ウクライナ危機!釈尊の戦争・平和観を考える

樺山 輝一

釈尊 7

 「先生、釈尊は八十歳の高齢で、弱りながらも旅を続けたのですね」
 「そうです。パーヴァという地の鍛冶工チュンダからご馳走でもてなされたとき、きのこ料理を食べてから激しい下痢におそわれます。死に至らんとする激しい苦痛が生じます。気を落ち着けて、悩まされることなく、苦痛を耐え忍び、旅を続けますが人類の教師といわれている釈尊でさえも最後は下痢をしながらも歩きに歩いたのです。さらに、鍛治工チュンダを慮(おもんばか)ります。『誰かが、鍛治工の子チュンダに後悔の念を起こさせるかもしれない、友、チュンダよ。修行完成者はお前の差し上げた最後のご馳走の食物を食べてお亡くなりになったのだから、お前には利益がなく、お前には功徳が無いと言って。アーナンダよ。鍛冶工の子チュンダの後悔の念は、このように言ってとりのぞかれねばならぬ。友よ。修行完成者は最後のご馳走の食物を食べてお亡くなりになったのだから、あなたには利益があり、大いに功徳がある。友、チュンダよ。このことを、わたしは尊師からまのあたり聞き、うけたまわった。この二つの馳走の食物は、まさにひとしいみのり、まさにひとしい果報があり、他の馳走の食物よりもはるかにすぐれた大いなる功徳がある。その二つとは何であるか?修行完成者が馳走の食物を食べて無常の完全なさとりを達成したときと、このたびの馳走の食物を食べて、涅槃の境地に入られたのとである。この二つの馳走の食物は、まさにひとしいみのり、まさにひとしい果報があり、他の馳走の食物よりもはるかにすぐれた大いなる果報があり、はるかにすぐれた大いなる功徳がある。 鍛冶工の子である若き人チュンダは寿命をのばす業を積んだ。鍛冶工の子である若きチュンダは容色をます業を積んだ。鍛冶工の子である若き人チュンダは幸福をます業を積んだ。鍛冶工の子である若き人チュンダは名声をます業を積んだ。鍛冶工の子である若き人チュンダは名声をます業を積んだ。鍛冶工の子である若き人チュンダは支配権を獲得する業を積んだと。アーナンダよ。鍛冶工の子チュンダの後悔の念は、このように言ってとりのぞかれねばならぬ』と。そして釈尊は、おもいのままの言葉を発します。与える者には、功徳が増す。身心を制する者には、怨みのつもることがない。善き人は悪事を捨てる。その人は、情欲と怒りと迷妄とを滅して、束縛が解きほごされた」と。(「大パリニッバーナ経」)

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