翼が無ければ鳥でない

櫻井広大

八月二日  II

 昼を過ぎた頃、太陽の灼熱な放熱は最高潮に達し、窓から眺める外の景色はほとんど色が飛んだかと思われるほどに白かった。その中でも存在感を放つ、庭に根を張る梅の木はメラメラ揺らめいており、まるで夏の道路を徘徊するサラリーマンと同じように、汗をかいて弱っているかに見えた。その足下にびっしりと隙間なく生茂る草本は、一方で陽を目一杯浴び、凛とした姿で白く輝いて、存分に日光浴を楽しんでいた。
 かおりが窓を開け、風を迎え入れようとしたところ、変に甲高い油蝉の嘆きが何よりも先に飛び込んで、次いで前髪をふわりなびかせたため、油蝉の大群の気迫に瞼を数回瞬かせた。
 特に意識せずとも低くうねりを上げるファンの回転音が聞こえるのは、ここが住宅地のど真ん中であるからだ。空調設備が吐き出す熱気は空気を濁すついでのような軽々しい調子で熱を篭らせ、逃げ場を失った熱気の方はひしめき、夜を越す。梅の木が弱るのも無理はない。
 昼食後の満腹感の中にいるかおりは、解放された窓に吹きつく微風を顔で受けながら、半ば寝そうな勢いだった。あらかじめクーラーが作動してあったので部屋全体に冷風が行き届き、初夏を思わせる心地良さに満たされた、ここ二階の一角に位置する小部屋のドアの表には「かおりのへや」との表札がぶら下がっていた。
 その名の通りかおり専用ではあるものの、おもちゃとぬいぐるみで飽和されている状況はまるでおもちゃ博物館のようであるが、それでも片付ける気にならないのは、元来大雑把な性のせいと言えた。
 軽度の潔癖性のママと比較しても、かおりの方は度を越して重症で、二人が白と黒というぴたりと型に嵌るような対義語にならぬのは、ママが整頓する居間リビングを見た後、玩具博物館を訪れば一目瞭然だった。
 今朝はいきなり猛暑での幕開けということあり、夜間はぐっすり寝たものの、明け方の暑さに睡魔の方が負け、いつもより幾分か早い寝起きが今さら仇となったらしく、意識が風に流されて飛んでいったかのように遠のき、視界は眩い光のみを映して、ただ一面真っ白の平面が現れた。
 また前髪がふわり浮かんで額に影をひく際、眉に微かに触れ、すぐに離れていく感覚を覚えたその瞬間を境に、油蝉の鳴き声は川の水面下に響く、ぼんやりとしか捉えられない囁きとなって、はたまた夢へといざなう使者となって、かおりは海の中にいた。

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