ウクライナ危機!釈尊の戦争・平和観を考える

樺山 輝一

釈尊 14

生徒  先生、プロパガンダという言葉をよく聞きますが、あまり、馴染みがありません。

先生  現在の日本では聞き慣れない言葉ですが、悲しいかな、第二次世界大戦の日本はプロパガンダでした。けれど、日本はここまで変われました。
 釈尊の時代に提婆達多(だいだばった)という破僧がいます。釈迦族で釈尊の親戚です。諸説はありますが、釈尊が五十代の時に釈迦族の王家の青年グループの一員として、皆と出家しました。はじめは純粋に修行に励んでいましたが、徐々にずれていきます。同じ釈迦族の王家の血筋であるのに、何故、釈尊だけが皆から慕われ多くの布施をいただくのか、私だってそうなることができるとでも思ったかもしれません。提婆達多はあれこれ考え釈尊に絶大な信頼をおく、王の息子の王子に目をつけます。いつまで経っても王になれない葛藤をもつ、王子の心の隙間に提婆達多はうまく入りこみ、王子から毎日、多くの布施をいただくようになりました。釈尊は述べます。
 「比丘たちよ、提婆達多が布施で得た物、名誉と名声を、うらやましく思ってはならない。バナナの木が実を結ぶと枯れて破滅するように、提婆達多への布施、名誉と名声の評判は、かれ自身を破滅へ導く」
 王子は王位を継承し、提婆達多は大きな後ろ盾を得ます。今度は自分が釈尊から教団の指導者の地位を得ようとしますが、ことごとく失敗します。ある時、提婆達多は釈尊と対話します。
 「尊師よ、さまざまなやり方で、世尊は比丘たちに、小欲、知足、遠離に徹する、調御(ちょうご)、和合、渇愛滅尽に専念、精進、を論されています。比丘たちにそうしたありかたに資する五つの要点を新たに定めませんか。①比丘はすべて、生涯、林に住むべし。村に住むいかなる比丘も罪とする。②比丘はすべて、生涯、托鉢に行って得た食べ物のみを食べるべし。在家の招待を受けて得られる食べ物を食べたいかなる比丘も罪とする。③比丘はすべて、生涯、糞掃衣を着るべし。在家によって布施された衣を着るいかなる比丘も罪とする。④比丘はすべて、生涯、樹下に住すべし。屋内に住むいかなる比丘も罪とする」
 「もうよい、提婆達多よ。林住したいと望む比丘には、そうさせよ。托鉢に行って得た食べ物のみを食べたいと望む比丘には、そうさせよ。糞掃衣のみを着たいと望む比丘には、そうさせよ。在家によって布施された衣を着たいと望む比丘には、そうさせよ。わたしは比丘たちに樹下に八か月住することを許したが、雨期のあいだは許さなかった。わたしは比丘たちに、三つの面で清浄な肉と魚を食べることを許した。それらが、かれらの食べ物とするために殺されたことを、見たり、聞いたり、疑わせたり、しないものである」
 五つの要点の要求に応じるのを釈尊が断ったとき、提婆達多は喜びました。そして街(まち)に向かい釈尊が聖なる修行生活に資する五事を拒絶したと人々に告げました。提婆達多と追従する比丘達は五事を遵守すると宣言しました。
 信心がなく、賢明ではない人々は、提婆達多を称賛しました。信心があり、賢明な人々は、派閥を計画し、僧団の和合を破ろうとしている提婆達多を非難しました。釈尊は集会を開き提婆達多に質問します。
 「提婆達多よ、そなたは、派閥を計画し、僧団の和合を破ろうとしているのか」
 「尊師よ、そのとおりです」
 「派閥を計画し、僧団の和合を破ろうとしてはならない。僧団の分裂を起こす者は、一劫すべてにつづく悪果をともなう悪業を犯すのだ。その者は一劫すべて、地獄で苦しむのだ。提婆達多よ、僧団の分裂を計画してはならない」

 善人は善行為をしやすい
 悪人は善行為をしがたい
 悪人は悪行為をしやすい
 善人は悪行為をしがたい

 提婆達多は仲間の比丘と教団に入ったばかりの何も知らない新比丘500人を連れて象頭山に去っていきました。教団を分裂させたのです。その後、釈尊の弟子の双璧の舎利弗と目連は、新比丘500人を連れ帰ることに成功します。提婆達多は、ショックから寝込んでしまいました。提婆達多の精神は釈尊に対して愛し憎しです。最後は体調を崩し治らないまま釈尊に会いに行こうとしましたが、地が裂けその穴に落ちてしまい二度と上がってくることはありませんでした」
 

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