ただ愛するだけというのも悪くない

藤子

2 さげんだ、ざけんな呼ばわりだが関係ない。

いきなりで申し訳ないのだが、二枚目にして二枚舌の佐源田 有希さげんだ ゆうきがお送りしよう。

実に煌びやかなあざなの様であろう。だが、この佐源田さげんだというのは、千葉県は八千代にあるものらしい。
極々僅かな人間しか、この名字を与えられない……なんて変な妄想に浸っていた事がある。

まぁ、その妄想に浸らないと入学そうそう時分の俺は潰れそうだったのだ。

小中と、地元では見受けられたこの名字だが、高校では易々と受け入れられなかった。

「さげんだ、ざけんな」

面白半分に組み交わされる会話の中で、ふざけるな!とか言いながら「あれ?なに?さげんだ??」とまあなったんだろう。

俺はこんなカスどもを相手にするほど暇ではない。

先に説明した通り、俺は二枚目で二枚舌だ。
屈まなくとも家の戸を潜る事は出来るがスレスレの高身長で、色素の薄い髪、やや切れ長の目が
真の“ざけんな”を思わせなかった。


名字と釣り合いの取れている俺。その家族は実に平凡だ。いや、平凡に見せていた。

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電車通学に渋りを見せていた母だったが、俺はそれを押し切って、能力に見合った徒歩圏外2駅先の高校を志願した。
電車に乗りたいという憧れもあった。
両親はせめて、資格の取れる商業科か工業科のある高校を勧め、そこは俺なりの譲歩で商業科のある学校を選んだ。
俺は、自分の描く高校生像にどうにか近いものにしたくて、通学のすべは譲れないとした。

そして、残念な雨降りの中の入学式、周りの連中は両親共進学を祝うらしく、行きも帰りもゾロゾロ戯れ賑わっていた。
それなりの偏差値はあるんだ。努力を讃えられている芋くさい僕ちゃん嬢ちゃん。
なかなかの装飾を施された親親。すれ違うたびに酷い香水が鼻を刺し、その度、息を止めた。

俺は、仕事で都合がつかなかった両親と、帰り道、学校の最寄り駅の反対口で待ち合わせになっていた。
駅舎から離れた場所、傘で顔は見えなかったが、親の香りがしたというか……
直ぐに両親と落ち合った。

父も母も、頬を染めて肩あたりでおめでとうと小さく手を振った。
俺は、母の首元に鎮座する短かめの新参者に気がついた。

「あれ、母ちゃんそんなダイヤ持ってたんだな。
 北口はすごいぞ。どこの母ちゃんも真珠やら、そういうのつけて、ビッカビカプンプンして臭いのなんの」

俺はべーっと苦虫を吐き出した。
母は、そんな大きな声で言うもんじゃないのと、頬を染めて胸元を隠しながら俺を制した。

「予約を入れてあるから、ケーキを買いに行ってもいいかな?」

白髪まじりの父がタイを気にしながら促した。

俺はそんなに甘いものは好きではないが、息子を祝う時のケーキは節々で用意されていたので
そういう文化なんだろうと、生返事でついて行った。

どうやら両親には未開発の土地ではないらしい。知った足で駅近の商店街を3分ほど歩き、小径に入った。

空気が変わった。
小粋に丸っこい雪の様な砂利が敷き詰められ、不規則に石畳が並べられていた。
所々に生えた背の低い名の知らない緑に、煩悩だらけの新高校1年生ながら情緒を感じ、こんな新鮮な気持ちが残っていたんだと意外に思った。

小径の先、左手側に“こころ”。薄口ターコイズブルーな布製の暖簾に黒字で“こころ”とある。
引き戸を開け売り子に挨拶を済ませると、奥の店主と知った顔らしく世間話をしていた。

俺が気に入ったのは座敷があるところだ。
ぱっと見6人はいける。

いつか誰かと、ここに来れたら楽しいだろうなと感じながら、目で店内をスキャンした。

さて、帰路は短い。
家は駅からほど近い県営住宅4階で、佐源田家の玄関ドアを開けると、油の匂いがした。
母が揚げ物をした後なんだ。

俺の高校合格を祝った大きめのエビフライが、ここに来てまた祝ってくれたことに感激した。
たっぷりマヨネーズをかけて無我夢中でかっこみ、白米をたらふく食し、案の定ケーキは外側の生クリームを残してしまった。

もう食べないのか?と父が腹具合を心配したが、俺は

「ケーキよりエビフライが好きだ」とばか正直に言い、あらまぁ…と母は謝った。



入学して2週間も経てば輪もでき始めている。

俺は適当に集まってくる連中と昼飯を共にしていた。
俺の成りのせいか、彼女が欲しいというギラギラした男と、短いスカートのやや活発な女子が集まった。

俺の後ろには、席を移動せず面倒くさそうに、ただただひとりでうまそうな弁当を黙々と食べる奴が居る。
名前は忘れた。


今日は、ギラギラした男の中のひとり、“てつ”の誕生日らしい。
4月生まれの人間はここで自己主張しないと、仲が深まって質問された頃には
既に過ぎていて、祝ってもらえない傾向にあると思い、ふふっとニヤリした。

まだないも成し遂げていない人間なんだろう。唯一誕生日だけが無条件に“おめでとう”をもらえる日だ。

「どっかのテーマパークにでも行ってろ」


????????????



俺には聞こえた。この内輪から聞こえてきたのか?

おかしい。こいつらは、今日の放課後ファミレスで祝おうとしている。
テーマパークに行く話なんぞ出ていやしない。

チグハグに気持ち悪さを覚えるも、とりあえず曖昧な相槌をうちながら無機質な時間を過ごした。

簿記の時間が圧倒的に多く、詰め込む事作業に面白さを感じた。正直、てつの誕生日の祝いはしてやってもいいが、、、まだ、そのレベルの友人ではない。
せこいことを言うようだが、きっと、ファミレスで金を寄せ集めて何かを奢る気だろうと察しがついた瞬間、俺の胸中はドロッとした。すぐさま、断る言い訳を探したのだ。

帰りのホームルームが終わり、あいつらは集まり始めた。
後ろのやつも席を立とうと、椅子を後ろに下げる音をさせた。

俺は右利きだ。
席の左は窓側のため、いつも、右手をフックシュートさせプリントを回していた。
後ろの人間に特に興味もなかったので、顔を認識したい気持ちが皆無だった。

が、今俺は逃げるネタをこいつに見出した。

入部届を持っていた!!!!
もう後ろのやつは教室を出ようとしていた。その時、俺は思い切った

「俺、今日は部活見学に行く予定だったの忘れてた!ごめんな〜!!また今度一緒できるといいな!悪い!」

アイツと一緒に俺も行くからと、自分と、教室の扉近くにいる入部届を持った後ろのアイツを指さした。

有希が居ないと意味がないじゃんといった女子の悲壮が、てつを傷つけたのがわかったが、俺は振り返らずに、アイツについて行った。


アイツのやや後ろをついて行き、昇降口まで辿り着いて、俺は安堵した。
もう靴を履いてちょっと暇潰しをして、時差で帰れば良いじゃないかと。

アイツも俺も靴を履いたその時、また昼と同じくぐもった声が聞こえた。

「逃げたかったんですか」


「おぁ!!!!!!」


初めてアイツと向かい合った瞬間だった。


背丈は俺より少し低いが、細身でしなやかな割にとガッチリした肩の持ち主だった。
何故くぐもっていたのかと言うと、透き通る白い顔面をマスクで覆っていた。
まぁ、珍しくはない。花粉症なのかもしれない。

昇降口からの春風に、コイツの中分けの漆黒で清潔感の溢れる髪が踊った。

「え」と、言い訳をしようと口を開いたのだが、碧人の瞳は、黒い真珠を湧水で守っていてる。神秘的で吸い込まれる様な目で一瞬言葉を無くした。

「僕はこれから入部届けを出しに行くのでここまでですね。
 では」

と、きっぱりと踵を返された。

俺は興味に駆られた。こんなのは初めてだった。
気がつくと俺はアイツの事を思案しながら、後を追って行っていた。


外履きに履き替えてから入部届けを出すということは、運動部だ。
何部なんだ?
なぜマスクをしている?
瞳の色からするとハーフか、クオーターとかそんなところなのか?


昇降口からグランド方面のプレハブに辿り着いた。
俺は10mほど離れた物置の陰で、そろりと聞き耳をたて、目を凝らした。

アイツの立ち止まった先の部室から、次々先輩達が出入りする。
あのバックは、、、

『陸上部!!!!』

アイツは戸を3度ノックし、名乗った。

「1年H組 西谷 碧人にしたに あおとです。入部届を出しに来ました」

「待ってたぞーーーー!!西谷!!」

先輩が快く入部届けを受け取り、碧人の背中をバンバン叩いていた。
俺はまたドロっとしたものを感じたのだが、碧人は先程俺にした様に、早々踵を返し闊歩していた。


向かった先は校門の方向ではない。

「君も陸上部志望だったんですか」

「そう!!いうわけではなかったんだけど、そうしようか」

「………では」

「ちょっと待て!!」

碧人はまた闊歩する姿勢に入った。問題は無いのだが、自分の好奇心が何より勝ってしまい、「途中まで一緒させてくれ」と気持ち悪く申し出た。


碧人は少し目を伏し、自分の中で不都合があるのかを探す様だったが「僕の歩幅に合わせてくれるのならいいですよ」と意外にも快諾だった。


奇妙だ。


二枚目二枚舌の俺が、碧眼のこの男につきまとっているんだ。
もしかしたら、先程の伏した目は俺を、LGBTかもと考えを巡らせていたのかもしれない。
だとすると、コイツはそれを受ける人間なのか!?

無言のまま、闊歩する碧人の後をただひたすらついて行った。
陸上部期待の男なだけか、碧人は一歩が大きく速い。
まだ麗かな日和だというのに、ワイシャツの脇は汗でダクダクだ。

駅の階段前に着き、碧人は立ち止まった。

「僕は電車です。君は?」

碧人は息ひとつ乱していない。

「のぼる!」と人差し指で上り方面を指し、ありったけの息を使って言った。


それが碧人のツボにハマった様だ。
マスクが少し上に動きを見せ、碧眼を細めた。

「僕もだ」と、先程までとは違う、血の通った張りのある声で答えた。


俺はおかしい。男にぽーっとしてしまった。顔が上気しているのは今の運動のせいだろう。
でもわかった事。こいつが気になる。


次の電車までまだ20分はあったので、自然と立ち話をする流れになった。
碧人は何も言わず、側にあった自販機で俺の分の飲み物を買ってよこした。

「サンキュ……イチゴオレか。
確かに美味いけど……ちょっとびっくりするわ」


もっと物申したかったが、燃料切れの俺はあっという間に紙パックを凹ませた。
喉を潤した俺は、色素の薄い髪をかきあげ、初対面みたく自己紹介をした。

「俺は佐源田 有希」

「西谷 碧人です」

「なんだよ、お前はお茶で、俺がこの可愛い飲み物なわけね。俺が可愛いって事?」
饒舌が戻ってきたのだがこれでは……
すかさず碧人が
「僕はLGBTを認めてはいるし、どうなるかはわからないけど、今の僕はそうじゃないよ。ごめんなんさい」
とお断りをしてきた。


「!!!違う!俺も違う!!ついて行ったのは、西谷がちょっと不思議な感じでって言ったら
失礼になるのかもしれないけど
他の奴らと違うっつーか。異色を放っていたっつーか!

そういう意味で気になって、マスクもしてるし碧眼だし!」

もう言いた事が滅茶苦茶だ。一度ひいてきた汗とはまた違った汗が吹き出てきた。
ちょっと落ち着こうねと、碧人に促される始末。

あぁ、俺はこんな奴ではない。こんな恥より、階段脇に設置されているゴミ箱にでも頭を突っ込み、ゲロをしている方がまだ恥ではないと思い、虚しくなった。


「なるほど。僕の勘違いだったんですね。
君が僕に酷く無愛想だったのに、いきなりついてくるから、てっきりツンデレのネコなのかと」

「ネコじゃねぇ……いやに詳しいなおい」

コイツなんなんだ的な奴なのか?もしかして____

「てつに、今日何か言ったか?西谷」

「てつ?って誰です?」

「俺の周りにたむろしてる連中のひとりの、天パの!!」

碧人はここまで説明しても、ピンとはこずだったが、発言したことを思い出したのであろう。「……誕、生日??」なんとか記憶を手繰り寄せた。

やはりこの男がマスクの下でごもったのだ!

「何でテーマパークに行けなんて?
ま、聞こえていたのは俺だけだったみたいだけど。
学校帰りに金さえありゃさ、テーマパーク行くのも悪かないけど、まだ、友達になりたてじゃきついだろ〜一緒に何十分も待ったりしないといけないしさ」

碧人の碧眼は俺をガッチリ捉えて、放った。

「あの人達を友達だと思っていないのに何で一緒にいるんですか」

「!?」

あの、ドロっとしたものが胸騒ぎを起こした。

下りの電車が来るアナウンスが流れて救われたと思ってしまった。
なぜ俺はあいつらといるか?
轟音と共に、下り電車が向かいのホームに到着し、せわしなく乗客を収容した。
あちら側には、友達同士他愛のない話をしながら、白い歯を見せて笑い合っているオタクな男どもが見える。

俺より全然ダサい奴らが、俺より楽しそうにしている。

昔からそうだった。
小学生、中学生の時も。
いつも腹の底では空虚で、顔だけ笑顔の藁人形な気がしていた。
涙を流し、腹をよじっていることなんか無い。“こんなもんか”と思っていた。
所属したグループから抜け出そうなんて思ったこともなかったし、抜け出す術も知らない。
ずっとそうやって生きてきた。

親父は組織の中で生きることを誇りにしていた。
そして輪を乱すことを悪だと、月の最終週の金曜に、一杯のビールとセットで母に話している事を知っている。

もう下りの列車はいなかった。
残ったのは電気の鉄臭さ。

「僕はね」

碧人は顎にマスクを下げた。
俺はマスクを目で追った後、視線を少しだけ上げた。
鼻はすっと小ぶりで主張し過ぎず、薄めの唇の血色は桜色で、息を呑むほど白い肌に上品に映えていた。そして、左の頬に涙ぼくろがひとつをあしらってーーーー

「周りの言う誕生日ってよくわからないんだ。基本父親が母を護り母親が僕らを護って産まれるわけ。
事実、赤子も産道を通るときそうとう苦しいらしいが、神の図らいなのか記憶には残らない。
痛みに耐え血を流したのは母親で、それを支えたのは父親で
何故、生まれた自分が率先して、祝ってもらいたいというのかが理解できない。
僕は毎年母に父に感謝するよ。今年もそうする予定だ。ケーキを買って、晩ご飯は父の好きな中華を作る。
祝って欲しいのならば、そういう場所で自ら金を払って祝ってもらうと良い。
しかし解釈の相違は認める。てつっていう人に怒った訳ではないんだよ。

という事で、良いケーキ屋を知らないかい」


碧人の少し鼻にかかった柔らかな中低音に、酔いを感じながら俺は、知ってると答えた。

ほどなくして上りの列車が僕たちを迎えに来た。



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