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ウクライナ危機!釈尊の戦争・平和観を考える

樺山 輝一

釈尊 11

 「先生、仏教は非暴力で言論戦は不惜身命とはどういうことでしょうか」
 「釈尊の十大弟子にプンナという説法第一の弟子がいます。バラモンでも王族でもなく貿易で財をなしていた商売人でした。釈尊が教化活動をしている中インドから隔たっていた西インドが出身地です。釈尊の弟子になり、『善人で賢者であり道理を見る人々とだけ交われ。怠らずに努め、洞察をなすもろもろの賢者は、深遠にして、見がたく、精妙にして微細である大いなる道理を体得する』(「テーラガーター』)との詩句が伝えられています。プンナがふるさとの海港スッパーラカのある地方スナーパランタに伝導を決意したとき、釈尊に報告します。『プンナよ、スナーパランタの人々は気が荒いということであるが、プンナよ、もし、彼らがなんじを嘲ったり、罵ったりしたら、なんじはどうするか』『大徳よ、もしそのようなことがあらば、わたしはかように考えます。まったくスナーパランタの人たちはいい。彼らは掌(て)をもってわたしを打擲(ちょうちゃく)するにはいたらないからと。わたしは、そう考えたいと思います』『ではプンナよ、もし彼らが掌(て)をもってなんじを打ったなら、なんじはどうするか』『大徳よ、その時には、わたしはかく考えます。まったくスナーパランタの人々はいい。彼らは土塊(つちくれ)をもってわたしを打擲(ちょうちゃく)するにいたらないからと。わたしはそう考えたいと思います』『ではプンナよ、もしも彼らが土塊をなんじに投ずるにいたったなら』『大徳よ、その時には、わたしはかく考えます。まったくスナーパランタの人々はいい。彼らはいまだ杖(じょう)をもってわたしを打つにいたらないと。わたしはそう考えたいと思います』『ではプンナよ、もしも杖をもってなんじを打ったら』『大徳よ、その時には、わたしはかく考えます。まったくスナーパランタの人々はいい。彼らはいまだ刀剣をもってするにいたらずと。わたしはそう考えたいと思います』『だが、プンナよ、もしも彼らが刀剣をもってなんじの生命をうばいなば』『大徳よ、世尊の弟子中には、その身をいとい、その命になやみ、みずから剣をとろうとしたものもあったやに聞いております。しかるに、もしそのようなことあらば、わたしは、みずから求めずして、そのことを成就しうるのであります。大徳よ、わたしはそのように考えたいと思います』『善いかなプンナ、なんじにその覚悟がある。いまは、安んじて、行かんと欲するところに行くがよい』(「ブッタ・ゴータマの弟子たち」)と、プンナのスナーパランタでの教化活動は、一年目で五百人を帰依させました。プンナの歯切れいい身軽法重(しんきょうほうじゅ)・死身弘法(ししんぐほう)の精神は崇高な生き方を感じますが、毎日のウクライナ報道を見ると、人間の本来もっているエゴや不毛なイデオロギーは不惜身命をあらためて考えさせられます」

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