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翼が無ければ鳥でない

櫻井広大

八月三日  Ⅱ

 その日の夜、お風呂あがりに初めてパパについて尋ねてみた。かおりは会ったことがあるのか、と問うとママは「ごめんね」とだけ言った。再度質問してみたけど、やっぱり返事は同じだった。
「なんで『ごめんね』なの?」
「うん、ごめんね」
 まるで会話になっていない。
「なにかあったの?」
「うん………、ちょっとね」
「けんかしちゃったの?」
「うんん。そういうんじゃないんだ。ただ………」
「ねぇ、おしえてよ」
「大きくなったら教えるから………。だから、ごめんね」
 それ以上は聞いてはいけないような気がして、二人とも黙り込んだ。絶対だよ、と言い残すとママは消え入りそうな声で、うん、おやすみ、と呟いた。
 部屋へ上がるとかおりはサンタさんのぬいぐるみを手に取った。夏ではとてもじゃないけど耐えられないふかふかの服を着込んでいる。
 こんな人がかおりの靴におかねを入れたなんて想像できなかった。知らない誰かの仕業だと考える方が自然な気もしてきた。
 帽子に積もるほこりをはらうと、くしゃみをしたいようなしたくないようなもどかしさも共に宙を舞った。
 このぬいぐるみはいつ買ってもらったんだっけ?
 たしか去年、いやもっと前かな?
 これを手に入れてなにが良かったんだろう?
 可愛くないわけじゃないけど、気に入った部分があるわけでもない。一体かおりはなにを求めていたのだろうか?
 ただ無性に欲しかったのは憶えている。肝心の理由は忘れてしまった。もともとなかったのかもしれない。衝動に駆られただけなのかな?
 笑顔でもなんでもない無表情な顔のサンタさんだ。この人を知ったのはやはりママがきっかけだった。まだ言葉も満足に話せない幼いころ、絵本から飛び出した夢のような人物がこの世界のどこかで生きている、と読み聞かせで知ってからずっと待ち続けていた。
 プレゼントはクリスマスが終わり正月を迎えても来なかった。今度は来るはず、と信じていたかったが、一度も願いは叶わぬ状況に諦めかけていた自分が確かにいた。
 欲しいものは誕生日に買ってもらうから何もいらないけど、ただサンタさんが来るかもしれないという希望に応えてほしかった。そのためのプレゼントを期待していた。中身はなんでもいい。至って普通の家にも「特別感」ていうのがあるんだ、ということを知りたかった。
 だから靴の中に入っていたおかねは特別な感じがして、嬉しかった。たとえそれが本物のサンタさんのおかげじゃなくても、かおりにとってはやっぱりサンタさんなんだ。
 夏に来たサンタさん。靴におかねを入れるサンタさん。絵本のサンタさんとは違くてもいい、と思った。かおりが信じたサンタさんが「サンタさん」なのだから。
 カーテンを閉めて布団に寝そべった。枕を頬にあてると冷たくて気持ちいい。
 ふと電気を消し忘れたのを思い出し、消した。階下の照明が部屋の入り口まで届いたので、完全な闇ではなかった。
 ママは知っているのだろうか。
 サンタさんの正体と、かおりが初めて隠した秘密を。わざと渡さなかったあの大きくて「特別」なおかねの存在を。
 もう一度その感触を呼び戻し、枕にうずくまった形で、内緒だよ?と笑った。

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