異世界なう―No freedom,not a human―
69話 激怒なう
冬子はリューさんと共に地下への道を急いでいた。先ほどの獣人の女性のように、戦いを強制される者が出てこないとも限らない。
京助はすぐに追いついてくるだろうが、あの獣人の女性は正直言って強かった。おそらく……冬子と互角か、スキルを使わなければあっさりと負けてしまうかもしれないと思うほどに。そんな相手を無傷でとらえるとなると――いかな京助と言えど、そうやすやすと行えることではないだろう。
京助は本人も言う通り、あまり潜入には向いていない。しかし冬子ならば結界すら気づかれずにすり抜けることもできるし、京助の魔法が切れてからはリューさんが「カゲロウ」という姿を見づらくする魔法をかけてくれた。二人ならば最奥まで入ることも可能かもしれない。
何度か探知ようの結界を切り裂き、見張り――あまり強くない、おそらく非戦闘員――を無力化し、下へ下へと進んでいく。
「ここは何層だろうか……」
「ヨホホ……もう既にだいぶ降りてきていると思うんデスがねぇ」
そう言いながら進むと……
「行き止まり、か」
通路がそこで途切れていた。階段も無く、普通に壁がある。触って叩いてみても響く感じは無い。完全に行き止まりだ。
「ここまで来て道が違うのか……?」
くそっ、と悪態をついて壁を殴る。こんなことなら京助と別行動しないで一緒にくればよかった。
どうしたものかと腕を組んで考えていると、リューさんが先ほどの探知の魔法を使ってあの壁を調べていた。
「ヨホホ……いえ、どうもその向こうに空間はあるようデス」
「本当ですか?」
「ヨホホ、『視』てみたところ、その壁が魔法で作られたもののようデスね」
「魔法ということは……」
冬子は、息を短く吸い込み剣に手をかける。全身から力を抜いて精神を統一して、鋭く息を吐きだすと同時に抜刀――そして、スキルを起動する。『断魔斬』でバツ印に切断する。すると魔法が消えたのか、まるで壁なんて無かったかのように通路が現れた。
「お見事デスね」
「お粗末」
納刀してその通路を見据えると……そこには、いくつもの牢屋が並んでいた。
中には奴隷と思しき人たちが入っていて、そのどれもが女性かこどもだ。しかもケガをしている人もいる。
「……これは、酷い」
奥歯を噛みしめながら冬子は言う。今すぐにでも領主を殴り飛ばしてやりたい気持ちを抑えて、冬子は牢屋の前に立つ。
「リューさん、今ここで牢屋を壊したところで彼女たちは逃げられるでしょうか」
「……難しいでしょうデス。ここで動くと感づかれて下手したら奴隷たちを人質にとられかねないデス。だったら今はこれを無視して進むしか……」
リューさんがそう言いかけた瞬間だった、突然目の前の牢屋にいる女性が「侵入者です!」と叫びだしたのだ。
「えっ」
「侵入者だ!」
「侵入者です!」
「侵入者だ!」
「ま、待ってくれ! 静かにしてくれ! 私たちは君たちを助けに……っ!」
冬子が口々に叫ばれるその言葉を止めようと口を開いたら、最初に叫んだ女性が「それ以上は言ってはダメです!」と叫ぶと、涙を流しながら冬子に謝罪してきた。
困惑していると、女性は冬子の首に手を伸ばし――首に手が届きそうになったところで静止した。
「申し訳ありません……侵入者が入っていたら知らせろという命令を……うッ!」
女性は冬子の方へ伸ばしてきていた手をゆっくりと戻した。その動きは酷く緩慢でまるで何かに逆らっているかのようだ。
「命令に逆らったら、死んでしまうのです……どうか、どうかお許し……う、くっ……みな、ここから出たいです、ですが……逆らえば、このように……カハッ!」
今度は自らの首を抑えてもがきだす。その手はどうも首輪を広げようとしているようで……よく見ると、首輪がどんどん締まってきている。
命令に逆らうと首を絞める魔道具――なのかもしれない。王宮でそんなものを天川達につけさせるべきと言っている人たちがいたから知っている。
「もういい! 分かった、わかったから!」
話を続ける度に苦しそうに首を抑える女性。しかし、女性はフルフルと首を振って息も絶え絶えに話してくれた。
「いえ、もう、ダメなんです、私は……自分たちを助けようとしている者を殺せ、と命じられています。ですが、私にそんなことは出来ません。だから、ガハッ、ごっ……だか」
助けようとしているものを殺せ――つまり、先ほど冬子が「助けに来た」と言ったからこの人は苦しんでいるのか。
カッ、と頭に血が上り、冬子は後先を考えずに牢屋を剣で切断する。
「リューさん! この人の首輪を外すことは!?」
リューさんの方を振り向いた途端、目の前の女性が立ち上がって、こちらを襲う素振りをして……また、苦しむように首を抑えだした。
「がっ、が……カハッ。む、無理なん、です……。だから、だからどうか……ガハッ、他の皆には、あなた方が……グッ、助けに来たとは、言わないで……うっ」
「しっかりしろ!」
駆け寄り、首輪を外そうとするが……むしろ締まっていっているように見える。人が手を出すとダメなのかもしれない。
「トーコさん! 首輪を、首輪を切断するのデス! 首輪だけを切断するのデス! それしか助ける方法はありませんデス!」
切羽詰まった声を上げるリューさん。たしかに、それしかない。それしかないが……しかし、首輪はぴったりと首に張り付いている。一ミリでもズレたら終わりだ。
「大丈夫、です……ぐっ……」
どんどん首輪が絞まっていく。このままでは――
「くっ……あああああああああああああ!!!」
――目の前の人を死なせたくない。その一心だけで、冬子は剣を振り上げた。薄皮だけを斬るような芸当。
(父ならできるかもしれないが――いや、今はそんなことを言っている場合ではない! だが、だが、だが!)
このままでは、目の前の女性が死んでしまう。でも、自分が失敗したらこの人は死んでしまう。どの道、成功させるしか女性を生き残らせる方法は無い。
迷うことは無い。それでも、腕は動かない。振り上げた姿勢のまま数瞬止まってしまう。
その逡巡がダメだった。
女性がにっこりとほほ笑むと、冬子の剣に飛びつき、なんと自分の胸を突き刺した。
「なっ……」
あまりに突然の出来事で、冬子は動くことも出来なかった。
「ああ、これで苦しくなくなりました。……どうか、他の人たちは助けてくださいね。救世主様」
そう言って、自分に蔽いかぶさっている女性の身体が唐突に重くなる。
リューさんが脈を診るが……目を瞑って首を振るだけ。
辺りでは、他の奴隷たちが「侵入者だー!」とずっと叫んでいる。人が来るのも時間の問題だろう。
だが、そんなことはどうだっていい。
出会ってほんの数分の女性。そんな人が死んだって京助ならばすぐに切り替えられるのかもしれない。
だが、それでも最後の言葉が冬子の頭には残っていた。
(救世主様……)
自分が異世界人で、救世主として呼ばれたことを知ってるのだろうか。いや、そんなはずはない。そういう存在がいることは知っていたとしても顔は殆どの人が知らないはずだ。つまり、冬子のことを知っていてそう呼んだとは考えにくい。
でも、最後の希望を自分に託してそう呼んだのだ。
他の人たちは助けてくれるとそう信じて。ここでこれ以上時間を使っていたら冬子たちが危ない、そう悟って自殺してくれた目の前の人は。
出会って数分の自分に、希望を託したのだ。
「リューさん」
「……なんデスか?」
「この……気持ちを、どこにぶつけたらいいんでしょうか」
「キョースケさんなら、憂さ晴らしだと言うかもしれませんデスね」
「……確かに」
ギリッと、奥歯を噛みしめる。剣を握る腕に力が入る。
「彼女が何をしたのか、どんな人生を送ってきたのか、それは私には分からない」
でも、と冬子は思う。
「それでも、こんな牢屋に閉じ込められて一生を終えていい人だったなどとは思えない!」
冬子はまっすぐと前を見据える。
「行きましょう、リューさん」
「ヨホホ……そうデスね。ワタシも腹が立つなんて次元をとうに通りこしてますデス」
リューさんも、杖を握る手に力が入っている。そのままでは杖を折ってしまいそうだ。
「まっすぐ進んで突き当り、そこに魔力反応を感じますデス。獣人は今ここにはいないようなので、おそらく他の場所に幽閉されているのでしょうデス」
「承知した」
と、そこで目の前から気配が三つ。
「侵入者だと!」
「どこだ!」
どうも、警備の兵らしい。こんなところに侵入されるまで気づけないなんて無能でしかないだろう。
「そんな無能が、今の私の相手になると思うなよ」
目の前に現れた三人の兵士。豪奢な甲冑を着ており頑丈そうだ。もしかしたら、魔法効果でもかかっているのかもしれない。
三人とも冬子とリューの顔を見て……ぷっ、と笑いだした。
「なんだ、侵入者って女かよ」
「チッ、ビビッて損したな」
「いや、考えてみろよ。今ここでコイツラを犯してもボスにどやされないんだぜ? 殺しておきましたって言えばよ」
「お、そりゃいいぜ! お前頭いいな!」
ぎゃははは……と笑う兵士たち。
そのうちの一人の頭が燃えた。
「ぎゃあああああああ?!!?!?」
さらに、鎧に何発もの火球が連続して当たる。リューさんが秘かに詠唱していた魔法が炸裂したのだ。
全員の注目がその兵士に集まった瞬間に――
「うるさい」
――冬子は既に振りかぶっていた剣で兵士の鎧ごと腕を切断する。この世界の人間で、しかも戦闘職に就いている人間だ。腕の一本や二本斬り飛ばされたくらいで死にはしまい。
「が、があああああああ!?!? あ、アックスオークの赤銅硬化が付与された魔法鎧だぞ!? なぜ、何の変哲もない剣で斬られる!?」
「ほう。一応『断魔斬』を使って斬っておいてよかった」
冬子はそう言うと、片腕を斬り飛ばされた兵士を蹴飛ばし、気絶させる。残るは一人。
「な、な……ッ」
「さて、一応聞いておきます。抵抗する気はありますか?」
剣を突き付けて尋ねると、兵士はぶんぶんと首を振って剣を置いて手をあげた。
「一応、剣は燃やしておくデス」
リューさんが呪文を詠唱して、片手間のように剣の柄の部分だけ燃やしてしまう。
「さて、行きますか。ここに来たということは領主にも私たちがきたことはばれているのでしょうし」
「そうデスね」
二人でその兵士の横を通り領主のところに行こうとしたら――
「隙ありィっ!」
――後ろから短剣を抜いた兵士が飛びかかってきた。鎧を着ていないリューさんを狙っているようだ。リューさんはそれを半身になって躱し、手を掴んで合気のようにして兵士の身体を空中で一回転させる。
「どあぁぁ」
さらに空中で膝蹴りを顔面に叩き込み、後頭部から地面に叩きつけた。
「お見事ですね」
「ヨホホ、体術が出来ない魔法師は二流デスよ」
そういえばリューさんは獣人とのハーフだ。身体能力も人よりは高いのかもしれない。もっとも、先ほどの動きはちゃんと鍛えている人間の動きだったため、努力したのは間違いないのだろうが。
「さて、この扉の向こうか……」
豪奢な扉。ここまで獣人の奴隷を見なかったので、もっと奥――つまり、領主がいるであろうこの部屋の向こうに拉致されているに違いない。
決意を新たにして扉を見据えていると、リューさんが険しい顔でこちらを向いてきた。
「最初に言っておきますデス、トーコさん」
杖を握りしめているリューさんは……あの時の京助と同じ目をしていた。ヒルディと戦っていた時の、「命のやり取り」を覚悟した目だ。
「領主は……元、一流の魔法師でしたデス。職は『土術師』で、地面の中にいるほど強いと言われていますデス」
「だからこんな地下に部屋を……」
「でしょうデスね」
勝手に戦闘は出来ないと思っていたが、どうもそうではないらしい。京助が来るのを待つべきだろうか。
(……いや)
そうやって足踏みをしたことで、救える命を救えなくなってしまうかもしれない。どうせ京助は自分たちがピンチになった時には助けてくれるはずだ。
何より、これ以上我慢できそうにないほど――はらわたが煮えくり返っている。
だから、このまま突っ込む。
「行きましょう」
「ヨホホ、了解デス」
冬子は剣を抜くと、一気に振り下ろして扉を叩き切った。
ガン! とだいぶ大きな音が鳴り、それと同時に扉を蹴飛ばして領主の部屋に入る。
「フン、騒々しい客だな」
その中にいたのは……丸々と太った男が一人、そしてその周りには怯えた様子の美女が数人侍っている。
……こいつが領主か。
「お初お目にかかる。私の名前は……」
「名乗らんでもいい。女ということは、高く売れるということ。それだけ分かっていれば十分だ」
吐き捨てるように言う領主。だが、その眼は冬子とリューの身体を品定めでもするかのように見ている。
……いや、先ほどの発言からして実際に商品を品定めしているつもりなのだろう。
(……舐められているな)
しかしその程度のことでは冬子の精神は揺らがない。
すでに怒りが限界を突破して今にも爆発しそうな状態になっている冬子にとっては、その程度の挑発はそよ風に等しい。
「貴方に恨みは無かった。しかし先ほどの牢を見て気が変わった。死なない程度に痛めつけて、貴様を失墜させてやる!」
「ヨホホ、貴方には怨みしか無いデス。できれば殺してしまいたいところデスがそうもいきませんデス。ギルドに突き出すためにも大人しく捕まってくださいデス」
「ふっ……」
リューさんと冬子は自らの武器を構えるが、領主は鼻で嗤うだけで構えようともしない。余程自分の力に自信があるのか、それとも――
「では紹介しよう。彼はこの街最強の剣士、ロクマン君だ」
ガチャリとドアが開き、中から軽薄そうな男が出てくる。茶色の肩にかかりそうな髪に、無精ひげ。なるほど、確かに武の匂いがする。年齢は30歳手前だろうか。練り上げられた雰囲気は、軽薄そうな見た目とは裏腹に手ごわそうだ。
「最強の剣士か。大きく出たな」
「そうでもないよ? オレさ、割と強いんだ。よかったらこの後デートしない? まあ、生き残れたらの話だけどねー」
へらへらと笑うロクマンは、多少イラつくが……それも自らの強さに裏打ちされての軽口だろう。実際、その眼にも体捌きにも油断は感じられない。
……京助、早く来い。さすがに私の手には余りそうだ。スキルを全力で使えば戦えるだろうが、結局ステータスが高くても技量の差を覆すのは難しい。
心の中で覚悟を決めていると、さらにもう一人後ろから出てきた。
「そしてこちらが、この街最高の魔法師――ピーシーだ」
「やあ、久しぶりですネ。リュー」
「ヨホホ……何故、貴方がここにいらっしゃるのデスか」
「お金というのは得難いものですからネ」
ニヤニヤとした丸メガネをかけたローブを着た男。どうも、リューさんとは既知の間柄みたいだ。ペロリと舌なめずりする姿は、まるで好物を前にした子供のよう。
その目線はリューさんの方に向いており、ロクマンの目は冬子をロックオンしている。
「では、任せたぞ」
領主はそう言うと、ふうと息を吐いた。その雰囲気は格闘技とか見世物を見る観客と言った風だ。自分では戦わず、あの二人に冬子たちを任せるらしい。
「貴様! 自分では戦わないつもりか!」
冬子が激昂して『飛斬撃』を領主に向かって放つ。青色のエネルギーの斬撃がまっすぐ領主の首に飛んでいく――が、それをロクマンに防がれてしまう。
「いっつ~……こりゃ強いッスね。報酬はどれくらいいただけるんすか? 強いですよあれ」
ひょいと指さすロクマン。ヘラヘラしているがこともなげに『飛斬撃』を防がれてしまった。雰囲気通り、やるらしい。
「その女たちの売り上げの半分だ」
領主は女の腰を抱きながらテキトーに答える。その様子が眼中にないと言わんばかりでなんとも腹立たしく感じる。
「ひょー、それはいいですネ」
「なかなかいい値段になりそうだしな」
(この、下衆どもが……ッ!)
先ほどまでの怒りは収まりそうにない。むしろ、さらに燃え滾っているくらいだ。正直、領主だけじゃ物足りないくらいに。
(ならば私が貴様の相手になろう。この怒りのはけ口の1つとさせてもらうぞ!)
自らの口もとが笑みの形を作ったのが分かる。怒り過ぎると笑ってしまうのだろうか。もう既に勝ったつもりになっているのかロクマンとピーシーからはリラックスした空気すら感じる。
二人は領主を護るかのように前に出てくる。……この二人を斃さないと領主を斃すことは出来ない、と。
領主も強いと聞いているのに――。
「リューさん、私はあの剣士を」
少し息を吐いて覚悟を決めた冬子がロクマンの目を睨み返しながら言うと、リューさんも口もとだけで笑いながらピーシーの方を睨みつける。
「ヨホホ、ではピーシーの方はワタシが受け持つデス」
お互いの対戦相手が決まったところで、ロクマンがニヤリと笑った。
「お、姉ちゃん、胸は小さいけど度胸はでかいね」
「コロス」
こちらのとある一部を見ながら言うロクマン。よーし、殺そう。さらに怒りのボルテージが上がったのが自分でもわかる。
「リューとは一度やり合いたかったですからネ」
「そうデスね」
やる気満々なのか、お互い既に杖を構えている。
「ふ~……」
自分の相手を見据えて、集中する。
(ロクマン、貴様に恨みはない)
しかし、その領主を護ると言うならば敵だ。全力で叩き潰す。
「いざ、尋常に勝負を――!」
冬子は地面を蹴って駆けだした。
京助はすぐに追いついてくるだろうが、あの獣人の女性は正直言って強かった。おそらく……冬子と互角か、スキルを使わなければあっさりと負けてしまうかもしれないと思うほどに。そんな相手を無傷でとらえるとなると――いかな京助と言えど、そうやすやすと行えることではないだろう。
京助は本人も言う通り、あまり潜入には向いていない。しかし冬子ならば結界すら気づかれずにすり抜けることもできるし、京助の魔法が切れてからはリューさんが「カゲロウ」という姿を見づらくする魔法をかけてくれた。二人ならば最奥まで入ることも可能かもしれない。
何度か探知ようの結界を切り裂き、見張り――あまり強くない、おそらく非戦闘員――を無力化し、下へ下へと進んでいく。
「ここは何層だろうか……」
「ヨホホ……もう既にだいぶ降りてきていると思うんデスがねぇ」
そう言いながら進むと……
「行き止まり、か」
通路がそこで途切れていた。階段も無く、普通に壁がある。触って叩いてみても響く感じは無い。完全に行き止まりだ。
「ここまで来て道が違うのか……?」
くそっ、と悪態をついて壁を殴る。こんなことなら京助と別行動しないで一緒にくればよかった。
どうしたものかと腕を組んで考えていると、リューさんが先ほどの探知の魔法を使ってあの壁を調べていた。
「ヨホホ……いえ、どうもその向こうに空間はあるようデス」
「本当ですか?」
「ヨホホ、『視』てみたところ、その壁が魔法で作られたもののようデスね」
「魔法ということは……」
冬子は、息を短く吸い込み剣に手をかける。全身から力を抜いて精神を統一して、鋭く息を吐きだすと同時に抜刀――そして、スキルを起動する。『断魔斬』でバツ印に切断する。すると魔法が消えたのか、まるで壁なんて無かったかのように通路が現れた。
「お見事デスね」
「お粗末」
納刀してその通路を見据えると……そこには、いくつもの牢屋が並んでいた。
中には奴隷と思しき人たちが入っていて、そのどれもが女性かこどもだ。しかもケガをしている人もいる。
「……これは、酷い」
奥歯を噛みしめながら冬子は言う。今すぐにでも領主を殴り飛ばしてやりたい気持ちを抑えて、冬子は牢屋の前に立つ。
「リューさん、今ここで牢屋を壊したところで彼女たちは逃げられるでしょうか」
「……難しいでしょうデス。ここで動くと感づかれて下手したら奴隷たちを人質にとられかねないデス。だったら今はこれを無視して進むしか……」
リューさんがそう言いかけた瞬間だった、突然目の前の牢屋にいる女性が「侵入者です!」と叫びだしたのだ。
「えっ」
「侵入者だ!」
「侵入者です!」
「侵入者だ!」
「ま、待ってくれ! 静かにしてくれ! 私たちは君たちを助けに……っ!」
冬子が口々に叫ばれるその言葉を止めようと口を開いたら、最初に叫んだ女性が「それ以上は言ってはダメです!」と叫ぶと、涙を流しながら冬子に謝罪してきた。
困惑していると、女性は冬子の首に手を伸ばし――首に手が届きそうになったところで静止した。
「申し訳ありません……侵入者が入っていたら知らせろという命令を……うッ!」
女性は冬子の方へ伸ばしてきていた手をゆっくりと戻した。その動きは酷く緩慢でまるで何かに逆らっているかのようだ。
「命令に逆らったら、死んでしまうのです……どうか、どうかお許し……う、くっ……みな、ここから出たいです、ですが……逆らえば、このように……カハッ!」
今度は自らの首を抑えてもがきだす。その手はどうも首輪を広げようとしているようで……よく見ると、首輪がどんどん締まってきている。
命令に逆らうと首を絞める魔道具――なのかもしれない。王宮でそんなものを天川達につけさせるべきと言っている人たちがいたから知っている。
「もういい! 分かった、わかったから!」
話を続ける度に苦しそうに首を抑える女性。しかし、女性はフルフルと首を振って息も絶え絶えに話してくれた。
「いえ、もう、ダメなんです、私は……自分たちを助けようとしている者を殺せ、と命じられています。ですが、私にそんなことは出来ません。だから、ガハッ、ごっ……だか」
助けようとしているものを殺せ――つまり、先ほど冬子が「助けに来た」と言ったからこの人は苦しんでいるのか。
カッ、と頭に血が上り、冬子は後先を考えずに牢屋を剣で切断する。
「リューさん! この人の首輪を外すことは!?」
リューさんの方を振り向いた途端、目の前の女性が立ち上がって、こちらを襲う素振りをして……また、苦しむように首を抑えだした。
「がっ、が……カハッ。む、無理なん、です……。だから、だからどうか……ガハッ、他の皆には、あなた方が……グッ、助けに来たとは、言わないで……うっ」
「しっかりしろ!」
駆け寄り、首輪を外そうとするが……むしろ締まっていっているように見える。人が手を出すとダメなのかもしれない。
「トーコさん! 首輪を、首輪を切断するのデス! 首輪だけを切断するのデス! それしか助ける方法はありませんデス!」
切羽詰まった声を上げるリューさん。たしかに、それしかない。それしかないが……しかし、首輪はぴったりと首に張り付いている。一ミリでもズレたら終わりだ。
「大丈夫、です……ぐっ……」
どんどん首輪が絞まっていく。このままでは――
「くっ……あああああああああああああ!!!」
――目の前の人を死なせたくない。その一心だけで、冬子は剣を振り上げた。薄皮だけを斬るような芸当。
(父ならできるかもしれないが――いや、今はそんなことを言っている場合ではない! だが、だが、だが!)
このままでは、目の前の女性が死んでしまう。でも、自分が失敗したらこの人は死んでしまう。どの道、成功させるしか女性を生き残らせる方法は無い。
迷うことは無い。それでも、腕は動かない。振り上げた姿勢のまま数瞬止まってしまう。
その逡巡がダメだった。
女性がにっこりとほほ笑むと、冬子の剣に飛びつき、なんと自分の胸を突き刺した。
「なっ……」
あまりに突然の出来事で、冬子は動くことも出来なかった。
「ああ、これで苦しくなくなりました。……どうか、他の人たちは助けてくださいね。救世主様」
そう言って、自分に蔽いかぶさっている女性の身体が唐突に重くなる。
リューさんが脈を診るが……目を瞑って首を振るだけ。
辺りでは、他の奴隷たちが「侵入者だー!」とずっと叫んでいる。人が来るのも時間の問題だろう。
だが、そんなことはどうだっていい。
出会ってほんの数分の女性。そんな人が死んだって京助ならばすぐに切り替えられるのかもしれない。
だが、それでも最後の言葉が冬子の頭には残っていた。
(救世主様……)
自分が異世界人で、救世主として呼ばれたことを知ってるのだろうか。いや、そんなはずはない。そういう存在がいることは知っていたとしても顔は殆どの人が知らないはずだ。つまり、冬子のことを知っていてそう呼んだとは考えにくい。
でも、最後の希望を自分に託してそう呼んだのだ。
他の人たちは助けてくれるとそう信じて。ここでこれ以上時間を使っていたら冬子たちが危ない、そう悟って自殺してくれた目の前の人は。
出会って数分の自分に、希望を託したのだ。
「リューさん」
「……なんデスか?」
「この……気持ちを、どこにぶつけたらいいんでしょうか」
「キョースケさんなら、憂さ晴らしだと言うかもしれませんデスね」
「……確かに」
ギリッと、奥歯を噛みしめる。剣を握る腕に力が入る。
「彼女が何をしたのか、どんな人生を送ってきたのか、それは私には分からない」
でも、と冬子は思う。
「それでも、こんな牢屋に閉じ込められて一生を終えていい人だったなどとは思えない!」
冬子はまっすぐと前を見据える。
「行きましょう、リューさん」
「ヨホホ……そうデスね。ワタシも腹が立つなんて次元をとうに通りこしてますデス」
リューさんも、杖を握る手に力が入っている。そのままでは杖を折ってしまいそうだ。
「まっすぐ進んで突き当り、そこに魔力反応を感じますデス。獣人は今ここにはいないようなので、おそらく他の場所に幽閉されているのでしょうデス」
「承知した」
と、そこで目の前から気配が三つ。
「侵入者だと!」
「どこだ!」
どうも、警備の兵らしい。こんなところに侵入されるまで気づけないなんて無能でしかないだろう。
「そんな無能が、今の私の相手になると思うなよ」
目の前に現れた三人の兵士。豪奢な甲冑を着ており頑丈そうだ。もしかしたら、魔法効果でもかかっているのかもしれない。
三人とも冬子とリューの顔を見て……ぷっ、と笑いだした。
「なんだ、侵入者って女かよ」
「チッ、ビビッて損したな」
「いや、考えてみろよ。今ここでコイツラを犯してもボスにどやされないんだぜ? 殺しておきましたって言えばよ」
「お、そりゃいいぜ! お前頭いいな!」
ぎゃははは……と笑う兵士たち。
そのうちの一人の頭が燃えた。
「ぎゃあああああああ?!!?!?」
さらに、鎧に何発もの火球が連続して当たる。リューさんが秘かに詠唱していた魔法が炸裂したのだ。
全員の注目がその兵士に集まった瞬間に――
「うるさい」
――冬子は既に振りかぶっていた剣で兵士の鎧ごと腕を切断する。この世界の人間で、しかも戦闘職に就いている人間だ。腕の一本や二本斬り飛ばされたくらいで死にはしまい。
「が、があああああああ!?!? あ、アックスオークの赤銅硬化が付与された魔法鎧だぞ!? なぜ、何の変哲もない剣で斬られる!?」
「ほう。一応『断魔斬』を使って斬っておいてよかった」
冬子はそう言うと、片腕を斬り飛ばされた兵士を蹴飛ばし、気絶させる。残るは一人。
「な、な……ッ」
「さて、一応聞いておきます。抵抗する気はありますか?」
剣を突き付けて尋ねると、兵士はぶんぶんと首を振って剣を置いて手をあげた。
「一応、剣は燃やしておくデス」
リューさんが呪文を詠唱して、片手間のように剣の柄の部分だけ燃やしてしまう。
「さて、行きますか。ここに来たということは領主にも私たちがきたことはばれているのでしょうし」
「そうデスね」
二人でその兵士の横を通り領主のところに行こうとしたら――
「隙ありィっ!」
――後ろから短剣を抜いた兵士が飛びかかってきた。鎧を着ていないリューさんを狙っているようだ。リューさんはそれを半身になって躱し、手を掴んで合気のようにして兵士の身体を空中で一回転させる。
「どあぁぁ」
さらに空中で膝蹴りを顔面に叩き込み、後頭部から地面に叩きつけた。
「お見事ですね」
「ヨホホ、体術が出来ない魔法師は二流デスよ」
そういえばリューさんは獣人とのハーフだ。身体能力も人よりは高いのかもしれない。もっとも、先ほどの動きはちゃんと鍛えている人間の動きだったため、努力したのは間違いないのだろうが。
「さて、この扉の向こうか……」
豪奢な扉。ここまで獣人の奴隷を見なかったので、もっと奥――つまり、領主がいるであろうこの部屋の向こうに拉致されているに違いない。
決意を新たにして扉を見据えていると、リューさんが険しい顔でこちらを向いてきた。
「最初に言っておきますデス、トーコさん」
杖を握りしめているリューさんは……あの時の京助と同じ目をしていた。ヒルディと戦っていた時の、「命のやり取り」を覚悟した目だ。
「領主は……元、一流の魔法師でしたデス。職は『土術師』で、地面の中にいるほど強いと言われていますデス」
「だからこんな地下に部屋を……」
「でしょうデスね」
勝手に戦闘は出来ないと思っていたが、どうもそうではないらしい。京助が来るのを待つべきだろうか。
(……いや)
そうやって足踏みをしたことで、救える命を救えなくなってしまうかもしれない。どうせ京助は自分たちがピンチになった時には助けてくれるはずだ。
何より、これ以上我慢できそうにないほど――はらわたが煮えくり返っている。
だから、このまま突っ込む。
「行きましょう」
「ヨホホ、了解デス」
冬子は剣を抜くと、一気に振り下ろして扉を叩き切った。
ガン! とだいぶ大きな音が鳴り、それと同時に扉を蹴飛ばして領主の部屋に入る。
「フン、騒々しい客だな」
その中にいたのは……丸々と太った男が一人、そしてその周りには怯えた様子の美女が数人侍っている。
……こいつが領主か。
「お初お目にかかる。私の名前は……」
「名乗らんでもいい。女ということは、高く売れるということ。それだけ分かっていれば十分だ」
吐き捨てるように言う領主。だが、その眼は冬子とリューの身体を品定めでもするかのように見ている。
……いや、先ほどの発言からして実際に商品を品定めしているつもりなのだろう。
(……舐められているな)
しかしその程度のことでは冬子の精神は揺らがない。
すでに怒りが限界を突破して今にも爆発しそうな状態になっている冬子にとっては、その程度の挑発はそよ風に等しい。
「貴方に恨みは無かった。しかし先ほどの牢を見て気が変わった。死なない程度に痛めつけて、貴様を失墜させてやる!」
「ヨホホ、貴方には怨みしか無いデス。できれば殺してしまいたいところデスがそうもいきませんデス。ギルドに突き出すためにも大人しく捕まってくださいデス」
「ふっ……」
リューさんと冬子は自らの武器を構えるが、領主は鼻で嗤うだけで構えようともしない。余程自分の力に自信があるのか、それとも――
「では紹介しよう。彼はこの街最強の剣士、ロクマン君だ」
ガチャリとドアが開き、中から軽薄そうな男が出てくる。茶色の肩にかかりそうな髪に、無精ひげ。なるほど、確かに武の匂いがする。年齢は30歳手前だろうか。練り上げられた雰囲気は、軽薄そうな見た目とは裏腹に手ごわそうだ。
「最強の剣士か。大きく出たな」
「そうでもないよ? オレさ、割と強いんだ。よかったらこの後デートしない? まあ、生き残れたらの話だけどねー」
へらへらと笑うロクマンは、多少イラつくが……それも自らの強さに裏打ちされての軽口だろう。実際、その眼にも体捌きにも油断は感じられない。
……京助、早く来い。さすがに私の手には余りそうだ。スキルを全力で使えば戦えるだろうが、結局ステータスが高くても技量の差を覆すのは難しい。
心の中で覚悟を決めていると、さらにもう一人後ろから出てきた。
「そしてこちらが、この街最高の魔法師――ピーシーだ」
「やあ、久しぶりですネ。リュー」
「ヨホホ……何故、貴方がここにいらっしゃるのデスか」
「お金というのは得難いものですからネ」
ニヤニヤとした丸メガネをかけたローブを着た男。どうも、リューさんとは既知の間柄みたいだ。ペロリと舌なめずりする姿は、まるで好物を前にした子供のよう。
その目線はリューさんの方に向いており、ロクマンの目は冬子をロックオンしている。
「では、任せたぞ」
領主はそう言うと、ふうと息を吐いた。その雰囲気は格闘技とか見世物を見る観客と言った風だ。自分では戦わず、あの二人に冬子たちを任せるらしい。
「貴様! 自分では戦わないつもりか!」
冬子が激昂して『飛斬撃』を領主に向かって放つ。青色のエネルギーの斬撃がまっすぐ領主の首に飛んでいく――が、それをロクマンに防がれてしまう。
「いっつ~……こりゃ強いッスね。報酬はどれくらいいただけるんすか? 強いですよあれ」
ひょいと指さすロクマン。ヘラヘラしているがこともなげに『飛斬撃』を防がれてしまった。雰囲気通り、やるらしい。
「その女たちの売り上げの半分だ」
領主は女の腰を抱きながらテキトーに答える。その様子が眼中にないと言わんばかりでなんとも腹立たしく感じる。
「ひょー、それはいいですネ」
「なかなかいい値段になりそうだしな」
(この、下衆どもが……ッ!)
先ほどまでの怒りは収まりそうにない。むしろ、さらに燃え滾っているくらいだ。正直、領主だけじゃ物足りないくらいに。
(ならば私が貴様の相手になろう。この怒りのはけ口の1つとさせてもらうぞ!)
自らの口もとが笑みの形を作ったのが分かる。怒り過ぎると笑ってしまうのだろうか。もう既に勝ったつもりになっているのかロクマンとピーシーからはリラックスした空気すら感じる。
二人は領主を護るかのように前に出てくる。……この二人を斃さないと領主を斃すことは出来ない、と。
領主も強いと聞いているのに――。
「リューさん、私はあの剣士を」
少し息を吐いて覚悟を決めた冬子がロクマンの目を睨み返しながら言うと、リューさんも口もとだけで笑いながらピーシーの方を睨みつける。
「ヨホホ、ではピーシーの方はワタシが受け持つデス」
お互いの対戦相手が決まったところで、ロクマンがニヤリと笑った。
「お、姉ちゃん、胸は小さいけど度胸はでかいね」
「コロス」
こちらのとある一部を見ながら言うロクマン。よーし、殺そう。さらに怒りのボルテージが上がったのが自分でもわかる。
「リューとは一度やり合いたかったですからネ」
「そうデスね」
やる気満々なのか、お互い既に杖を構えている。
「ふ~……」
自分の相手を見据えて、集中する。
(ロクマン、貴様に恨みはない)
しかし、その領主を護ると言うならば敵だ。全力で叩き潰す。
「いざ、尋常に勝負を――!」
冬子は地面を蹴って駆けだした。
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