【完結】契約書は婚姻届
第9話 婚約者ってなんですか?2
その日、朋香がおやつのチーズケーキを堪能していると、珍しく野々村の慌てた声が聞こえてきた。
「尚一郎様はお留守ですので!」
「別にいいじゃない、他人じゃないんだし。
……誰?」
リビングに女性が現れ、間抜けにも口に突っ込んだフォークをくわえたまま、ぱちくりと瞬きしてしまう。
「……お客様?」
一瞬、見つめ合ったふたりだが、女性の方が我に返るのは早かった。
つかつかと朋香の傍にやってきて、ソファーの背に手を突き、上から高圧的に見下ろしてくる。
「ねえ、野々村。
この女、誰?
尚一郎の浮気相手?」
さらさらと長い黒髪が落ちてくる。
真っ赤なマニキュアにさらには自信を示すかのような真っ赤な口紅。
自分とは正反対なその女性は誰だか知らないが、無性に不快だった。
「あなたこそ誰ですか?
私は尚一郎さんの、つ、つ、つ、」
「つ?」
朋香の顎に手をかけて上を向かせ、挑発するようにニヤリと笑った女性に、朋香のなにかがぷつんと音を立てて切れた。
「私は尚一郎さんの妻ですが!」
「やっぱり尚一郎の浮気相手なんじゃない」
「は?」
急に興味を失ったかのように女性は朋香から離れ、野々村に持ってこさせたコーヒーを口に運んだ。
「だって、私は尚一郎の婚約者だもの」
「はぁっ!?」
真っ赤な唇を吊り上げ、勝ち誇ったように笑う女性に、朋香は勢いよくソファーから立ち上がっていた。
婚約者だという女性とリビングで膠着状態のまま、尚一郎の帰りを待つ。
そりゃ、大企業グループオシベの御曹司なのだから、婚約者のひとりやふたりいてもおかしくないだろう。
けれど、尚一郎は自分と結婚したのだ。
なのに、婚約者だとかいって押し掛けてこられて、気分がいいわけもない。
そのうち、ロッテがワンワンと楽しそうに吠えだして、尚一郎の帰りを知らせた。
詰め寄るように玄関に急いだ朋香だったが、女性の方が一足早かった。
「会いたかったわ、尚一郎!」
女性から首に抱きつかれ、濃厚な口付けを受けている尚一郎を、朋香がジト目で睨んだことに罪はないはずだ。
「ゆ、侑岐!?
いつ、日本に?
じゃなくて離れてくれないかい!」
女性を慌てて引き剥がしていた尚一郎だが、朋香の視線に気付いたのか、びくんと背中を震わせた。
「朋香、違うから」
「へー、なにがどう、違うんですか?」
冷ややかな朋香の声に、尚一郎はびくびくしている。
まとわりつく女性を困惑して引き剥がしながら。
「彼女は重広侑岐っていって、CEOが決めた婚約者で。
……元。
元、婚約者だよ!」
「エー、私は婚約解消した覚えはないんだけどー」
「侑岐、離れてって!」
なれなれしい女性――侑岐に、迷惑そうな顔をしながらもきっぱりと拒絶しない尚一郎に、怒りがふつふつと沸き上がってくる。
「その方と結婚した方がよかったんじゃないですか」
「だから朋香、誤解だって」
誤解もなにも、朋香の目からは尚一郎が、侑岐にべたべたされてデレているようにしか見えない。
「尚一郎、式はどーするー?
達之助おじいさまが早く結婚しろってー」
「侑岐さんとお幸せに!」
「待って、朋香!」
とうとう怒りが爆発し、後先考えずに屋敷を飛び出した。
飛び出したもののどこに行っていいのかわからない。
外に向かう道をとぼとぼ歩いていると、後ろに気配を感じた。
「尚一郎さん!?」
追ってきてくれたのかと期待して振り返ったのに、そこには誰もいない。
「くーん」
小さな鳴き声がして、さらには手に湿った鼻を押しつけられて視線を落とすと、尻尾を力なく振っているロッテがいた。
「ロッテは私を、心配してくれるんだ」
「くーん」
慰めるようにスリスリとあたまを擦り付けられ、ぽろりと涙が落ちた。
「尚一郎さんなんてだいっきらい」
言葉とは裏腹に、涙はぽろぽろ落ちていく。
声を殺してロッテに抱きついて泣いた。
「さて。
これからどうしようか、ロッテ」
「ワン!」
「あっ、くすぐったいって!」
涙を拭うかのようにロッテにぺろぺろと顔を舐められ、少しだけ元気が出た気がした。
ロッテをお供に一本道を屋敷の外へと向かって歩く。
監視カメラの場所も通ったので朋香が敷地外に出たのはわかっているはずなのに、やはり尚一郎は追ってこない。
一般道に出て、朋香はロッテの前にしゃがみ込んだ。
「ロッテ。
ここまで着いてきてくれてありがとう。
一緒に来てほしいけど、無理だから。
おうちに帰ってくれる?」
「ワフ?」
なに言ってんの、私はずっと朋香について行くわ、そんな顔でロッテに見られて、思わずぎゅっと抱きついていた。
「ロッテ、ほんとにありがとう。
ロッテだけは私の味方だね。
でも、私は大丈夫だから、おうちに帰って?」
そっと、屋敷の方へロッテを押すと、不安そうに振り返られた。
「大丈夫だから。
ありがとう」
「くーん」
二、三歩進むとまた、振り返って小さく鳴く。
笑顔を作って手を振ると、まだしぶしぶのようではあったが、ロッテは屋敷の方へと戻っていった。
……さて。
ロッテが見えなくなり、ばしんと一回、両手で頬を叩いて気合いを入れる。
……とりあえず、いま、自分にできることをしよう。
さらに歩いて大通りまで出る。
毎日、ロッテと三十分の散歩をこなしているので、難しいことではなかった。
大通りではタクシーを拾った。
無一文でカードすら持ち合わせてないが、行き先は実家。
着いて事情を話せば、明夫が払ってくれるはず。
これからの方針がとりあえず決まってほっと息をつくと、気が緩んだのかまた涙が出てきそうになって慌てて目尻を拭う。
朋香が雪也と浮気したときはあんなに怒っていたのに、自分は婚約者にデレデレして。
結局、自分との結婚はやはりただの契約結婚でしかないのだろうか。
最近、尚一郎を本気で好きになり始めていただけに、ショックは大きい。
「尚一郎様はお留守ですので!」
「別にいいじゃない、他人じゃないんだし。
……誰?」
リビングに女性が現れ、間抜けにも口に突っ込んだフォークをくわえたまま、ぱちくりと瞬きしてしまう。
「……お客様?」
一瞬、見つめ合ったふたりだが、女性の方が我に返るのは早かった。
つかつかと朋香の傍にやってきて、ソファーの背に手を突き、上から高圧的に見下ろしてくる。
「ねえ、野々村。
この女、誰?
尚一郎の浮気相手?」
さらさらと長い黒髪が落ちてくる。
真っ赤なマニキュアにさらには自信を示すかのような真っ赤な口紅。
自分とは正反対なその女性は誰だか知らないが、無性に不快だった。
「あなたこそ誰ですか?
私は尚一郎さんの、つ、つ、つ、」
「つ?」
朋香の顎に手をかけて上を向かせ、挑発するようにニヤリと笑った女性に、朋香のなにかがぷつんと音を立てて切れた。
「私は尚一郎さんの妻ですが!」
「やっぱり尚一郎の浮気相手なんじゃない」
「は?」
急に興味を失ったかのように女性は朋香から離れ、野々村に持ってこさせたコーヒーを口に運んだ。
「だって、私は尚一郎の婚約者だもの」
「はぁっ!?」
真っ赤な唇を吊り上げ、勝ち誇ったように笑う女性に、朋香は勢いよくソファーから立ち上がっていた。
婚約者だという女性とリビングで膠着状態のまま、尚一郎の帰りを待つ。
そりゃ、大企業グループオシベの御曹司なのだから、婚約者のひとりやふたりいてもおかしくないだろう。
けれど、尚一郎は自分と結婚したのだ。
なのに、婚約者だとかいって押し掛けてこられて、気分がいいわけもない。
そのうち、ロッテがワンワンと楽しそうに吠えだして、尚一郎の帰りを知らせた。
詰め寄るように玄関に急いだ朋香だったが、女性の方が一足早かった。
「会いたかったわ、尚一郎!」
女性から首に抱きつかれ、濃厚な口付けを受けている尚一郎を、朋香がジト目で睨んだことに罪はないはずだ。
「ゆ、侑岐!?
いつ、日本に?
じゃなくて離れてくれないかい!」
女性を慌てて引き剥がしていた尚一郎だが、朋香の視線に気付いたのか、びくんと背中を震わせた。
「朋香、違うから」
「へー、なにがどう、違うんですか?」
冷ややかな朋香の声に、尚一郎はびくびくしている。
まとわりつく女性を困惑して引き剥がしながら。
「彼女は重広侑岐っていって、CEOが決めた婚約者で。
……元。
元、婚約者だよ!」
「エー、私は婚約解消した覚えはないんだけどー」
「侑岐、離れてって!」
なれなれしい女性――侑岐に、迷惑そうな顔をしながらもきっぱりと拒絶しない尚一郎に、怒りがふつふつと沸き上がってくる。
「その方と結婚した方がよかったんじゃないですか」
「だから朋香、誤解だって」
誤解もなにも、朋香の目からは尚一郎が、侑岐にべたべたされてデレているようにしか見えない。
「尚一郎、式はどーするー?
達之助おじいさまが早く結婚しろってー」
「侑岐さんとお幸せに!」
「待って、朋香!」
とうとう怒りが爆発し、後先考えずに屋敷を飛び出した。
飛び出したもののどこに行っていいのかわからない。
外に向かう道をとぼとぼ歩いていると、後ろに気配を感じた。
「尚一郎さん!?」
追ってきてくれたのかと期待して振り返ったのに、そこには誰もいない。
「くーん」
小さな鳴き声がして、さらには手に湿った鼻を押しつけられて視線を落とすと、尻尾を力なく振っているロッテがいた。
「ロッテは私を、心配してくれるんだ」
「くーん」
慰めるようにスリスリとあたまを擦り付けられ、ぽろりと涙が落ちた。
「尚一郎さんなんてだいっきらい」
言葉とは裏腹に、涙はぽろぽろ落ちていく。
声を殺してロッテに抱きついて泣いた。
「さて。
これからどうしようか、ロッテ」
「ワン!」
「あっ、くすぐったいって!」
涙を拭うかのようにロッテにぺろぺろと顔を舐められ、少しだけ元気が出た気がした。
ロッテをお供に一本道を屋敷の外へと向かって歩く。
監視カメラの場所も通ったので朋香が敷地外に出たのはわかっているはずなのに、やはり尚一郎は追ってこない。
一般道に出て、朋香はロッテの前にしゃがみ込んだ。
「ロッテ。
ここまで着いてきてくれてありがとう。
一緒に来てほしいけど、無理だから。
おうちに帰ってくれる?」
「ワフ?」
なに言ってんの、私はずっと朋香について行くわ、そんな顔でロッテに見られて、思わずぎゅっと抱きついていた。
「ロッテ、ほんとにありがとう。
ロッテだけは私の味方だね。
でも、私は大丈夫だから、おうちに帰って?」
そっと、屋敷の方へロッテを押すと、不安そうに振り返られた。
「大丈夫だから。
ありがとう」
「くーん」
二、三歩進むとまた、振り返って小さく鳴く。
笑顔を作って手を振ると、まだしぶしぶのようではあったが、ロッテは屋敷の方へと戻っていった。
……さて。
ロッテが見えなくなり、ばしんと一回、両手で頬を叩いて気合いを入れる。
……とりあえず、いま、自分にできることをしよう。
さらに歩いて大通りまで出る。
毎日、ロッテと三十分の散歩をこなしているので、難しいことではなかった。
大通りではタクシーを拾った。
無一文でカードすら持ち合わせてないが、行き先は実家。
着いて事情を話せば、明夫が払ってくれるはず。
これからの方針がとりあえず決まってほっと息をつくと、気が緩んだのかまた涙が出てきそうになって慌てて目尻を拭う。
朋香が雪也と浮気したときはあんなに怒っていたのに、自分は婚約者にデレデレして。
結局、自分との結婚はやはりただの契約結婚でしかないのだろうか。
最近、尚一郎を本気で好きになり始めていただけに、ショックは大きい。
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