仮面舞踏会 ~隠密優等生《オタク》な俺と生徒会長《おさななじみ》の君と~
レポート 3:『孤独の苦悩』
自分も眠りにつこうと自室のベッドへと寝転がり、数分。
頭の中では、色濃く染みついた思い出の数々、今までの全てが記憶の断片となって沸々と鮮明にも蘇っていた。
6歳の初恋。7歳の一目惚れ。
10年以上もの片想い。
ませたガキのどうしようもない引きずりっぷりに、呆れを通り越して、おかしくて笑みを溢してしまう。
そしてその隙間に挟まれるドス黒い不幸が邪魔で邪魔で仕方がない。
――俺の家族は、瑠璃だけだ……。
最愛の人。血縁なんて関係ない。
むしろない方がロマンチックでいいとさえ思える。
親のくせに何も見てはくれていない。
ただただ自己中心的な押し付けがましい優しさと、たくさんの矛盾で溢れた傲慢な奴ら。
その血が自分にも流れているというだけで、吐き気がするのに。
家族によって生まれた幸せがどれだけあっただろう。
そんなものは数えるまでもなくゼロだ。
どうして家族なのに子を否定する?どうして家族なのに気を使って、取り繕った笑みを浮かべなければならない?どうして子の夢や希望を摘み取っていく?どうして何もかも縛られなきゃならない?人は生まれながらに平等?笑わせるな、こんなのは過保護でも何でもない。ただの侵奪と保身に塗れた、自分勝手で卑怯な独裁者だ。呪いの何モノでもない。貧相な暮らしで何が手に入った?何もないだろう?
――やめよう……。
親のことを少し考えるだけで、沸き立つ憎悪が止まらない。
今更、縁を切った相手のことを考えても仕方がない。
あそこに幸せなんてなかった。
あいつらとは何もなかった。
ただそれだけだ。
――そんなことより、
今は他に考えるべきことがある。
長重による生徒会強制加入イベント。
顔合わせにより出現した『あかね』という存在。
こんなにも過去に因縁のある出来事に出くわすとは、運命としか言いようがない。
だからこそ、感慨深い。
自分がやって来た行いを見つめ直させてくれる。
どれだけ悔いたかわかりはしない。
ずっと付きまとっていた重荷が、目の前に形として現れた。
なら、自分がとるべき行動はただ一つ。
この機会をもって、全てを終わらせる。
何もかも――。
まずは松尾が本当に『あかね』なのか、確かめなければならない。
今はどこで何をしているのかもわからない人。
――けれど、
あの日交わした約束を破ってしまったこと。
何に変えても守らなければならなかった、忘れることのできない初恋。
――もし、
もしも彼女が本当にそうであるならば、その人であるならば、贖罪を背負おう。
忘れているかもしれない。覚えていないかもしれない。
それでも、ただひたすらに謝りたい。
わかっている。これはただのエゴ。
一方的な懺悔でしかない。
長重に対してもそう。
彼女から奪ってしまった記憶。
あれは単なる事故だと皆は言ってくれるが、同じく失いかけた者として見過ごすわけにはいかない。
昔の彼女を取り戻す。
それは今の彼女を否定するわけでも、昔の彼女を肯定するわけでもない。
ただ彼女に空白の過去なんてなかったと、証明してあげたい。
奪われたもの、奪ったものを返す。
元あった場所に、戻ってきてもらう。
自分勝手な願い。
「……」
――もう、寝よう……。
嫌なことばかり考えると、必然と瞼を閉じて現実から目を背けてしまう。
どっと疲れた精神を休ませるべく、張っていた気を解いて楽になる。
――今日は、いろいろありすぎた……。
今はもう、何も考えたくはない。
先のことは、その時考えればいい。
そんな甘えが生じながら――。
そうやって、長いようで短い夜が過ぎていった。
※
眩しい光。
窓から照らす暖かな日差しが遠のいていた意識を呼び起こす。
「―――」
ただもう少し、後ほんの少しでいいから、この温もりに浸っていたいのだと、寝返りを打てば、半開きの目に誰かの影が映っていた。
「おはよ」
徐々に定まっていく視界とその声から、それが瑠璃のものだと理解する。
「……」
瑠璃の爽やかな笑顔が目の前にある。
凄く、安心する。
「ちょっ……」
だからなのか、自然と彼女に手を伸ばし、強引にも優しく抱き寄せていた。
「瑠璃……」
「なに……?」
「暖かい……」
その温もりが心地よくて、自然と頬が緩んでしまう。
「……もう、まだ寝ぼけてるの?」
おかしいな……俺はこんなにも弱い人間だっただろうか。
彼女が傍にいてくれている。
昨日の闇を引きずっているせいか、彼女の存在が今は愛おしくて堪らない。
ほんと、どうかしてる……。
「……充電完了」
5分ほどの時が流れ、彼女を開放すると、若干不機嫌そうな顔をしていた。
「君だけずるい……」
「……」
「私ずっと我慢してたのに……」
確かに。
自分からは手を出さないと誓っていながら、あまりの憂鬱さに耐えきれず、つい癒しを求めてしまった。
――これは、仕方ないか……。
「じゃあ瑠璃も、癒されてください」
そう思い、観念して大人しく仰向けになれば、
「やったー♪」
目を輝かせた瑠璃が勢いよく抱き着いてきて、大喜びで足をバタつかせていた。
すると途端、「そうだ!」と何か思いついたのかスリスリと密着していた顔がこちらへと迫っていて、
「ねぇ、キスしてもいい?」
色っぽい声で、そう囁いていた。
「……」
「ダメ?」
純粋な甘え。
いつもなら『ダメ』と即答していたであろうことに、迷いが生じている。
欲望と理性。
今も理性は正常に働いているが、弱い自分が流れに身を任せていたいと、考えることを放棄する。
ただそれでも、それを受け入れるわけにはいかないと、半ば揺れながら絞り出した言葉が、
「……口以外なら」
少し歪な方向に変えていた。
そしてその言葉に彼女はと言えば、
「そ・れ・じゃ・あ……」
一瞬驚きつつも、容赦なくキスマークを刻んでいった。
その途中にちゃっかりと、耳たぶを甘噛みするという行為を挟んで。
「くくく、これで君は私のものなのだよ」
子供染みた笑み。悪役めいたセリフ。
鮮明にも彩られた紅色が、鎖骨・首・頬・耳たぶ・額と艶やかに輝いている。
まるで本当に、私のものだと誰かに訴えかけているように。
――なんて契約だよ……。
流れに身を任せてしまった自分の落ち度。
これでより一層、彼女を裏切れなくなってしまった。
まぁ、でも――。
「え、ちょっ」
これで最後だというように、起き上がってそっと彼女を抱きしめる。
その温もりを忘れないように、ずっと浸っていたいが故に。
――許してください。
誰に乞うでもなく、弱い自分が呟いている。
――たった一人の家族なんです……。
誰でもない自分に、言い聞かせるように。
複雑な思いを胸に。
罪悪感から逃れるための言い訳を並べて。
「瑠璃……」
孤独に打ちひしがれる毎日。
そこにいつでも、彼女が寄り添ってくれている。
それが嬉しいけれど、苦しい。
自分の中に居座る『彼女』への想いを裏切ることになるから。
ずっと、言えなかった。
でも今は無性に、本当の意味で伝えずにはいられなかった――。
「愛してる」
「うん」
これがどっちの意味でなのか、訂正しないあたり、卑怯だなと自分でも思う。
勘違いさせて、傷つけてしまう恐れがあるのに。
「ねぇ、先生……」
いつか来る終わりの時。
この微笑ましい日常を失うのが怖い。
――だから、
「もし」
――できることなら、
「もし俺が……」
全てにけりを付けられたら。
敵わず終わったのだとしても。
――このままずっと、一緒に……。
同じ孤独を知る者だから。
彼女を一人にしてしまえば、今まで以上に辛い日々を送ることになる。
それが負い目となることを、罪悪感となることを自分は理解している。
ずっと傍にいてくれた彼女のことも裏切りたくない。
できることなら、その隣にいてあげたい。
そう思っていたから。
――なのに、
「言わなくていい」
その先を言わせないように、瑠璃は指で口を塞いでくる。
悲しげに俯いて。
涙を堪えるように苦笑している。
「わかってるから」
察しているのか、惜しむように強く抱きしめてくる。
小刻みに、身体が震えている。
「私の初恋は叶わないって……」
顔を埋めて、咽び泣く。
必死に堪えながら、少しの間をおいて顔を上げて。
「わかってるから……」
寂しさに満ちた、作り笑いだった。
――どうして、そんな……。
突き放すような痛い言葉。
胸をえぐるような苦しい想い。
――でも、
彼女の方がよっぽど辛いことなのだと。
自分から離れられるように突き放してくれている。
背中を押してくれている。
――ごめんね、ごめんね……。
ただひたすらに、謝罪の念を抱くことしかできない。
傍で支え続けてくれる彼女に、自分は何も返すことができない。
凄く、歯痒い。
悔しくて、自分の無力さを痛感する。
「……っ」
すると何度目の抱擁が心地いい温もりを連れてやってくる。
優しげに微笑む瑠璃の顔。
あくまで気にしなくていいと、無理をしてでもそう言い張りたいよう。
そうしなければ互いに、この関係に依存して離れられないから。
それでも、どれだけ取り繕っても、二人とも寂しがり屋故に、傷をなめ合うように擦り寄ってしまう。
いけないことだとわかっていながら。
似た者同士故の苦悩だった。
「さ、学校遅れちゃうよ?」
目尻の涙を拭きとって、立ち上がる。
しんみりとした空気に彼女は背を向けて、
「……ねぇ、鏡夜。一つ、我が儘を言わせて?」
ドアノブに触れながらのお願い。
表情が覗えないけれど、大切なことであるのだと察せられる。
「私は君の選択に反対するつもりはないけど、それに従うつもりはないよ」
肯定するわけでも、否定するわけでもない。
彼女は彼女でいつも通り、自分を貫き通す。
そう言いたいのだろう。
「この先に何が待っていようと、私は君を愛し続けるよ」
「……っ!」
「だから、安心して?」
そう微笑んで、瑠璃は立ち去る。
ゆっくり閉まるドアの向こう。
一人、取り残された空間で頭を抱えてしまう。
「ずるいなぁ……」
嬉しく頬は緩むのに、胸は酷く痛んでいる。
別れを告げられるものだとばかり思っていたのに。
彼女は、人の恋路を応援しながら、自分の恋路も諦めようとしない。
どちらも大切なモノだから。
それをわかっているから。
まるで、自分自身を見ているかのように、そっくりな選択だった。
「もっと好きになっちゃうじゃないか……」
家族としての『好き』なのに、振舞う素振りが魅力的すぎて、鋼の意思が脆く剥がれそうになる。
一人の女性として見てしまいそうになる。
本当に離れられなくなってしまいそうになる。
同じ穴の狢。唯一無二の理解者。
だからこそ、惹かれ合うのかもしれない――。
※
朝から重苦しい空気を味わい、パーカーを着て、ブレザーを這おう。
自室を出て玄関前で靴を履く瑠璃に目が行く。
「それじゃ、先行ってるからね」
「ああ」
「……君も、対外だね」
「何が?」
「フード被ると、人格が変わるところ」
言われて気づく。
視界を狭め、陰に溶け込む。
それが弱い自分を覆い隠す。
――だから、
フードを取って、顔をさらけ出す。
隠した無表情から、素直な笑顔を浮かべ直す。
「行ってらっしゃい」
「―――」
目を見開き、驚き気味の瑠璃。
けれどすぐに微笑して、口を開けて。
「もう一回、抱きしめてもいい?」
「遅れるよ?」
「はーい……」
戸を開ける瑠璃を置いて、フードを被り直す。
出ていく寸前、足を止める瑠璃に疑問符を浮かべると、
「君も、頑張ってね」
また振り返り際に笑みを零していた。
そこに『何を』なんて聞ける間もなく、
「行ってきます」
そんな言葉を置いて、彼女は家を後にする。
静まり返ったリビングへと戻り、時計を見る。
置かれた朝食を目にすぐさま平らげて、食器を片付ける。
再び時計を見れば、6時40分を示しており、いつもより20分早いが、自分も家を出ることにする。
最寄り駅まで自転車で10分ちょい。
そこから電車で20分揺られ、学校まで徒歩で5分。
一人、黄昏るように茫然と過ごす。
電車の中、ヘッドフォンを付けて窓の景色を眺める。
太陽の光を浴びて、キラキラと輝く青い海。広がる快晴の空。
それを目に何度も思うことがある。
「―――」
ふと聞こえる男女の声。
自然とそこに目をやれば、仲睦まじく会話する二人の学生がいる。
至近距離で笑みを零し合う姿からして、親密な関係だということが見て取れる。
あまりじろじろ見てもよくないだろうと、視線を再び窓へと戻す。
普通の男子高校生なら、羨ましいだとか嫉妬の炎を燃やすのだろうが、あいにく自分は幸せそうで何よりとしか思えない。
それどころか、微笑ましくさえ思えてしまう。
赤の他人を気にする要素など、それくらいしかない。
――けれど、
脳裏にはより一層、『もしもの世界』が広がっていく。
もしもここに長重がいたら。
何を言って、どんな表情を見せてくれるのか。
虚しい妄想を膨らませてしまう――。
『次は~、五市波駅~、五市波駅~。お出口は左側です。開くドアにお気を付けください』
電車を降り、駅前のコンビニへと出る。
いつもならここで氷室と合流し学校へ向かうのが恒例なのだが、今日はなし。
だから久しぶりに一人、ぽつぽつと進んでいく。
「……ん?」
学校前まで来ると、校門付近にて登校中の生徒に挨拶運動を行う長重と他委員のメンバーが立ち並んでいることに気づく。
このまま行けば、生徒会メンバーということで強制参加させられるに違いない。
――そのため、
ブレザーを脱ぎ、パーカーを裏返し、青色へと変えて着直す。
フードは被らず、ポケットから黒縁眼鏡とマスクを取り出し装着する。
――これでよし。
いつもならフードによって陰って見えない顔。
それを敢えてさらけ出すことにより、誰も知らない人物像ができあがる。
その状態のまま校門を通過する。
案の定、誰にも気づかれずに下駄箱へと向かえる。
――はずだった。
「ちょっと君」
突如、声を掛けられ、立ち止まる。
軽く振り返れば、声主である長重が佇んでいる。
何なのかと見つめていれば、
「目、赤いよ?大丈夫?」
ただの心配。
自然と目を触れて、どうするべきか迷う。
口を開ければ声でバレてしまう可能性がある。
そのため黙秘権を行使しようとすれば、
「酷いようなら保健室に行ってね」
それ以上、追及することなくそう言い残し、長重は離れていった。
「ふぅ……」
バレていないことに一安心し、気兼ねなく校舎へ移動する。
2階のトイレへと駆け込み、パーカーをもとの赤へと裏返す。
眼鏡とマスクを外して、いつも通りフードを被る。
こういう時のためのリバーシブルパーカー。
変装という危機回避に特化した衣服である。
「目、か……」
手洗い場の鏡にて、確認してみれば少しほど充血しているのがわかる。
たかだかこれだけのことで、長重は見ず知らずの人に声を掛ける。
そうやって、無自覚に誰もを魅了する。
まさに魔性の女。
「全く……」
長重は優しい。
その分け隔て無さが、男を勘違いさせる。
自分もまた、その一人なのだと思うと、ため息が出る。
そして苦笑いして、教室へと歩いて。
誰もいない教室を目に、窓から挨拶運動する連中を眺める。
時計へと視線を移せば、7時25分を示している。
「……」
挨拶運動に参加すべきか、否か。
今更になって、迷いが生じている。
けれど結局、あの空気感に混ざる勇気などなく、自席にて眺めるだけとなっていた。
頭の中では、色濃く染みついた思い出の数々、今までの全てが記憶の断片となって沸々と鮮明にも蘇っていた。
6歳の初恋。7歳の一目惚れ。
10年以上もの片想い。
ませたガキのどうしようもない引きずりっぷりに、呆れを通り越して、おかしくて笑みを溢してしまう。
そしてその隙間に挟まれるドス黒い不幸が邪魔で邪魔で仕方がない。
――俺の家族は、瑠璃だけだ……。
最愛の人。血縁なんて関係ない。
むしろない方がロマンチックでいいとさえ思える。
親のくせに何も見てはくれていない。
ただただ自己中心的な押し付けがましい優しさと、たくさんの矛盾で溢れた傲慢な奴ら。
その血が自分にも流れているというだけで、吐き気がするのに。
家族によって生まれた幸せがどれだけあっただろう。
そんなものは数えるまでもなくゼロだ。
どうして家族なのに子を否定する?どうして家族なのに気を使って、取り繕った笑みを浮かべなければならない?どうして子の夢や希望を摘み取っていく?どうして何もかも縛られなきゃならない?人は生まれながらに平等?笑わせるな、こんなのは過保護でも何でもない。ただの侵奪と保身に塗れた、自分勝手で卑怯な独裁者だ。呪いの何モノでもない。貧相な暮らしで何が手に入った?何もないだろう?
――やめよう……。
親のことを少し考えるだけで、沸き立つ憎悪が止まらない。
今更、縁を切った相手のことを考えても仕方がない。
あそこに幸せなんてなかった。
あいつらとは何もなかった。
ただそれだけだ。
――そんなことより、
今は他に考えるべきことがある。
長重による生徒会強制加入イベント。
顔合わせにより出現した『あかね』という存在。
こんなにも過去に因縁のある出来事に出くわすとは、運命としか言いようがない。
だからこそ、感慨深い。
自分がやって来た行いを見つめ直させてくれる。
どれだけ悔いたかわかりはしない。
ずっと付きまとっていた重荷が、目の前に形として現れた。
なら、自分がとるべき行動はただ一つ。
この機会をもって、全てを終わらせる。
何もかも――。
まずは松尾が本当に『あかね』なのか、確かめなければならない。
今はどこで何をしているのかもわからない人。
――けれど、
あの日交わした約束を破ってしまったこと。
何に変えても守らなければならなかった、忘れることのできない初恋。
――もし、
もしも彼女が本当にそうであるならば、その人であるならば、贖罪を背負おう。
忘れているかもしれない。覚えていないかもしれない。
それでも、ただひたすらに謝りたい。
わかっている。これはただのエゴ。
一方的な懺悔でしかない。
長重に対してもそう。
彼女から奪ってしまった記憶。
あれは単なる事故だと皆は言ってくれるが、同じく失いかけた者として見過ごすわけにはいかない。
昔の彼女を取り戻す。
それは今の彼女を否定するわけでも、昔の彼女を肯定するわけでもない。
ただ彼女に空白の過去なんてなかったと、証明してあげたい。
奪われたもの、奪ったものを返す。
元あった場所に、戻ってきてもらう。
自分勝手な願い。
「……」
――もう、寝よう……。
嫌なことばかり考えると、必然と瞼を閉じて現実から目を背けてしまう。
どっと疲れた精神を休ませるべく、張っていた気を解いて楽になる。
――今日は、いろいろありすぎた……。
今はもう、何も考えたくはない。
先のことは、その時考えればいい。
そんな甘えが生じながら――。
そうやって、長いようで短い夜が過ぎていった。
※
眩しい光。
窓から照らす暖かな日差しが遠のいていた意識を呼び起こす。
「―――」
ただもう少し、後ほんの少しでいいから、この温もりに浸っていたいのだと、寝返りを打てば、半開きの目に誰かの影が映っていた。
「おはよ」
徐々に定まっていく視界とその声から、それが瑠璃のものだと理解する。
「……」
瑠璃の爽やかな笑顔が目の前にある。
凄く、安心する。
「ちょっ……」
だからなのか、自然と彼女に手を伸ばし、強引にも優しく抱き寄せていた。
「瑠璃……」
「なに……?」
「暖かい……」
その温もりが心地よくて、自然と頬が緩んでしまう。
「……もう、まだ寝ぼけてるの?」
おかしいな……俺はこんなにも弱い人間だっただろうか。
彼女が傍にいてくれている。
昨日の闇を引きずっているせいか、彼女の存在が今は愛おしくて堪らない。
ほんと、どうかしてる……。
「……充電完了」
5分ほどの時が流れ、彼女を開放すると、若干不機嫌そうな顔をしていた。
「君だけずるい……」
「……」
「私ずっと我慢してたのに……」
確かに。
自分からは手を出さないと誓っていながら、あまりの憂鬱さに耐えきれず、つい癒しを求めてしまった。
――これは、仕方ないか……。
「じゃあ瑠璃も、癒されてください」
そう思い、観念して大人しく仰向けになれば、
「やったー♪」
目を輝かせた瑠璃が勢いよく抱き着いてきて、大喜びで足をバタつかせていた。
すると途端、「そうだ!」と何か思いついたのかスリスリと密着していた顔がこちらへと迫っていて、
「ねぇ、キスしてもいい?」
色っぽい声で、そう囁いていた。
「……」
「ダメ?」
純粋な甘え。
いつもなら『ダメ』と即答していたであろうことに、迷いが生じている。
欲望と理性。
今も理性は正常に働いているが、弱い自分が流れに身を任せていたいと、考えることを放棄する。
ただそれでも、それを受け入れるわけにはいかないと、半ば揺れながら絞り出した言葉が、
「……口以外なら」
少し歪な方向に変えていた。
そしてその言葉に彼女はと言えば、
「そ・れ・じゃ・あ……」
一瞬驚きつつも、容赦なくキスマークを刻んでいった。
その途中にちゃっかりと、耳たぶを甘噛みするという行為を挟んで。
「くくく、これで君は私のものなのだよ」
子供染みた笑み。悪役めいたセリフ。
鮮明にも彩られた紅色が、鎖骨・首・頬・耳たぶ・額と艶やかに輝いている。
まるで本当に、私のものだと誰かに訴えかけているように。
――なんて契約だよ……。
流れに身を任せてしまった自分の落ち度。
これでより一層、彼女を裏切れなくなってしまった。
まぁ、でも――。
「え、ちょっ」
これで最後だというように、起き上がってそっと彼女を抱きしめる。
その温もりを忘れないように、ずっと浸っていたいが故に。
――許してください。
誰に乞うでもなく、弱い自分が呟いている。
――たった一人の家族なんです……。
誰でもない自分に、言い聞かせるように。
複雑な思いを胸に。
罪悪感から逃れるための言い訳を並べて。
「瑠璃……」
孤独に打ちひしがれる毎日。
そこにいつでも、彼女が寄り添ってくれている。
それが嬉しいけれど、苦しい。
自分の中に居座る『彼女』への想いを裏切ることになるから。
ずっと、言えなかった。
でも今は無性に、本当の意味で伝えずにはいられなかった――。
「愛してる」
「うん」
これがどっちの意味でなのか、訂正しないあたり、卑怯だなと自分でも思う。
勘違いさせて、傷つけてしまう恐れがあるのに。
「ねぇ、先生……」
いつか来る終わりの時。
この微笑ましい日常を失うのが怖い。
――だから、
「もし」
――できることなら、
「もし俺が……」
全てにけりを付けられたら。
敵わず終わったのだとしても。
――このままずっと、一緒に……。
同じ孤独を知る者だから。
彼女を一人にしてしまえば、今まで以上に辛い日々を送ることになる。
それが負い目となることを、罪悪感となることを自分は理解している。
ずっと傍にいてくれた彼女のことも裏切りたくない。
できることなら、その隣にいてあげたい。
そう思っていたから。
――なのに、
「言わなくていい」
その先を言わせないように、瑠璃は指で口を塞いでくる。
悲しげに俯いて。
涙を堪えるように苦笑している。
「わかってるから」
察しているのか、惜しむように強く抱きしめてくる。
小刻みに、身体が震えている。
「私の初恋は叶わないって……」
顔を埋めて、咽び泣く。
必死に堪えながら、少しの間をおいて顔を上げて。
「わかってるから……」
寂しさに満ちた、作り笑いだった。
――どうして、そんな……。
突き放すような痛い言葉。
胸をえぐるような苦しい想い。
――でも、
彼女の方がよっぽど辛いことなのだと。
自分から離れられるように突き放してくれている。
背中を押してくれている。
――ごめんね、ごめんね……。
ただひたすらに、謝罪の念を抱くことしかできない。
傍で支え続けてくれる彼女に、自分は何も返すことができない。
凄く、歯痒い。
悔しくて、自分の無力さを痛感する。
「……っ」
すると何度目の抱擁が心地いい温もりを連れてやってくる。
優しげに微笑む瑠璃の顔。
あくまで気にしなくていいと、無理をしてでもそう言い張りたいよう。
そうしなければ互いに、この関係に依存して離れられないから。
それでも、どれだけ取り繕っても、二人とも寂しがり屋故に、傷をなめ合うように擦り寄ってしまう。
いけないことだとわかっていながら。
似た者同士故の苦悩だった。
「さ、学校遅れちゃうよ?」
目尻の涙を拭きとって、立ち上がる。
しんみりとした空気に彼女は背を向けて、
「……ねぇ、鏡夜。一つ、我が儘を言わせて?」
ドアノブに触れながらのお願い。
表情が覗えないけれど、大切なことであるのだと察せられる。
「私は君の選択に反対するつもりはないけど、それに従うつもりはないよ」
肯定するわけでも、否定するわけでもない。
彼女は彼女でいつも通り、自分を貫き通す。
そう言いたいのだろう。
「この先に何が待っていようと、私は君を愛し続けるよ」
「……っ!」
「だから、安心して?」
そう微笑んで、瑠璃は立ち去る。
ゆっくり閉まるドアの向こう。
一人、取り残された空間で頭を抱えてしまう。
「ずるいなぁ……」
嬉しく頬は緩むのに、胸は酷く痛んでいる。
別れを告げられるものだとばかり思っていたのに。
彼女は、人の恋路を応援しながら、自分の恋路も諦めようとしない。
どちらも大切なモノだから。
それをわかっているから。
まるで、自分自身を見ているかのように、そっくりな選択だった。
「もっと好きになっちゃうじゃないか……」
家族としての『好き』なのに、振舞う素振りが魅力的すぎて、鋼の意思が脆く剥がれそうになる。
一人の女性として見てしまいそうになる。
本当に離れられなくなってしまいそうになる。
同じ穴の狢。唯一無二の理解者。
だからこそ、惹かれ合うのかもしれない――。
※
朝から重苦しい空気を味わい、パーカーを着て、ブレザーを這おう。
自室を出て玄関前で靴を履く瑠璃に目が行く。
「それじゃ、先行ってるからね」
「ああ」
「……君も、対外だね」
「何が?」
「フード被ると、人格が変わるところ」
言われて気づく。
視界を狭め、陰に溶け込む。
それが弱い自分を覆い隠す。
――だから、
フードを取って、顔をさらけ出す。
隠した無表情から、素直な笑顔を浮かべ直す。
「行ってらっしゃい」
「―――」
目を見開き、驚き気味の瑠璃。
けれどすぐに微笑して、口を開けて。
「もう一回、抱きしめてもいい?」
「遅れるよ?」
「はーい……」
戸を開ける瑠璃を置いて、フードを被り直す。
出ていく寸前、足を止める瑠璃に疑問符を浮かべると、
「君も、頑張ってね」
また振り返り際に笑みを零していた。
そこに『何を』なんて聞ける間もなく、
「行ってきます」
そんな言葉を置いて、彼女は家を後にする。
静まり返ったリビングへと戻り、時計を見る。
置かれた朝食を目にすぐさま平らげて、食器を片付ける。
再び時計を見れば、6時40分を示しており、いつもより20分早いが、自分も家を出ることにする。
最寄り駅まで自転車で10分ちょい。
そこから電車で20分揺られ、学校まで徒歩で5分。
一人、黄昏るように茫然と過ごす。
電車の中、ヘッドフォンを付けて窓の景色を眺める。
太陽の光を浴びて、キラキラと輝く青い海。広がる快晴の空。
それを目に何度も思うことがある。
「―――」
ふと聞こえる男女の声。
自然とそこに目をやれば、仲睦まじく会話する二人の学生がいる。
至近距離で笑みを零し合う姿からして、親密な関係だということが見て取れる。
あまりじろじろ見てもよくないだろうと、視線を再び窓へと戻す。
普通の男子高校生なら、羨ましいだとか嫉妬の炎を燃やすのだろうが、あいにく自分は幸せそうで何よりとしか思えない。
それどころか、微笑ましくさえ思えてしまう。
赤の他人を気にする要素など、それくらいしかない。
――けれど、
脳裏にはより一層、『もしもの世界』が広がっていく。
もしもここに長重がいたら。
何を言って、どんな表情を見せてくれるのか。
虚しい妄想を膨らませてしまう――。
『次は~、五市波駅~、五市波駅~。お出口は左側です。開くドアにお気を付けください』
電車を降り、駅前のコンビニへと出る。
いつもならここで氷室と合流し学校へ向かうのが恒例なのだが、今日はなし。
だから久しぶりに一人、ぽつぽつと進んでいく。
「……ん?」
学校前まで来ると、校門付近にて登校中の生徒に挨拶運動を行う長重と他委員のメンバーが立ち並んでいることに気づく。
このまま行けば、生徒会メンバーということで強制参加させられるに違いない。
――そのため、
ブレザーを脱ぎ、パーカーを裏返し、青色へと変えて着直す。
フードは被らず、ポケットから黒縁眼鏡とマスクを取り出し装着する。
――これでよし。
いつもならフードによって陰って見えない顔。
それを敢えてさらけ出すことにより、誰も知らない人物像ができあがる。
その状態のまま校門を通過する。
案の定、誰にも気づかれずに下駄箱へと向かえる。
――はずだった。
「ちょっと君」
突如、声を掛けられ、立ち止まる。
軽く振り返れば、声主である長重が佇んでいる。
何なのかと見つめていれば、
「目、赤いよ?大丈夫?」
ただの心配。
自然と目を触れて、どうするべきか迷う。
口を開ければ声でバレてしまう可能性がある。
そのため黙秘権を行使しようとすれば、
「酷いようなら保健室に行ってね」
それ以上、追及することなくそう言い残し、長重は離れていった。
「ふぅ……」
バレていないことに一安心し、気兼ねなく校舎へ移動する。
2階のトイレへと駆け込み、パーカーをもとの赤へと裏返す。
眼鏡とマスクを外して、いつも通りフードを被る。
こういう時のためのリバーシブルパーカー。
変装という危機回避に特化した衣服である。
「目、か……」
手洗い場の鏡にて、確認してみれば少しほど充血しているのがわかる。
たかだかこれだけのことで、長重は見ず知らずの人に声を掛ける。
そうやって、無自覚に誰もを魅了する。
まさに魔性の女。
「全く……」
長重は優しい。
その分け隔て無さが、男を勘違いさせる。
自分もまた、その一人なのだと思うと、ため息が出る。
そして苦笑いして、教室へと歩いて。
誰もいない教室を目に、窓から挨拶運動する連中を眺める。
時計へと視線を移せば、7時25分を示している。
「……」
挨拶運動に参加すべきか、否か。
今更になって、迷いが生じている。
けれど結局、あの空気感に混ざる勇気などなく、自席にて眺めるだけとなっていた。
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