ウクライナ危機!釈尊の戦争・平和観を考える
釈尊 9
「先生、平時では人を殺せば、捕まり、罰せられます。戦時では人を殺してもよいのでしょうか。ウクライナでは武器をもたない住民の人々があまりにも多く殺され続けています。夫婦、家族、親族、知人、ウクライナ国民の悲しみは想像を絶するほどの悲痛な叫びであるはずです」
「釈尊は、もともと王子の立場から善を求めて出家しています。修行時代は私より修行したものはいないと自負するくらい生死の狭間を経験しています。政治の世界には出家者的な位置にいました。ひとつのエピソードがあります。『あるとき尊師は、サーヴァッティー市のジュータ園に住しておられた。そのときコーサラ国王パセーナディは、王妃マッリカー夫人とともに、みごとな宮殿の上にいた。そこでコーサラ国王パセーナディは、マッリカー妃に言った、「そなたには、自分よりももっと愛(いと)しい人が、だれかいるかね」と。「大王さま。わたくしには、自分よりももっと愛しい人はおりません。あなたにとっても、ご自分よりももっと愛しい人がおられますか?」「マッリカーよ。わたしにとっても、自分よりもさらに愛しい他の人は存在しない」そこでコーサラ国王は、宮殿から下りて、尊師のおられるところにおもむいた。近づいてから、尊師に挨拶して、傍らに坐した。傍らに坐したコーサラ国王パセーナディは、尊師に向かって次のように言った。「尊いお方さま。ここでわたしは、マッリカー妃とともに、みごとな宮殿の上にいて、マッリカー妃にこのように言いました。そなたは、自分よりももっと愛しい人が、誰かいるかね?と。そのように言われて、マッリカー妃は、わたくしにこのように申しました。大王さま。わたくしには、自分よりももっと愛しい人はおりません。あなたにとっても、ご自分よりももっと愛しい人ががおられますか?と。このように言われたので、わたくしはマッリカー妃に申しました。マッリカーよ。わたしにとっても、自分よりもさらに愛しい他の人は存在しないと」そこで尊師はこのことを知って、その時、この詩を唱えられた。 どの方向に心でさがし求めてみても、自分よりもさらに愛しいものをどこにも見出さなかった。そのように、他の人々にとっても、それぞれの自己が愛しいのである。それ故に、自己を愛する人は、他人を害してはならないと』(「ブッタ神々との対話」)一切衆生の病むがゆえに我病むと自分が大切なら他も大切にすべきだと指導しています」
「釈尊は、もともと王子の立場から善を求めて出家しています。修行時代は私より修行したものはいないと自負するくらい生死の狭間を経験しています。政治の世界には出家者的な位置にいました。ひとつのエピソードがあります。『あるとき尊師は、サーヴァッティー市のジュータ園に住しておられた。そのときコーサラ国王パセーナディは、王妃マッリカー夫人とともに、みごとな宮殿の上にいた。そこでコーサラ国王パセーナディは、マッリカー妃に言った、「そなたには、自分よりももっと愛(いと)しい人が、だれかいるかね」と。「大王さま。わたくしには、自分よりももっと愛しい人はおりません。あなたにとっても、ご自分よりももっと愛しい人がおられますか?」「マッリカーよ。わたしにとっても、自分よりもさらに愛しい他の人は存在しない」そこでコーサラ国王は、宮殿から下りて、尊師のおられるところにおもむいた。近づいてから、尊師に挨拶して、傍らに坐した。傍らに坐したコーサラ国王パセーナディは、尊師に向かって次のように言った。「尊いお方さま。ここでわたしは、マッリカー妃とともに、みごとな宮殿の上にいて、マッリカー妃にこのように言いました。そなたは、自分よりももっと愛しい人が、誰かいるかね?と。そのように言われて、マッリカー妃は、わたくしにこのように申しました。大王さま。わたくしには、自分よりももっと愛しい人はおりません。あなたにとっても、ご自分よりももっと愛しい人ががおられますか?と。このように言われたので、わたくしはマッリカー妃に申しました。マッリカーよ。わたしにとっても、自分よりもさらに愛しい他の人は存在しないと」そこで尊師はこのことを知って、その時、この詩を唱えられた。 どの方向に心でさがし求めてみても、自分よりもさらに愛しいものをどこにも見出さなかった。そのように、他の人々にとっても、それぞれの自己が愛しいのである。それ故に、自己を愛する人は、他人を害してはならないと』(「ブッタ神々との対話」)一切衆生の病むがゆえに我病むと自分が大切なら他も大切にすべきだと指導しています」
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