深窓の悪役令嬢

白金ひよこ

仮病の功名

「お嬢様、本日の体調はいかがですか?」
「ご飯は食べられそうだから、持ってきて頂戴」
「かしこまりました」
「因みに今日のご飯は何かしら?」
「本日の朝食は苺ゼリー、昼食はキノコのリゾットと卵のスープ、夕食は根菜クリームソースでございます」
「……確か、昨日は朝にトマトのポリッジ、昼はフレンチトースト、夜はパスティーナだったかしら」
「さようでございます」
「……」

 お肉、食べたい……。

 仮病生活を初めて早二週間。私は早くも仮病の大変さに直面している。それは何もすることのない部屋で一日を過ごすことでも、健康なのに毎日病弱な演技をすることでもない。
 そう。それは食事である。

 私がまだ前世の記憶を取り戻す前。記憶が確かならシンディは毎日好きな料理を食べて、一日に二回はお菓子を食べ、午後三時には高価な紅茶を飲んでいた。
 それが今やモデルを目指すのかと言うほどのヘルシー食と、お年寄りを気遣っているのかと言われるような柔らかくて胃に優しい食べやすい料理ばかり。
 当然お肉など出るはずもなく、紅茶は白湯に代わった。お菓子だってたまに干し果物を齧る程度だ。私が本当の五歳児なら泣いている。

「こんな生活を望んだわけではないのに……」

 勿論それでも命には代えられないし、これは自分で選んだ道だ。その上、この先に待っているであろう面倒な社交は免除されると考えれば、このくらいは我慢しなくては。
 しかしそう頭で納得してはいても、お腹は鳴るのである。

 そう、例え部屋に一日中引きこもっているとは言え、まだまだ好きになんでも食べたいお年頃。5歳なんて食べたいものを我慢する年じゃないもの。ましてやシンディ痩せてるし。ちびだし。
 階段の上り下りを理由にご飯が自室に運ばれてくることがせめてもの救いか。なんせ両親や兄弟たちは普通の料理を食べているのだ。お粥を啜る自分の目の前でステーキなど食べられてしまっては、自我を抑えられる自信がない。

「っていうか、極端なんだよね。別に歯が全部なくなったわけでも、血糖値が高くなったわけでもないのに……」

 勿論、仮病を使ってすぐに私が言った「食欲がありません」を気遣ってくれているのは分かる。その為少しでも食べられるように配慮してくれたことは分かるし、もし私が本当に病弱ならその心遣いには心から感謝したい。だが、全く肉類を食べないと言うのはいかがなものなのか。
 中世ヨーロッパくらいの技術と知識しかないこの世界では仕方ないのかもしれないが、このままではシンディが本当に病弱になってしまう。ていうか普通に病気になって死んじゃうんじゃないの。免疫って知ってる? いや、一日引きこもって太陽の光にも当たろうとしない私が言えたことじゃないけど。

「はぁ。仮病も楽じゃないなぁ……」

 3日に一度呼吸困難になるのも大変だしね。
 でも突然の発作は病弱っぽいし、前世では小児喘息だったからどんな感じかも分かるからとりあえず定期的にやっている。そんなんだから病弱な演技だけがどんどん上達していく。コツ? それは突然息が上がったように短い呼吸を繰り返すことだよ。時々胸を押さえて息を止めるとかね。呼気と吸気の比率を変えるのも効果的だ。長く吸って短く吐く。数回で簡単に死にかけるよ。
 人間の体とは実は単純なもので、息を止めれば血圧は上がるし、脈も速くなる。実際に走った時のような呼吸をすれば本当に息が上がったようになる。まぁやり過ぎると本当に苦しくなるから引き際が大事だが。

 だけどその度に毎回偉いお医者様が呼ばれるのは少し心苦しい。お医者様からすればなんで倒れるのか分からないから余計だよね。多分お父様から原因を調べろって言われてるはずだし。娘を溺愛している父のことだ。きっと多額の金を積んでいることだろう。それを考えると本当に胸が痛くなる……。
 しかし当然、仮病であるシンディの病因など分かるはずもない。というか、分かったら困る。
 侯爵令嬢であるシンディに向かって「こいつは仮病ですな」なんて言えるはずもないけど、もしもいきなり知らない病名とか言われたらどうしよう? その時は……。……うん。黙って受け入れるしか手段がないな。今更「違います仮病です! この医者嘘つきですわ!」とは告発出来ない。嘘つきの医者の前に嘘つきの令嬢が先に罪を問われることになるだろう。
 今の私に出来ることは、主治医が堅実であることに賭けることだけだ。どうか、名誉を守るために適当な病名をつけて変な薬とか飲まして来たりしませんように……。

「まぁ今のところは、発作が起きないように安定剤みたいなのを処方されているだけだけどさ」

 というのも、実は初めて仮病を使った日に医者から得体の知れない苦い液体を飲まされたので、それが何かを調べるべく父から医術の本を買って貰ったのだ。
 気がつけばやることもないので毎日読みふけってしまい、おかげで必要のない医術の知識ばかりが増えている。いや、あって困る知識でもないが……。

 最初こそ変な物を飲まされていないかと正直ドキドキしていたが、どうやらどんな病であるか分からなかった為、取りあえず一番危険だと踏んだ呼吸困難を起こさないようにしようとしたらしい。

 しかしそれは昔ながらの手法で薬草を煎じているだけのためとても苦く、粉薬くらいだろうと高を括っていた私は舌に乗せた瞬間むせた。それはもう盛大に。あの瞬間は誰が見ても病人だったと思う。というより、本当に病気になるかと思った。それくらい苦かった。

 あんまりにも苦かったので、何かに包んでほしいと言ったら医者に凄い顔をされたっけ。あれなんだったんだろ……なんであんな、そんなこと考えもしなかったみたいな顔をされたんだか。そりゃまぁこの時代にオブラートなんてものはないけどさ。その考えくらいは誰かが言ってそうなものだけど……。
 因みにこの時は料理に使う、前世で言うシュウマイの皮みたいなのに包んで飲んだ。あの時も医者凄い顔してたな……。その発想はなかったって顔してた。

 だけど当然、そんな用途で作られたわけではない皮は普通に厚く、薬を飲むだけで軽くお腹が膨れた。小さいから薬も全部は包めず3回に分けたから余計だ。その日はただでさえ少ない食事を残して両親に凄い心配された。違うんです、皮が思ってたより厚くてお腹に溜まっただけなんです……。
 しかし三日に一度の診察でその度そんなことをするわけにもいかなかったため、私はその後に家の料理人に言って試行錯誤の末、最終的に無発酵の薄っぺらいパンみたいなのを作らせ、今ではそれを水に浸して柔らかくしてから薬を包んでいる。それを見た時も医者凄い顔してたな……。革命起きたみたいな顔してた。

「いやまぁ、確かに5歳児が言い出すにはちょっと、変だったかもしれないけどさ」

 でも、苦い薬飲みたくない! って子供は全世界共通だと思うからまぁ大丈夫でしょ。別に糖衣加工で甘くしろってんじゃないんだし。流石にそれを言い出したら怪し過ぎるもんね……それを考えたらオブラートくらい可愛いもんでしょ。

「ん~でもそれを考えると、食欲ないけど食べたいものがあるっていうのも、別に不自然じゃないかな……?」

 いっそ鶏肉なら食べられそうですわって言うとか。……いっそ肉じゃないと食べられないそうにありませんわって言う? 元々は我が儘お嬢様なんだから通りそうな気もする。いや、でもそれは流石に不自然か……。
 今はまだ仮病を使って数週間。慎重にいかないといけない時期だ。なんせ仮病が悟られたら全てが終わりなのだ。やらなきゃいけないことをサボるわけでもないのに五歳児がわざわざ自ら病弱になる理由なんて"普通は"ないから、そんな発想には辿り着かないとは思うけど……念には念を入れないと。

「はぁ。暫くはこのまま我慢か……」

 ううっステーキが恋しい。ハンバーグ、唐揚げ、焼き鳥、照り焼きチキン……。
 嗚呼どうか。誰かが機転を利かせて優しいお肉料理でも持ってきてくれますように。あわよくば、可哀想だからって甘いお菓子とか提供してくれてもいいんですよ……。

 なんて、そんな呑気なことを考えていたのが三か月前。 
 一向に肉を持って来る気配のない食事に耐え兼ね、とうとう私は色んな本を読んで思いついたからと言って料理人に直接作ってほしいものをレシピごと提供した。本当はハンバーグとか食べたかったけど、涙を飲んでヘルシーだけどお肉を使った料理にした。……久しぶりに食べたバンバンジーは涙が出るほど美味しく、自作のたれを前世で作った記憶があって良かったと心の底から思った。
 ……それらのレシピがトワール侯爵家内で評判になり、使用人の賄に留まらず、最終的に家族たちの食事にも出るようになるのは予想外だったが。

 そしてもう一つ予想外だったのが、あの医者だ。
 いつもと違う神妙な顔で、診察日でもないのに私に面会を申し込んできたものだから、正直仮病がばれたのかと思って覚悟を決めた。最悪買収するつもりだった。
 ……実際には私が試行錯誤の上で完成させた自作オブラートについての話だったのだが。

「シンディお嬢様、これは画期的なアイデアです! 是非医術学会にて発表させていただきたく!」
「わ、私は苦い薬を飲まずに済むのならなんでも……」
「ありがとうございます! 学会にて認められ、この方法が国中に広まった暁には、この飲薬法はトワール家の功績とさせていただきますので! ……あっ因みに、お嬢様がお命じになってお作りになられたこちらの皮にお名前などはございますか?」
「え? ……オブラットですわ」

 いやぁまさか、これが数年後、トワール侯爵家の財産を更に潤すことになるとは、夢にも思わなかったよね。

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