向坂SAKISAKA~心の闇を照らしたもの~

鈴懸嶺

SAKISAKA35~東郷~

 な、なんで東郷がここにいるんだ?

 東郷は、向坂と会っていたのではなかったのか?

 目の前の光景に、思考が全く追いつかない。

 しかし、俺は東郷の顔を見た瞬間……押さえていた興奮が一気に爆発してしまった。

「向坂は!……向坂はどこですか!?」

 俺は東郷に詰め寄りながら問いただした。

「ちょっ……ちょっと待ってくれ、一体何事だ?撮影中にいきなり尋ねてきて……非常識だろ!?」

 東郷は面食らった顔で、明らかに不信感を漂わせて、興奮のあまり近づき過ぎてしまっていた俺を両手で突き放すように押しのけた。

「君は……YUKINAの友達の……」

「え……あ、はい。櫻井です」

「櫻井くん……なんなんだ?いきなり訪ねて来て?……ちょっと失礼だろ!」

「さ、向坂はどこにいるんですか?一緒だったんでしょ?」

「おいおい、何を興奮しているんだ君は?……YUKINAは遅れてきたようだが今、撮影中だ。」

「え?……向坂が……いる?」

 なんで向坂がいるんだ?

 上條社長はさっき向坂がいないと……

 遅れて来た?無事だったと言うことなのか?

 ……

 俺は緊張の糸がプッツリ切れて……放心してしまった。

 東郷にきつく言い返されて……俺は少し冷静に頭を働かせることができるまでになった。

 一体俺は……さっきから何をやってるのだ?

 なんで俺は……一人興奮して……訳の分からない行動をしている?

 浮かれていたかと思ったら、今度は被害妄想で一人興奮して常軌を逸した行動をとっている……

 俺は……まだ”魔”に捉えられてしまっているのか?

 東郷が向坂へ何か危害を加えるなんて……俺の勝手な妄想でしかないだろう?

 冷静に考えれば、すぐに分ることだ。

 上條社長も、逆井も、MISAKIも……俺だけが一人慌ててパニクッている姿に面喰っていたではないか……

 そこまで思い至った俺は……自己嫌悪のあまり奥歯を強くかみしめながら悔しさに耐えた。

「東郷さん……も、申し訳ございませでした。……ちょっとどうかしてました」

 俺は深々と頭を下げて詫びた。

 東郷は、明らかに怒っていたが、真正面から頭を下げられたので怒りの剣を鞘に収めてくれた。

「いったいどうしたんだ?」

「いえ……ちょっと向坂のことが心配になって」

「心配?……なにか気になることでもあったのか?」

「……ええ、ちょっと姿が見えなくなって……」

 田尻から聞いた「警告」を話しても東郷に伝わるはずがない。だから俺はその説明は省いた。そもそも怪しいと疑っていた東郷本人にそのことを話せる訳がない。

「それだけか?……君はそんなことぐらいで、こんな大騒ぎをするのか?」

「…… …… ……」

 返す言葉もない……

 まさに大人に怒られる子供のように惨めになった。

「そんなことで、YUKINAの彼氏が務まるのか?YUKINAを守れるのか?」

 俺は東郷のその言葉を聞いてドキリとした。

 ……そうか、東郷は俺と向坂のことを既に社長から聞いていたか。

「君も分かってるだろうが、俺はYUKINAには好意を寄せていた。しかし、YUKINAが君を頼りにしていると聞いて……確かに君に出会った頃からYUKINAが変わってきたのを一番間近で感じていたのは俺だ。だから俺は諦めたんだ。なのにそんな体たらくを見せられると不安でならないよ……大丈夫なのか?君は?」

 東郷は、一気にまくし立てた。また話をしている内に怒りがこみ上げてきたのか口調も荒々しく、声も周りに聞こえるくらい大きなものになっていた。

 俺は自分の幼稚さに腹がった。全く東郷の言うとおりだ。

 俺は意気消沈していると、東郷は流石に言いすぎたと思ったのは少し声のトーンを抑えて続けた。

「彼女は遅れて撮影室に来て……俺の顔を見るなり頭を下げて言いに来たよ。いままで申し訳なかったって。それから君と付き合うことになったと。俺には言いづらいだろうに……彼女は立派だよ」

 なんだ……向坂……自分から……無茶しやがって……いや、これが向坂の強さか。やっぱアイツは肝心な場面で強さを見せる……敵わないな。

 ん?……撮影室で?

 ではさっき逆井が見かけたのは……

 少しだけひっかかる”何か”を感じたが……すぐにその違和感を意識の外に逃げていった。



「俺だって、胸糞悪かったよ。散々恋人役をやって。いつも俺の隣にいたYUKINAが別の男の横に立っている姿なんて想像したくもなかったさ……でもな」

 東郷はここで言葉を途切って……寂しそうな表情で続けた。

「YUKINAが君のことを話す時に見せる嬉しそうな顔を見たら……諦めがついたんだよ。ああ、俺にはついにこの顔を見せてくれなかったなあと」

「…… …… ……」

 俺は言葉も見つからず……ただ自分が情けなくて……悔し涙を堪えることしかできなかった。

「まあ、不安なのはわかるよ。言っては悪いが……君のような普通の大学生が、モデル界でも一目置かれるYUKINAと付き合うわけだ……でも、だからこそ、もっとしっかりしてもらわないとYUKINAが気の毒だ」

 東郷は俺を容赦なく非難し続けたが……全くもって東郷の言う通りだ。

 むしろこんな恋敵である俺を真剣に叱りつけてくれる東郷という男は、ルックスがいいだけのモデルではなく人間としても出来た男なのだ。

 今まで持ち続けた歪んだ東郷へのイメージは、俺の……自分に都合がいい悪役に仕立てるためだけの妄想だったことを思い知らされた。

 俺なんか足元にも及ばない。

 東郷が本気になれば……俺なんか吹けば飛ぶような存在なのかもしれない。

 東郷が向坂に危害を加えるかもしれないなどという子供じみた妄想をしていた自分が心底嫌になった。

 田尻の洞察力は、超人的だが……それでも間違いが起こることもあるのだろう。

「YUKINAには君が来たことを伝えておく。撮影はすぐ終わるから1Fで待っているといい」

「ありがとうございます……ご迷惑おかけしました」

 俺は再度頭を深々と下げて、かろうじてそう答えると東郷は、挨拶がわりに軽く手を上げてC撮影室へ戻っていった。

 重い足取りを引きずりながらフラフラとエレベータの前まで来たが……三階だからエレベータを使うまでもないと思い階段に向かった。

 この階段は、廊下の端にあって少し薄暗くあまり利用する人はいない。

 そう言えば、この階段は、はじめてKスタジオに来た時、上條社長とコソコソと降りたのだった。あの時は、あまりに薄暗くて気味が悪いので殺人事件現場で霊でも出そうだなんて下らない妄想をしていた。

 そう、俺はもともと妄想壁があるのだ。

 特に深層心理学を勉強している人間は、俺のように妄想壁が強く、現実世界に悪影響を来してしまうことが多くある。

 ああ……またやっちまった。

 まだまだ俺は、足りないものが多すぎる……

 一人落ち込みながら階段を下り始めた……

 ふと……背後に人の気配を感じて思わず振り向いてしまった。

 ……っておい、霊が出るなんて妄想をまだしてるのか?などと自嘲していると、急にスマホの着信があった。

 ……向坂だった。

 俺が撮影室を訪ねてきたことを東郷に聞いて、早速かけてきたのあろう。

「義人?……どうしたの?」

「ああ……ちょっとな」

「え?なんで?……急用?」

「いや……ちょっと気になったことがあって」

「気になること?」

 そうか……向坂なら東郷と違って田尻の話ができる……いや今からでも念のため伝えるべきだ。

「田尻が気をつけろって言ってたから」

「え?どういうこと?」

「詳しいことはあとで話すけど……向坂に近しい男に警戒しろって言われてのを忘れてた……」

「ああ……それで東郷さんを疑ったのね?」

「ああ面目ない……東郷さんには悪いことをした」

「でも東郷さんは、まさかそんな疑われ方をしたとは思ってないから、そこはいいんじゃないの?」

「まあ……そうだけど……東郷さんにこっぴどく叱られた」

「あははは……東郷さんも気にしてたよ?嫉妬のあまり言いすぎたって……フフフ」

「俺が十分反省したたって言っておいてくれ……」

「フフ……それは自分で言ったら?そんな事言ったら、また東郷さんに叱られるよ……”それぐらい自分で言いに来い!”って」

「おい……お前もえぐるな?……東郷さんに叱られる姿をリアルに想像しちゃって笑えないよ……ホント情け無い彼氏で申し訳ない……東郷さんとの格の違いを痛感させられてしばらく浮上できないよ……」

「いいの……それでも私は義人の方が好きなんだから」

「……お、おまえやっぱ魔性の女だわ……マジ惚れそうになった」

「え~まだ惚れてなかったの?……そんなこと言うと素で怒るよ~?」

「すいません……とっくに惚れてました」

「よろしい」

 きっと向坂は俺が凹んでいるのを機敏に察知して、ことさら明るく話してくれているのだろう……ほんとに優しくて素敵な女性なのだ……向坂は。

 情け無いが、向坂のお陰ですっかり気分も上向いてきた。


「……それはそうと義人……気になるというなら……もしかすると……彼かもしれない」

「え?……誰?」

 なんだ?

 ま、まただ……

 また擡げてきた……

 嫌な予感が……

「うん……さっきちょっと呼ばれて……」

「も、もしかして撮影室に向かう途中?」

「そう……呼び止められて、ちょっと口論になって撮影に遅れちゃった……」

「だ、誰なんだ……それ?」

「義人がここで最初に会った……」

 な、なんだと!?……東郷はミスリード!?

「とういうことは……あの……」

 そう言いかけたとき、背中をドンと押された。

 振り返るとそこには……俺がここで最初に会ったモブ野本が立っていた。

「義人?……どうしたの?……義人?」

 向坂の声がスマホから聞こえるが……

 俺はいまそれに応答することができなくなった。

 それは……



 野本に手に……

 ナイフが握られていたからだ。

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