【完結】契約書は婚姻届

霧内杳

第6話 車と元彼と私2

部屋に戻り、名刺に書かれていた先にメッセージを送ってみることにしたが、なにを書いていいのか悩む。
打っては消し、消しては打ちを繰り返し。

【こんにちは。
このあいだはありがとう】
 
とりあえず、それだけ打って送るとすぐに既読になった。

【こちらこそ、お買い上げ、ありがとうございます(笑)
まさか、押部の奥様が朋香だなんて思わなかったよ】
 
確かに、知り合いの誰もが朋香が押部の奥様になるなんて想像もしなかっただろう。

【いろいろあってね。
雪也はいま、どうしてるの?】

【俺はいまだに独身。
いまは仕事が楽しいかな】
 
独身、その言葉に一瞬だけ胸がとくんといった気がしたが、気づかないふり。

【そうなんだ】

【今度、ゆっくり話せないか。
サークルのメンバー、朋香と連絡取れないって心配してたぞ】

【うん、じゃあ今度】

【また連絡する】
 
既読がついて画面を閉じる。

つい、雪也と会う約束をしてしまったのは、尚一郎に対してなんとなく後ろめたい。

……でも、みんなと突然連絡絶って、心配されてるみたいだし。

これには正当な理由がある、と朋香は自分に言い聞かせた。



……早く納車日にならないかな。

毎日考えることはそれだけ。
納車されてひとりで出掛けられるようになったら、雪也と会う約束をしているから。

あれから、雪也とは毎日のように連絡を取っている。
尚一郎とは出来ない、芸能ゴシップネタとかも気軽に話せるし、なにしろ常識に差がない。
元彼、という立場に感じてた気まずさはすぐになくなり、ただの男友達になっていた。

「朋香?
なに考えてるの?」

ちゅっ、尚一郎から落とされる口づけ。
それは決して嫌なものじゃなく、最近は心地いいとさえ感じる。

「なんでもないですよ」

慌てて笑って取り繕った。
浮気じゃないと自分では思っているが、やはり雪也のことを考えていたのはなんとなく後ろめたい。

「そう?
なにか足りないものとか欲しいものとかない?」

「ないですよ」

毎日の尚一郎のプレゼントに、あっという間に衣装部屋は一杯になってしまった。
それなのに尚一郎はさらに買おうとする。

……自分の愛情を示すかのように。

この結婚が尚一郎が自分を手に入れたいがための契約結婚だというのはもう、自覚している。
でも、どうしてそこまで尚一郎に愛されているのかわからない。
理由がわからず受ける愛情はなんとなく居心地が悪い。

「僕は朋香にもっとおねだりしてほしいんだけどな」

「……はあ」

ちゅっ、ちゅっ、落ち続ける口づけ。

……どうして私は、尚一郎さんにこんなに溺愛されてるんだろう。

朋香は不思議でしょうがない。



納車まで結局、ひと月ほどかかった。
オプション装備どころか、尚一郎はかなりのカスタムオーダーしたらしい。

それまでの間はほかの車を使ってもいいし、あれならハイヤーを使うといいよと提案してくれた。

お金も、朋香憧れのブランドの、ピンクの財布に現金五万円とカードを入れて渡してくれた。

……十万円入れようとした尚一郎とは、揉めたが。

けれど、野々村にハイヤーを呼んでもらうように頼めばいいことだとわかっていても、なんとなく頼みにくい。
あと僅かの辛抱だと、朋香は我慢していた。



「では、キーをお渡しします」

納車の日。

雪也がテーブルの上に載せたキーにはすでに、猫のキーホルダーが付けてあった。

「……これは?」

不快そうに尚一郎の片眉が上がる。

けれど、雪也は気づいてないふりなのかにっこりと営業スマイルを浮かべた。

「私から奥様へ、ささやかなプレゼントです」

「ああ、そう」

まるで挑発に乗るかのように、尚一郎が唇を歪ませる。
そんなやりとりを見ながら、当事者である朋香はなにが起こっているのかわかってなかった。

なぜなら、尚一郎が買い物をするとき、サービスだとかプレゼントだとか、なにかとオマケされるのが普通だったから。

今回も、その類だと思っていたのだ。

「このたびはお買い上げ、誠にありがとうございました。
なにかありましたら、いつでもご連絡ください」

「ええ、なにかあったら、ね」

雪也は目が合うと、朋香に向かってにっこりと笑った。
尚一郎も笑っているが、どことなく作り笑いめいている。


「朋香にプレゼントしていいのは僕だけだっていうの」

「は?」

尚一郎がなにを言っているのか理解できない。

リビングに戻り、あっという間に付けられていたキーホルダーを外して尚一郎は野々村を呼んだ。

「処分しといて」

「えっ、ちょっと!」

渡されたキーホルダーを手に、下がろうとしていた野々村を慌てて止める。

「処分することないじゃないですか!
折角もらったのに」

「なに?
朋香はあいつがくれたものが欲しいの?」

「えっ、その……」

拗ねた子供のようにジト目で睨まれて困ってしまう。

別に、それが欲しいわけじゃないが、かといって折角もらったものを簡単に処分してしまうのもどうかと思う。

「人としてどうかと思うっていうか……」

「僕は、ほかの男からもらったものを朋香が使うのが許せない」

「は?」

……待て待て待て。

そういえばさっき、
「プレゼントしていいのは僕だけ」
とか言ってましたか?

はぁーっ、尚一郎の考えにため息しか出てこない。

「でもこのあいだ、ノベルティはもらいましたよ」

「ノベルティは業務の一環。
会社からであって、個人からではないよ」

「個人からといっても、車を買ってもらったお礼で、仕事の一環では?」

「ぜーったい、これはあいつの個人的なプレゼントだって!
なに、朋香はそんなにこれが欲しいの!?」

さっきから、尚一郎は子供のように怒っている。

もしかしてこれは、……嫉妬してるんだろうか。

そう気づいて、なんだか朋香は面倒になってきた。

「……はぁーっ。
わかりましたよ、それは使いません。
ただ、処分するのはもったいないので、誰か欲しい人にあげてください。
……これでいいですか?」

ぎろり、と思いっきり睨みつけると、尚一郎は怯えたようにびくんと背中を震わせた。

「う、うん。
それでいいよ」

……私はなんて、面倒な人に好かれてしまったのだろう。
それでなくても家のことだけでも面倒なのに。

はぁーっ、深いため息を朋香が落とした理由に、尚一郎は気づいていない。

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