指圧はつらいよ
師匠
大輔は師匠のソフトタッチの気功を受けている。
師匠といっても大輔が勝手に師匠と思っているだけである。
師匠は、広永 雅人 54歳 あんまマッサージ指圧師であるが、時間がある時に氣を練るだけ練っていた時、開眼したようだ。
他界した別の場所に住んでいた大輔の祖母の出張マッサージをしていた時に大輔は出会った。
大輔は大輔で氣を練ってはいるが、氣は出ない。これでは弟子になるのも恥ずかしいし、広永も個人開業者で、妻と子供を養い弟子をとるつもりもない。
大輔が、まわりの人に師匠といっているだけで、広永からすれば、なじみの客の1人にしか過ぎないのである。
氣を練るといっても、誰でも出来る。手のひらを擦り合わせれば、熱が発生する。その熱を左右の手のひらで感じ続けていけば、左右の手のひらの距離が離れだしても感じるのである。それが、氣である。氣は分かっているが、それを施術に応用しようとしても、簡単にはできない。要するに自分が静止した状態では感じることはできるが、施術という「動」の状態になると、意識が手に集中しなく「氣」も何もあったもんじゃなくなるのである。
施術が終わり、居間で広永の妻の出したお茶を、広永と大輔は飲んだいた。
「広永先生、氣は練っているのですが、なかなか、出ないですね。動くと出ないです。」
「ハッハッハッ。そうですね。隠すような教師の握りこぶしはないので、練り続けるしかないですよ。仕事は順調なんでしょ。」
「そうですね。少しずつですが、患者さんは増えています。」
最近、「開花堂 治療院」には、大輔と小・中・高、一緒の幼なじみで、医療事務の仕事をしている河合 妃美が常連になっていた。
大輔は父親が片麻痺になり、母親が介護をしている。妃美は母親が片麻痺で、父親が介護をしている。似ている境遇の女性である。
「妃美ちゃん、介護疲れかな。いつも腰が凝っているね。」
「うちは大輔のお父さんほど動けないから、結構、介護しているわ。お父さんだけじゃ大変だからね。」
「妃美ちゃん、優しくて偉いね。」
「大輔が開業してくれて助かってるわ。」
指圧が終わり、大輔と妃美はお茶を飲んでいた。
「大輔は自分が凝ったりしている時はどうしているの。」
「夜、バイトしているスパで、お客さんがいない時に押し合ったりしているけど、毎月1回、師匠の所にも行っているんだ。」
「師匠。」
「おばあちゃんの所に来ていた先生で、ソフトタッチの気功の先生。」
「大輔、気功なんかできないじゃない。気功とかの勉強しているの。」
「触られて気持ちいいからそうなりたいと思うけど、なかなか、難しいね。」
「よく分からないけど、私の持っている女優の谷 かおりさんのダイエットのDVD、貸してあげる。60歳になっても、スタイルが変わらない谷さんは確か、気功よね。」
「借りていいの。」
「あんまり、やる時間もないし、観る時間もないからいいわよ。」
それから大輔は、借りた谷 かおりのDVDを、繰り返し繰り返し観て、時にはその運動を行なっていた。
そんなある日、大輔は、あんまマッサージ指圧の専門学校の時の友人が教えてくれた、姿勢均整法の治療院を訪ねた。
仙人のような、ご高齢の先生で初診料込みで、一回2万円の治療である。高額であるが、仙人先生は身体が動く時は舞台やコンサートに体調を崩しても穴が開けられない芸能人から引っぱりだこになっていた先生である。是非、その先生のひと押しを経験したかったのである。
背骨をまっすぐにすると経絡もよく響く。東洋的なツボも、ここがこういうふうに効くといわれても、あまり、実感が湧かない。だが、背骨をまっすぐにして経絡を刺激すると、ツボにはまる。
仙人先生の得意技だ。
大輔はうつ伏せに寝た状態で、仙人先生は左右の骨盤の高さや肩の高さ、背骨をまっすぐにした状態にした。背骨、骨盤の位置が教科書通りに整っている人は少ない。程度の差こそあれ、だいたい、皆、癖でズレている。
一瞬の出来事を大輔は見逃さず感じた。仙人先生が判断した、一点の背骨沿いのツボを大輔の呼吸の頂点で親指を当てる。そして、息を吐き切った瞬間に親指を離した。そのまま、5分ぐらい横になり終了。身体は軽い。ひと呼吸で治してしまう仙人技だ。
大輔は当てられた親指から何か出ていたことを感じ取った。気功といえば気功なのかもしれないが、もっと、健康に尽くしたいという信念的なものだったように思えた。
1ヶ月たち大輔は師匠の治療院で、師匠を指圧していた。師匠は鎖骨を骨折したことがあり、忙しい日々が続くと肩が痛むようだ。いままでは、ごまかしごまかししていたが、今回は痛みが強いようで、施術を受けに来た大輔に、そのまま、指圧してもらっていたのだ。
「横山さん、氣は出ていますよ。」
「本当ですか。ありがとうございます。」
 (大輔は驚きもしたが、サムライの免許皆伝を受けたようで嬉しかった。)
「じつは、この1ヶ月、東野流気功教室の谷 かおりさんのDVDをずっと観ていたんですよ。なんというか、丹田が大事かなと気づきました。」
「丹田は鍛えたほうがいいね。」
丹田を集中しながらなら「動」の動作でも氣はぶれない。後は指先に気持ちを込めていけば、患者様の健康に尽くしていけるのである。
広永先生と、はじめて会ってから、十年。十年一剣を磨くで、はじめて認められた。もちろん、これで終わりではなく、これから始まりなのだ。
この時に気付いたが、広永の足には大きな正座たこがあり、忙しい仕事のなかでも時間をこじ開けて相当、氣を練っていることが分かった。
広永先生には伝えなかったが、この時、大輔は氣も少しだが見えるようになっていた。
折り紙の白色に、形を小さくした黄色の折り紙を置く。そうすると、黄色の折り紙の淵には紫色が見える。うっすらだが、白と黄色の中間色だ。
光の色彩の妙を見慣れてくると、不思議と相手の身体の調子が悪いところ良くなったところが白い煙や黄色く見えてくるのだ。気功の本に書いてあったのだが、大輔は少し分かってきたのであった。
「開花堂 治療院」で大輔が、十年一剣を磨くで、師匠に褒められた余韻と自信がついてきた嬉しさに浸っている時に、河合 妃美が訪ねてきた。
「妃美ちゃん、ありがとう。借りたDVDからヒントを得て、師匠に褒められたよ。」
「本当、役に立てて嬉しいわ。で、大輔、佐藤 美奈ちゃん、覚えている。」
「覚えているよ。小・中、一緒だった佐藤さんでしょ。」
「美奈ちゃんのお父さんが、どこいっても治らないぐらい肩凝りが酷いみたいで、連れて来ていいかな。」
「いいよ。全力を尽くすよ。」
生きていけば、人生も技術も山あり谷ありだが、少し高い山、少し深い谷を超えた大輔の返事であった。
師匠といっても大輔が勝手に師匠と思っているだけである。
師匠は、広永 雅人 54歳 あんまマッサージ指圧師であるが、時間がある時に氣を練るだけ練っていた時、開眼したようだ。
他界した別の場所に住んでいた大輔の祖母の出張マッサージをしていた時に大輔は出会った。
大輔は大輔で氣を練ってはいるが、氣は出ない。これでは弟子になるのも恥ずかしいし、広永も個人開業者で、妻と子供を養い弟子をとるつもりもない。
大輔が、まわりの人に師匠といっているだけで、広永からすれば、なじみの客の1人にしか過ぎないのである。
氣を練るといっても、誰でも出来る。手のひらを擦り合わせれば、熱が発生する。その熱を左右の手のひらで感じ続けていけば、左右の手のひらの距離が離れだしても感じるのである。それが、氣である。氣は分かっているが、それを施術に応用しようとしても、簡単にはできない。要するに自分が静止した状態では感じることはできるが、施術という「動」の状態になると、意識が手に集中しなく「氣」も何もあったもんじゃなくなるのである。
施術が終わり、居間で広永の妻の出したお茶を、広永と大輔は飲んだいた。
「広永先生、氣は練っているのですが、なかなか、出ないですね。動くと出ないです。」
「ハッハッハッ。そうですね。隠すような教師の握りこぶしはないので、練り続けるしかないですよ。仕事は順調なんでしょ。」
「そうですね。少しずつですが、患者さんは増えています。」
最近、「開花堂 治療院」には、大輔と小・中・高、一緒の幼なじみで、医療事務の仕事をしている河合 妃美が常連になっていた。
大輔は父親が片麻痺になり、母親が介護をしている。妃美は母親が片麻痺で、父親が介護をしている。似ている境遇の女性である。
「妃美ちゃん、介護疲れかな。いつも腰が凝っているね。」
「うちは大輔のお父さんほど動けないから、結構、介護しているわ。お父さんだけじゃ大変だからね。」
「妃美ちゃん、優しくて偉いね。」
「大輔が開業してくれて助かってるわ。」
指圧が終わり、大輔と妃美はお茶を飲んでいた。
「大輔は自分が凝ったりしている時はどうしているの。」
「夜、バイトしているスパで、お客さんがいない時に押し合ったりしているけど、毎月1回、師匠の所にも行っているんだ。」
「師匠。」
「おばあちゃんの所に来ていた先生で、ソフトタッチの気功の先生。」
「大輔、気功なんかできないじゃない。気功とかの勉強しているの。」
「触られて気持ちいいからそうなりたいと思うけど、なかなか、難しいね。」
「よく分からないけど、私の持っている女優の谷 かおりさんのダイエットのDVD、貸してあげる。60歳になっても、スタイルが変わらない谷さんは確か、気功よね。」
「借りていいの。」
「あんまり、やる時間もないし、観る時間もないからいいわよ。」
それから大輔は、借りた谷 かおりのDVDを、繰り返し繰り返し観て、時にはその運動を行なっていた。
そんなある日、大輔は、あんまマッサージ指圧の専門学校の時の友人が教えてくれた、姿勢均整法の治療院を訪ねた。
仙人のような、ご高齢の先生で初診料込みで、一回2万円の治療である。高額であるが、仙人先生は身体が動く時は舞台やコンサートに体調を崩しても穴が開けられない芸能人から引っぱりだこになっていた先生である。是非、その先生のひと押しを経験したかったのである。
背骨をまっすぐにすると経絡もよく響く。東洋的なツボも、ここがこういうふうに効くといわれても、あまり、実感が湧かない。だが、背骨をまっすぐにして経絡を刺激すると、ツボにはまる。
仙人先生の得意技だ。
大輔はうつ伏せに寝た状態で、仙人先生は左右の骨盤の高さや肩の高さ、背骨をまっすぐにした状態にした。背骨、骨盤の位置が教科書通りに整っている人は少ない。程度の差こそあれ、だいたい、皆、癖でズレている。
一瞬の出来事を大輔は見逃さず感じた。仙人先生が判断した、一点の背骨沿いのツボを大輔の呼吸の頂点で親指を当てる。そして、息を吐き切った瞬間に親指を離した。そのまま、5分ぐらい横になり終了。身体は軽い。ひと呼吸で治してしまう仙人技だ。
大輔は当てられた親指から何か出ていたことを感じ取った。気功といえば気功なのかもしれないが、もっと、健康に尽くしたいという信念的なものだったように思えた。
1ヶ月たち大輔は師匠の治療院で、師匠を指圧していた。師匠は鎖骨を骨折したことがあり、忙しい日々が続くと肩が痛むようだ。いままでは、ごまかしごまかししていたが、今回は痛みが強いようで、施術を受けに来た大輔に、そのまま、指圧してもらっていたのだ。
「横山さん、氣は出ていますよ。」
「本当ですか。ありがとうございます。」
 (大輔は驚きもしたが、サムライの免許皆伝を受けたようで嬉しかった。)
「じつは、この1ヶ月、東野流気功教室の谷 かおりさんのDVDをずっと観ていたんですよ。なんというか、丹田が大事かなと気づきました。」
「丹田は鍛えたほうがいいね。」
丹田を集中しながらなら「動」の動作でも氣はぶれない。後は指先に気持ちを込めていけば、患者様の健康に尽くしていけるのである。
広永先生と、はじめて会ってから、十年。十年一剣を磨くで、はじめて認められた。もちろん、これで終わりではなく、これから始まりなのだ。
この時に気付いたが、広永の足には大きな正座たこがあり、忙しい仕事のなかでも時間をこじ開けて相当、氣を練っていることが分かった。
広永先生には伝えなかったが、この時、大輔は氣も少しだが見えるようになっていた。
折り紙の白色に、形を小さくした黄色の折り紙を置く。そうすると、黄色の折り紙の淵には紫色が見える。うっすらだが、白と黄色の中間色だ。
光の色彩の妙を見慣れてくると、不思議と相手の身体の調子が悪いところ良くなったところが白い煙や黄色く見えてくるのだ。気功の本に書いてあったのだが、大輔は少し分かってきたのであった。
「開花堂 治療院」で大輔が、十年一剣を磨くで、師匠に褒められた余韻と自信がついてきた嬉しさに浸っている時に、河合 妃美が訪ねてきた。
「妃美ちゃん、ありがとう。借りたDVDからヒントを得て、師匠に褒められたよ。」
「本当、役に立てて嬉しいわ。で、大輔、佐藤 美奈ちゃん、覚えている。」
「覚えているよ。小・中、一緒だった佐藤さんでしょ。」
「美奈ちゃんのお父さんが、どこいっても治らないぐらい肩凝りが酷いみたいで、連れて来ていいかな。」
「いいよ。全力を尽くすよ。」
生きていけば、人生も技術も山あり谷ありだが、少し高い山、少し深い谷を超えた大輔の返事であった。
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