姉さまとアキラさんが逢瀬をしていますの!』って興味津々だったからな。ちょっと覗いていただけだ」
これでも王女、これでも政治の世界に身を置いて十年は経つ。目の前の男が嘘をついていることなどお見通しだ。そうでなくともマールは遊びで魔法を使わないことは知っていた。
「……もう一度お聞きしますが、何が目的ですか?」
「ティアー王女の本当の魔法……を知っているからな。どうして嘘をついたのか理由が聞きたかったのさ」
しれっと、どこから取り出したのか分からないカップに紅茶を注ぐシムラ。
ティアーはそんな彼をジッとにらみつける。
「マールから聞いたんですの?」
「まさか。だがまあ、小耳に挟んでね」
「……覗きだけでなく盗聴もですか。後は下着泥棒でもすればストーカーの完成ですわね」
呆れ声を出すが、シムラにとっては特に気にすべきことではないらしい。何を考えているか分からない笑みのままこちらを見ている。
「そういえばロリコンでしたわね。であればわたくしの下着なんて欲しくもありませんか」
「ロリコンだけは撤回してくれ」
間髪入れずにつっこみが入る。どう見てもロリコンなのに否定したいのか。
やれやれとでも言いたげに首を振るシムラは、自身のメガネを外して懐から取り出したハンカチで磨きだした。
「マールが受信なら王女は送信ってところか。言葉だけでなくイメージや感情も伝えられる。映像も送れるんだったか? ……使い勝手は良さそうだな」
当たり。映像を送れることは極僅かな人間にしか伝えていないというのにこの男は知っている。やはり不気味な男だ。
心の内を一切顔に出さず、シムラを睨みつける。
そんな視線を完全に黙殺し、メガネを再びかけたシムラは少しだけ遠い眼をする。
「オレもアイツにぶっ壊れられたら困る。現状、王国騎士団でSランクと渡り合えそうなのはラノールを含めて三人。オレが四人目、京助に救援依頼を出せば来てくれるだろうから五人。あまりに少ない」
「……貴方は自分にSランク並みの力があると?」
「ああ。オレは魔弾の射手。狙った獲物はハチの巣さ。それがSランク魔物だろうが何だろうがな」
ニヤリとカッコつけるシムラにやや引くが、『暴力』という世界に身を置いていないティアーでも分かるほどの『圧』。
認めたくはない――認めたくはないが、アキラと比べて遜色ない覇気を纏っていると言ってもいいだろう。
目の前の男は大口を叩くだけのことがある。低く見積もっていたつもりはなかったシムラへの評価をさらに一つ上げる。
「天川が壊れると色々困るからな。そういう意味ではどうにかしてくれたのはありがたい」
「……アキラは、英雄にはなりませんわ」
「ほう?」
ほんの少しだけ意外さを含めた声音で片眉を上げるシムラ。嘘くさい表情だ。
どうせ自分の目的についても当たりをつけているのだろう――とは思いつつも、ある意味では宣誓のつもりで口を開く。
「アキラはわたくしの夫になるんですの。そのための武功は『世界を救う』などといった大層なものである必要ありませんわ。叙勲される程度の武功があれば問題ありません」
決意を籠めて睨みつけると、シムラは肩をすくめて苦笑いした。
「女は怖いな」
「男が幻想を抱きすぎなんですわよ」
立ち上がり、踵を返してひらひらと手を振る。
「ではごきげんよう。アキラの邪魔をしたら承知いたしませんわ」
「ごきげんよう」
厭味ったらしく含みを持ってかけられた声を無視しながら部屋を出る。
「せっかくアキラとお話して良くなった気分が台無しですわ」
「……怖い女たちだ」
去っていったドアを見ながら、志村は苦笑いする。
ギシリ、と軋む椅子にもたれかかりながら天井を眺めた。
(空美、ラノール、ティアー、そしてヘリアラス……どいつもこいつも一筋縄じゃいかなそうで御座るなぁ。厄介系ヒロインに好かれるってのは最近のトレンドじゃなかったはずで御座るが)
空美は天川を『英雄』にして『異世界人』の権利を認めさせ自治を目的としている。要するに自分たちの安全、安心を守るため天川を利用したい。
ティアーは……今日のことで裏が取れたようなものだが、天川を『英雄』ではなく『勇者』として王族に迎えたい。王族の偉業を確固たるものにするため『次代の勇者が英雄となる』ことを目的としているのだろう。
つまり、外部から来た『勇者』ではなく王族から『勇者』が生まれることを期待しているわけだ。今回の亜人族(シャンの手前獣人族と言うべきか)、魔族との諍いに人族がやや消極的なのもそのためだろう。今代で解決したら『外部の勇者』が人族を救う。それは避けたいと考えているに違いない。
ラノールはもっと簡単だ。勇者の血族としての力を増したい。それが王家のために、ひいては国のためになると確信している。そのためにはやはり『勇者』、さらには『強者』であることに意味がある。だから功績には一切固執していない。
ヘリアラスが読めない、読みづらい。名声や功績に興味が無いのは間違いないだろうが、かと言って天川にどうなって欲しいのかが分からない。だが間違いなく『救世主』として『世界を救って』欲しいはずだ。
どいつもこいつもアクが強くて読みづらく、一筋縄ではいかない。しかし一番面倒なのはヒロイン達のキャラじゃない。
全員が――それが『愛する天川のためになる』と、心から思っていることだ。
異世界人が安心して暮らせる場所、組織があれば天川も嬉しいはずだ。
王族となり、バックのある状態で貴族として生きることは嬉しいはずだ。
強者となり、騎士として生きることは嬉しいはずだ。
強くなることは嬉しいはずだ。
全員が天川のことを考え、そして全員が天川に自分の望みを押し付ける。
「厄介で御座るなぁ」
さて、最終的にどうなるか。
ハッピーエンドなのか。
トゥルーエンドなのか。
それとも――オネスティエンドか。
美女にキスされておいて酷い目というのも変な話だが、天川の聖剣がエクスカリバーになったことがバレたので酷い目という言い方でもあながち間違いではあるまい。
天川明綺羅は男子高校生(年齢的には)である。故に、今部屋に帰って一人悶々とするのは避けたかった。
夜風にでも当たろう、そう思った天川が廊下を歩いていると……
「アキラ様! こんなところにいたんですわね」
「ティアー王女」
「もう、二人きりの時はティアーとお呼びくださいな」
ティアーがこちらへ駆け寄ってきた。
その頬はやや紅潮しており、息もわずかにあがっていることから自分のことを探し回っていたのかもしれないと察する。
「どうされたんですか?」
笑顔で問うと、ティアーもまた笑顔で応対する。
「お茶でも……と思いまして。よい茶葉が手に入ったんですわ」
「ではお言葉に甘えて」
一緒に彼女の部屋の隣にあるティールームに入る。お互いに立場があり、さらに異性である以上部屋に入るわけにはいかない。なので、彼女とはもっぱらこの部屋でお喋りしたりお茶を飲んだりしている。
デネブの塔に行くまでは天川達の行動についてきていた彼女だが、流石にもう全員のレベルにはついてこれなくなり専ら城で政務に精を出す日々だ。
「アキラ様は座っていてくださいな。わたくしが淹れますわ」
「ありがとうございます」
彼女がお茶を淹れる後ろ姿を見ながら、ぼんやりと思考を巡らせる天川。
(勇者という『職』、その血筋か……)
何故、自分にこの『職』が与えられたのか。
何故、自分にこの強大な力が与えられたのか。
自分は強いから、他人を守るのは義務だ。だから戦っている。
しかし……その結果、もたらされるものはなんなのだろう。
それはあくまで『力の使い方』というだけではないのだろうか。
(父さん……俺はどうすれば?)
「どうされたんですの? 暗い顔をされていますわ」
「……何でもありません。それよりも、いい香りですね」
「ええ。今年は例年に比べて良い出来だと言っていましたわ」
それはどこぞのワインのようにではなく、だろうか。
少し失礼なことを考えながらも、カップを口に近づける。
「……美味しいですね」
「気に入っていただけて何よりですわ。クッキーでもあればよかったのですけれど……」
ちょっと残念そうな顔になるティアー。天川は特に気にしないが、ティアー的には大切なことなのか「今度こそ」などと気合いを入れている。
「今日はもうお仕事は終わりなんですか?」
「ええ。ですけどパーティーがありますから……今夜もアキラ様の寝所には行けませんわ」
来られたら首が飛ぶ、物理的に。
とはいえそれは彼女なりのジョークだったようで、ニコニコとして紅茶を飲んでいる。
「ふふ、アキラ様達救世主方がもっと戦いやすいように予算を引っ張ってきているところですわ。もう戦場でのサポートは出来ませんが……こうして微力ながらお力になれればと思いまして」
迷い無き眼をするティアー。彼女は感情の起伏が激しいように見えて、その実自身の限界とやるべきことを弁えている人間だ。
……塔で清田に言われた言葉を何度か反芻し、それを実行することにしたらしい。素直さは美徳であるとは言うが、彼女を見ているとそれを強く実感する。
(それに比べて……俺は)
やや自嘲気味な笑みを浮かべ、ふとティアーの顔を見つめる。
「ど、どうされたんですか?」
あまり見つめすぎたからか、ティアーが少し頬を染めて問うてきた。
天川はあまり何も考えず、反射的に口を開く。
「ティアー王女は……いや、ティアーは俺のことをどう思っていますか?」
「ふぇっ?」
しゅぼっ、と。
頬を染め――というか茹で蛸のようになるティアー。天川はその反応を見て「しまった」と苦い顔になってしまう。
だがここで、己が言った意味が相手にどう伝わっているか理解した顔をしてはならない。
天川は慌てず……淡々と、自身の放った言葉の意味だけ解説する。
「俺は、未熟者です。なのに勇者と呼ばれる日々……そんな現実と乖離した現状にある俺を……どう、思いますか?」
ティアーはそこまで言われ、ハッとした顔になる。そしてもう一度顔を……今度は桜色に染めてからコホンと咳払いした。
「アキラ様はアキラ様ですわ。わたくし達の救世主、勇者様ですわ」
何もしていない自分を、勇者と呼ぶ。
何故なのか。
「俺は……以前とは見違えるほど強くなったと自負しています。剣の腕だけじゃない、仲間との連携や知識も増えました。基礎的なトレーニングだって欠かしていません」
どろり、と溢れ出す。それは一度零れると止まらない泥のような感情。
「でも、俺は……覇王を退けたり、たった二人で塔を踏破したりしていません。悪人をこの手にかける覚悟すらありません」
自嘲、とも違う。
自身への失望。
「清田は王城から出て、圧倒的な強さを手に入れていた。白鷺とは出会っていませんが、やはり強くなっていることでしょう。でも俺は! 俺は、何も成し遂げていない。この世界で、俺だけが何も!」
前の世界の自分は輝いていた、とは言わないがそれなりにやってきた。こちらの世界でも人並み以上に出来るはずだ。
しかしそんなことはなかった。現実の天川明綺羅は、ただ他人より少し力のあるだけの一兵卒でしかなかった。
勇者などという分不相応な肩書きが余計に自分の惨めさを際だたせる。振るわれない剣など、どれほどの価値があるものか。
外に出ればいい。積極的に武功を立てればいい。塔に上ればいい、AGとしてのクエストを引き受ければいい。
きっと現状を知らない誰かはそう言うだろう。でも無理なのだ。
自分は既に「政治」というシステムに組み込まれている。「救世主」であり『勇者』という『職』を持つ自分は、誰につくかによってバランスを崩してしまう存在になっている。
それは実力が評価されているのではない。『勇者』という『職』がそうさせているのだ。
かつて塔を踏破した『勇者』の『職』を持つ『異世界』からの『救世主』として有名になっている以上、単独で外に出て何も関係なく独力で武功を立てるのは難しいだろう。
結局、城内にとどまるしか選択肢は無い。
「どうすれば……俺は何をすればいいんだ! 何をすれば『勇者』なんだ!? 『職』さえあれば『勇者』なのか!?」
何も成していないのに『勇者』として扱われる。ただ期待と責任だけが重くのしかかる。
自分では成長していると言ったが――果たして本当にそうだろうか。
未だにラノールからは一本もとれない。魔族を倒した時も結局は神器頼り。
国王からのクエストで倒す相手も雑魚ばかり。Aランク魔物を倒したことはあるが、それは塔に上る前からどうにか出来ていただろう。
ラノールから渡された本を読めばそれが分かるかとも思っているが――それでも、心のどこかで本を読んだ程度で分かるものかと囁きが聞こえる気すらする。
「アキラ様……いいえ、アキラ」
はっ、と。
ティアーに声をかけられて自分が大声を出していたことにようやく気づく。
「落ち着いてくださいな。……わたくしの魔法、覚えてらっしゃいますか?」
「え? ……疲労回復、の魔法ですよね」
「ええ」
ティアーの魔法は回復魔法の中でも珍しい疲労回復の魔法。その腕前はなかなかの物で、感覚的には彼女から魔法をかけ続けられれば三日は不眠不休で動ける気がする。
それがどうかしたのだろうか。
「わたくしはもう一つ、魔法があるんですわ。狙って出来るものではございませんが」
「そうなん……ですか?」
「ええ。あまり人に言いませんもの」
自分の魔法は切り札だ。それが特異であればあるほど。
であれば言わないのも当たり前と言えば当たり前だが……。
「どんな魔法……なんですか?」
「未来予知、ですわ」
未来予知。
フィクションではよく見る能力だが、そんなことが可能なんだろうか。
天川が首を傾げていると、ティアーは薄く微笑んでから話し出した。
「わたくしが見た未来は……アキラがこの世界を救う未来でしたわ。詳しくは分かりませんが」
それを言われ、ホッとした自分と……同時にホッとしている自分に嫌悪を抱く自分がいた。
ティアーはそんな天川を見抜いたのか、ひとつうなずく。
「そうですわ。アキラが戦う日なんて来ない方がいいんですわ。世界の危機なんて……絶対、来ない方がいいんですわ」
確かに。救世主が必要とされるということは世界が危機に瀕するということだ。
そして世界が危機に瀕しているということは――たくさんの人が悲しむということ。
ならば、そんな未来は無い方がいい。
「アキラが功績を打ち立てる日……それは、世界が危機に陥る日ですわ。ならば、アキラはずっと訓練で終わった方がいい。そうは思いませんか?」
その通りだ。
力をつけることは間違いじゃない。しかし戦う者が活躍する日は来ない方がいいに決まっている。
世界が平和である方がいいのだから。
少し思考が冷えた天川は、目の前のお茶を飲み干す。ほんの少しだけ冷めたそれを。
「ありがとうございます。少しだけ……心が軽くなりました。そうですね、俺が活躍する日は来ない方がいい。当然です」
溢れ出した泥、こぼれて空いたグラスに暖かい物が注がれるような心地になる。暖かい、人の温もりのような液体で満たされる。
「ええ。それにアキラの力は戦いのためだけではございませんわ。今まで通り、仕事をこなすことも大切ですわ」
そんな彼女の微笑みに、心が跳ねる天川。自分も思春期男子なのだな、なんてぼんやり思いつつ立ち上がる。
「少し走ってきます。ジッとしてるといろいろ考えてしまいそうで」
「ええ、気分転換も大切ですわ」
ティアーにそう言われ、天川もひとつ微笑み部屋から出て行く。
焦りは禁物だ。そう自分に言い聞かせつつ。
「ふぅ……」
そして自分一人になった部屋で、ため息を一つつくティアー。
もうすっかり冷めつつある紅茶を一口含み、後ろに声をかける。
「男女の逢瀬を眺める……あまりいい趣味とは思えませんわ。シムラ」
「よく分かったな」
面白がった雰囲気の、眼鏡の小男が現れる。マールの護衛であり、ロリコンのミリオ・シムラだ。
「天川にも気づかれなかったというのに」
「わたくしだって最後まで気づいていませんでしたわ。貴方が急に気配を出したのでしょう? 何が目的ですか」
シムラは肩をすくめると、「相席してもよろしいですか? ティアー王女様」と慇懃無礼にお辞儀をする。
ティアーが眉間にしわを寄せつつ頷くと、スタスタこちらへと歩いてきた。
「何が目的も何も。マールが『お姉さまとアキラさんが逢瀬をしていますの!』って興味津々だったからな。ちょっと覗いていただけだ」
これでも王女、これでも政治の世界に身を置いて十年は経つ。目の前の男が嘘をついていることなどお見通しだ。そうでなくともマールは遊びで魔法を使わないことは知っていた。
「……もう一度お聞きしますが、何が目的ですか?」
「ティアー王女の本当の魔法……を知っているからな。どうして嘘をついたのか理由が聞きたかったのさ」
しれっと、どこから取り出したのか分からないカップに紅茶を注ぐシムラ。
ティアーはそんな彼をジッとにらみつける。
「マールから聞いたんですの?」
「まさか。だがまあ、小耳に挟んでね」
「……覗きだけでなく盗聴もですか。後は下着泥棒でもすればストーカーの完成ですわね」
呆れ声を出すが、シムラにとっては特に気にすべきことではないらしい。何を考えているか分からない笑みのままこちらを見ている。
「そういえばロリコンでしたわね。であればわたくしの下着なんて欲しくもありませんか」
「ロリコンだけは撤回してくれ」
間髪入れずにつっこみが入る。どう見てもロリコンなのに否定したいのか。
やれやれとでも言いたげに首を振るシムラは、自身のメガネを外して懐から取り出したハンカチで磨きだした。
「マールが受信なら王女は送信ってところか。言葉だけでなくイメージや感情も伝えられる。映像も送れるんだったか? ……使い勝手は良さそうだな」
当たり。映像を送れることは極僅かな人間にしか伝えていないというのにこの男は知っている。やはり不気味な男だ。
心の内を一切顔に出さず、シムラを睨みつける。
そんな視線を完全に黙殺し、メガネを再びかけたシムラは少しだけ遠い眼をする。
「オレもアイツにぶっ壊れられたら困る。現状、王国騎士団でSランクと渡り合えそうなのはラノールを含めて三人。オレが四人目、京助に救援依頼を出せば来てくれるだろうから五人。あまりに少ない」
「……貴方は自分にSランク並みの力があると?」
「ああ。オレは魔弾の射手。狙った獲物はハチの巣さ。それがSランク魔物だろうが何だろうがな」
ニヤリとカッコつけるシムラにやや引くが、『暴力』という世界に身を置いていないティアーでも分かるほどの『圧』。
認めたくはない――認めたくはないが、アキラと比べて遜色ない覇気を纏っていると言ってもいいだろう。
目の前の男は大口を叩くだけのことがある。低く見積もっていたつもりはなかったシムラへの評価をさらに一つ上げる。
「天川が壊れると色々困るからな。そういう意味ではどうにかしてくれたのはありがたい」
「……アキラは、英雄にはなりませんわ」
「ほう?」
ほんの少しだけ意外さを含めた声音で片眉を上げるシムラ。嘘くさい表情だ。
どうせ自分の目的についても当たりをつけているのだろう――とは思いつつも、ある意味では宣誓のつもりで口を開く。
「アキラはわたくしの夫になるんですの。そのための武功は『世界を救う』などといった大層なものである必要ありませんわ。叙勲される程度の武功があれば問題ありません」
決意を籠めて睨みつけると、シムラは肩をすくめて苦笑いした。
「女は怖いな」
「男が幻想を抱きすぎなんですわよ」
立ち上がり、踵を返してひらひらと手を振る。
「ではごきげんよう。アキラの邪魔をしたら承知いたしませんわ」
「ごきげんよう」
厭味ったらしく含みを持ってかけられた声を無視しながら部屋を出る。
「せっかくアキラとお話して良くなった気分が台無しですわ」
「……怖い女たちだ」
去っていったドアを見ながら、志村は苦笑いする。
ギシリ、と軋む椅子にもたれかかりながら天井を眺めた。
(空美、ラノール、ティアー、そしてヘリアラス……どいつもこいつも一筋縄じゃいかなそうで御座るなぁ。厄介系ヒロインに好かれるってのは最近のトレンドじゃなかったはずで御座るが)
空美は天川を『英雄』にして『異世界人』の権利を認めさせ自治を目的としている。要するに自分たちの安全、安心を守るため天川を利用したい。
ティアーは……今日のことで裏が取れたようなものだが、天川を『英雄』ではなく『勇者』として王族に迎えたい。王族の偉業を確固たるものにするため『次代の勇者が英雄となる』ことを目的としているのだろう。
つまり、外部から来た『勇者』ではなく王族から『勇者』が生まれることを期待しているわけだ。今回の亜人族(シャンの手前獣人族と言うべきか)、魔族との諍いに人族がやや消極的なのもそのためだろう。今代で解決したら『外部の勇者』が人族を救う。それは避けたいと考えているに違いない。
ラノールはもっと簡単だ。勇者の血族としての力を増したい。それが王家のために、ひいては国のためになると確信している。そのためにはやはり『勇者』、さらには『強者』であることに意味がある。だから功績には一切固執していない。
ヘリアラスが読めない、読みづらい。名声や功績に興味が無いのは間違いないだろうが、かと言って天川にどうなって欲しいのかが分からない。だが間違いなく『救世主』として『世界を救って』欲しいはずだ。
どいつもこいつもアクが強くて読みづらく、一筋縄ではいかない。しかし一番面倒なのはヒロイン達のキャラじゃない。
全員が――それが『愛する天川のためになる』と、心から思っていることだ。
異世界人が安心して暮らせる場所、組織があれば天川も嬉しいはずだ。
王族となり、バックのある状態で貴族として生きることは嬉しいはずだ。
強者となり、騎士として生きることは嬉しいはずだ。
強くなることは嬉しいはずだ。
全員が天川のことを考え、そして全員が天川に自分の望みを押し付ける。
「厄介で御座るなぁ」
さて、最終的にどうなるか。
ハッピーエンドなのか。
トゥルーエンドなのか。
それとも――オネスティエンドか。
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