恋をしたから終わりにしよう

夏目流羽

8:初めての朝


翌朝ーーー

微かな眩しさを感じ、俺は目を覚ました。
もうすっかり太陽は上りきっているようで、カーテンを閉め忘れた窓から燦々と光が射し込んでいる
寝起きでぼんやりする頭のまま、真っ先に思ったのは……

「湊人……っ!」

慌てて確認ーーーするまでもなく、湊人は俺の腕の中にいた。
朝日に照らされた白い肌、穏やかな寝息、俺の方に顔を向けてすやすやと眠っている湊人

一緒に朝を迎えたのは初めてだ

昨日は、絶対に帰したくなくて、離れたくなくて……ずっと抱き締めていた。
自分の中のルールを曲げて、何も言わず応えてくれた湊人
今、俺の腕の中にいるーーー湊人

なんか、こんな目覚めって今までなかった
言いようが無いほどの充実感というか、安心感というか……よくわからないけれど、ギューって胸が締め付けられるのに苦痛じゃないみたいな
でもじっとしていられなくて、湊人を引き寄せ強く強く抱き締めた。

「んっ……」
「あ……ごめん。起こした?」

慌てて腕の力を抜いて見下ろすと、湊人が眉を寄せゆっくり瞼を開いた。
眩しさに目を細め、しばらくぼんやりしてから顔を上げる
なんか……可愛いんだけど!
ぽわっとしたまま、まじまじと俺の顔を見つめる湊人
そのまましばらく見つめ合っていたら、ようやく覚醒したのか不意に湊人が微笑んだ。

「悠……おはよう」

湊人の口から初めて聞いた言葉
それはまるで魔法みたいに、俺を笑顔にさせる

「……おはよ」
「今何時?」
「え?えーっと……11時過ぎ」
「えっ!もうそんな時間!?」

慌てて起きようとした湊人
でも俺の腕が邪魔でうまく動けないみたい

「悠!ちょっと腕どけて!」

もがく湊人をさらに力を込めて押さえつける
時間なんてどうでもいいじゃん
もう少し、このままでいたい……

「離せ!」
「イヤ」

俺は湊人を抱き枕みたいに抱え込んで、完全に捕まえた。

「おい!悠!」
「もうちょっとだけ……」
「寝ぼけてるのか?」

寝ぼけてなんかない
ただ、素直になっただけ
本当はーーーいつもこうしたかったんだ

湊人が帰ったあとの薄暗い部屋は冷たくて、寂しくて、大嫌いだった。
でもいつも、一言が言えなくて
この手が動かなくて……

「もうちょっと、このまま」
「こどもみたいだな……」

腕の中で呟いた湊人がもぞもぞと動いてから、俺の背中に腕を回してギュッと抱きついてきた。
同じ男で、体格もたいして変わらないのに
どうしてこんなにーーー綺麗なのかな
なんか白いし、肌も髪の毛もやけに柔らかいし
触れ合う素肌の感触があまりにも心地良くて、もっともっと触れ合っていたくなる
パズルのピースみたいにピッタリとフィットするような感覚は、セックスの時だけじゃないんだな
ただこうして抱き締め合っているだけでも、こんなに気持ちいいなんて

「ずっとこうしていたい……」

グーーーーー
俺の声を遮ったデカい音
黙る俺の腕の中で、湊人が遠慮なく吹き出した。

「悠、朝ごはん食べよう?」

楽しげに笑いながら起き上がろうとする湊人を本当に離したくなかったんだけれど、鳴ったのは俺の腹だしどうしようもない

「……ん」

しぶしぶ腕をどけると、湊人は起き上がってポンポンと俺の腹を叩いてからベッドを降りた。
昨日脱ぎ散らかした服を簡単に身に付けると

「ちょっと待ってな」

ふわっと笑みを残しキッチンへ向かうその後ろ姿から目が離せない
俺もゆっくりベッドから抜け出して服を着ていると、良い匂いがしてきた。
誘われるようにキッチンへ行けば

「あ、悠それ持っていって」

湊人がフライパンを片手に指した先には、程良く焼けたトースト

「悠、目玉焼き?スクランブルエッグ?」
「スクランブル!」
「はいはい」

なんか……同棲っつーか、新婚みたい
無意識に緩む唇を慌てて引き締めながらトーストを運ぶと、今度は卵の焼けるいい匂いとコーヒーの香りが漂ってきた。

「おまたせー」

微笑みながら歩いてくる湊人の手には、綺麗な色のスクランブルエッグと野菜とハムが盛られた皿
続いてすぐにコーヒー
俺のマグカップには明らかにミルクがたっぷり入っているのがわかるーーーそういえば前に一度だけコーヒーが苦手だという話をした気がするけれど……よく覚えてるな
なんだか嬉しくなっていい気分のまま手を合わせた。

「いただきます!」

窓から差し込む眩しいほどの光を浴び、たわいもない話をしながら2人で食べる朝食
シンプルな朝飯が、いつも憂鬱な朝が
今日はこんなにも特別ーーー

「やっぱうまいね、湊人の料理!」
「これは料理ってほどじゃないよ。でも、ありがとう」

嬉しそうに笑う湊人に思わず目を奪われていたら、ん?と不思議そうに首を傾げられて慌てて目を逸らした。

「なんだよー」
「なんでもない!」

湊人から顔を背けるようにテレビをつけて画面を見つめる
ーーーやばい、なんか顔が熱いんだけど
クスクス笑う湊人を無視して画面を見続けていると、天気予報が始まった。
へぇ、今日も天気いいんだ……

「湊人」
「ん?」
「今日、どうする?」
「どうするって……?」

笑い声のかわりに小さな湊人の声
俺は振り向かずに続けた。

「天気いいみたいだし、どっか行く?またベタにさ」

たとえば遊園地とか、動物園とか
普通ならありえないところでもーーー湊人となら、楽しいかもしれない
はしゃぐ姿を想像して思わず吹き出しそうになった時、後ろから小さなため息が聞こえた。
一瞬の沈黙のあと

「行けない」

部屋に響いた一言に、正直びっくりした。
断られるとは思ってなかったし、なんか……ショックかも
でも考えたら今日平日だし、湊人仕事だよな

「あ……会社?じゃあ明日は……」

振り向いて続けると、湊人が微笑みながら首を横に振る

「って明日も会社か。じゃあさ、土曜とかーーー」

また首を振る湊人
っつーか俺、ありえないくらい必死で……おかしいよな
でもなんとか、頷いてほしくて。

「じゃあ、じゃあさ、いつ行ける?また日曜?」

湊人が下を向いて微笑んだまま口を開いた。

「何曜日でも行けないーーー悠」

顔を上げてまっすぐ見つめてくる湊人
その強い瞳の前で固まってしまった俺に、湊人ははっきりと言った。


「今日で、終わりにしよう」


…………は?
意味がわからないんだけど。
っつーか、突然すぎない?
さっきまであんなにーーー楽しかったのに。

「なに、突然……」

軽く笑って流そうとしたけれど、無理だった。
目を逸らした俺を見つめて湊人が言葉を紡ぐ

「ずっと考えてたんだ。本当は昨日言うつもりだったし……せめて悠が寝てる間にさよならしようとも思ったんだけど」

悠、離してくれなかったし……なんて言いながら笑う

「冗談?」
「本気だよ」
「うそ」
「ほんと」
「俺……なんかした?」

自分でも笑えるくらいに、弱々しい声で聞いた。
だってわかんないよ
なんでなんでなんで?

眉を寄せ見やると、湊人はゆっくり首を横に振った。それからまっすぐに俺を見つめてーーー


「恋をしたんだ」


ーーー頭が真っ白になった。

テレビの音とか、コーヒーの匂いとか、スクランブルエッグの味とか、湊人の存在とか
何も見えなくて
何も感じなくて
何もわからない

ーーーコイヲシタンダーーー

こんなことは初めてで、どう反応すればいいかわからない
多分、結構長い間固まっていたんだろう
視界に映る湊人が少し眉を寄せてから、小さく呟いた。

「悠、今までありがとう」

その一言が、俺を解凍した。
でもまだ頭が回らなくて、多分どうしようもないくらいに混乱していて……何度か唇を動かしてから、やっと言葉を絞り出す

「この前の男……?」

浮かんでくるあの日の情景
でも、男の方は朧気にしか思い出せない
だって俺、湊人しか見えてなかったんだ
なんて今気付いたってどうしようもないのに。

「この前……見てたのか?」

少し驚いた表情の湊人が眉を寄せて申し訳なさそうに続ける

「あの時の電話、出なくてごめん……」

ーーーそんなこと、もうどうだっていいんだよ

「あいつなの?」

湊人の言葉を無視して言うと、湊人はなんとも言えない顔で笑った。
そのまま小さく首を振って

「違うよ」

予想外ーーー意味がわかんない
あいつ以外にも男がいたの?

「じゃあ……誰?」
「内緒」
「どんなやつ?」
「それも内緒」

少し悪戯に微笑む湊人はいつも通りで
……俺だけが、この現状に動揺してる

「教えてよ」
「知る必要ないよ」
「俺は、ただのセフレだから……?」

掠れた声でそう問い掛ければ、困ったように瞳を細めた湊人が小さく笑った。
あっさり突きつけられた現実
それは当たり前なはずなのに
わかりきったことなのに
言葉が、でない。

ねぇーーー俺は湊人にとって何番目だった?
どんなやつの次だった?
なんてくだらないことばかり頭に浮かんで
気付けば俺は、笑っていた。

「まぁ……いいけど」

声が震えた気がして誤魔化すように煙草をくわえ火をつける
湊人の綺麗な笑顔が、煙で少し霞んだ。


* * * * *


「悠もそろそろ真剣に考えたら?」
「なにを」
「恋愛とか……結婚とか?」
「誰かさんと一緒にしないで下さい〜俺まだ若いからぁ」
「うるさいよ!敬語も使わないくせに!」

なんて軽い言い合いをしてケラケラ笑いながら、湊人が食器を片付けだす
飲みきったら終わりな気がしてどうしても減らない俺のコーヒー
湊人は少し待っていたみたいだけれど、途中で帰る用意を始めた。

何気ない会話をしながら、服を着替え髪を簡単になおす湊人を眺める
「クセついてる」とか「服シワいってる」とか言うたびに慌てる湊人がおもしろくて、つい笑ってしまう

さっきの話なんかなかったみたいで
いつもと何も変わらない2人

部屋に香水の香りが広がったら、それは湊人が帰る合図ーーー次の行動はもうわかっている
ゆっくり近付いてくる湊人を見つめながら、俺は煙草を持つ右手を下ろし左手で手首を握った。
震えてるのが、バレないように

「悠」

静かに隣に座った湊人はもうすっかり外行きの感じ
綺麗に整えられた髪も、見慣れたコートも、優しい微笑みも……完璧な男

初めて見た時もこんな感じだった。
バーカウンターの中から微笑みかけてきた湊人
手際よく作ってくれたカクテルは、イツキが作るそれと変わらないほど俺好みで
美味しいと言った俺に返した嬉しそうな笑顔が、思いのほか可愛くてーーー思わず誘ったんだっけ。
戸惑いつつもやっぱりどこか年上の余裕があった湊人を、俺の手で乱すのが最高に楽しかった。
新しい顔を見るたびに、最高に嬉しかった。

「悠、本当にありがとう」

さっきも聞いたよ

「半年間楽しかった」

俺も

「悠といると、自分が自分でいられる気がした」

俺も

「セックスも気持ちよかった」

俺も

「昨日は……今までで一番最高のデートだったよ」

俺もだよーーー

何も言わない俺に笑いかけて、湊人が身体を寄せた。
甘い香りに包まれて、唇に柔らかな感触
それは、本当に触れるだけのキス
なのになんでだろう……眩暈がした。

「ばいばい、悠」

いつも通り振り返ることなく湊人は出て行って、残った俺は煙草をくわえ上を向いた。
いつもの『またね』じゃないことが、やけに現実的

「あーあ、残念」

身体の相性が良かったーーーだからセフレになった。
都合が良かったーーーだから繋がっていた。

気に入ってたセフレが1人いなくなっただけ
ただ、それだけのこと。
もう二度と抱けないのは残念
でも、それだけのこと。

「こんなことなら、さっき抱き締めるんじゃなかったな」

あの時抱き締めなければーーー湊人はまだ起きなかったかもしれない
起きる時間がずれていたらーーーこんなことにはならなかったのかもしれない

どこかでなにかが違っていたら、こんな終わりはなかったのかな
俺のなにかが間違っていたから、こんな終わりがきたのかな

『ばいばい、悠』

いつも甘く響くあの声で、そんな言葉を言うもんだから

『悠』

呼び掛けるその優しい声が耳に残ってしかたないよ


「…………ばいばい、湊人」


どうしようもなく震えた俺の声は、誰にも届かないまま煙とともに淡く溶けていったーーー

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