翼が無ければ鳥でない

櫻井広大

八月二日  Ⅶ

 夜のコンビニは人の呼吸音が響く。
 平野優流は一定の息遣いを保ったまま、グラビア雑誌を読んでいた。
 まだブレイクを果たしていない、カメラに笑顔を収めることだけで稼ごうと決めた水着の女は、どういう脳味噌の持ち主か。本人は百点満点の笑顔をしているつもりが、素人の一読者でも読み取れる不快の色を写真から窺わせている。やりたい仕事はこんなものでは無いのに、と言わんばかりだ。
 夏の恒例であり、男子の性欲をかきたたせるプールの授業は期待外れに終わった。自クラスにも他クラスにもタイプの子はおらず、肉つきがよくないモデルの一歩手前、又は中の上の女子が三割、顔の割には身体の生育も中途半端な奴等が五割、残り二割は対象外の奴等で構成された動物の群れを見せられた不毛な時間。何の興奮も起きない、ただ冷水に奇声を発するキモい豚。それと比べたら、一生静止画像でしか拝められないだろうグラビアアイドルの方がまだマシという事で、コンビニに来たのだ。
    レジの店員は欠伸を隠すことなく、半分寝ていた。金欠の大学生風のそいつは、突っ立っているだけで時給が発生すると心得ているらしく、優流のような冷やかしの客にも無頓着だった。
 いつの日か漫画を立ち読みしていると、企業のコンセプト全集が服を着て歩いているような店員に注意されたことがあった。店側として立ち読みをお断りしているのなら、雑誌にもテープを巻くのが当然だが、それすらもしていないとなると、どうぞご自由に読んでください、と勧めているにしか受け取れない。このような条件が揃って、立ち読みが何ら違和感のない行動に繋がる状況を作っていた。
 それにしても下手なド素人の雑誌など、どこに需要があるのか?身体だけが取り柄のこの女は、本気で芸能界に進出しようと、いや、進出できると思っているのか?
    十数ページにわたるカラー写真を呼吸の息遣いに合わせてパラパラ捲り、見飽きたので違う雑誌に手を伸ばした。
 最近人気の出てきた、自称おバカキャラのアイドルが表紙を飾っていた。好きでも嫌いでもないが、顔は以前から可愛いと思っていたので、自然と手が反応したのかも知れない。
「オール・カラー!大人気アイドル、初グラビア!」さぁ、お手並み拝見。
 まず目を釘付けにされたのは赤いビキニに収まった色白の胸だった。画面越しでは着痩せしているからかそこまで目立たなかったが、いざ脱ぐとそれが案外デカイ。その証拠に中心の渓谷が深く、くっきりしていた。腰回りは程よい肉付きで、すらっとした長い脚が魅惑的に白かった。
 先ほどのグラドルよりもソソられる。スク水の豚共なんかとは天国と地獄の差だった。
 このアイドルは誰に抱かれたことがあるのだろう。もし抱けることなら抱いてみたい。そして豚共に言うのだ。「お前等の一万倍、気持ちよかったぜ」と。
    心の底から込み上げてくる興奮を感じ、下半身が膨らんでいくのを感じ、店員にそれがバレないよう、服を伸ばした。すると入り口のドアが開き、チャララララララン、ラララララランのメロディーが店内を駆け回った。気怠く眠そうな「いらっしゃいませ」が後に続く。
 優流は客を一瞬見たものの、すぐさま視線をアイドルの胸に落とし、股に落とした。
 柔らかい二つの大きな山が目の前で揺れ、自らの手によって揉みしだかられる。甘い吐息が耳元にかかり、「もっと、もっと」と要求される。それに応え、動悸を激しくしながら腰を前後に振る———。想像するだけでイってしまった。
「ふざけんな!」
    いきなりレジの方から怒鳴り声が聞こえた。見ると、先ほどの客と店員がもめているようだ。高校生に見えなくもない少年が手に缶ビールを持ち、買おうとしたところ、店員がそれを制止したことに不満らしく、「お前、ナメんのもいい加減にしろよ?生意気な顔してんじゃねェよ、この間抜けが」などと罵声を浴びせていた。二十歳未満は酒、タバコは法律で禁止されているだろうが。くだらない。
    あまりの興奮さにいよいよ呂律が怪しくなってきた少年は、くそっ、と店員に吐き捨て、缶ビールを連れて去ったかと思いきや、おにぎり一つを手に再びレジにやってきた。一二八円、と店員が要求した金額に大人しく一〇〇〇円札を差し出し、ビニール袋にお釣りをぶち込んだ。
 彼に唾をかけられたらしく、店員の頬がピクリと痙攣し拭うのをせせら笑ってコンビニを出ようとした時、優流は初めて居心地の悪さに襲われた。彼の横顔が幼少期に見ていた横顔とソックリだったのだ。                   
 臙脂色の太陽が西に沈みゆく時刻、ブランコに揺れながら優流は友和を見ていた。

コメント

コメントを書く

「文学」の人気作品

書籍化作品