【完結】契約書は婚姻届

霧内杳

第十五話 社長秘書5

次に目が覚めたときも、尚一郎は眠っていた。

まだ日も昇ってないようで、カーテンの向こうは暗い。

じっとしているつもりだったが、さっきからトイレに行きたい。
それに、喉も渇いた。

しばらく我慢していたが耐えきれなくなって、そっと尚一郎を起こさないようにベッドを抜け出す。
用を済ませて再びベッドに潜り込もうとすると、尚一郎が目を覚ました。

「起こしてしまいましたか?」

「ん?
ううん。
いま、何時……」

器用に右手で携帯を操作しながら、左手で尚一郎は朋香を抱き寄せる。
するんと腕の中に朋香を収め、尚一郎は携帯を枕元に再び置いた。

「そりゃ、朋香は目が覚めちゃうよね。
一緒に散歩にでも出たいけど、まだちょっと早いからね」

ちゅっ、額に落ちる口付けはくすぐったくて、それだけで嬉しい。

「そういえば、そのパジャマはどうしたんだい?
朋香が持っていたものではないだろう?
それに、昨日のスーツも」

「え?」

尚一郎がなにを言いたいのかわからない。

そもそも、パジャマなんてどれも大差ないのに、違いがわかるんだろうか。

「その、本邸に持っていった荷物は返ってこなかったので、お義父さんがお詫びにって買ってくださいました」

本邸に行く際、持っていった荷物は携帯と指環をのぞいてすべて、戻ってこなかった。

最初からそのつもりだったのか、逃げ出した朋香に対する制裁だったのか。

とにかく、戻ってこない荷物の代わりだと、尚恭がいろいろと買ってくれた。
それはもう、代わりやお詫びにしては多すぎるほどに。

「どんな事情があっても朋香にプレゼントしていいのは僕だけだっていうのに。
持ってきた荷物、全部、COOが用意したものだよね?
見たことないものばかり入ってた」

「……はい?
もしかして、勝手に開けたんですか?」

夫婦間とはいえ、勝手に開けられるのはやはり、ムカっとくる。

「荷物整理して、ドレスルームに出してあげただけだよ。
朋香、寝ちゃったから」

「それは……。
ありがとうございます」

にっこりと笑う尚一郎に悪気はない。
尚一郎としては当たり前のことなのだろうと諦めて、怒るのはやめておいた。

「とにかく。
ほかの人間が買ったものを朋香が身につけるなんて許せない。
今日はまず、朋香の服を買わなきゃね」

「えっと。
……ありがとうございます」
……結局、尚恭が用意してくれた荷物はすべて、速攻で処分される運命にあることを、朋香はまだ知らない。


ちゅっ、ちゅっ、と何度も何度も、尚一郎から口付けを落とされながら過ごす時間は、たまらなく心地よくて、ずっとこうしていたい気さえする。

「そういえば尚一郎さん、お祖父さんに贈り物って、なにを贈ったんですか?」

尚恭の口振りからいって、達之助が激怒したことは想像に難くない。

「あー、えっと、……内緒だよ」

きょときょとと尚一郎の視線が泳ぐ。
きっとまた、とんでもないものを贈ったに違いない。

「しょーいちろーさーん」

「ひぃっ」

地獄から響くような朋香の声に、びくりと尚一郎の背中が震えた。

「なにを贈ったんですか?」

完全に怒っているのに笑っている朋香に、尚一郎はますます怯えてベッドの隅で丸くなり、びくびくと身体を振るわせる。

「怒るから、言わないよ」

「しょーいちろーさん?」

朋香の口元がぴくぴくとひきつる。
情けないことに尚一郎の目には、うっすらと涙が浮かんでいた。

「ひぃっ。
言うから!
言うから、怒らないで!
……最高級ラブドール、だよ」

「もう二度と、怒らせるようなことはしないって約束しましたよね!」

「ひぃっ」

朋香の怒鳴り声に、尚一郎はがたがたと震えている。
そんな姿に、はぁっと朋香の口から小さくため息が漏れた。

「理由は聞かなくてもだいたい想像できますが。
ああいう人は相手にしないのが一番だって言いましたよね?
どうして挑発するようなことするんですか」

「だって、僕の大事な朋香を傷つけたんだよ?
それなりに仕返ししなきゃ気がすまない」

こわごわと朋香の手を掴んだ尚一郎の手はかたかたと細かく震えていた。
そのままそっと抱き寄せられたかと思ったら、痛いくらいに抱きしめられた。

「ごめん、朋香。
守れなくて。
本当にごめんね」

泣き出しそうな声に、不安そうに震える身体に、胸がぎゅっと締め付けられた。

きっと尚一郎はずっと、朋香をひとり、残してきたことを後悔していたに違いない。

そう気付くとたまらなくなって、尚一郎を暖めるように朋香の方からも抱きついた。

「ごめんなさい。
大丈夫だって言っておきながら、こんなに心配させて。
私がもっと強かったらよかったのに」

「朋香はいまのままで十分だよ。
僕の方こそ、ごめんね」

「尚一郎さん……」

そっと、尚一郎の目尻に光る涙を拭うと目が細く、緩いアーチを描く。
ゆっくりと近づいてきた顔に唇がふれ、離れるとふふっと笑われた。

「……もっとKussしたい」

耳元で囁かれた言葉に、熱い顔で頷く。

再び重なった唇。
最初は啄むように感触を楽しんでいたが、そのうちに深く交わった。
どちらからともなく求め合い、室内には甘い吐息が満ちていく。

「朋香……」

熱に浮かされた尚一郎の瞳が朋香を見つめる。

そっと頬にふれ、了承だと自分から再び唇を重ねようとした瞬間。

ぐるるるるーっ、と響き渡る、自分の腹の音に、違う意味で顔が熱くなった。

「昨日は夕食が早かったからね。
着替えて近くのカフェに朝食を取りに行こう」

……くすくすと笑う尚一郎に、思わず枕を投げつけた朋香だった。

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