戻ってきた初恋はバラの香り~再会した御曹司の豹変ぶりに困惑しています~

沢渡奈々子

第27話

     * * *

 それからしばらく医務室にいたみちるは、佐津紀に伴われて人事課へ戻った。菜摘が貸してくれたスカートと、買って来てくれた下着とストッキングを身につけている。
 並河が心配そうに声をかけてくれた。
「梅原さん、大丈夫だった? 総務には一応、電話で苦情を入れておいたよ。酷いことされたね、まったく」
「ありがとうございます」
「それで……総務部長と人事部長と執行役員が、話を聞きたいって言ってる。この後四時半から第二会議室で、ってことだけど……行ける? ダメそうなら日を改めるって連絡するけど」
(つ、ついに来た……)
 近い内に管理職から事情聴取をされる予感はしていた。役員まで同席するとは思わなかったけれど。時計を見ると、もう四時過ぎだ。心の準備をする時間はほとんどない――
「大丈夫です、行けます」
「一人じゃ無理なら、僕も同席するけど」
「大丈夫だと思います、多分」
 自分は何も悪いことはしていない、それだけを胸にみちるは望むつもりでいた。
「大丈夫じゃないですよ、私も一緒に行きます」
 菜摘が鼻息荒くくちばしを挟んでくるが、岡村に止められる。
「高槻が行ったら、役員怒らせそうだからやめとけ。……梅原、ちょっと」
 彼がみちるに手招きをする。耳元から少し離れたところで、ごくごく小声で、何かを吹き込んだ。
「――はい、そうします。ありがとうございます」
 みちるは身だしなみをチェックすると、筆記用具とスマートフォンを持って第二会議室へ向かった。
 四時半少し前にドアをノックし入室すると、まだ誰もいなかったので末席に腰を下ろした。ほどなくして、ノック音とともに管理職が数人入って来たので、立ち上がって会釈をする。
「あぁ、座ってください」
 総務部長の久行ひさゆきが着席を促した。みちるは「失礼します」と小声で言い、腰を下ろした。目の前には、久行と、人事部長の服部はっとり、それから執行役員の新田にったが並んで座っている。
「お時間取ってもらってすまなかったね、梅原さん」
「いえ……こちらこそ、ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
 服部の言葉に、みちるは頭を下げた。
「早速始めようか。ここに呼ばれた理由は分かっていると思うけど、今日社内で噂されていることの真偽についてです。まずは総務課・江口さんが盗難に遭ったということで、犯人が梅原さんだと言われていますね。単刀直入に聞きますが、それは事実ですか?」
「いいえ、私は何もしていません。昨日、私のロッカーから江口さんのお財布やスマホが出て来たのは事実ですが、それは私がやったことではありません」
「まぁ、口ではなんとでも言えるからねぇ……」
 みちるの釈明に、新田が憮然とした表情で呟いた。
「もし、万が一にも私が犯人だとしたら、盗んだお財布とスマホは自分のバッグの奥にしまって、誰にも見つからないようにします。でも実際には、ロッカーを開けると同時に落ちるように置かれていました。……これは、誰かが私に罪をかぶせるために、あらかじめロッカーに仕込んだのではないかと思っています」
 実はこれは菜摘の受け売りだ。昨夜の電話で、財布とスマホが出て来た経緯を説明した時に、彼女が即座に推理を披露した。みちるが彼女を『名探偵・菜摘』と呼称した所以はここにもある。
「つまり君は、誰かに嵌められたと言いたいんだね?」
 久行が持参したPCに何かを打ち込みながら尋ねてくる。みちるは力強くうなずいた。
「はい」
「君は他人のせいにするのか?」
 新田が詰め寄ってくる。どうやらこの執行役員ははなから彼女の話を信じるつもりはないらしい。完全に梅原みちる犯人の体で話を進めてくる。
「私の仕業ではない以上、誰か他の人のせい、ということになりますね」
「……」
 納得できない、と言いたげな表情で、新田が黙り込む。彼とは対照的に、隣にいる服部は冷静な顔を崩さずに口を開く。
「ひとまず盗難の件は置いておくとして。もう一つの問題に行きます。江口さんは、あなたが広報部の海堂くんをストーキングしている、と申告しているんだけど、それについてはどうですか?」
「それも事実無根です。ストーキングなんてしてません」
「接触したこともないと?」
「……ないです」
(少なくとも“自分から進んで”接触したことはないし)
 一瞬言いよどんでしまうが、無理矢理そう解釈し答えた。会議室で二人きりになったことはみちるの本意ではなかったし、自分から話しかけたこともないのは確かだ。
 この状況で「実は海堂さんと私はつきあっているんです」などと言おうものなら、完全に『頭のおかしいストーカー』として認定されてしまうだろう。
「じゃあ、何故江口さんはああ主張しているんだろうね? 火のないところになんとやら、と言うじゃないか」
 新田が口角を意地悪く上げて問う。
「あの……海堂さんは、なんとおっしゃってるんですか? 私にストーキングされていると?」
「海堂くんは提携メディアへ打ち合わせに行っていて、まだ事情を聞けていないんだよ。一応連絡は入れて今こっちに向かっているそうだから、帰社次第、聞いてみるつもりだよ」
 服部がそう答えた。
「それで……海堂くんが帰社してくる間に、江口さんが直接君と話がしたいと言っているんだが、入ってもらってもいいかい?」
「あー……はい、お願いします」
 みちるの答えを受けて、新田が立ち上がり、ドアを少し開いて美那莉を招き入れた。
「失礼します……」
 美那莉は目を潤ませながら、おずおずと入室する。服部から「そちらへ座ってください」と、みちるの斜め前を示された彼女は、小さな歩幅でちまちまと歩き、ちょこん、と席についた。
「それで、江口さんは何を話したいのかな」
 久行が水を向けると、美那莉は瞳の潤いをさらに増して、今にも涙がこぼれそうな視線をみちるに送った。
「……私、梅原さんと二人でお話したいです」
 そう言った後、彼女はきゅるんとした可愛らしい眼差しを管理職へ向けた。すると新田がコホン、と咳払いをし、
「そういうことであれば、我々は少しの間、席を外そうか」
 と、立ち上がった。服部はみちるに尋ねる。
「梅原さんはそれでいいかい?」
「あー……はい、大丈夫です」
 それならばと、服部と久行も立ち上がり、新田の後に続いて退室した。
(……どうなるんだろう、この後)
 みちるの心臓が逸る。美那莉は一体、自分に何を言うつもりなのか、いろいろ考えすぎて頭がこんがらがってしまう。
「あの、江口さん……私、本当にあなたのお財布とか盗んでいないし、海堂さんのストーカーでもないの」
「……嘘つき」
 地を這うような声音に、みちるは目を見開く。そこにいたのは、みんなが知っている可愛らしくて彼女にしたい女性社員ナンバーワンな江口美那莉ではなかった。
 さっきまで浮かべていた涙はどこへやらな、きついまなざしでもってみちるを射貫き、氷のようなオーラを発した女王様が、あごをツンと上げてふんぞり返っているではないか。
(目が据わってる……衛司くんも真っ青な豹変ぶりだ……)
 みちるの口元はひくひくと痙攣する。
「海堂さんのストーカーをしてるくせに、身のほど知らず」
「だから……ストーカーなんてしてないから」
「隠しても無駄。あたし、知ってるんだから」
「知ってると言われても、身に覚えがないんですけど……」
 何を言っても信じてもらえそうにない。みちるは下を向いてため息を吐き出した。一方、美那莉は彼女に対する攻撃を続ける。
「すぐにでも会社辞めて消えてくれない? そうじゃないとあたし、盗難と脅迫の被害届を警察に出すから」
 指先で髪をくるくると巻き取りながら、美那莉はにこりともせずに言う。
「私が盗んだわけじゃないし、あなたを脅迫なんてしてもいないのに?」
「盗んでいなくても、実際あんたのロッカーから財布とスマホは見つかってるし、その場面を目撃した証人もいる。あんたとあたし、みんなはどちらを信じるのかなぁ」
「盗んでいなくても、ってことは、私が犯人じゃないって知ってるのよね? ……やっぱり、江口さんの自作自演なの?」
「……だったら何?」
 目を細めて冷たく問う美那莉に、みちるはつとめて冷静を装い、彼女の意図を聞き出そうと集中する。本心は怖くてたまらない。今にも身体が震えそうだ。
「やっぱりあなたの仕業なの? 私に罪を着せた目的は何? ……海堂さんのストーカーっていうのを信じてるの?」
「そうよ。証拠があるんだから」
 そう言って美那莉は、スマートフォンを出し、何やら操作をしてみちるに突き出した。
「え……これ……」
 それは、みちるが衛司とデートをしている時の写真だった。確かちょっとしたことでからかわれ、照れて突っかかった場面なのだと思うが、見方によっては彼の元に押しかけて困らせているように見えなくもない。
「相手にされないからって、図々しいのよ。休日に押しかけるなんて」
「これ、どうやって撮ったの……?」
「どうだっていいでしょ。そこに写ってるのが何よりの証拠よ、このストーカー」
(どうしよう……)
 この状況をどう説明したらいいものだろうか。盗難については完全に潔白なので、先ほどのように淡々と事実を述べて否定すればいい。しかし衛司のことに関しては、実際に交際しているだけに、釈明が難しい。
(衛司くん、早く来て……)
 彼が帰社して、ストーカー疑惑だけでも否定してくれればいいのだけれど――

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