【完結】契約書は婚姻届
第1話 契約続行の条件は社長との結婚!?3
翌々日、明夫と西井、そして明夫の右腕で技術部長の有森泰行とともに朋香が再びオシベメディテックを訪れると、社長室に通された。
「今日はわざわざご足労いただき、ありがとうございます」
「いえ……」
どんな無理難題を言ってこられるのかと戦々恐々としている三人の顔色は悪い。
反対にその前に座る押部社長は、押部尚一郎という名前が不似合いなくらい、外国人の風貌をしていた。
まるでタンポポのような明るい金髪、春の野原のような碧の瞳。
そしてそれらの優しいイメージを一掃するかのような、冷たい銀縁の眼鏡。
「そう恐縮ならさずに。
気楽に行きましょう?」
「はあ……」
押部は楽しそうに笑っているが、明夫たちは生きた心地はしないだろう。
死に神から喉元に鎌を突きつけられているにも等しい状況なのだから。
「それで、今日のお話というのは。
……若園製作所さんとの契約はいままで通りということと」
「はあ、やはり契約は打ち切り……。
えっ!?」
信じられないことを聞いた、とでもいうかのように明夫の顔が上がった。
ほかのふたりも聞き間違いじゃないのかと、顔を見合わせている。
そんな三人に押部はおかしそうに笑っている。
「ええ、契約はいままで通りで。
それと」
「それと」
神妙な顔になった明夫が、ごくりと音を立ててつばを飲み込む。
やはり、無理な注文が。
「今度、人工心臓の開発にも協力することに決まったんです。
奏林大の小木教授、ご存じですか?」
「ええ。
それが?」
朋香は知らなかったが、奏林大の小木といえば、日本では人工心臓研究の第一人者で、ペースメーカーの部品を作っている明夫たちももちろん知っていた。
「是非、若園製作所さんにも協力していただきたい」
「それは光栄ですが……」
それだけ技術を買ってくれていることは嬉しいが、開発にはそれだけ金がかかる。
二つ返事で、とはいかない。
「もちろん、こちらからも援助はさせていただきます」
「ありがたい話ですが……」
明夫たちが信じられないのも無理はない。
契約打ち切りの話できたはずが、契約は続行、そのうえ融資の話となると。
「ただし、一つだけ条件があります」
「条件、ですか」
若干浮つきだしていた明夫たちだが、押部社長の表情が急に変わり、姿勢を正す。
こんなうまい話が早々あるはずがない。
やはり、なにか無理なことを言ってくるに違いない。
「そこの秘書の方、社長のお嬢さんを僕にください」
「は?」
「は?」
「は?」
「え?」
朋香からは見えないが、同じ一音だけを仲良く発し、固まっている男三人はきっと、間抜けな顔をしているに違いない。
朋香自身、なにを言われたのか理解できない。
ただひとり、押部は嬉しくてたまらないのか、にこにこと笑っている。
「ですから。
お嬢さんと僕の結婚が条件です」
……契約続行が私との結婚ってなに?
いまだに固まっている三人を無視して押部がさらに続ける。
「この条件がのめない場合は、いままでのお話は全てなかったことに。
当初の予定通り、若園製作所との契約は打ち切りということで」
「なんで私の結婚が条件なんですか!」
一番はじめに状況を理解した朋香が押部にくってかかるが、涼しい顔で笑われた。
「もう決まったことですので」
いや、なんで決まったの?
会社の大事な取り引き、そんなことで決めていいの?
「と、朋香。
落ち着け」
落ち着けと言いつつ、渇いたのどを潤そうと湯飲みを握った明夫の手は、中身がこぼれないか心配になるほど震えている。
西井にはいまだに状況が把握できない、というより把握することをあたまが拒否しているのか、宙に視線を泳がせている。
そっと服を引かれた気がして下を見ると、俯いたまま有森が小さな声で呟いた。
「朋香ちゃん。
こんなむちゃくちゃな条件、聞くことないから。
おじさんたちはおじさんたちでなんとかする」
「有森さん……」
有森とは朋香が生まれる前から家族ぐるみのつきあいだった。
もちろん、朋香も小さい頃から可愛がってもらっている。
父ですらまだ動揺している中、普段は口少ない有森からの言葉に、朋香は少しだけ冷静になった。
……私がこの男と結婚しなければ、有森さんたちは大変なことになる。
なんとかするといったって、開発一筋で人付き合いが苦手な有森に、すぐ次の就職先が見つかるとも思えない。
自分だってなかなか決まらずに、父の手伝いをしているくらいだ。
工場のおじさん、おばさんにはたくさんお世話になった。
去年入社した田中くんは彼女に赤ちゃんができて、結婚するんだと言っていた。
私がこの男と結婚さえすれば、全てが丸く収まる。
「わかりました。
あなたと結婚します」
「朋香?」
「朋香ちゃん?」
「朋香さん?」
明夫と西井はいまだにおろおろしていたが、有森は朋香の袖を引いて、それはいけないと静かに首を振ってくれた。
そんな有森を制して、朋香は僅かに笑って頷き返した。
「それでは契約書です」
目の前に置かれたのは婚姻届。
すでに夫の名前には押部尚一郎の名前が記載してある。
渡されたペンで、朋香は妻の欄に自分の名前を記入した。
促されて明夫も保証人の欄に記入する。
「ありがとうございます。
では、仕事関係の書類につきましては、改めて作らせていただきます。
ああ、本日は実家に帰られてかまいませんよ。
明日、改めてご挨拶かたがた迎えに参ります」
男というのはほんとに頼りにならないと思う。
明夫と西井はいまだに現実が受け入れられていないのか、ぼーっとしている。
ただひとり、有森は朋香にすまなそうな顔を見せ、心を痛ませた。
「では、また明日。
MeinSchatz」
部屋を出る際、尚一郎に抱き寄せられた。
ちゅっ、唇にふれた柔らかいもの。
「あんたとなんかただの契約婚で、形だけなんだからー!」
「はいはい」
余裕で笑って手を振る尚一郎に腹が立つ。
勢いで決めて後悔することが多い人生だったが、これが一番の後悔かもしれない。
「今日はわざわざご足労いただき、ありがとうございます」
「いえ……」
どんな無理難題を言ってこられるのかと戦々恐々としている三人の顔色は悪い。
反対にその前に座る押部社長は、押部尚一郎という名前が不似合いなくらい、外国人の風貌をしていた。
まるでタンポポのような明るい金髪、春の野原のような碧の瞳。
そしてそれらの優しいイメージを一掃するかのような、冷たい銀縁の眼鏡。
「そう恐縮ならさずに。
気楽に行きましょう?」
「はあ……」
押部は楽しそうに笑っているが、明夫たちは生きた心地はしないだろう。
死に神から喉元に鎌を突きつけられているにも等しい状況なのだから。
「それで、今日のお話というのは。
……若園製作所さんとの契約はいままで通りということと」
「はあ、やはり契約は打ち切り……。
えっ!?」
信じられないことを聞いた、とでもいうかのように明夫の顔が上がった。
ほかのふたりも聞き間違いじゃないのかと、顔を見合わせている。
そんな三人に押部はおかしそうに笑っている。
「ええ、契約はいままで通りで。
それと」
「それと」
神妙な顔になった明夫が、ごくりと音を立ててつばを飲み込む。
やはり、無理な注文が。
「今度、人工心臓の開発にも協力することに決まったんです。
奏林大の小木教授、ご存じですか?」
「ええ。
それが?」
朋香は知らなかったが、奏林大の小木といえば、日本では人工心臓研究の第一人者で、ペースメーカーの部品を作っている明夫たちももちろん知っていた。
「是非、若園製作所さんにも協力していただきたい」
「それは光栄ですが……」
それだけ技術を買ってくれていることは嬉しいが、開発にはそれだけ金がかかる。
二つ返事で、とはいかない。
「もちろん、こちらからも援助はさせていただきます」
「ありがたい話ですが……」
明夫たちが信じられないのも無理はない。
契約打ち切りの話できたはずが、契約は続行、そのうえ融資の話となると。
「ただし、一つだけ条件があります」
「条件、ですか」
若干浮つきだしていた明夫たちだが、押部社長の表情が急に変わり、姿勢を正す。
こんなうまい話が早々あるはずがない。
やはり、なにか無理なことを言ってくるに違いない。
「そこの秘書の方、社長のお嬢さんを僕にください」
「は?」
「は?」
「は?」
「え?」
朋香からは見えないが、同じ一音だけを仲良く発し、固まっている男三人はきっと、間抜けな顔をしているに違いない。
朋香自身、なにを言われたのか理解できない。
ただひとり、押部は嬉しくてたまらないのか、にこにこと笑っている。
「ですから。
お嬢さんと僕の結婚が条件です」
……契約続行が私との結婚ってなに?
いまだに固まっている三人を無視して押部がさらに続ける。
「この条件がのめない場合は、いままでのお話は全てなかったことに。
当初の予定通り、若園製作所との契約は打ち切りということで」
「なんで私の結婚が条件なんですか!」
一番はじめに状況を理解した朋香が押部にくってかかるが、涼しい顔で笑われた。
「もう決まったことですので」
いや、なんで決まったの?
会社の大事な取り引き、そんなことで決めていいの?
「と、朋香。
落ち着け」
落ち着けと言いつつ、渇いたのどを潤そうと湯飲みを握った明夫の手は、中身がこぼれないか心配になるほど震えている。
西井にはいまだに状況が把握できない、というより把握することをあたまが拒否しているのか、宙に視線を泳がせている。
そっと服を引かれた気がして下を見ると、俯いたまま有森が小さな声で呟いた。
「朋香ちゃん。
こんなむちゃくちゃな条件、聞くことないから。
おじさんたちはおじさんたちでなんとかする」
「有森さん……」
有森とは朋香が生まれる前から家族ぐるみのつきあいだった。
もちろん、朋香も小さい頃から可愛がってもらっている。
父ですらまだ動揺している中、普段は口少ない有森からの言葉に、朋香は少しだけ冷静になった。
……私がこの男と結婚しなければ、有森さんたちは大変なことになる。
なんとかするといったって、開発一筋で人付き合いが苦手な有森に、すぐ次の就職先が見つかるとも思えない。
自分だってなかなか決まらずに、父の手伝いをしているくらいだ。
工場のおじさん、おばさんにはたくさんお世話になった。
去年入社した田中くんは彼女に赤ちゃんができて、結婚するんだと言っていた。
私がこの男と結婚さえすれば、全てが丸く収まる。
「わかりました。
あなたと結婚します」
「朋香?」
「朋香ちゃん?」
「朋香さん?」
明夫と西井はいまだにおろおろしていたが、有森は朋香の袖を引いて、それはいけないと静かに首を振ってくれた。
そんな有森を制して、朋香は僅かに笑って頷き返した。
「それでは契約書です」
目の前に置かれたのは婚姻届。
すでに夫の名前には押部尚一郎の名前が記載してある。
渡されたペンで、朋香は妻の欄に自分の名前を記入した。
促されて明夫も保証人の欄に記入する。
「ありがとうございます。
では、仕事関係の書類につきましては、改めて作らせていただきます。
ああ、本日は実家に帰られてかまいませんよ。
明日、改めてご挨拶かたがた迎えに参ります」
男というのはほんとに頼りにならないと思う。
明夫と西井はいまだに現実が受け入れられていないのか、ぼーっとしている。
ただひとり、有森は朋香にすまなそうな顔を見せ、心を痛ませた。
「では、また明日。
MeinSchatz」
部屋を出る際、尚一郎に抱き寄せられた。
ちゅっ、唇にふれた柔らかいもの。
「あんたとなんかただの契約婚で、形だけなんだからー!」
「はいはい」
余裕で笑って手を振る尚一郎に腹が立つ。
勢いで決めて後悔することが多い人生だったが、これが一番の後悔かもしれない。
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