ただ愛するだけというのも悪くない

藤子

4 実理は友達ではない

私が歩くと、ほぼ半分の人間は振り返る。
選別したプルメリアの香水とオイル、精製水で作ったヘアコロンを、微かに香るくらいでまとう。

私とすれ違ったら、花でも咲いているの?と振り返させるためだ。

私の存在を植え付けたい。




ーーーーー“私はここに居る”とーーーーー



「もう学校行かないと、また来るね」
乙は、22歳の彼女に緩いキスをした。


「気をつけてね、夕飯食べたいもの思いついたら、15時までに連絡しておいて」と彼女は、まだ下着姿のまま、タオルケットを羽織って愛おしい目で乙を見送った。


彼女は今大学生で、私達の暮らす県の県庁所在地の1DKに住まっている。
高校に着くまでには、田舎臭い下り電車に乗り、50分はかかってしまうのだ。


7時前には彼女の部屋を出て、駅中の小洒落たショップで朝ご飯のリンゴチップと、豆乳、気まぐれにマフィンなんかを買って電車で食すのだ。
もちろん、座っていられるのが原則なので、早めにボックス車両を確保するんだ。

文句なんか言われない。元々、ここの電車は軽食を済ませる人が多いのだ。



腰を下ろすとまず、太腿の間からカビ臭い空気砲が噴出されるため、息を止めて窓両端の洗濯バサミの様なロックをグッとつまみ、窓を押し上げる。

乗降車用のドアは空いているが、自分の側の窓が開いていないと動悸がする。



ーーー窓を開ける。これが私の欠かせないルーティーン。


息を整え、今日も敵と対峙する。


私が歩くと人は振り返る。隣の席が空いていれば、男子高校生のグループが、このボックスを狙ってくる。
下り電車ということもあり、利用者のほとんどが学生だ。

今日も何かで勝ち残った猛者が私の横にドカッと陣取った。男は、卑猥な笑顔を見せた。

特に会話が始まるわけではない。あいつらは下らない話の合間に、こちらをチラチラと視姦するのだ。

頻繁に“おはなさん”とを主語に話が出る。

考えたくもないが、コレ私のことだ。過去、妖精、小人さん、小悪魔、愛人、◯ょう◯ょ婦人、お方様なんかがあった。(これは不覚にも笑っしまった)

好意を寄せている男が名付けたのかは置いておいて、本人の前でその名を聞こえるように口に出せる時点でアウトなのだが、どうやら今回のこの卑猥な笑顔の大男はそれを制している。
これは本気の証拠かもしれない。あの下品な笑顔は、緊張で強張っていたのかもしれない。
少しだけ口角が上がったとき、知った咳払いをキャッチした。



「おは!どうする?座ってる?こっちで一緒に立ってる?」
か細い、大人しめな声で私の愛する子、千葉 実理が窓の風よりもなによりも、清々しい空気を運んだ。アホ毛を撫でたのか、髪にしずくをあしらっていて、ふふっとした。

そうとうこの男は私を好きなのか、ただのジェントルマンなのか、どうぞ!と実理に席を譲って、私達はこの兵士の固守されている様だった。

「いい人だね。人間として」

「でも笑顔が、おぇ~……下品だった」ちょっと!と実理は私を小突き、二人で苦笑した。

「ねぇ、昨日のあの子。実際どう思ってるの?なんだかちょっと風変わりだったけどさ。少しマスクしてないところ見えたんだけど、なかなかのイケメン君だったよ?
こっちが心臓バクバクしたわ。目が青くなかった?カラコンいれてるってこと??」

「んー……。どうなんでしょう」

「でたー!実理の“どうなんでしょう”体よくかわすよね~」

実理はたまに、何を考えているのかわからないことがある。でも、そこが魅力なのかもしれない。

実理と私は生まれた時からお隣同士だった。
母親は同じ産婦人科で出会って、今でも良いママ友だ。
家族での親交もあり、旅行にも一緒に行く仲だ。裸の付き合いは幾度とある。

彼女は幼少から腫物扱いを受けていた。彼女はいつも地面を見ていた。
しゃがみ込み、小さな生物をでていた。「今日も会えたね、君はどこから来たの?何をためたの?」えくぼをあしらい、垣根をくぐってみたり……

小学校の田植え授業の時は、ヒルが足についていたのに、かわいいねなんて言って血を吸わせていて、担任の先生が血相を変えたのを覚えている。
生き物が大好きだが、何か間違えている気がしていた。

実理は、執拗に好きなことに没頭してしまう過集中が目立っていた。切り替えができないのだ。

実理の母が、私の母に相談をしているときに耳にしたのだ。
事実、筆箱の中身はほとんど持ち帰ることも出来なく、忘れ物が酷かった。
母親にさんざん絞られた後「入れたのになかったの」実理はいつもそう言った。

彼女は、帰り道、雑木林のトンネルの中を「手紙を出す!」とぶつぶつ呟きながら歩いた。腕に油性ペンで明日の持ち物を書いてみた。ランドセルにメモを張り付けてみた。最終手段はこれだ

「もしもし、実理?明日の準備はできた?習字があるよ!」

「え!!そうだ!そうだった!ありがとう!」

「まって!まだ、電話切っちゃダメ!いい実理、習字セット持った?それをランドセル靴の上に置いて。そうしたら絶対忘れないよ!」

こうして世話を焼くことで実理は、母親にやきもきされることがなくなり『必要とされている』
毎日が私にとって充実に変わり、そして、、、、、、

形を変えたわけだ。


私にとって、あのマスク野郎は苦虫でしかない。
青いカラコンなんて不愉快極まりない。

あんな男に大切な実理のサポートが務まる訳がない。
私の脳内は実理が大半を占めていたのに、あの瞬間から
マスク、カラコン、どもりが侵入してきた。
脳内会議では、奴がどれだけ不適合かを見いだすことに忙しく、奴に対するレーダーチャートも存在している。

10段階のうち、容姿5、優しさ0、強さ0、ユーモア0、社交性1、、、、アレはお見た目以下との推察だ。

まあ、私の好みではなかったが、あ奴の素顔は何とか事務所にいてもおかしくないし、何とかボーイでも悪くないのだと思う。
古民家カフェこころで、一瞬しか見えなかったのだが
青黒い揺れる髪が白く陶器の様な肌を際立たせていたし、眠たげな目をしていたが、その奥は実にミステリアスだった。

しきりに顔を隠すのだから、どこかのタレントを真似しているか、鼻や口がとっぴな形なのではと思えば、そとりの良いやや小柄な鼻と程よい血色の唇がそこにあり、どこを眺めても居心地の良い上品な家具が揃ったリビングの様だった。

が、きっと温室育ちの小生意気な貧弱野郎だ。

あんなにどもって“普通”な訳がない。情緒不安定な奴なのかも知れない。

脳内会議の結果がコレだ。
そうでなければ、そうしなければと必死なのだ。



中学生の頃から私の脳内で実理の存在が暴走し始めていた。私が目を閉じれば、彼女は決まって私の手を掴み絡ませる。
頬を紅潮させて私を抱き寄せるのだ。

それから中学3年終わりごりになり、脳内の彼女は激しく暴走し、うすうす気が付いていたアイツが咆哮をあげ始めたのだ。

一緒の高校に合格し、帰りに地元のハナミズキがきれいに咲くそばのコンビニに二人で寄った。二人の祝杯用にホットレモン、私は肉まん、実理はピザまんを買った。

すると、商品を受け取る際、レジの女がレシートの裏に何かを書いてレジ袋に一緒に入れたのだ。

私は意表をつかれたのだが、何となく不敵に微笑み、″わかっていました”な顔をして見せた。
彼女は「よかったら今度お食事でも」と、顔を伏しがちに耳元で囁き、仕事中なので髪をまとめているのに、少ないこぼれたサイドの毛束を耳にかけなおした。きっと髪を下ろしているときの癖なんだろうが、その所作にドキッとしたのはうそではない。

コンビニを出ようとすると、一瞬火照った顔をさませ!と言わんばかりに凍てつく風がゴゥ!っと私を包んだ。
実理が「?乙?なになに?どうしたの?」と、コンビニの袋を指さし、興奮した雄犬の様に飛び回り始めたもので

「彼女、私を好きなんだって!!!」

と、レシートの裏に書かれた連絡先をひらりと見せ微笑んだ。

もしかしたらやきもちを焼いたり、
親友の私が遠い存在になりそうだ。と、複雑な表情を見られるかもしれない……と淡い期待を持った。
それと同時、私が”女性を受け入れること”を知ってほしかった。どこかでいつも、そういじらしく思っていたのかもしれない。

車が一台通り過ぎるのを待ってから、実理は私にこう言った。

「乙も好きなの?」

また、ゴゥ!!と風を感じた。

なんて無垢な瞳で見つめてくるのであろうか。でも不安声でも表情でもなく、これは……
いきなり重力がのしかかってきた。
高ぶった鼓動がいきなり鈍行になり、酸素が足りていないのかな?視界がぐらっとするのを感じた。

____実理は”ちがう”んだ___

若いながらにこれが絶望感なんだとはっきりして、鉛色の視界に実理が歪んで見えた。

「そうだね……興味はあるかも」

痛烈な咽の痛みを必死にこらえ、声が震えない様に虚勢を張ってのけた。

街路樹の下には沈丁花が植えられていた。










































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