戻ってきた初恋はバラの香り~再会した御曹司の豹変ぶりに困惑しています~

沢渡奈々子

第24話

     * * *
    
 KEL総務部で盗難が起こったと届け出があったのは、週明けのことだった。盗まれたのは、総務課に所属している受付嬢、江口美那莉の財布とスマートフォンで、“あの”美那莉が被害に遭ったとのことで大騒動になっていた。
 彼女があまりにも怯えて泣きじゃくっているからか、
「ストーカーの仕業じゃない?」
 だの、
「会社の男たちの八割を敵に回した」
 だのとあちこちで囁かれ、あっという間に噂が大きくなったのだ。
 もちろん、みちるの部署でも話題になっている。
「社内で盗難があって、ここまで大事になったのって初めてじゃない?」
「まぁ、被害者が江口さんだしね」
「それにしても犯人、誰なのかな……江口さん、可哀想」
 いつもの場所で昼食を取りながら、佐津紀と菜摘とみちるも窃盗事件について話をしていた。
「更衣室で盗まれたなら、犯人は女じゃないかしら」
「女だとしたら、ストーカーの可能性は低いんじゃないかなぁ。そうなるとお金目当てということになりますけど。でもそれだと江口さんだけを狙い撃ちするのはおかしいし、もしかして、お金じゃなくて、彼氏を取られた女の怨恨の線ですかねー」
「菜摘、探偵みたい。でも、早く戻ってくるといいね」
 その日はあちこちでことあるごとに窃盗のことが話題に上がった。
 警察に届け出た方がいいという助言もあったようだが、美那莉の希望もありもう一度探してみるので明日以降ということになったらしい。
 会社の中も探そうと、有志――というより美那莉のファンが何人も立候補し、めぼしい場所を探し始めたようで、そこここで捜索する男性社員が見受けられた。
 終業後にも繰り広げられているその光景を苦笑いで眺めながら、みちるは帰宅準備をするべく、女子更衣室に向かった。
 ドアをノックして中に入ると、四、五人の女性社員が一人の女性を囲んでいた。どうやら落ち込んでいる美那莉を同僚が慰めているようだ。
 邪魔をしてはいけないと、みちるは黙って自分のロッカーを開いた。
「え?」
 その刹那、中から何かが落ちる音がした。カーペット敷きなので鈍い音ではあったが、それでも更衣室内には響いたのか、そこにいた全員が一斉にみちるの方へ視線を向けた。
「な、何……?」
 床を見ると、そこには見覚えのない財布とスマートフォンが落ちていた。
「――あ、私の……!」
 固まっていた女性たちの中の一人が、落下物を指差した。
「え? これ、江口さんの……ですか?」
 みちるは思わず横にずれた。美那莉が駆け寄り、落ちていた財布とスマホを拾い上げる。
「どうして……?」
 美那莉は手にしたそれらとみちるとの間に、目線を何度も往復させた。
「わ、分かりません。私にも何がなんだか……」
「あなたが盗んだんじゃないんですか? 梅原さん」
 美那莉を慰めていた女性社員の一人が訝しげに尋ねてくる。みちるはあたふたして何度もかぶりを振った。
「違います! 私じゃないです!」
「じゃあどうして梅原さんのロッカーから見つかったんですか? おかしくないですか?」
「私もどういうことか分からなくて……江口さん、私、本当に身に覚えがないんです」
「往生際が悪くない? 正直に謝ったらどうなのよ」
「そうよ、実際に梅原さんのロッカーから出てきたんだから」
 美那莉の取り巻きなのか、一緒にいた女性社員たちが口を揃えてみちるを責め出した。
「そんなこと言われても、私は盗んでません。何かの間違いだと思います!」
 身に覚えがない罪で犯人と疑われてはたまらない。みちるは懸命に無実を訴える。
「みなさん、もうやめてください! お金も取られてないみたいだし、見つかれば私はそれでいいんです」
 可愛らしい瞳をうるうると潤ませながら、美那莉が女性社員たちとみちるの間に割って入る。さながら「私のために争わないで!」とでも言いたげである。
「江口さん、私、本当にあなたのロッカーにもバッグにも触ったことないの。それだけ信じてもらえると嬉しいです」
 みちるが告げると、美那莉は涙目でこくん、とうなずいた。
「わ、かりました。会社には、もう見つかったので大丈夫です、って言っておきますから」
 ぺこりと頭を下げた彼女は、バッグの中に財布とスマートフォンをしまい、更衣室を後にする。一緒にいた女性たちも、不満げではあるが、彼女の後に続いた。
 一人になったみちるは、大きくため息をつく。
「……一体、どういうこと?」
 みちるが美那莉に関するものに触れたことがないというのは事実だ。それどころか会話したことすら、仕事関係以外ではない。だから彼女には何の感情も持ってはいないのだ。
 いや、衛司に気があるという話を菜摘から聞いているのだ。何も思わないというのは嘘だ。本音は、あまり衛司には近づいてほしくはない、そう思ってはいる。
 けれど彼女を恨む気持ちなどこれっぽっちもないことは確かで、財布やスマホなんて盗む理由などあるはずがない。
 何がなんだか分からないみちるは、首を傾げながら更衣室を出て、そのまま社屋を後にした。
 帰宅してから、念のため菜摘には電話で話しておいた。
『――みちる、それは完全にみちるを狙ってやってるよ』
「私を……?」
『私のカンだけど……江口さん、みちると若様のことを知ってるんじゃないかなぁ』
「え……」
『それでなんらかの形でみちるを陥れて、別れさせるか会社にいられないようにするか、を狙ってるのかもしれない』
「でも江口さん、お財布とスマホは見つかったからもういいって言ってたよ。会社にもそう言っておく、って」
『うーん……でも、その言葉を額面通りに受け取ってもいいものかしら。……いずれにしても、気をつけておくに越したことはないよ。佐津紀さんと岡村さんには私からこのことを話しておくから。みちるも若様に今日の内に話しておいた方がいいわ』
「うん……分かった」
『何かあったら、私や佐津紀さんに言うんだよ? 岡村さん使ってもいいし!』
「うん、ありがとう、菜摘」
 電話を切った後、衛司に電話をしようかと思ったが、菜摘と話していたらすっかり夜遅くなってしまったので、ざっくりと説明したメッセージだけを送っておいた。
〝教えてくれてありがとう。大変だったな。その件は俺の方でも調べてみるから、あまり心配しなくていい〟
 そうリプライが返ってきたので、少しだけ安心できた。
「衛司くんが信じてくれてるんだもん。大丈夫」
 みちるは誰にともなく呟いた。

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