仮面舞踏会 ~隠密優等生《オタク》な俺と生徒会長《おさななじみ》の君と~
レポート10:『一難去って、また一難』
一難去ってまた一難とでも言うべきか、放課後の生徒会室にて長重から投票用紙を受け取り、目を通す。
書かれた内容としては、『付き合っていた彼氏が浮気をしているため、どうにかしてほしい』という二股だった。
「俺らは何でも屋じゃねぇんだけどな……」
長重の立場上、こういう恋愛相談が来てもおかしくはない。
助けを求めるあたり深刻で、頼める相手もいなかったのだろう。
『浮気しているかもしれないから調査してほしい』なら『探偵に頼め』と返したくなるが、浮気自体の解決を図るとなると仲裁するのが関の山。
どうしようもない。
「まだ『いじめ案件』も解決してないし、どうしたらいいかわからなくて……」
確かにこれは難儀な話。
他人のことに首を突っ込まない方が身のためではある。
――けれど、
それを見過ごせないのが、『長重美香』だった。
「とりあえず、今日はもう遅いし、明日改めて考えようぜ……今日はもう疲れた」
「そうだね……」
今日ばかりは『いじめ案件』のことで手一杯で、これ以上考えることを放棄する。
それほどまでに困憊していた。
「……ああ、そうだ」
「んー?」
帰宅しながら、電車の中で氷室と松尾に『先に帰るね』とLINEを送る長重を見て思い出す。
長重には、言ってなかったことを。
ただそれを言う気力もなく、二人して黙然と自宅を目指し、岐路の交差点へと出る。
さすがに告げなければ不味いなと思い、やっとの思いで口を開いた。
「『いじめ案件』なら解決したから……」
「え?」
「明日、氷室にでも聞いてくれー……」
「え、ちょっと……!?」
「じゃなー……」
それ以上の言葉も出ず、精神的に疲弊しながら無事家へとたどり着く。
玄関を開いた途端、ミーが出迎えてくれ、その可愛さにちょっぴり癒されるも、いつも通りリビングにあるソファに寝転がって。
瞬く間に就寝していた。
※
鼻腔を擽る良い匂い。
頬には小突かれるような感触。
ゆっくりと瞼を上げれば、お腹に座ったミーの姿と、エプロン姿をした瑠璃が、寝顔を堪能していた。
「おはよう」
「んー……」
寝ぼけ眼の視界。
「ご飯にする?お風呂にする?それとも~、わ・た・し?」
「……ご飯にする」
そこに付け入るような戯言に何とか対応していた。
「はーい♪」
それでも彼女はご機嫌で、それが少し不思議だった。
「いじめの件、無事解決したみたいだね」
「ああ……」
食事中の団欒。
嬉しそうに微笑む姿は胡散臭く、何かを企んでいるようにしか見えなかった。
「頑張った君に、お姉さんからご褒美がありま~す♪」
「なんだ、もうカノジョ面はやめたのか……」
「む、カノジョ面とか酷いな~。未来のお嫁さんでしょ♪」
「……へ?」
「ふふ」
――悪化してる……。
「じゃーん!私と添い寝することができる券で~す!」
やはりとでも言うべきか、無駄に作り込んだチケットを渡され、思い悩む。
教師が生徒を誘惑し、家族が家族に手を出そうとする。
血は繋がっていなくとも、どちらもアウトだというのに。
どれだけ禁断の恋に憧れているのやら。
「……じゃあ、使おうかな……」
「え……半分冗談のつもりだったんだけど……」
途端、冗談という言葉を耳にするも、聞こえづらく。
落ち込む暇もなく、ただぼんやりと瑠璃を見つめていた。
「鏡夜?」
名前を呼ばれている。
けれど何だか気分が重く、応えることを躊躇していた。
「何……?」
やっとの思いで出した声は覇気のないもので。
「……っ」
瑠璃は顔を顰めて立ち上がる。
「……?」
気づけば瑠璃が、いつの間にか目の前にいて。
額に瑠璃の冷たい手の感触が伝わり、心地よく感じる。
「37度2分、か……。鏡夜、仮面取ったでしょ」
触れただけで、体温を測る。
それが凄いなと思いながら、呑気な返事をする。
「うん……」
仮面を取る。
それは今まで取り繕っていた自分を外し、本来の自分に戻す行為。
奥底に隠し込んでいたものを何も知らない知人に晒すのは精神を擦り減らす。
赤の他人は何も知らない他人であり、どこまで行っても他人でしかなければ、金輪際関わることがないため、支障はない。
が、知人に本性を見せるのであれば、今後の関係にも大きく影響する。
だから仮面を外すときは、嫌われることを前提としたモノにしていた。
外しても問題のない相手など数少なく、ましてや長い時間を過ごし、最初から本当の自分を知っている者など、今は長重以外に存在しない。
仮面を外せる相手は限られる。
自分の過去を知らず、自分を好いてくれる人がいる。
興味関心を持って、寄り添ってくれる人がいる。
気が合い、共に過ごす中で深まる信頼。
そんな中でも、裏切られることのない親密さがあるモノだけに許される。
けれど氷室との関係は、たかだが1年ぽっきり。
過去を話してはいても、実際に目にしていたわけじゃない。
明かす時期が、早すぎた。
もっとこの関係を続けていたかったのに、自ら皿に罅を入れた。
一度傷をつければ直ることはない。
ただ惜しみなく壊れるまで使い続けるか、捨てるか。
その二択しかない。
――だが、
どちらを選ぼうとも、結末は変わらない。
答えなど、選ぶ必要などなく、決まっているのだから。
「やっぱりね……」
働かない思考の中、ただひたすらに今後のことに思い悩む。
過去現在未来を繋ぎ、取捨選択を図る。
『何も捨てられないモノに、何も得ることはできない。』
この世界は、そういう風にできている。
『人は考える生き物。故に生まれる後悔が、少しでもマシである道を選択する。』
人は、そうやって生きている。
――けれど、
そのために下した決断は――。
「ていっ」
「痛っ……」
途端、額に軽い衝撃が走り、瑠璃を見る。
すると彼女も額を押さえて、涙目になっていた。
「鏡夜は一度考え込むと知恵熱を出して、本格的に発熱しちゃうからね。仮面を外した時なんか特に。精神的にも病んでるっていうのに……これ以上、熱をあげられても困るし。今日は大人しく、もう寝なさい?」
何でも見抜いた言動に敵わないなと心底思う。
だから素直に言うことを聞こうと立ち上がったのだが、机についた手が滑り、床へと倒れ込んだ。
「大丈夫っ!?」
「うん……」
瑠璃の言う通り、本格的に熱が上がり始めたようで、身体が熱い。
起き上がることが精一杯で、頭がふらふらする。
とても、立ち上がれそうにない。
「もう、しょうがないなぁ……」
それを見兼ねてか、肩を貸してくれる瑠璃。
そのままゆっくりと寝室へと連れられて、ベッドに横たわった。
「明日は学校休みだね……」
一度熱が出ると、治るのに2、3日を有する。
大抵の病気は自然治癒で完治する体質ではあるが、時間が掛かる。
普通の高校生なら学校を休めることに喜びを感じるだろうが、こちらにそんな余裕はない。
――何故なら、
「不服そうな顔だね」
「……」
「そんなに長重さんの傍にいたいの?妬けちゃうな~……」
「……違う」
違わないことはない。
実際、それを含めた理由でもある。
けれど、それだけではないのも確か。
「じゃあ、何?」
単純な話、学校を休むと今後の進路に影響する。
だからあまり、休みたくはなかった。
「授業の、ノート……」
五市波高校の偏差値は55。
小中共に塾通いでもなく、ただノートを写すだけだった生徒には、1日2日の休みは命取りとなる。
1、2教科程度なら、短期暗記でテストや成績はどうにでもなるが、6限を2、3日疎かにするのは後々苦労する破目になる。
さらに言えば、欠席をすれば皆勤賞を逃し、テストで点が取れなければ、最悪夏休みに学校へ足を運ぶことに――。
「真面目すぎ」
「……っ」
また、嫌な事ばかりを考え、察したようにポカッと軽い拳が飛んでくる。
「そうしたくなかったら、今は余計なことは考えず、大人しく寝ときなさい」
その言葉に頷いて、目を閉じる。
言われた通り、今は頭の中を空にして。
闇夜の静寂に溶け込むように眠りに落ちていった。
※
彼が可愛い寝息を立てる頃、ゆっくりと部屋を後にして。
リビングへと戻ると、ミーが心配そうに座っていた。
鏡夜の様子がおかしかったことに気づいていたのか、今日は同じベッドで寝ようとはせず。
きっと、私の心配をしてくれているのではないかと、そう思った。
「大丈夫だよ」
ミーをそっと抱き寄せ、顔を覗く。
「鏡夜がいなくたって……」
鏡夜がいない。
ただそれだけを考えるだけで、胸が締め付けられる。
この世で一番、大好きな人なのだから、仕方のないこと。
「いや、ちょっと寂しいけど……今は君がいるから」
鏡夜が拾ってきた子猫。
たった一匹の家族が増えただけで、鏡夜がいない時の心細さが和らいだ。
もしかしたら、私が鏡夜離れするために鏡夜はミーを拾ってきたのかもしれない。
鏡夜は策士だから、それを含めていてもおかしくはなかった。
そして、それもこれも全部――。
「ほんと、妬けちゃうなぁ……」
誰かのためと言われれば、私のためだと言うのだろう。
でも突き詰めれば、それはきっと、彼女のため。
鏡夜の意中にいる女の子への一途な想い。
それを向けられているのが私ではなくて、嫉妬して。
羨ましくて、仕方がなかった――。
※
――翌日。
結局、熱は下がることなく、38度2分で。
「本当は、ずっと一緒にいてあげたいんだけど……」
「家で大人しくしてるから、大丈夫だよ」
風邪ではなく、発熱のため、いつも通り玄関で見送りをしていた。
「んー……じゃあ何か、欲しいものある?帰りに買ってきてあげるよ」
「アイス、食べたい」
「はーい♪」
病人の特権とでも言うべきか。
欲しいものを素直に頼めば買ってきてくれるというのは、怪我の功名のようで。
しかし瑠璃は、頼めば何でも入手してくれる養い体質のため、いつもと何ら遜色はなく。
それ故に今までは安易にお願いをできなかった。
その所為もあってか、久しぶりの要求に瑠璃は嬉しそうに反応を示していた。
「それじゃあ鏡夜は大人しく寝てること」
「はーい」
「ミー。鏡夜のこと、よろしくね」
「ミー」
瑠璃の言葉にお座りのまま右前足を額に持ってくる姿は、まるで敬礼で。
一人と一匹の意思疎通が微笑ましかった。
「それじゃ、行ってきます」
「行ってらっしゃい」
「ミー」
開く扉に閉まるドア。
無事に彼女を見送って、一人と一匹が取り残される。
少し茫然と立っていれば、ズボンを口で引っ張るミーがいて。
『ミー』と鳴いては、『早く寝ろ』とでも言いたげな顔で。
大人しく、その指示に従うことにした。
「わかったよ」
部屋へと戻り、ベッドへ横になって。
出入口を見張る番犬のようにミーはドアで丸まって。
そうして、一人と一匹は何度目の眠りへと誘われた。
※
「あれ、今日鏡夜は?」
いつも通り生徒会室へと集まった三人。
長重の少しダジャレのような発言を可笑しく思いながら、事情を説明した。
「え、休み?」
「ああ」
自分も今朝知った事実。
待ち合わせ場所のコンビニに現れず、出席確認で担任から『休み』という言葉が漏れていたため、間違いない。
昨日の今日で顔合わせるのは複雑だったが、やはり鏡夜がいないと学校が退屈だという事実が、明日仲直りしようという決意を生ませていた。
――のだが、
「困ったな……」
「……?」
少し弱ったように眉を顰め、長重は持っていた目安箱を置いて、中を開ける。
「じゃあこれ、どうしようか……」
入っていたのは、2枚の投票用紙で。
昨日見せられなかったという投票用紙を含め、松尾と共に目を通す。
そして二人して、読んだ内容に絶句していた。
※
夕日が差し込むベッドの上で、その眩しさに瞼を開く。
何も口にせず一日を過ごし、空腹が空腹すぎて空腹じゃない。
とりあえず、熱を測ろうと体温計を取る。
「37度5分、か……」
下がった方ではあるが、まだ少し熱がある。
このまま大人しくしていれば、早くて明日には完治している。
「ん……?」
ふと聞こえるインターホンの音がミーを起こし、出るかどうか迷う。
郵便物なら不在表を入れられ、二度手間になるため、仕方なくマスクを着けて玄関へと向かう。
「よっす」
開いた先にあったのは、明るい笑顔で出迎えた氷室だった。
「……何の用だ」
「ちょっとな」
少し眉を顰め、氷室は困り気な表情をつくる。
昨日の気まずさが原因というよりも、何かがあった様子だった。
「……立ち話か?」
「いや、長話だ」
「なら入れ……」
呆れるようにため息を零し、まだ立っているのも辛いため、部屋へ入れる。
寝起きで喉が渇いていたため、ついでに氷室のお茶も用意した。
「お、こいつが噂のミーか!」
氷室の前で大人しくお座りするミーを見つけ、同じ目線になる氷室。
「よろしくな、ミー」
「ミー」
気づけば握手を交わしている姿に微笑ましさを覚えた。
「それで?」
リビングから自室へと移り、用件を尋ねる。
「あ、ああ。実はな……」
語られたのは、今日の放課後の出来事だった。
          
書かれた内容としては、『付き合っていた彼氏が浮気をしているため、どうにかしてほしい』という二股だった。
「俺らは何でも屋じゃねぇんだけどな……」
長重の立場上、こういう恋愛相談が来てもおかしくはない。
助けを求めるあたり深刻で、頼める相手もいなかったのだろう。
『浮気しているかもしれないから調査してほしい』なら『探偵に頼め』と返したくなるが、浮気自体の解決を図るとなると仲裁するのが関の山。
どうしようもない。
「まだ『いじめ案件』も解決してないし、どうしたらいいかわからなくて……」
確かにこれは難儀な話。
他人のことに首を突っ込まない方が身のためではある。
――けれど、
それを見過ごせないのが、『長重美香』だった。
「とりあえず、今日はもう遅いし、明日改めて考えようぜ……今日はもう疲れた」
「そうだね……」
今日ばかりは『いじめ案件』のことで手一杯で、これ以上考えることを放棄する。
それほどまでに困憊していた。
「……ああ、そうだ」
「んー?」
帰宅しながら、電車の中で氷室と松尾に『先に帰るね』とLINEを送る長重を見て思い出す。
長重には、言ってなかったことを。
ただそれを言う気力もなく、二人して黙然と自宅を目指し、岐路の交差点へと出る。
さすがに告げなければ不味いなと思い、やっとの思いで口を開いた。
「『いじめ案件』なら解決したから……」
「え?」
「明日、氷室にでも聞いてくれー……」
「え、ちょっと……!?」
「じゃなー……」
それ以上の言葉も出ず、精神的に疲弊しながら無事家へとたどり着く。
玄関を開いた途端、ミーが出迎えてくれ、その可愛さにちょっぴり癒されるも、いつも通りリビングにあるソファに寝転がって。
瞬く間に就寝していた。
※
鼻腔を擽る良い匂い。
頬には小突かれるような感触。
ゆっくりと瞼を上げれば、お腹に座ったミーの姿と、エプロン姿をした瑠璃が、寝顔を堪能していた。
「おはよう」
「んー……」
寝ぼけ眼の視界。
「ご飯にする?お風呂にする?それとも~、わ・た・し?」
「……ご飯にする」
そこに付け入るような戯言に何とか対応していた。
「はーい♪」
それでも彼女はご機嫌で、それが少し不思議だった。
「いじめの件、無事解決したみたいだね」
「ああ……」
食事中の団欒。
嬉しそうに微笑む姿は胡散臭く、何かを企んでいるようにしか見えなかった。
「頑張った君に、お姉さんからご褒美がありま~す♪」
「なんだ、もうカノジョ面はやめたのか……」
「む、カノジョ面とか酷いな~。未来のお嫁さんでしょ♪」
「……へ?」
「ふふ」
――悪化してる……。
「じゃーん!私と添い寝することができる券で~す!」
やはりとでも言うべきか、無駄に作り込んだチケットを渡され、思い悩む。
教師が生徒を誘惑し、家族が家族に手を出そうとする。
血は繋がっていなくとも、どちらもアウトだというのに。
どれだけ禁断の恋に憧れているのやら。
「……じゃあ、使おうかな……」
「え……半分冗談のつもりだったんだけど……」
途端、冗談という言葉を耳にするも、聞こえづらく。
落ち込む暇もなく、ただぼんやりと瑠璃を見つめていた。
「鏡夜?」
名前を呼ばれている。
けれど何だか気分が重く、応えることを躊躇していた。
「何……?」
やっとの思いで出した声は覇気のないもので。
「……っ」
瑠璃は顔を顰めて立ち上がる。
「……?」
気づけば瑠璃が、いつの間にか目の前にいて。
額に瑠璃の冷たい手の感触が伝わり、心地よく感じる。
「37度2分、か……。鏡夜、仮面取ったでしょ」
触れただけで、体温を測る。
それが凄いなと思いながら、呑気な返事をする。
「うん……」
仮面を取る。
それは今まで取り繕っていた自分を外し、本来の自分に戻す行為。
奥底に隠し込んでいたものを何も知らない知人に晒すのは精神を擦り減らす。
赤の他人は何も知らない他人であり、どこまで行っても他人でしかなければ、金輪際関わることがないため、支障はない。
が、知人に本性を見せるのであれば、今後の関係にも大きく影響する。
だから仮面を外すときは、嫌われることを前提としたモノにしていた。
外しても問題のない相手など数少なく、ましてや長い時間を過ごし、最初から本当の自分を知っている者など、今は長重以外に存在しない。
仮面を外せる相手は限られる。
自分の過去を知らず、自分を好いてくれる人がいる。
興味関心を持って、寄り添ってくれる人がいる。
気が合い、共に過ごす中で深まる信頼。
そんな中でも、裏切られることのない親密さがあるモノだけに許される。
けれど氷室との関係は、たかだが1年ぽっきり。
過去を話してはいても、実際に目にしていたわけじゃない。
明かす時期が、早すぎた。
もっとこの関係を続けていたかったのに、自ら皿に罅を入れた。
一度傷をつければ直ることはない。
ただ惜しみなく壊れるまで使い続けるか、捨てるか。
その二択しかない。
――だが、
どちらを選ぼうとも、結末は変わらない。
答えなど、選ぶ必要などなく、決まっているのだから。
「やっぱりね……」
働かない思考の中、ただひたすらに今後のことに思い悩む。
過去現在未来を繋ぎ、取捨選択を図る。
『何も捨てられないモノに、何も得ることはできない。』
この世界は、そういう風にできている。
『人は考える生き物。故に生まれる後悔が、少しでもマシである道を選択する。』
人は、そうやって生きている。
――けれど、
そのために下した決断は――。
「ていっ」
「痛っ……」
途端、額に軽い衝撃が走り、瑠璃を見る。
すると彼女も額を押さえて、涙目になっていた。
「鏡夜は一度考え込むと知恵熱を出して、本格的に発熱しちゃうからね。仮面を外した時なんか特に。精神的にも病んでるっていうのに……これ以上、熱をあげられても困るし。今日は大人しく、もう寝なさい?」
何でも見抜いた言動に敵わないなと心底思う。
だから素直に言うことを聞こうと立ち上がったのだが、机についた手が滑り、床へと倒れ込んだ。
「大丈夫っ!?」
「うん……」
瑠璃の言う通り、本格的に熱が上がり始めたようで、身体が熱い。
起き上がることが精一杯で、頭がふらふらする。
とても、立ち上がれそうにない。
「もう、しょうがないなぁ……」
それを見兼ねてか、肩を貸してくれる瑠璃。
そのままゆっくりと寝室へと連れられて、ベッドに横たわった。
「明日は学校休みだね……」
一度熱が出ると、治るのに2、3日を有する。
大抵の病気は自然治癒で完治する体質ではあるが、時間が掛かる。
普通の高校生なら学校を休めることに喜びを感じるだろうが、こちらにそんな余裕はない。
――何故なら、
「不服そうな顔だね」
「……」
「そんなに長重さんの傍にいたいの?妬けちゃうな~……」
「……違う」
違わないことはない。
実際、それを含めた理由でもある。
けれど、それだけではないのも確か。
「じゃあ、何?」
単純な話、学校を休むと今後の進路に影響する。
だからあまり、休みたくはなかった。
「授業の、ノート……」
五市波高校の偏差値は55。
小中共に塾通いでもなく、ただノートを写すだけだった生徒には、1日2日の休みは命取りとなる。
1、2教科程度なら、短期暗記でテストや成績はどうにでもなるが、6限を2、3日疎かにするのは後々苦労する破目になる。
さらに言えば、欠席をすれば皆勤賞を逃し、テストで点が取れなければ、最悪夏休みに学校へ足を運ぶことに――。
「真面目すぎ」
「……っ」
また、嫌な事ばかりを考え、察したようにポカッと軽い拳が飛んでくる。
「そうしたくなかったら、今は余計なことは考えず、大人しく寝ときなさい」
その言葉に頷いて、目を閉じる。
言われた通り、今は頭の中を空にして。
闇夜の静寂に溶け込むように眠りに落ちていった。
※
彼が可愛い寝息を立てる頃、ゆっくりと部屋を後にして。
リビングへと戻ると、ミーが心配そうに座っていた。
鏡夜の様子がおかしかったことに気づいていたのか、今日は同じベッドで寝ようとはせず。
きっと、私の心配をしてくれているのではないかと、そう思った。
「大丈夫だよ」
ミーをそっと抱き寄せ、顔を覗く。
「鏡夜がいなくたって……」
鏡夜がいない。
ただそれだけを考えるだけで、胸が締め付けられる。
この世で一番、大好きな人なのだから、仕方のないこと。
「いや、ちょっと寂しいけど……今は君がいるから」
鏡夜が拾ってきた子猫。
たった一匹の家族が増えただけで、鏡夜がいない時の心細さが和らいだ。
もしかしたら、私が鏡夜離れするために鏡夜はミーを拾ってきたのかもしれない。
鏡夜は策士だから、それを含めていてもおかしくはなかった。
そして、それもこれも全部――。
「ほんと、妬けちゃうなぁ……」
誰かのためと言われれば、私のためだと言うのだろう。
でも突き詰めれば、それはきっと、彼女のため。
鏡夜の意中にいる女の子への一途な想い。
それを向けられているのが私ではなくて、嫉妬して。
羨ましくて、仕方がなかった――。
※
――翌日。
結局、熱は下がることなく、38度2分で。
「本当は、ずっと一緒にいてあげたいんだけど……」
「家で大人しくしてるから、大丈夫だよ」
風邪ではなく、発熱のため、いつも通り玄関で見送りをしていた。
「んー……じゃあ何か、欲しいものある?帰りに買ってきてあげるよ」
「アイス、食べたい」
「はーい♪」
病人の特権とでも言うべきか。
欲しいものを素直に頼めば買ってきてくれるというのは、怪我の功名のようで。
しかし瑠璃は、頼めば何でも入手してくれる養い体質のため、いつもと何ら遜色はなく。
それ故に今までは安易にお願いをできなかった。
その所為もあってか、久しぶりの要求に瑠璃は嬉しそうに反応を示していた。
「それじゃあ鏡夜は大人しく寝てること」
「はーい」
「ミー。鏡夜のこと、よろしくね」
「ミー」
瑠璃の言葉にお座りのまま右前足を額に持ってくる姿は、まるで敬礼で。
一人と一匹の意思疎通が微笑ましかった。
「それじゃ、行ってきます」
「行ってらっしゃい」
「ミー」
開く扉に閉まるドア。
無事に彼女を見送って、一人と一匹が取り残される。
少し茫然と立っていれば、ズボンを口で引っ張るミーがいて。
『ミー』と鳴いては、『早く寝ろ』とでも言いたげな顔で。
大人しく、その指示に従うことにした。
「わかったよ」
部屋へと戻り、ベッドへ横になって。
出入口を見張る番犬のようにミーはドアで丸まって。
そうして、一人と一匹は何度目の眠りへと誘われた。
※
「あれ、今日鏡夜は?」
いつも通り生徒会室へと集まった三人。
長重の少しダジャレのような発言を可笑しく思いながら、事情を説明した。
「え、休み?」
「ああ」
自分も今朝知った事実。
待ち合わせ場所のコンビニに現れず、出席確認で担任から『休み』という言葉が漏れていたため、間違いない。
昨日の今日で顔合わせるのは複雑だったが、やはり鏡夜がいないと学校が退屈だという事実が、明日仲直りしようという決意を生ませていた。
――のだが、
「困ったな……」
「……?」
少し弱ったように眉を顰め、長重は持っていた目安箱を置いて、中を開ける。
「じゃあこれ、どうしようか……」
入っていたのは、2枚の投票用紙で。
昨日見せられなかったという投票用紙を含め、松尾と共に目を通す。
そして二人して、読んだ内容に絶句していた。
※
夕日が差し込むベッドの上で、その眩しさに瞼を開く。
何も口にせず一日を過ごし、空腹が空腹すぎて空腹じゃない。
とりあえず、熱を測ろうと体温計を取る。
「37度5分、か……」
下がった方ではあるが、まだ少し熱がある。
このまま大人しくしていれば、早くて明日には完治している。
「ん……?」
ふと聞こえるインターホンの音がミーを起こし、出るかどうか迷う。
郵便物なら不在表を入れられ、二度手間になるため、仕方なくマスクを着けて玄関へと向かう。
「よっす」
開いた先にあったのは、明るい笑顔で出迎えた氷室だった。
「……何の用だ」
「ちょっとな」
少し眉を顰め、氷室は困り気な表情をつくる。
昨日の気まずさが原因というよりも、何かがあった様子だった。
「……立ち話か?」
「いや、長話だ」
「なら入れ……」
呆れるようにため息を零し、まだ立っているのも辛いため、部屋へ入れる。
寝起きで喉が渇いていたため、ついでに氷室のお茶も用意した。
「お、こいつが噂のミーか!」
氷室の前で大人しくお座りするミーを見つけ、同じ目線になる氷室。
「よろしくな、ミー」
「ミー」
気づけば握手を交わしている姿に微笑ましさを覚えた。
「それで?」
リビングから自室へと移り、用件を尋ねる。
「あ、ああ。実はな……」
語られたのは、今日の放課後の出来事だった。
          
コメント