バレリーナは「食事をしない(?)」

のんにゃん

バレリーナは「食事をしない(?)」

高岡なみは、東京でバレエ教師をしている32歳の女性だった。

美味しいものを食べるのが大好きな彼女。
バレエをやっている以外は、同世代の女性と何ら変わることのない生活を送っていた。

1日に何本もレッスンを担当する日もあるため、世の人がバレリーナに対して抱きがちな厳しい食事制限を伴うダイエットをしたことは、1度もなかった。

彼女にとって、充実の毎日だった。

*

しかし、世間のなみを見る目は違っていた。


なみも人間だから、体調を崩すことも当然あった。
また時には、過労やストレスから落ち込むこともあった。

「人間なのだから、誰にだって時にはそういうことはある」

通常は、誰もがそんな風に考えそうなこと。


しかしそんなとき、なみに対して周りから向けられる言葉は、こうだった。

「食べていないから、栄養失調で体調を崩すのよ!」
「いつも過激なダイエットをしていて脳に栄養が届いていないから、そんな風に精神不安定になって落ち込むんですよ!」

食事制限など生まれてから1度もしたことのないなみにとっては、実に理不尽な「偏見」「決めつけ」だった。

理不尽というより
「意味不明」
と言った方が正確かもしれない。

しかし、彼女が
「私はおいしいものが大好きで、ダイエットなどしたことがない!」
といくら言っても、誤解が解けることはなかった。

「拒食症の人って、必ず
『私はちゃんと食べている!』
って言うのよ」
「あなたは典型的な摂食障害よ!」

と、さらに決めつけられるだけだった。


「バレエをやっている女性=食べない」

今でもそんなことを信じている人間が多いことが、なみには衝撃的だった。

*

なみはバレエ団に所属はしていなかったが、都内のバレエ団の「契約アーティスト」という形で、時々舞台に出演することがあった。

バレエ団員のレベルはかなり高く、長年本格的なレッスンを積んできたなみでさえ、レッスンやリハーサルに参加するときはいつも全力で取り組まないと、周りに圧倒されてしまう。

しかしそんなバレエ団の団員たちの中にさえ、「バレリーナ」と聞いて一般人が想像するような過激なダイエットをしている者は、ほとんどいなかった。

中にはもともと細い体型のダンサーもいたが、公演で毎回主役を張っているプリマ・バレリーナ格の女性ダンサーたちの中にさえ、食事をとらず病的なほどやせ細った女性は1人もいなかった。

そしてみんな共通して、食事はしっかりとっていた。
毎日レッスンとリハーサルをこなし、1日に何公演も踊ることもある彼女たちには、身体を維持するためのエネルギーが必要不可欠なのだ。


既に
「病的なくらいガリガリにやせ細っただけのバレリーナ」
は、バレエ界では評価されない時代になっていた。

「細い身体」ではなく
「美しい身体」が求められる時代になっているのだ。

*

そんなことは全く知らず
「バレリーナは食事を極限まで減らすのが常識」
と信じているのは、なみの知人である大石智咲(ちさき)も同じだった。

彼女は同じ大学に通っていた頃から、毎日の「授業・バレエのレッスン・バイト」というハードスケジュールのため過労で体調を崩しやすかったなみに向かって、よくこう言っていた。

「食べないからよ!」

なみと智咲はよく学食で一緒に食事をすることがあり、その時のなみはいつも明らかに智咲よりよく食べていた。
にもかかわらず、なみが一般人より引き締まって痩せているように見えることから、智咲はいつもそのように決めつけていた。

そこには、ダイエットがなかなかうまくいかない智咲の、なみに対する
「やっかみ」
も、多分に含まれていたのかもしれない。


なみは面倒なので、いつしか智咲に食事の話はおろか、体調の話なども一切しなくなっていた。

*

そんなある日、なみは久しぶりに智咲に会うことになった。

待ち合わせの場所に現れた智咲の「異変」に、なみはすぐに気が付いた。

「智咲、痩せたんじゃない?ダイエットをしてるの?」

「ううん」

智咲は否定した。

それでも、なみは心配だった。

「でも智咲、正直、別人みたいに痩せたよね?どこか体調でも悪いの?」

「悪くないよ。ただ、最近ちょっと忙しくて…」


確かに、智咲は嘘はついていなかった。
彼女は本当にダイエットはしていなかったし、病気を患っていたわけでもなかった。

しかし、明らかにこの時の智咲は、なみよりずっと痩せていた。


実はこの数ヵ月前、智咲は日本全国に出店している某カフェチェーンへ転職したばかりだった。

働いているのは大学生のアルバイトがほとんどだったため、大学の試験期間になると、彼らが休む分のシフトの穴を、新人の智咲が埋めなくてはならないのだ。

休日出勤は当たり前。
たまの休みにくつろいでいても、
「今から出勤してください」
という店長からのLINEが来ることもしばしばだった。

実質、今の智咲に休日は皆無だった。

しかも大学生たちは、彼らから見れば「年増」の智咲を疎んじ、なにかと嫌な仕事や大変な仕事を彼女に押し付けては、自分たちは仕事の後の飲み会のことや休日に学生バイトだけで遊びに行く相談など、仕事と関係ない雑談ばかりしていた。

そのことを智咲が店長に相談しても
「あなたは新人ですよね!?
仕事を教えてもらう立場なわけですから、わきまえてください!
学生アルバイトはみんな『先輩』なんですよ!」
と叱責されるだけ。


智咲は、ただ「組織」に従う他なかった。

智咲が急激に痩せ始めたのは、その頃からだったという。

「いくら食べても、体重が減っていくんだよね…。
ついに、人生最低体重と、最低体脂肪率を更新しちゃった…」

あんなに痩せたがっていた智咲だったが、少しも嬉しそうではない。

「毎日カフェのフロアとバックヤードを走り回るような仕事は私の役目。
やることはいくらでもある。
だから体力をつけるために、食事は以前よりもたくさん食べるようにはしているんだけど、どんどん体重が落ちていくの…」

智咲はここまで話し終わる間に、注文してあった大盛りのパスタをもう完食してしまっている。

「痩せるのと同時に、体力が落ちたみたいで疲れやすくなったし、風邪もひきやすくなっちゃって…。
生理も来たり来なかったり不規則になって、産婦人科へも通院しているの」


「智咲、それって…」

なみには、今の智咲の状況に既視感があった。

「…大学時代の私の状況と、似てるよね」

「でもなみは、バレエをやるために太っちゃいけなかったから、食事を制限していて、それで体調を崩しやすかったんでしょ?
今の私とはぜーんぜん違うわよ!」

「違わないよ…」

まだ「バレリーナは食べない」と決めつけたがっている智咲に、なみは内心、少々あきれていた。

「智咲、大学の頃も私と一緒によく食事してたよね?
あの時の私、別に普通に食べてたでしょ?
どんなにたくさん食べても、毎日やることいっぱいで忙しくて、休みは1日もなかったから、それ以上痩せないようにするので精一杯だったんだよ。
…今の智咲と同じだよ…」

「…」

さんざんなみに対し
「バレエをやっているから」
という「決めつけ」をしてきた智咲には、もう返せる言葉がなかった。

外ならぬ自分自身が
「いくら食べても、忙しすぎて痩せていく」
という状況を体験してしまったのだから。

*

その後智咲はカフェチェーン店を退職したと、なみは風の噂で聞いた。
退職の理由までは、わからない。

なみが智咲に会うことは、その後なかった。

コメント

  • ノベルバユーザー603848

    主人公に自分が重なり過ぎるので読んだのがきっかけでした。
    バレリーナの気持ちになれる作品です。

    0
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