異世界なう―No freedom,not a human―
131話 不意に、なう
夜。
リャンは日課の鍛練を終えてシャワーで汗を流していた。基本的に風呂は彼女が最後に使うようにしている。
京助は「別にいつ使ってもいい」と言っているが、仕える者として主人よりも先に入るわけにはいかないからだ。
「……マスターは優しいですからね。奴隷なんて水をぶっかけられて終わりというのが普通でしょうに」
アンタレスは治安がいい、というか空気が緩い。リャンのような獣人――否、亜人族が主人に連れられず歩いていれば治安のいい場所でも通報、悪い場所なら捕まえられて売り飛ばされるし、スラムならばその場でレイプされてもおかしくない。
しかしこの街ではそうはならない。
前領主が違法奴隷で捕まった事件があったこと、そして新領主が最初に行ったことが違法奴隷摘発だったことからこの街では奴隷を扱うことに関してあまり快い雰囲気になっていない。
しかも、『奴隷が嫌い、奴隷を不当に扱う奴はもっと嫌い』と公言している京助がいる。彼本人はSランクAG並みの強さを持ちながら本人が偉ぶったりすることも無いため街の人からは好かれている。その一方で苛烈な面も多少は人に知られており……そんな男の不況をわざわざ買いたがる人は少ない。
故に、この街では奴隷が不当な扱いを受けることは少ない。獣人奴隷の友人も出来、最近はいじめられることも少ないと笑顔で語っていた。
……その中には少女もいて。 
「シャン……」
生き別れになった妹の名前を呟く。京助がいくらか伝手をたどって情報を集めてくれているらしいが、そもそも獣人奴隷の殆どがアングラな奴隷だ。そうそう明るみに出得るものではない。
京助はどんどん人脈が広がっているので、もうリャン一人が闇雲に探すよりも圧倒的に効率的であるのは間違いないが、それでも妹を探しに出たい気持ちが顔を覗かせる。
焦る――妹が見つからない現状にもだが……他にも、魔物との戦いで火力不足に陥る自分の実力、京助がなかなか自分に手を出してくれないこと等にもある。
「いけませんね、このままじゃ」
頭から冷たい水を浴びて気持ちをリセットする。京助のおかげでシャワーからお湯も出るが、今はこの熱を奪われる感触 が心地よかった。
シャワーを止めると、顎をしたたって落ちた水滴が胸元を通り床の水たまりに波紋を作る。頭を振って水を払い、ぴょこんと耳を動かして水が入っていないことを確認する。この確認を怠ると稀に中耳炎になってしまう。
「さて、そろそろ上がりますかね」
引き締まった肉体をタオルで拭きながらなんとなしに呟く。実は京助が間違って入ってこれるようにちょっとだけ扉を開けていたのだが、全くそんなことは無かった。どうも女性がシャワーを浴びてるかどうかしっかり確認してから洗面所に近づくようにしているらしい。
(……マスターがあまりにも手を出してくれないので、たまに自分の女性としての魅力を疑いたくなります)
人にもよるだろうが――リャンは自分の身体を好いている人に見られることが嫌ではない。むしろ、見られないと逆に「自分は女としての魅力がないのだろうか」と不安になってしまうこともある。
だから京助が足だの胸だのをたまにチラッと見ていることを咎めるつもりも無いし、もっとやってくれとすら思う。
しかし、一向に自分に手を出さないのは解せない。最初はその態度が好ましかった。この人は自分を一人の人間として尊重してくれているんだと感動すらした。
とはいえそれがここまで続くと今度は少し腹が立つ。こちらからアプローチだってかけているというのに、全く手を出してくれない。
「…………もしやマスターには性欲が無い?」
「んなわけないでしょ。早く出てくれないかな……リャン。シャワーを浴びたいんだ」
「へっ、マスター?」
誰に聞かせるわけでも無かった呟きに返事があり、驚いてそちらを見る。どうも扉の向こうに京助がいるようだ。
「マスターは先に入ったのでは?」
さっき京助がタオルを首にかけて水を飲んでいた姿を見たから先に入っているものだと勘違いしていたのだろうか。
そう思って問うと、扉の向こうから気まずげな声が聞こえてくる。
「あー……そうなんだけど、ちょっと色々あってね。なんか猫らしき生き物が屋根の上に登っててさ、それを降ろしてあげたりしたらまた汗かいちゃって」
そんなの、言ってくれたら自分がやったのに。
「飛んで降りようとしたらえらく暴れるから、仕方なくちゃんと抱いて降ろしたんだ。それで少し汗をかいちゃってね。このまま寝るのも不快だし汗だけ流したいんだよ。というわけでリャン、早く出てくれると嬉しい」
「マスター、女性はお風呂上りにやることがたくさんあるのです。というわけで服はもう着ているので入ってください」
「…………まあ、髪を乾かしたり色々あるもんね。じゃあ入るよ」
ガチャ、と洗面所に入ってくる京助。
バスタオル一枚を巻いて鏡の前に立っているリャン。
「………………」
バタン、と洗面所の扉を閉めて外に出る京助。
ガチャ、と洗面所の扉を開けて京助の手を引っ張るリャン。
「服着てるって言ったじゃん!」
「嘘をつきました」
「しれっと!?」
「まあマスター。別にやましい気持ちはありません。ただ偶にはお背中をお流ししてさしあげようかと」
そのままあわよくば……という気持ちもないではないが、基本的には京助を労わりたいだけだ。
何とはなしにかけた台詞だったが、少し京助の顔が暗くなる。その反応を見てリャンは己の失態を悔いた。
(用心深いマスターが、武器も持たない状況で背後をとられることを良しとするわけがありません……)
流石に怒鳴られはしないだろうが、気分は害したはずだ。怒られるだろう。
そう思って若干身をすくませていると……。
「ん……まあ、服を着てくれるなら、お願いしようかな」
と、若干ため息をつきながらも了承してくれた。
「えっ……あっ、その、では先にお入りください。それで準備ができたらお呼びください」
「ん」
リャンは一度後ろを向き、京助が風呂場に入ったのを見計らってから上にタンクトップのシャツ、下は短パンといういつもの寝る時の格好になった。
ちょっとドキドキして待っていると、中から「じゃあおねがーい」という声が聞こえてくる。
「し、失礼します」
背中を向いて椅子に座っている京助の身体は、引き締まってはいるものの筋肉量は若者のそれでありどこからあれほどの馬力が出るのだろうと不思議に思ってしまう。
「では、マスター。お背中お流ししますね」
「うん」
覇王からリャン達を庇ってくれた時にはとても大きく見えた背中に触れると、ずっしりとしたエネルギーを感じる。
あの日、奴隷から本当の意味で解放してくれた最愛の人。殺されてもおかしくないような出会いをしたというのに、殺さずに自由を与えてくれた。
そして絶体絶命の土壇場で、迷わず自分の命をかけて戦ってくれたこの人を、鮮烈な強さを見せつけたこの人を、女として愛さずいられようか。
彼から求められたらいくらでもこの体を差し出すというのに、一向に触れてくれないことに寂しさはあるが、それでもやはり彼と一緒にいることは心地よい。
「背中を流されるなんて、何年振りかな」
のんびりとした声を出す京助。信頼されている証拠だろう。
少し前の京助ならば許可したはずが無い。それなりに信頼されているつもりではあったが、まさか背中を流させてもらえるとは。
「それにしてもマスター」
「んー?」
「相変わらず元気ですね」
「やっ、今は平気なはずだけど!?」
「おや、そのような意味で言ったのではないですが」
「…………味方が欲しい」
がっくりとうなだれる京助。しかし逃げ出すことは無い、若干開き直った部分もあるのだろう。
リャンはクスクスと笑いながら、京助の背中を流す。
「いいではないですか、マスター。男性として健康な証拠ですよ」
「うぐ……そ、そうかもしれないけど……」
恥ずかしそうに顔を赤くする仕草も愛おしい。自分でも驚くくらいにこの人を愛しているようだ。
「マスター」
「……何?」
「例えばですが、私がマスターの背中を見てテンションを上げていたとして、そしてそれをチラチラ見ていたとしてもマスターは嫌がりますか?」
唐突な質問に彼の顔が疑問符で埋まるが、少し考える仕草をした後口を開いた。
「んー……別に嫌じゃないかな。気になるかもしれないけど見られて減るものじゃないし、何がいいのかは分からないけど魅力的に感じてくれているのならむしろ嬉しいし」
「でしょう? だからマスター、私たちの身体を見たいという気持ち自体は別に悪いことでは無いのですよ」
ごしごしと背中をこすりながら言葉を続ける。
「私だって、そりゃ前領主のような人間にじろじろ見られれば不快ですが、マスターからそうやって好意的に思われていると感じれば嫌な気持ちはしませんし、むしろ嬉しいです。だからマスター、そういう気持ちになることに罪悪感を抱く必要はありませんよ」
「……いや、うーん……」
「私たちがマスターのマスターが元気になることを不快に思っているわけではないのと同じことですよ。自分に魅力を感じてくれているということの証拠ですから」
「いやマスターのマスターって」
要するに、とリャンは泡を流しながら会話を締める。
「マスターは別に恥ずかしがらなくてもいいんですよ。むしろ私たちの魅力にメロメロになってさっさと押し倒してください」
「だからこっちの世界の女子はなんでそんなに貞操観念が緩いんだ……」
ガックリとうなだれる京助。まあ今日はこのくらいにしておこう。
どうも京助は「女性に興味があると思われるのは恥ずかしい」とでも思っているようだ。女性が男性に興味があるように、男性が女性に興味があるのは自然だというのに。
リャンは風呂場を出て、足や手を拭いて自室に戻る。
(今夜はマスターを一人占め出来た、いい夜ですね)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「……いや、やっぱり見ちゃダメでしょ」
俺はリャンが出て行ったあとの風呂場で、シャワーを頭からかぶりながら呟く。
「煩悩退散煩悩退散。さて、湯船に浸かるか」
面倒なので自分の魔法でお湯を張り、タオルを頭に乗せてぼんやりと天井を見つめる。
「小学校に入る前、かな。最後に背中を流して貰ったの」
小学生になるころにはもう一人で風呂に入っていたような気がする。いや、一年生まではまだ親と入っていただろうか。
とにかく、それ以来の経験だった。背中を流してもらうというのは。
「…………ぁ」
不意に、瞳に涙が浮かんだ。
こんな感情、とっくに捻じ伏せたと思っていたのに。
「へぇ……」
浮かんだ涙は拭わず、代わりに口の端に笑みを浮かべる。
「ホームシックって奴かな、まあむしろよく保った方かもね」
麻痺していたのか分からないけど、俺の心はそれなりに傷ついていたのだろう。それこそ、こうして気づかず涙するほどに。
蓋をしていたその気持ちが、ここ最近の擬似的な家庭の雰囲気によって顔を出していたところに、「背中を流す」なんてイベントに心が反応してしまったのだろう。
皆がいるから寂しさなんて感じていない。ただの郷愁だ。
しかしそのただの郷愁で涙を流すのだから、だいぶ参っていたことは間違いないが。
「なんてね」
冷静に、そして何となく自分の精神状態を分析した俺はもう一度笑みを浮かべる。
俺は普通の人間だ。こうして弱る時もある。
だけどこんなの――
「カッコ悪いからね、皆がいなくてよかったよ」
俺が日本に帰りたい理由はたった一つ。
「狩人×狩人の続きを読むんだ俺は」
そしてもう一つ。冬子をちゃんと安全な場所で暮らさせること。
それだけ、ただそれだけ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
いい夜だったのに。
「やぁ、ミスリャン。いい夜だな」
「貴方に出会う前までは、私もそう思っていました」
リャンの部屋の前に立っていたのはタロー。いつも通りニヒルな笑みを浮かべている。
京助の監視という名目でこの家に転がり込んできているSランクAG。
京助が一番離れた部屋にしたし、そもそも家にいないことの方が大半だからあまり気にしていないが、やはり信用のおけない相手が家にいるのは居心地が悪い。
「ふっ、つれないな。まあ、いい。少し話さないか?」
「貴方と話すことはありませんが」
どうも冬子のことは助けてくれたようだが、それはあくまでも依頼だからだろう。AGは信用商売だと聞いたことがあるから依頼が無ければ危害は加えてこないのだろうが、逆にそういう依頼が出れば迷うことなく殺しに来る。そういう人間だ。
「そう邪険にしないでくれ。言っておくが、この件はミスター京助も承知済みだぞ」
「……マスターが? こんな夜中に話すことを?」
思いっきり疑った声を出すと、タローは苦笑いでリビングの方を指さした。
「誰かに訊かれたらマズい話でもない。単純にキミも私も暇な時間が夜だったというだけのことだ。キミの部屋に上がり込む気もない、リビングで話そう」
ジッとタローのことを観察する。嘘をついている様子も無い。そもそも京助に了承を取ったなんてすぐにわかる嘘をつくとも思えない。
少し考え……一旦話を聞くことにした。
「――分かりました、ではリビングではなく外で話しましょう。それでよいですか?」
「構わない。むしろ話が早い」
二人で庭に移動し、改めて向き直る。
「単刀直入に言おう。ミスリャン、残念だがキミはミスター京助たちと比べて頭一つ実力が低い。いや、すまない。火力という一点においてのみ、彼らより低いと言うべきか」
「それはまあ……その通りですね」
新しく覚えた魂、それを使えば火力不足は改善されるかもしれないが根本的に戦闘スタイルが対人特化過ぎて対魔物や、覇王のような異常防御力を持っている人間にはなすすべなくやられてしまうだろう。
だが、それは仕方が無いことだと割り切っている。
そもそも、京助と違いリャンは才能がない。だからこそ多種多様な戦闘を学び、その中で最も「相手を殺せる」技術を身に着けた。それが今のナイフと投げナイフを組み合わせた戦闘術だ。
「ふむ……とはいえ、だ。強くなれるなら強くなった方がいいだろう?」
「もちろん、それはそうですが」
強くなれるに越したことは無い。そっちの方が京助の役にも立てるし、考えたくはないがその後……仮に主人を失う時が来ても一人で生きて行く力になる。
「私が弓兵であることは一度話した通りだ。だが……そもそも、弓兵が何故SランクAGになどなれたと思う?」
「何故、と言われましても……単純に貴方が強いからではないのですか?」
そう答えると、タローはチッチッ、とキザな仕草で指を振った。
「それはその通りだが、そういうことでは無い。対人では私の弓は無類の強さを発揮するが、対魔物となるとそれ相応の技を使う」
「それ相応の……? 『職スキル』でしょうか」
リャンが答えると、タローは少し気まずそうな顔になる。
「残念だが、私は『職スキル』には恵まれなくてね。高火力の技はそう無かった。だから必要だったんだ――敵を確殺できる技術が」
そう言って、タローが唐突にリャンに触れる。その瞬間、ガクッと膝をついてしまった。全身の力が抜けたのだ。
「――――ッ!」
思わず思いっきり叫びそうになり、目の前の男に殺気も闘気も無いことに気づく。
「……今のは?」
スキル、それとも魔法だろうか。
しかし彼はまるでリャンの考えを見透かしたかのように首を振った。
「なに、ただの技術だ。その代わり『とても高度な』技術だが」
ニヤリと笑うタロー。
キザな笑い方にイラッとくるが、魔法ではなく技術となれば話は変わってくる。
「何をしたんですか?」
「簡単なことだ。相手の弱い部分をついた――ただし、急所とかそういうだけではない。本当に一撃で相手が昏倒するようなツボだ。相手の防御力や体力に関係なく、な」 
リャンはごくりと喉を鳴らす。
それが本当ならば、戦力向上とか火力がどうのというレベルじゃない。文字通りの必殺技だ。
「キミも私も、真正面から戦うよりも隙をついて必殺するのが得意なタイプだ。そうなれば……この技は有用なんじゃないかな?」
なるほど。
確かにリャンの戦法に合った力だ。これを上昇させることは間違いなくプラスになるだろう。
しかし――
「見返りは何ですか? 貴方は本来、マスターの味方ではないはず」
「それはその通りなんだが……。なに、美人に手を貸すことに理由はいるまい?」
ヒュン、とタローの横をナイフが通り過ぎる。
一瞬の沈黙。咳ばらいしたタローは口を開いた。
「戦力は一人でも多い方がいい。覇王という敵が明確な形で我々の前に現れたのだからな。特にキミらは覇王の強さに直に触れた数少ない人間だ。死なれては困る」
一応、筋は通っている。
しかし解せない。AGにとっての技術とは、己の生命線だ。それを軽々に人に教えるなど。マルキムのように京助と今まで深いかかわりがあったわけではないのに。
そんなリャンの心情を知ってか知らずか、タローは今までの皮肉げな笑みを消した。
「人族を守る――それが私に課せられた使命だ。そのための一つと思ってくれ」
少しの誇りと、大きな悲しみが浮かんだその顔は、やはり嘘を言っているようには感じなかった。
ここで彼を利用することは容易い。しかしそれで借りが出来るのも癪だ。
それらを加味して考え……リャンは、握手のために左手を差し出した。
「それでは、よろしくお願いします」
「ああ」
「ちなみに、私の身体に不当に触った場合、マスターに泣きつきます」
「……人にものを教えることが命がけとは」
リャンは日課の鍛練を終えてシャワーで汗を流していた。基本的に風呂は彼女が最後に使うようにしている。
京助は「別にいつ使ってもいい」と言っているが、仕える者として主人よりも先に入るわけにはいかないからだ。
「……マスターは優しいですからね。奴隷なんて水をぶっかけられて終わりというのが普通でしょうに」
アンタレスは治安がいい、というか空気が緩い。リャンのような獣人――否、亜人族が主人に連れられず歩いていれば治安のいい場所でも通報、悪い場所なら捕まえられて売り飛ばされるし、スラムならばその場でレイプされてもおかしくない。
しかしこの街ではそうはならない。
前領主が違法奴隷で捕まった事件があったこと、そして新領主が最初に行ったことが違法奴隷摘発だったことからこの街では奴隷を扱うことに関してあまり快い雰囲気になっていない。
しかも、『奴隷が嫌い、奴隷を不当に扱う奴はもっと嫌い』と公言している京助がいる。彼本人はSランクAG並みの強さを持ちながら本人が偉ぶったりすることも無いため街の人からは好かれている。その一方で苛烈な面も多少は人に知られており……そんな男の不況をわざわざ買いたがる人は少ない。
故に、この街では奴隷が不当な扱いを受けることは少ない。獣人奴隷の友人も出来、最近はいじめられることも少ないと笑顔で語っていた。
……その中には少女もいて。 
「シャン……」
生き別れになった妹の名前を呟く。京助がいくらか伝手をたどって情報を集めてくれているらしいが、そもそも獣人奴隷の殆どがアングラな奴隷だ。そうそう明るみに出得るものではない。
京助はどんどん人脈が広がっているので、もうリャン一人が闇雲に探すよりも圧倒的に効率的であるのは間違いないが、それでも妹を探しに出たい気持ちが顔を覗かせる。
焦る――妹が見つからない現状にもだが……他にも、魔物との戦いで火力不足に陥る自分の実力、京助がなかなか自分に手を出してくれないこと等にもある。
「いけませんね、このままじゃ」
頭から冷たい水を浴びて気持ちをリセットする。京助のおかげでシャワーからお湯も出るが、今はこの熱を奪われる感触 が心地よかった。
シャワーを止めると、顎をしたたって落ちた水滴が胸元を通り床の水たまりに波紋を作る。頭を振って水を払い、ぴょこんと耳を動かして水が入っていないことを確認する。この確認を怠ると稀に中耳炎になってしまう。
「さて、そろそろ上がりますかね」
引き締まった肉体をタオルで拭きながらなんとなしに呟く。実は京助が間違って入ってこれるようにちょっとだけ扉を開けていたのだが、全くそんなことは無かった。どうも女性がシャワーを浴びてるかどうかしっかり確認してから洗面所に近づくようにしているらしい。
(……マスターがあまりにも手を出してくれないので、たまに自分の女性としての魅力を疑いたくなります)
人にもよるだろうが――リャンは自分の身体を好いている人に見られることが嫌ではない。むしろ、見られないと逆に「自分は女としての魅力がないのだろうか」と不安になってしまうこともある。
だから京助が足だの胸だのをたまにチラッと見ていることを咎めるつもりも無いし、もっとやってくれとすら思う。
しかし、一向に自分に手を出さないのは解せない。最初はその態度が好ましかった。この人は自分を一人の人間として尊重してくれているんだと感動すらした。
とはいえそれがここまで続くと今度は少し腹が立つ。こちらからアプローチだってかけているというのに、全く手を出してくれない。
「…………もしやマスターには性欲が無い?」
「んなわけないでしょ。早く出てくれないかな……リャン。シャワーを浴びたいんだ」
「へっ、マスター?」
誰に聞かせるわけでも無かった呟きに返事があり、驚いてそちらを見る。どうも扉の向こうに京助がいるようだ。
「マスターは先に入ったのでは?」
さっき京助がタオルを首にかけて水を飲んでいた姿を見たから先に入っているものだと勘違いしていたのだろうか。
そう思って問うと、扉の向こうから気まずげな声が聞こえてくる。
「あー……そうなんだけど、ちょっと色々あってね。なんか猫らしき生き物が屋根の上に登っててさ、それを降ろしてあげたりしたらまた汗かいちゃって」
そんなの、言ってくれたら自分がやったのに。
「飛んで降りようとしたらえらく暴れるから、仕方なくちゃんと抱いて降ろしたんだ。それで少し汗をかいちゃってね。このまま寝るのも不快だし汗だけ流したいんだよ。というわけでリャン、早く出てくれると嬉しい」
「マスター、女性はお風呂上りにやることがたくさんあるのです。というわけで服はもう着ているので入ってください」
「…………まあ、髪を乾かしたり色々あるもんね。じゃあ入るよ」
ガチャ、と洗面所に入ってくる京助。
バスタオル一枚を巻いて鏡の前に立っているリャン。
「………………」
バタン、と洗面所の扉を閉めて外に出る京助。
ガチャ、と洗面所の扉を開けて京助の手を引っ張るリャン。
「服着てるって言ったじゃん!」
「嘘をつきました」
「しれっと!?」
「まあマスター。別にやましい気持ちはありません。ただ偶にはお背中をお流ししてさしあげようかと」
そのままあわよくば……という気持ちもないではないが、基本的には京助を労わりたいだけだ。
何とはなしにかけた台詞だったが、少し京助の顔が暗くなる。その反応を見てリャンは己の失態を悔いた。
(用心深いマスターが、武器も持たない状況で背後をとられることを良しとするわけがありません……)
流石に怒鳴られはしないだろうが、気分は害したはずだ。怒られるだろう。
そう思って若干身をすくませていると……。
「ん……まあ、服を着てくれるなら、お願いしようかな」
と、若干ため息をつきながらも了承してくれた。
「えっ……あっ、その、では先にお入りください。それで準備ができたらお呼びください」
「ん」
リャンは一度後ろを向き、京助が風呂場に入ったのを見計らってから上にタンクトップのシャツ、下は短パンといういつもの寝る時の格好になった。
ちょっとドキドキして待っていると、中から「じゃあおねがーい」という声が聞こえてくる。
「し、失礼します」
背中を向いて椅子に座っている京助の身体は、引き締まってはいるものの筋肉量は若者のそれでありどこからあれほどの馬力が出るのだろうと不思議に思ってしまう。
「では、マスター。お背中お流ししますね」
「うん」
覇王からリャン達を庇ってくれた時にはとても大きく見えた背中に触れると、ずっしりとしたエネルギーを感じる。
あの日、奴隷から本当の意味で解放してくれた最愛の人。殺されてもおかしくないような出会いをしたというのに、殺さずに自由を与えてくれた。
そして絶体絶命の土壇場で、迷わず自分の命をかけて戦ってくれたこの人を、鮮烈な強さを見せつけたこの人を、女として愛さずいられようか。
彼から求められたらいくらでもこの体を差し出すというのに、一向に触れてくれないことに寂しさはあるが、それでもやはり彼と一緒にいることは心地よい。
「背中を流されるなんて、何年振りかな」
のんびりとした声を出す京助。信頼されている証拠だろう。
少し前の京助ならば許可したはずが無い。それなりに信頼されているつもりではあったが、まさか背中を流させてもらえるとは。
「それにしてもマスター」
「んー?」
「相変わらず元気ですね」
「やっ、今は平気なはずだけど!?」
「おや、そのような意味で言ったのではないですが」
「…………味方が欲しい」
がっくりとうなだれる京助。しかし逃げ出すことは無い、若干開き直った部分もあるのだろう。
リャンはクスクスと笑いながら、京助の背中を流す。
「いいではないですか、マスター。男性として健康な証拠ですよ」
「うぐ……そ、そうかもしれないけど……」
恥ずかしそうに顔を赤くする仕草も愛おしい。自分でも驚くくらいにこの人を愛しているようだ。
「マスター」
「……何?」
「例えばですが、私がマスターの背中を見てテンションを上げていたとして、そしてそれをチラチラ見ていたとしてもマスターは嫌がりますか?」
唐突な質問に彼の顔が疑問符で埋まるが、少し考える仕草をした後口を開いた。
「んー……別に嫌じゃないかな。気になるかもしれないけど見られて減るものじゃないし、何がいいのかは分からないけど魅力的に感じてくれているのならむしろ嬉しいし」
「でしょう? だからマスター、私たちの身体を見たいという気持ち自体は別に悪いことでは無いのですよ」
ごしごしと背中をこすりながら言葉を続ける。
「私だって、そりゃ前領主のような人間にじろじろ見られれば不快ですが、マスターからそうやって好意的に思われていると感じれば嫌な気持ちはしませんし、むしろ嬉しいです。だからマスター、そういう気持ちになることに罪悪感を抱く必要はありませんよ」
「……いや、うーん……」
「私たちがマスターのマスターが元気になることを不快に思っているわけではないのと同じことですよ。自分に魅力を感じてくれているということの証拠ですから」
「いやマスターのマスターって」
要するに、とリャンは泡を流しながら会話を締める。
「マスターは別に恥ずかしがらなくてもいいんですよ。むしろ私たちの魅力にメロメロになってさっさと押し倒してください」
「だからこっちの世界の女子はなんでそんなに貞操観念が緩いんだ……」
ガックリとうなだれる京助。まあ今日はこのくらいにしておこう。
どうも京助は「女性に興味があると思われるのは恥ずかしい」とでも思っているようだ。女性が男性に興味があるように、男性が女性に興味があるのは自然だというのに。
リャンは風呂場を出て、足や手を拭いて自室に戻る。
(今夜はマスターを一人占め出来た、いい夜ですね)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「……いや、やっぱり見ちゃダメでしょ」
俺はリャンが出て行ったあとの風呂場で、シャワーを頭からかぶりながら呟く。
「煩悩退散煩悩退散。さて、湯船に浸かるか」
面倒なので自分の魔法でお湯を張り、タオルを頭に乗せてぼんやりと天井を見つめる。
「小学校に入る前、かな。最後に背中を流して貰ったの」
小学生になるころにはもう一人で風呂に入っていたような気がする。いや、一年生まではまだ親と入っていただろうか。
とにかく、それ以来の経験だった。背中を流してもらうというのは。
「…………ぁ」
不意に、瞳に涙が浮かんだ。
こんな感情、とっくに捻じ伏せたと思っていたのに。
「へぇ……」
浮かんだ涙は拭わず、代わりに口の端に笑みを浮かべる。
「ホームシックって奴かな、まあむしろよく保った方かもね」
麻痺していたのか分からないけど、俺の心はそれなりに傷ついていたのだろう。それこそ、こうして気づかず涙するほどに。
蓋をしていたその気持ちが、ここ最近の擬似的な家庭の雰囲気によって顔を出していたところに、「背中を流す」なんてイベントに心が反応してしまったのだろう。
皆がいるから寂しさなんて感じていない。ただの郷愁だ。
しかしそのただの郷愁で涙を流すのだから、だいぶ参っていたことは間違いないが。
「なんてね」
冷静に、そして何となく自分の精神状態を分析した俺はもう一度笑みを浮かべる。
俺は普通の人間だ。こうして弱る時もある。
だけどこんなの――
「カッコ悪いからね、皆がいなくてよかったよ」
俺が日本に帰りたい理由はたった一つ。
「狩人×狩人の続きを読むんだ俺は」
そしてもう一つ。冬子をちゃんと安全な場所で暮らさせること。
それだけ、ただそれだけ。
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いい夜だったのに。
「やぁ、ミスリャン。いい夜だな」
「貴方に出会う前までは、私もそう思っていました」
リャンの部屋の前に立っていたのはタロー。いつも通りニヒルな笑みを浮かべている。
京助の監視という名目でこの家に転がり込んできているSランクAG。
京助が一番離れた部屋にしたし、そもそも家にいないことの方が大半だからあまり気にしていないが、やはり信用のおけない相手が家にいるのは居心地が悪い。
「ふっ、つれないな。まあ、いい。少し話さないか?」
「貴方と話すことはありませんが」
どうも冬子のことは助けてくれたようだが、それはあくまでも依頼だからだろう。AGは信用商売だと聞いたことがあるから依頼が無ければ危害は加えてこないのだろうが、逆にそういう依頼が出れば迷うことなく殺しに来る。そういう人間だ。
「そう邪険にしないでくれ。言っておくが、この件はミスター京助も承知済みだぞ」
「……マスターが? こんな夜中に話すことを?」
思いっきり疑った声を出すと、タローは苦笑いでリビングの方を指さした。
「誰かに訊かれたらマズい話でもない。単純にキミも私も暇な時間が夜だったというだけのことだ。キミの部屋に上がり込む気もない、リビングで話そう」
ジッとタローのことを観察する。嘘をついている様子も無い。そもそも京助に了承を取ったなんてすぐにわかる嘘をつくとも思えない。
少し考え……一旦話を聞くことにした。
「――分かりました、ではリビングではなく外で話しましょう。それでよいですか?」
「構わない。むしろ話が早い」
二人で庭に移動し、改めて向き直る。
「単刀直入に言おう。ミスリャン、残念だがキミはミスター京助たちと比べて頭一つ実力が低い。いや、すまない。火力という一点においてのみ、彼らより低いと言うべきか」
「それはまあ……その通りですね」
新しく覚えた魂、それを使えば火力不足は改善されるかもしれないが根本的に戦闘スタイルが対人特化過ぎて対魔物や、覇王のような異常防御力を持っている人間にはなすすべなくやられてしまうだろう。
だが、それは仕方が無いことだと割り切っている。
そもそも、京助と違いリャンは才能がない。だからこそ多種多様な戦闘を学び、その中で最も「相手を殺せる」技術を身に着けた。それが今のナイフと投げナイフを組み合わせた戦闘術だ。
「ふむ……とはいえ、だ。強くなれるなら強くなった方がいいだろう?」
「もちろん、それはそうですが」
強くなれるに越したことは無い。そっちの方が京助の役にも立てるし、考えたくはないがその後……仮に主人を失う時が来ても一人で生きて行く力になる。
「私が弓兵であることは一度話した通りだ。だが……そもそも、弓兵が何故SランクAGになどなれたと思う?」
「何故、と言われましても……単純に貴方が強いからではないのですか?」
そう答えると、タローはチッチッ、とキザな仕草で指を振った。
「それはその通りだが、そういうことでは無い。対人では私の弓は無類の強さを発揮するが、対魔物となるとそれ相応の技を使う」
「それ相応の……? 『職スキル』でしょうか」
リャンが答えると、タローは少し気まずそうな顔になる。
「残念だが、私は『職スキル』には恵まれなくてね。高火力の技はそう無かった。だから必要だったんだ――敵を確殺できる技術が」
そう言って、タローが唐突にリャンに触れる。その瞬間、ガクッと膝をついてしまった。全身の力が抜けたのだ。
「――――ッ!」
思わず思いっきり叫びそうになり、目の前の男に殺気も闘気も無いことに気づく。
「……今のは?」
スキル、それとも魔法だろうか。
しかし彼はまるでリャンの考えを見透かしたかのように首を振った。
「なに、ただの技術だ。その代わり『とても高度な』技術だが」
ニヤリと笑うタロー。
キザな笑い方にイラッとくるが、魔法ではなく技術となれば話は変わってくる。
「何をしたんですか?」
「簡単なことだ。相手の弱い部分をついた――ただし、急所とかそういうだけではない。本当に一撃で相手が昏倒するようなツボだ。相手の防御力や体力に関係なく、な」 
リャンはごくりと喉を鳴らす。
それが本当ならば、戦力向上とか火力がどうのというレベルじゃない。文字通りの必殺技だ。
「キミも私も、真正面から戦うよりも隙をついて必殺するのが得意なタイプだ。そうなれば……この技は有用なんじゃないかな?」
なるほど。
確かにリャンの戦法に合った力だ。これを上昇させることは間違いなくプラスになるだろう。
しかし――
「見返りは何ですか? 貴方は本来、マスターの味方ではないはず」
「それはその通りなんだが……。なに、美人に手を貸すことに理由はいるまい?」
ヒュン、とタローの横をナイフが通り過ぎる。
一瞬の沈黙。咳ばらいしたタローは口を開いた。
「戦力は一人でも多い方がいい。覇王という敵が明確な形で我々の前に現れたのだからな。特にキミらは覇王の強さに直に触れた数少ない人間だ。死なれては困る」
一応、筋は通っている。
しかし解せない。AGにとっての技術とは、己の生命線だ。それを軽々に人に教えるなど。マルキムのように京助と今まで深いかかわりがあったわけではないのに。
そんなリャンの心情を知ってか知らずか、タローは今までの皮肉げな笑みを消した。
「人族を守る――それが私に課せられた使命だ。そのための一つと思ってくれ」
少しの誇りと、大きな悲しみが浮かんだその顔は、やはり嘘を言っているようには感じなかった。
ここで彼を利用することは容易い。しかしそれで借りが出来るのも癪だ。
それらを加味して考え……リャンは、握手のために左手を差し出した。
「それでは、よろしくお願いします」
「ああ」
「ちなみに、私の身体に不当に触った場合、マスターに泣きつきます」
「……人にものを教えることが命がけとは」
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