翼が無ければ鳥でない

櫻井広大

八月二十二日  Ⅰ

「あのね、サンタさんがね、プレゼントくれたの!」
 かおりの部屋に招かれてすぐ顔を高揚させながらかおりがそう叫んだ。弾ける笑顔で飛んだり跳ねたりするかおりの手を取って、一緒に跳ねた。友和がかおりの真似をしてジャンプするとより一層楽しそうにはしゃぎ、床全面はまるでトランポリンだった。
 繋いだ手を上下に唸らせ、肩が外れそうな強さでブンブン揺らす。下に振動が伝わんないだろうかと一瞬気になったが、そんなことは露知らずかおりは盛大にはしゃぎまくる。昼ごはんを食べたばかりだというのに、だ。
 いつもと同じくおままごとをすることになった。役者は友和とかおりに加え、ぬいぐるみのサンタが食卓を囲んだ。
 真一文字に口を結ぶ彼の口にスプーンを運び、かおりがスープを流し込んだ。それと並行して友和の方にもスープを寄越し、両者に美味しいかと聞く。友和は普段通りの口調で美味しいと返答、サンタは友和によって腹話術のように喋り出した。
 サンタの声が想像よりも低かったのか、そんなにサンタさんは怖くないよ、とかおりが笑う。声を高くしてもう一度再現するも「もっと」らしい。おいしい。もっと。おいしい。もっと。おいしい。もっと。
 最終的に喉を最大限狭め、裏声もいいところだった。このまましゃべり続ければ帰る頃には喉が潰れているだろう。一語発する度に喉が悲鳴を上げた。
「サンタさんに何もらったの?」
「おかね」
「お金かー」
「みせたあげる」
 そう言うや否や箱から取り出した犬のぬいぐるみの背にあるチャックを開けて、五〇〇円玉一枚を友和の掌に乗せた。
「あと二枚あったんだけどママに渡しちゃった」
「あ、そうなんだ。嬉しかった?」
「うん。けどびっくりした」
「夏に来ないからね、普通」
「ねぇ、本物なの?」
「うん、このお金は本物だよ?」
「そうじゃなくてサンタさん」
「うーん。ちょっと怪しいね。サンタはおかねをプレゼントしないんだよ」
「そうなの?」
「うん。おもちゃとかゲームとか。欲しいと思っているやつをくれるんだよ」
「じゃあかおりのはにせもの?」
「うーん。でもサンタさんじゃなければ靴にお金とかモノとか入れないよね?入れたら変だもんね」
「でも本当のプレゼントじゃないんでしょ?」
「何が本当かってのも、何が偽物かってのも正直わからないんだよ。かおりが本物だと思えば本物だし、偽物だと思ったら偽物だし」
「ちょっとむずかしい」
「そうだよね、ごめん。まぁ、かおりがサンタさんからのプレゼントだと信じていればそれが本物なんだと思うよ」
 ふーん、と神妙な顔つきでそれだけ呟くと、じっと友和の掌の五百円玉を見つめていた。
 なんの変哲もないただの五〇〇円玉。二週間以上も前に友和がかおりの靴の中に入れた五〇〇円玉。クリスマスプレゼントをもらったことがないかおりのために、少しでもその気分を味わって欲しかった。いや実際、この部屋におもちゃが溢れている状況からかおりは毎年プレゼントをもらっているのは確実だ。しかしその渡し方が靴下の中に入れるというのではなく、直接手渡しされるからその実感がないだけだ。
 かおりが欲しいものが分からず、それ故にお金がプレゼントという奇妙なことになってしまったが、本人はそれをサンタさんからの贈り物だと認識しているのが友和自身も嬉しかった。
「あした誕生日だったね。おめでとう」
「ありがとう」
 称賛されるのに慣れていないのか、恥ずかしいのか、語と語の間に僅かな間隔を開けたようにしてそう言った。
「何か買ってもらった?」
「あした」
「そっか。何が欲しいの?」
「おしえなーい!」
「恥ずかしがり屋さんだなー」
「ママにもいってないんだからね!」
「そうなの?」
「ぜったいにひみつなの!」
「分かった、分かった。楽しみだね」
「ねれないかも」
「楽しみすぎて?」
「うん。ずっと欲しかったものだから」
「後で教えてね」
「うん!みせたあげるよ!」
「約束ね」
 友和が小指を立てるとかおりもそれに合わせて小指を絡ませてきた。ぎゅっ、と二つの糸を結んだように力強く玉を作り、約束した。握られた五百円玉が掌に食い込み、痛みが残ったが、それが確かな約束の証であるかのように感じられた。
 ひどい残暑が連日続くなかで体力が有り余っているかおりと遊びに付き合うのはなかなかハードだ。それでも決してつまらなそうな顔色は覗かせず、自分自身とサンタの一人二役を演じることに全力を尽くした。
 フライパンでハンバーグを焼きながら鼻歌を歌うかおりはとても楽しそうに見える。料理に対する興味は微塵をない友和とはまるで真逆だった。「フフフフン」の音の長さやリズムを変えて組み合わせただけのかおりの鼻歌を聞きながら、楽しい時に自然と鼻歌が漏れ出す癖があったのはユリカも同じだったっけ、と懐かしんでいる自分がいた。
 四年前の七月下旬だっただろうか。席替えをしたあの日から毎日欠かさず話をしていると、ユリカの方から唐突に二人でどこかへ出かけないか、と誘われた。嫌ではなかったので曖昧にまぁいいけど、とだけ返した。
 その一週間後、友和はショッピングモールの男子トイレの中にいた。ワックスで整えた髪をもう一度確認し、入ったばかりのそこを後にした。出るとき中年のオヤジがカッコつけてやがるぜ、と言いたげな目を友和の方へ寄越したが相手にせず、スマホで時刻を確認すると約束の時間からすでに十五分が過ぎていた。
 暑くて脱いでいたパープルの襟付きシャツを羽織り直し、暇を持て余したので近くの本屋に立ち寄った。漫画コーナーで面白そうなものに目星をつけて後で買おうと思った。
 ユリカにLINEで≪まだー?今本屋にいるから≫と送り、しばらくして≪あともうちょい!ごめんね!≫と連絡が入った。ドラマみたいな光景が本当に起こるんだと感心しながら、本屋の前に立つことにした。
 ユリカが到着しても会えなかったらかわいそうだと思ってのこの行動は、我ながら紳士だといい気分になった。あぁ自分はユリカと出掛けることを楽しみにしているのだな、と再確認した。      
 果たしてこれは「デート」という行為なのだろうか。
 デート。その言葉は友和とユリカとの関係にはあまりにも大人びている気がした。少なくとも自分はユリカを恋人として見ているわけではなく、ただの友達であると思っているからだ。誘われたから便乗しただけで、あっちに誘う気がなかったらこっちから誘うなんてあり得なかったからだ。そうだ。身構えることなんてない。普段通りに接すればいいのだ。
 それでもなぜか歯痒さは抑えられなかった。薄々気付いてはいた。それをどうしても認めたくないのも分かってはいた。告ってみようかなと意気込む反面、この状況に浮かれているだけなのではと臆するというのを繰り返していた。 
「ごめんねぇ、遅くなっちゃった」
 返信があってから約十分後にユリカは謝辞の言葉を述べ、現れた。踵が高くないブラウンのヒールを鳴らしながら登場したユリカの格好は、ワイドパンツなるボトムと白を基調としたシャツ、頭にはかんかん帽、耳にはイヤリングがぶら下がっていた。帽子の下の髪を振り分けるようにしてみれば立体的な図形のそれが左右に揺れた。
「ごめん、待った?」
「そりゃあ、ね」
「ちょっと張り切りすぎちゃって」
「そんなに気合入れてこなくてよかったのに」
「どう?この格好」
「なんかいつもと違くて、イイ感じ」
「やった!カズも制服じゃないんだね」
「当たり前じゃん。一応私服です」
「そうだよねー。私服姿見ることなかったから、なんか新鮮」
「ユリカも大人びて見えるよ」
「え、そう?化粧してるからかな?」
「多分そうかなー」
「あ、待って。ちょっとトイレ行ってくる」
 そう言うと先程友和がいたトイレの方へ駆け込み、すぐ戻ってきた。
「どうしたの?」
「いや、ちょっとねー。お化粧が取れてないかしらって」
「なんだよその言い方。オバハンみたい」
「ねぇ、それ超失礼」
 笑いながら軽く友和の肩にゲンコツをぶつけ、大袈裟にハンカチで汗を拭う動作をしてみせた。それこそオバハンみたいに。二人して豪快に笑い合った。笑い合った後、互いを見つめ、また笑った。学校ですらこんなに笑ったことがなかった。いや、学校だからかもしれないが、とにかくユリカの顔は笑顔ではなく「笑い」そのものだった。落ち合って早々笑い声が響く関係はただの友達ではないような気がした。笑いながら心の中でおもしれェ奴だな、とそのとき思った。
 一通り笑い終わるとショッピングモール内に軒を並べる店に視線を投げつつ歩き回った。二人がいるここ一階のフロアはWEGOやH&Mといった洋服店が占めており、ユリカは目に留まった服に近寄っては「カワイイー」とむじゃきな声を上げて胸の前にそれをかざした。
「これ、どう?」
「イイんじゃない?あ、でも黄色よりは違う色の方がいい気がするけど」
「んーじゃあ白は?」
「うん。そっちがイイかも」
「でも白いっぱいあるんだよねー。ついつい買っちゃうんだ。ほら、何にでも似合うじゃん?」
「今日も白だしね」
「確かに」
「白以外だったら………水色とか?」
「それは持ってないかも。ちょっと貸して。あーイイね!これ」
「似合ってるよ。買う?」
「え、まさかプレゼントしてくれるの?」
「いやいや全額は出せないよ。そんなに金ねェし。半分ぐらいならギリいけるかも」
「んーどうしようかなー?もうちょっと他見てみようよ」
「そうすっか」
 マネキンやカラフルな装飾で溢れた店内には若者がまばらにいた。小さい床面積にしては揃えすぎではないか、と思うほど洋服がずっしりとハンガーにかかっており、狭い通路を客は行き通う。
 短いスカートを履いた女子が目の前で服を物色していた。中年オヤジだったらすれ違いの際に尻を手でひと舐めするところだろう。もちろん友和にはその気は微塵もなかったから、いや、その気よりも本人にバレて大騒ぎされる方が圧倒的に面倒に感じたからやらなかったが、そんなスカートを履いて尻を触られたとか文句は言えないと言ってやりたかった。それじゃあまるで犯してくださいと意思表示しているもんだ。触るまではいかないが、見なければむしろ失礼なほどにケツに喰い込んだパンツを指で直していた。
 ふとユリカはどこへ消えたのだろう、とその行方を追った。蟻の行列でなければ這うことのできない店内の視界はバツグンに悪かった。ひとまず外に出ようと出口を探すものの、人混みと服のゴミでごった返すために一向に見つからない。
 何度客にぶつかっただろうか。ぶつかったのが男であれば「すみません」と一言で済むが、女であればまず痴漢を疑われ、次いで軽蔑の眼差しに耐え、「すみません」の応答が舌打ち一つ。
 もしかするとユリカは痴漢に遭遇しているのかもしれないという不吉な予感が全身を硬直させた。背伸びして、眼を凝らして、かんかん帽を探す。店から吐き出された客よりも吸い込まれた客の方が多いので、店内の人口密度はまるで東京だった。
 かんかん帽の捜索に必死で、電話をかけるという思考にたどり着くまでにしばらくかかった。
「もしもし、今どこにいる?」
「まだ店の中だよ」
「それは分かってんだけど、店のどこらへん?」
「人が集まっているところ」
「いやどこだよ。ヒントが独特すぎるわ」
「全然落ち着いて服見れないんだけどー」
「一旦こっちきて」
「こっち、ってどっち?」
「外」
「んー分かった。頑張ってそっち行くわ」
「了解」
 瓶口の圧力に耐えきれずに飛び出したワインコルクよろしくポン、と音をたててユリカは現れた。ヤバくねここ、何を思えばそういう面になるのかとツッコミたくなるような表情のまま言い、違うとこ行こう、と友和の手を繋いだ。貧血なのか冷え性なのか異常なまでに冷たい掌を掌で包むと、友和の体温でほのかに温もりと類似した温かみを感じ取った。
「貧血なの?」
「え、なんで分かったの?」
「いや手が冷たいから、さ」
「まぁ貧血でも軽いほうの貧血だけどね。立ってるだけで気持ち悪くなるようなほどではないから。あ、ダッシュとかすると一発でノックアウトだわ」
「それだったらシャトルランとか地獄じゃん」
「体力テストの?あれは地獄を通り越して拷問とか尋問の類だから」
「フッ、そうなんだ。俺も苦手だなー」
「あれ得意とかあるの?それ、一種の変態じゃない?」
「ドMの?」
「そう、ドMの神様」
「ドMも神様まで昇格すれば伝説だな」
「きっと下っ端の神様だよ」
「そいつはイイや。お似合いだ」
「なにそれ。アメリカの映画で聞きそうなセリフなんだけど」
「そう?キモい?」
「ちょっとね。あ、そうだ。映画にする?」
「イイね。ナイスな提案」
 でしょー?と語尾を高揚させて機嫌をよくしたユリカは軽快な鼻歌とともにスマホで上映中の映画を調べ始めた。アクションとコメディとどっちがいいかと尋ねられたので、笑えるのがいいと答えた。ハンドガンでドンパチも悪くないが、そう思えるのは自分一人の時に限る。デートにはやはり見終わった後の鼻を抜ける愉快さがなければ。映画の後はカフェで批評会を開催しても良さそうだ、と算段を立て、心臓がドタバタと飛び跳ねるのが分かった。
 じゃあこれにするよ、とユリカが画面を向けると、そこにはバカ丸出しで安っぽい雰囲気が尋常じゃなく漂う広告が映し出されていた。おうよ、と口を動かすも心はカフェの中で、内容は聞かなかった。
 視界の隅から隅まで薄く広がるスクリーンを観る人は少なかった。そのおかげでほぼ中央に二人は席を取ることができ、上映までの十分間を会話で乗り切った。時折カップルや親子の姿が暗がりの中を動く切り絵で横切っていく。
 前方でせわしく予告編が紹介され始めると場内をそれとなく満たしていた話し声は消え失せ、暗がりに慣れた目ん玉は突如現れた明るさに痙攣した。耳障りに近い音量にビクリと体を震わせた。
 右手にジンジャーエール、左腕はうなだれているとユリカが手を絡ませてきた。手汗大丈夫かな、と心配になるのも構わずユリカは強く繋いでくる。緊張で指先が震えるのを隠すためにより強く握り返すと、隣でフフフと照れながらユリカは微笑んだ。
 

「文学」の人気作品

コメント

コメントを書く