戻ってきた初恋はバラの香り~再会した御曹司の豹変ぶりに困惑しています~

沢渡奈々子

第21話

     * * *

「梅原ごめんだけど、面接の資料作るの手伝ってくれる? ホチキスとクリップ持ってついてきて」
 大量のコピー用紙を抱えた岡村が、みちるに目配せをする。
「あ、はい」
 彼女は立ち上がり、課内共有のホチキスを二つと芯の箱、それからゼムクリップ一箱を持って岡村の後について行った。そして両手が塞がっている彼に代わり、空いている小会議室のドアを開く。
「サンキュ」
 岡村が室内に入り、長テーブルの上にコピー用紙を置く。
「とりあえずは五十人分、面接官は四人だから予備含めて五セット分な。ソートしたらマル秘スタンプ押すから」
「はい」
 採用面接で使用される、面接官用資料のセットを作るのを手伝う。みちるは岡村がソートしていったものを揃えてホチキス留めしていく。
「ったく、いい加減面接資料もデジタルファイルにすればいいんだよな、PDFとか。管理職にはタブレットも配られてるんだからさ。そうすれば紙だってこんな無駄にしなくていいし。マル秘資料だから裏紙にすらできずシュレッダー行きだし」
「そうですねー。どうしてPDFにしないんでしょう」
「紙じゃないと嫌な役員がいるんだと。IT企業とは思えない発言だよなぁ」
 それからしばらくは無言で作業を続けていた。そして、ようやく終わりが見えた頃、岡村が静かに切り出した。
「ところで梅原、“あいつ”とつきあうことになったんだって?」
「え? あいつって……」
「もちろん、海堂衛司だよ」
「え? え? どうして岡村さんが知って……って、あの、えっと……」
 思い切り焦るみちるに、岡村がクスクスと笑う。
「慌てるな、別に噂が広まってるとかそういうわけじゃないから。……っていうか、あいつから聞いてないの? 俺と海堂が同じ大学の同級生だった、っていうの」
「っ、え、そうなんですか!?」
「まぁ大学は学部とボランティアサークルが一緒だったくらいで、仲がすごくよかったわけじゃなかったんだけどな。でもいきなり四月に電話がかかってきて『梅原みちるのことを教えてほしい』って言われてさ」
「全然知りませんでした。え……か、海堂さん、教えてくれなかったから」
 つい『衛司くん』と呼びそうになり、みちるは慌てて言い直す。
(いけない、会社では絶対名前呼びなんてしちゃダメ……!)
「俺も人事担当の端くれだからさ。会社に保管されてるような個人情報は無理だって断ったんだけどな。個人的に知ってることで差し支えない範囲でなら……って条件で協力したんだわ。つきあってる男はいるのか、結婚はしているのか、とか」
「そうなんですか……」
 だから衛司は初めからみちるに彼氏がいないのを知っていたのかと、彼女は納得する。
「あぁ、あとメアド送ってきて『みちるはまだこのメールアドレスを使っているのか?』って聞かれたんだ。俺が知ってる梅原のメアドだったから使ってるみたいだ、とは言ったし、どんな子か、どんなことが好きか、というのも聞かれたな」
 四月に高級洋菓子店の手土産をくれた時も、仕事にかこつけて衛司から銀座に呼び出され、いろいろ聞かれていたのだと教えてくれた。
「なんか……ご迷惑かけてすみません」
「いやいや、迷惑じゃねぇよ。学生時代、あいつがこんな風に一人の女に執着するのを、俺が知る限りでは見たことがなかったからさ。なかなか面白いもの見せてもらったわ。事情は海堂から聞いた。十年前に向こうで知り合ったんだってな?」
「あー……はい、そうです」
「縁ってのは不思議なもんだなぁ。巡り巡って今、繋がったんだもんな。……まぁあんなやつだから、つきあうのいろいろ大変だと思うけど、仲良くな」
「あの岡村さん、学生時代の海堂さんって、どんな人だったんですか?」
 衛司がみちるについてあれこれ聞き出していたのなら自分だって――そう開き直って聞いてみる。
「ん? まぁ今と大して変わらねぇよ。めっちゃくちゃ女にモテてた」
「でしょうねー……」
 岡村は肩をすくめながら答えると、みちるがははは、と渇いた笑いを漏らした。
「……ただ、時々だけど、“何か”が足りないような顔をしてたことがあったな。当時つきあってた彼女といた時も、みんなに囲まれている時にも、遠い目をすることがあったんだ。あんなに恵まれた環境にいてすべてを持っている男なのに、それでも満たされてないのかよ、って、端から見てて呆れた覚えがある」
「……」
 岡村は大きく息を吸い、そして穏やかに言った。
「……“それ”が梅原だったんだな」
「岡村さん……」
「ま、社内でのことなら俺も協力するから。困ったことがあったら頼ってくれていいし。一人で抱えてるのしんどかったら、高槻と瀬戸に相談に乗ってもらえよ。心配してたぞ、梅原の様子がどことなく変だったって」
「菜摘と佐津紀さんが?」
「あの二人なら言いふらしたりしないから、打ち明けてもいいと思うけどな」
 確かに彼女たちなら、みちると衛司の交際に驚いたり面白がりはしても、悪意を持って広めたりなどはしない。それはみちるにもよく分かる。それに岡村も、衛司に負けず劣らず誠実な男性だ。もちろん信頼している。
「はい……じゃあ、そうします。ありがとうございます、岡村さん」
 資料をすべて作り終えると、岡村がみちるに礼を言う。そしてそれを一人で運ぼうとするので、慌てて止める。
 保管する場所までお供するつもりで、半分を持ち上げた。
「悪いな」
「いえいえ、これくらい」
 小会議室を出て、人事情報が保管されている倉庫に向かう。廊下を歩き、角を曲がった瞬間――
「きゃっ」
 みちるは向こう側から歩いてきた人物とぶつかってしまった。弾みで、抱えていた書類をぶちまけてしまう。
「すっ、すみません!」
 衝突した相手と岡村双方に頭を下げ、慌ててしゃがむ。せっかく番号順に揃えた書類が、バラバラになってしまった。
「申し訳ない。……すまないな、岡村」
 聞き覚えのありすぎる声が、みちるの耳に飛び込む。弾かれたように顔を上げた時、思わず声を上げそうになる。
 衛司が一緒になってしゃがみ、書類を拾い集めていたのだ。
 この時になってようやく、みちるはぶつかった相手が衛司だと気づいた。
(や、やばい……)
 突然の邂逅に、口から心臓が飛び出そうになる。拾う動作があからさまに不自然になってしまう。
「あーあ……せっかく順番に並んでたのに。……なぁ? 梅原」
「す、すみません。私がもっとちゃんと前を見ていれば……」
「梅原のせいじゃないよ。……あーあ、どうしようか、また並べ直さなきゃなぁ」
 岡村がわざとらしい口調でぼやきながら、衛司をちらりと見る。珍しいことに、衛司は一人だった。いつも人に囲まれて歩いている姿しか見かけなかったので、みちるは内心ホッとした。
「じゃあ、そこを使ったらいい。ちょうど会議が終わったところで空いてる。俺も手伝うよ」
 衛司が後ろのドアを指差す。とりあえず書類を全部かき集め、三人は会議室に入った。
「……梅原、俺、これ置いてくるから。そっちは任せていいか?」
「えぇ?」
 入室するや否や、岡村が持っている書類の束を掲げ、そんなことを言い出した。いきなりの発言にみちるはうろたえる。そんな空気を意に介さず、彼は衛司に水を向ける。
「海堂のせいなんだから、ちゃんと手伝えよ?」
「あぁ分かった」
「あ、あの」
「置いたら戻ってくるから、それまでに終わらせておいてな、梅原」
 動揺を隠せないみちるをよそに、岡村がにっこりと笑い、会議室から出て行った。
 突然、ふたりきりにされ、みちるは反応に困った。会社では絶対に接触しないと決めていたのに、つきあい始めた途端これだ。
「――あいつ、わざとだな」
「え?」
「俺たちをふたりきりにしてくれたんだよ、岡村は。あいつもなかなか気が利くじゃないか」
「そ、そうなの……?」
「しかもこの後、仮に俺たちだけで退室すると、誰かに見られて勘ぐられる可能性もあるからな。ちゃんとここに戻ってきてくれるらしい。アフターケアもちゃんとしている」
(岡村さん、余計なことを……!)
 人がいなかったからいいようなものの、怪しまれる行動は極力したくないのに。
「……岡村さんには、後で『李下に冠を正さず』という言葉を覚えてもらおう」
 みちるはぼそりと呟くと、書類を番号順に重ね始めた。衛司は彼女の隣に立ち、バラバラになっているそれの向きを直し、手渡す。
「俺は嬉しいけどな、こうして会社でもみちると過ごせて」
「……私だって」
 本当は嬉しいけど――もごもごと口の中で転がした言葉は、本音だ。社内で堂々と交際宣言できたら、どれだけいいだろう。
 頬をほんのりと染めたみちるの耳元に、衛司がくちびるを寄せた。
「――本当は、このままここでみちるを押し倒したい」
「っ!」
(衛司くんっ、なんてこと言うの!)
 目を剥くみちるに、とろけたまなざしで衛司がさらに続ける。
「――裸で机の上に寝かせて、胸にたくさんキスマークをつけたい。花びらみたいできれいだろうな」
「っ、衛司くん、ダメ……」
 書類を持つ手が強張るが、彼は意に介さない。
「――それから脚を開いて、ぐちゅぐちゅ音を立てながら、みちるを可愛がりたい」
 衛司は指一本たりとも、みちるには触れていない。その声だけで、心臓が跳ねて全身が熱くなる――とても不本意だけれど。
「みちるの細い腰を掴んでガツガツ突いて、喘がせたい。……どうする? 誰かに声を聞かれたら。……乱れた姿を岡村に見られたら」
 色気をまとわりつかせた低音で囁かれ、みちるの背中にゾクリと痺れが走る。甘さをたっぷり含んだそれは、下半身に熱を集めてくるから、場所もわきまえずに疼いてしまう。
「も……やめて……」
「あー……やばいな。想像したら勃ちそうだ」
「衛司、くん……!」
 耳孔に直接吹き込まれる艶めかしい声に、全身がふるりと震える。
 衛司と初めて身体を重ねてから、さほど経っていない。それなのに、彼の誘うような言葉に、肢体は忠実に反応してしまう。
 彼によって全身に植えつけられた愉悦の燃えくさは、いとも簡単に火を灯すようになってしまった。
「……というのは冗談だ」
 フッと笑った後、衛司はあっさりと色を排除した声音で言い放つ。
「っ!」
 からかわれたのだと分かった瞬間、みちるの頬はますます赤く染まった。
「本当にするはずないだろう? みちるの可愛らしい声や姿を、他の男に分け与えることなどしない。絶対にな」
「っ……もう! 衛司くんの馬鹿!!」
「あははは、大きな声を出すと外に聞こえるぞ、みちる」
 みちるは衛司の腕をポカポカと叩く。危うく変な気分になるところだった――いや、足の先くらいは官能の沼に引きすり込まれていただろう。
 それが悔しくて、みちるは歯噛みする。
「もう二度と、会社で衛司くんに近づかないから!」
 決意表明をした時、ちょうど会議室のドアが開いた。
「お待たせ~。悪かったな、梅原。海堂にいじめられなかったか?」
「……いじめられました」
 ぶすくれた表情で衛司を睨みつけるが、彼には何一つ響いていないようだ。クスクスと笑うと、素知らぬ顔で書類をまとめて岡村に渡した。
「じゃあ、俺はこれも置いてく――」
「私も行きます!」
 ふたたび一人で退室しようとする岡村に、みちるは食い気味に手を挙げた。それはもう授業参観で張り切る小学生のように、ピシッと指先まで神経を行き届かせて。
「ははははは。よっぽど“いじめられた”らしいな、海堂に」
 両手が塞がったままの岡村が、笑ってあごを捻る。一緒に行こう、という意思表示だろう。
「みちる、早速浮気か?」
「もう、“海堂さん”とは話をしません! ……会社では」
 プイ、と顔を背け、みちるは岡村の元に駆け寄る。
「海堂……おまえどんなことやって、梅原怯えさせたんだよ」
 呆れ半分、同情半分の目つきで、岡村が衛司を見た。衛司は不敵な笑みを浮かべた後、目元を甘く緩めて言う。
「好きだという気持ちが、抑えられなかっただけだ」
「おま……隠さないねぇ……。愛されてるなぁ、梅原?」
「そういうことは言わないでください! ……会社では」
 悔しいような、嬉しいような、恥ずかしいような……いろんな感情が混じり合った複雑な顔で、みちるは衛司を睨めつける。
「そんな可愛い顔して、睨まれてもな」
 衛司が肩をすくめて笑った。

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