隣に引っ越してきた金髪美女

奈宮伊呂波

5話 彼女は意外と律義だった

 昨日買ったライトノベルを読み耽っているだけで、いつの間にか夜になってしまった。ちょっと違うな。朝飯も昼飯も食ったし、歯磨きもしたしトイレも行ったのでずっとライトノベルを呼んでいたわけではない。
 生産的な活動と呼べるものはライトノベルを読むことだけだったと言い換えよう。こういうと「いやいや本読むことは生産的じゃねーよ。ただの消費だろ」と言われるかもしれないがそれは俺も一度通った道である。
 本を読むことは自分にとって生産的である。専門書であれば知識や視野の拡大につながるし、ライトノベルや一般文芸であれば感情の幅? みたいなものが広がるし、心が豊かになる。本を読むことは自分を成長させること、すなわち生産的な活動なのである。
 とまあ、どうでもいい講釈を垂れるのはこの辺にしておこう。大体、ちゃんと本を読んだのは昨日が初めてだし説得力皆無だ。
 いつの間にか、というのは本当に気づかないうちにというわけであり、ではなぜ俺が集中を切らしたのか。これはごく単純な理由で、買った本を読み切ってしまったからだ。
 このライトノベルとかいうやつ、存外馬鹿にしたものではない。いや、馬鹿にはしてないけど。期待せずに買った割には面白い。
 元々字が苦手で国語の教科書に載っていた夏目漱石なんかも読むのはほとほと苦労した俺だ。金を捨てるつもりで三冊も買ったのだがこれは思わぬ収穫だった。
 漫画と同じ感覚で文字が頭に入ってくるから俺でも読める。
 ハマってしまったのだろう。
 次のライトノベル、いや、ラノベが欲しい。何でもいいから面白くてわくわくするラノベが読みたい。
 そう思った俺は服を着替えた。一人暮らしで誰も見ていないにもかかわらず、人間らしい生活はしたいという気概だけで着ていたパジャマからラフな服装に着替え、外に出る準備をした。
 意気揚々と部屋の扉を開けようとすると、ピンポーンと聞き慣れない音が鳴った。それがインターホンの音だと気づくのに数秒を要し、その音が自分の部屋から鳴っていると気づくのにさらに数秒を要した。
 どっちにしろ開けるつもりだった扉を開くと見知った美人、失礼。見知った知人がいた。ごめん。見知った人がいた。

「あれ? おでかけ?」

 彼女は俺の服を見てそう言った。俺の部屋の隣に住む彼女だ。

「まあ。そんな感じ」

「あー。そっか、なら……」

「用事あるなら聞くけど?」

 急いでもないし。

「用事って言うか、あ、いや。用事なんだけど……」

 今日の彼女はずいぶん言葉を詰まらせるようだ。やっぱり彼女の事はよくわからない。というか俺に用ってなんだ。なんかしたっけ、俺。

「言いにくいなら明日でもいいけど」

「ううん。早いほうが良い。今言う」

 遅いよりは早いほうが良いのか。ほんとに何なんだ? 俺の服のセンスに言いたいことでもあるのだろうか。お洒落な彼女からすれば俺の服が気に喰わないこともあるのだろう。
 ちなみに今日の彼女はジーパンに茶色のニットを着用して、靴はサンダルみたいなヒールを履いている。俺は適当。

「この前さ、引っ越し手伝ってくれたじゃん?」

「まあ一応」

「だからそのお礼をしたいなって思って。結構運んでくれたし」

「結構運んだな」

 お茶はお礼ではなかったのか。地味に驚きだ。プチショック。

「なんかあげようとも思ったんだけど何が欲しいとか知らないし」

「欲しい物は別にない。あれば自分で買うし」

 我ながら超冷たいな。これぐらいでいいだろう。気を抜けば変なことを言うかもしれないし。付き合って欲しい、とか逆に二度と顔を見せるなとか。

「だよな。色々考えてみたけど自分じゃ決められないからもう本人に決めてもらったほうが良いと結論付けました」

「結論付けちゃったか」

「そう。ちゃった」

 と言われても。俺は別にお礼が欲しくて手伝ったわけじゃないし。
 あの時はお礼ってお茶かよ。と思ったけどそれはその場の勢いって感じだし。

「ごめん。気持ち悪いよな」

 ふと彼女の口から聞こえた。
 申し訳なさそうに少し俯いている。

「い、いやそんなことない。と思う」

 ここできちんと否定できればかっこいいんだろう。でも出来ない。ちょっとめんどくさいと思ってたし。こういう社交的なことが嫌でバイト辞めたからなあ。

「あ、じゃあ今日の晩御飯奢ってよ。どっか店でも行って。ファミレスとかでいいし。俺達学生に高級店とか合わないしさ」

 ちょうどいいと思ったけど早口になりすぎてキモい。
 でも俺みたいな得体のしれない男と飯になんて行きたくないよな。イケメンでもないし話し上手でもないし。
 それはちょっと……って言われたらどうしよう。
 あー、やべ。言うんじゃなかった。

「いいな。そうしよう」

 あ、いいんだ。

「待ってるから準備できたら出てきて」

「わかった」

 というのと同時に扉はしまった。彼女は外にいる。俺はすでに準備は出来てるのでそのまま外に出た。

「ってはや。あ、でかけるとこだったっけ」

「そうそう」

 鍵を閉めて俺達は階段を下りた。買いたい本があると言うと彼女は「じゃあ中街に行こっか」と言った。中街とは俺が昨日行った繁華街の通称だそうだ。
 彼女は自転車を持ってないらしいので俺の自転車の後ろに乗った。車は持ってるくせに自転車は持ってないとか、まじで金持ちっぽい。
 荷台にクッションでも置こうと部屋に戻ろうしたら「これあるからいいよ」と言ってポケットから足掛けを取り出した。ハブステップと言うらしい。何でそんなもの持ってんだ。
 彼女は羽のように軽い、わけはなく普通にそこそこ重かった。それを言ったらダメなことぐらいは俺でもわかる。
 進みだしは少しぐらついたけど勢いが付けば安定してきた。ただでさえ筋力のない俺が二人乗りなんて危険なのに今は夜なので目が効きにくい。いっそう気を付けなければ。

「そう言えばさっき学生って言ってたけどさ」

 風の音を切って彼女の声がした。

「うん」

「阿部って大学生?」

「大学生」

「へー」

「そっちは?」

「高校生って言ったら信じる?」

「さすがに無理。どう見ても大学生か社会人」

「つまんない」

「理不尽か」

 えへっと彼女は笑った。顔が見えないのに可愛いと分かるのはどうしてだろう。
 というか、結局どっちなんだよ。大学生か社会人か。その疑問は次の彼女の質問によって明らかになった。

「大学ってどこの大学?」

「北川大学」

「おお。一緒じゃん」

 大学生らしい。
 そんな会話を時たま挟みつつ、繁華街の近くにあった駐輪場に到着した。警察に見つかるかもと若干気が重かったが、幸い、遭遇しなかった。事故にはまじで気を付けたのでもちろん大丈夫だった。
 ラックのライトが点灯したのを確認して俺達は繁華街に入った。
 通りは相変わらずたくさんの人で賑わっている。前よりも夜が深いためか、年齢層は若干上がっている気がする。というか結構。
 そのせいか、隣にいる彼女はごく自然に歩いているというのに俺はすでに少し疲れ始めている。
 二人で歩いているが俺達の間には沈黙が横たわっている。俺はもともと喋る方じゃないし、彼女はお喋りな方だが話題が無尽蔵あるわけではない。かといって気まずいかと聞かれればそんなことはない。むしろ気楽で心地いいとさえ思える。俺だけかもだけど。

「ここって本屋なんてあったっけ?」

 不意に彼女が言った。

「あるじゃん。ほら、あのでかいやつ」

「全然わからん」

 全く要領を得ない様子だ。あれだけでかけりゃ嫌でも気づきそうなもんだけどな。

「実はこの辺あんまり来たことない? それか漫画とか本とか全く読まないとか」

「あー。本、読まないね。だからかも」

「そんなもんじゃない? 俺もこの辺のタピオカ屋さんとか知らないし」

 明らかにそこにあったとしても意識しなければ気づかない。人間の認識能力なんてそんなもんだ。いやでも、あれは気づいてもいいと思うけど。
 本屋までの道を知らない彼女と繁華街に慣れてない俺は途中、少し迷ったが無事に本屋に着くことができた。
 彼女は物珍しそうに店内に目を泳がせていた。ただの本屋なのに。
 それはいいとして、ここに用がない彼女を待たせるのは忝い。俺は真っ直ぐライトノベルコーナーに入って、目についた本を三冊手に取った。表紙を見て二冊、背表紙を見て一冊選んだ。目についたということは、タイトルなりイラストなり作者名なり、何かしら俺の直感に触れるものがあったということだ。直感は信ずるに値する。前の三冊がそうだったからだ。

「おまたせ」

「いや、全然待ってないし」

「それもそうか」

 入店から購入まで三分。それから彼女を探すのに十分ぐらい。時間のバランスは本来反対なんだろうな。じっくり選ぶのも面倒くさいからこれぐらいでいいけど。
 ビニール袋を引っ提げて書店を出た。
 夜ご飯は俺の言った通りファミレスになった。その辺の席が空いてそうな店に入って、案内された席に座る。
 二人してハンバーグを注文して、物の数分の内に料理は運ばれてきた。
 ありふれた味でちょっと新鮮味に欠けるけれど、慣れ親しんだ味だと思えば美味しく感じてしまう。

「今日はありがとう」

「お礼だから気にしなくていいって」

「まあそうだけど。感謝はするでしょ。奢ってもらってるし」

「確かにそれで礼の一つも無しって言うのは可笑しいかも」

 こんな風に食事の合間に会話も挟む。
 どこかで聞いた話だが、食べるスピードは女子に合わせたほうが良いのだとか。実践してみたらめちゃくちゃ食べるのが遅い。あまりにも遅いので妙な間が生まれる。それを埋めるために話をするってのもある。
 飯中にスマホは触りたくないし。

「あ、そうだ」

 進捗状況が半分に差し掛かったころ、彼女がまた口を開いた。いや、ずっと開いたり閉じたりしてるけど。それとは別の目的で、開いた。

「奢るのやっぱやめる?」

「そうじゃなくって。頼みがあるんだ」

「えー」

「お茶の分貸し一つですよ」

「ええ……」

 あれとこれで引っ越しの分じゃないのか。

「私の友達さ。前言った喧嘩した友達なんだけど」

 しかも続けるのか。俺の意見なんて聞いちゃいないって感じだな。いいけどさ。

「うん」

「仲直りしたんだ」

「よかったじゃん」

 素直にそう思う。

「ありがと。それでねその子、付き合ってる人がいるんだけど、今いち信用ならないって言うか。私の友達のこと真剣に考えてるか見極めたいの」

「それは気になるな」

 加藤の彼女が超ブスだったら心配してしまうかも。いや、待て。超ブスなら安心だな。逆に超美人だったら心配になる。超心配になるね。間違いなく美人局だ。

「でしょ? だからさ、ちょっと手伝ってよ」

「え?」

「今度デート行くらしいから、その跡を尾ける」

「ええ……」

「もしやばい奴だったらやばいから阿部は私の護衛係ってことでよろしく」

 よろしくしたくないなあ。

「ちなみにいつ?」

「明日」

 そりゃあなた。急すぎるぜ……。今度って言ったのに。
 色々言いたいことはあるが、文句はないので結局付き合うことになった。
 店の外に出ると当たりはより人が濃くなっていた。しかも目立つ人が多い。年齢層ではなく、人種も入れ替わってきているのだろう。かっこよく言えば、表の世界から裏の世界に入れ替わった。とかになる。
 まあそこまで危険じゃないけど。というか全く危険じゃいないけど。そう思う。そう思いたい。
 駐輪場の方に戻っていると、気になる光景があった。あのポルノ映画館だ。
 昨日は全然人がよりついてなかったのに今日はそこそこ繁盛しているみたいだ。時間帯の問題なのだろうか。
 しかし、そこはさして問題じゃない。
 またあの子がいた。
 今日はあの少年はいないみたいだ。代わりに小太りのおじさんがいた。

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