Catch-22
染み
その日の朝、男はいつもどおりに目覚まし時計が空気を切り裂く一瞬まえに目を開いた。 
枕の下の拳銃を取りだし、分解して念入りに整備してから寝室を出て、顔を洗った。 泥のような色をした濃いコーヒーで食パンとゆで卵を胃に流しこみ、それから準備を整えて部屋を出た。
あらかじめ受け取っていた指令どおりにターゲットを始末して、 寂れたコーヒーショップに寄ってエスプレッソを飲みながら煙草を吸い、買い物を済ませて自宅へ戻った。 早めの夕食を取り、テレビを見ながらビールを三本開けた。
もしその日、何かがすこしでも違っていたならば、男は自殺などしなかったかもしれない。 たとえば、綻びかけた桜が咲いていたなら。コーヒーショップの店員がやわらかく微笑んでくれたなら。 テレビで好きな映画が流れていたなら。
だが、桜は固く蕾を閉ざしていたし、店員は相変わらずの仏頂面で男の顔を見もしなかったし、 テレビでは自爆テロで数十人が死亡したというニュースが流れていた。
昨日と明日が入れ替わったとしても何も不都合はない日々。 もしかしたら気づかなかっただけで、もうすでに何回か入れ替わっているのかもしれない。
日が沈みかけた寝室で男は一人だった。 一人で、自分が世界にとって何の価値もない人間だということを心の底から実感していた。 目を閉じれば、死者たちの呻き声が鼓膜の奥から這いだして咽喉を締めつける。
かじかんだ手で男は使い慣れた銃を握り、ゆっくりとこめかみに押し当てた。 壁の染みを見つめながら。
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