隣に引っ越してきた金髪美女

奈宮伊呂波

4話 ドラマのような現実

 中学生ぐらいだと思う。小学生にしては大人びているし、高校生にしては子供っぽすぎる。
 女の子の成長期の差なんてわからないから何となくでしかない。
 彼女はポルノ映画館の看板の下で、スカートを抑えて少し段差になっている所に腰を下ろして居た。もう少し具体性を持たせると、幅十五メートルほどの建物の右下の端に彼女はいる。誰にも邪魔にならない所で彼女はぽつんと座っていた。
 決して小さな少女に変な思いを抱いたのではないと、最初に断っておこう。
 この都会のど真ん中で、誰にも寄りかからず孤独に生きている女の子ってなんかちょっと幻想的じゃない? まあ、きっとそんなことはないんだろうけど。
 その証拠に、つい今しがた彼氏と思しき青年か少年が彼女の下に駆け寄っていった。彼女は声をかけた青少年に手を挙げて応えていたので待っていたのはあの青少年なのだろう。

「ねえ阿部」

「どわあ!」

 声のしたほう、つまり体の正面に向き直るとそこには彼女がいた。金髪が綺麗な俺の隣の部屋に住んでいる彼女が。
 俺の声を聞いて目を丸くしていた。

「そんな驚くか?」

「そりゃ驚きます、驚くって」

 そういや何で俺の名前知ってんだろ。

「まあいいけど。で、何見てんの?」

「え? あなたですけど」

「今じゃねえよ。さっきあっちの方見てただろ?」

 と彼女はポルノ映画館の方を指差す。指先は困ったようにふらふらしている。ポルノ映画館の方に視線を戻してみると、さっきの女の子はいなくなっていた。

「ああいや。ちょっとね」

 誤魔化してみると彼女は微妙に眉を曲げた。

「もしかしてさ、あのポル、せいじん……映画館見てたの?」

「見てないって、ちょっとボーっとしてただけ」

 嘘は言ってない。俺はあのポルノ映画館を見ていたのではなく、その前にいた少女を見ていたのだ。そのはずなのに俺は彼女の顔を正面から見ることができない。

「ふーん。あの女の子は阿部の友達なの?」

「いや、まったく知らない人―――え?」

 しまった。と思った時にはもう遅かった。ほとんど全部言っていた。
 最初から俺は彼女の掌の上だったのだろう。道中、どこかで俺を見つけて声をかけようと思ったら急に俺が立ち止まって、一点を凝視していたからそちらに目を向けて見るとポルノ映画館があった。よく見ると端っこの方に女の子がいた。
 彼女は俺があの少女を見ていたことを知っていたのだ。知っていて知らないふりをするなんて意地が悪い。
 まあ、彼女みたいな綺麗な人の掌の上で踊れるならそう悪くない。ってこれかなりきもいな。

「何見てようと阿部の自由だけどさ、犯罪はやめときなよ?」

 当の彼女は深刻そうな表情でそう言った。

「え、そりゃあしないけど」

 犯罪なんてするわけない。信号無視とかならいざ知らず、他人に暴行するなんてもってのほかだ。
 俺の言葉を聞いて彼女はいくらか表情を緩ませた。大きく息を吐くもんだからそんな危惧しなくても、と思わなくもない。

「ならいいけど。それじゃね。私これから友達と会うから」

「喧嘩した人?」

 彼女と友達。
 二つの関連してることを思い浮かべ、尋ねてみると彼女は小さく頷いた。仲直りでもしに行くのだろう。彼女の持ってるかばんも何となくちょっとだけ膨らんでいる気がする。
 プレゼントでもあげるのだろうか。

「がんばって」

「がんばる」

 彼女は右手をグッと握って横断歩道を渡っていった。道幅はそんなに広くないけれど人が多いせいで進むのが辛そうだった。まったく知らない人達が彼女にどんどん重なって行って、やがて彼女の姿は見えなくなった。
 俺もそろそろ本を買いに行こう。ポルノ映画には興味ないし、ここで突っ立ってても他の人の邪魔になる。まあ道の端に寄ってるからそんなに邪魔になってないと思うけど。
 歩き出すのと同時に、視界がふらふらと揺れた。
 意識が暗くなるのを感じて俺の膝が勝手に折れた。立ち眩み、みたいなものだろう。元々立ってたけど、運動不足がたたって体が悲鳴をあげたんだと思う。歩いただけで降参するとか俺の体貧弱すぎ。
 徐々に視界が明瞭になると、今度こそ俺は歩き始めた。
 八月の終盤になると日が落ちる時間が早くなり始めた。
 今日だってまだ十七時だというのに少し空が赤みがかってきた。街灯たちはさあ出勤だと気張っている。
 俺はきっと彼女の事が好きなのだろう。だろうって言うか間違いなく好きなんだけど。もし付き合えたらもの凄く幸せな気持ちになると思う。だってあんなに綺麗だし。口調がなかなか安定しないことを除けば欠点らしい欠点は見つからない。出会って二日で何言ってんだって感じだけど。
 名前も知らないし。
 好きなものも知らない。
 でもこれから知って行けば好きになること請け合いだ。なにしろもうちょっと好きなのだから。
 そうは思うが俺は彼女に気があることをおくびにも出さないと決めている。どうにかなるとは思えないし、仮にどうにかなったとして、デートやら記念日やらこまめな連絡やら色々気を遣うのが面倒になると思う。めちゃくちゃ綺麗な彼女でもそうなると思う。楽しいかもしれないけど。
 そんなことで怒んなってめんどくさいな。っていつか俺が言ったら彼女はとても悲しい気持ちになるだろう。傷つけてしまう。
 今の俺の好きという気持ちはその程度なのだ。そんな中途半端な気持ちで好きだとか言ってはいけない。気がする。
 やっぱり恋愛するなら結婚したい、一生この人といたいというぐらい強い気持ちがないとだめだ。だから俺は決して彼女に告白したりしない。
 まあ。これも言い訳なのだろう。
 結局、俺は自分が傷つくのが怖いだけで、それを取り繕って何もしないだけだ。何か行動してうまくいく自信もない。実際、これまで好きかなって思った女の子とも何かあったりしなかった。けどその代わりに傷つく人もいなかった。
 ならそれでいいじゃないか。という言い訳。努力しない言い訳。賢者は努力する方法を探すが愚者は楽する理由を探すという。
 ここまで自分の小ささを把握しているけど、俺は何もしない。直そうともしない。だって疲れるし。
 やっぱ恋愛はいいやと結論付け、俺は目的地の本屋に入る。三階建ての大型書店だ。

「ありがとうございましたー」

 店員に代金を支払い俺は店を出た。
 手に下げた袋には人気のありそうなライトノベルとやらを三冊ほど買ってみた。ジャンルは異世界転生と異世界転生と異世界転生。特集コーナーにあったのを適当に択抜したのだが今はこういうのが流行りなのだろうか。

「待ってくれ!」

 それなりに騒がしい繁華街に男の叫び声が聞こえた。出所は喫茶店。
 そこから女の人が出てきて、後ろから中年の男が追いかけている。

「これで終わりなんて、そんなの悲しいじゃないか!」

 男の悲痛は声に女の人は立ち止まった。周りの人達もなんだなんだと立ち止まったり、じろじろ見たり、避けて通ったり。俺は立ち止まった。
 女の人は値の張りそうなヒールをコツコツ鳴らし、男に近寄り男の手を自分の手で包み込んだ。

「私も。寂しいです。でも、どうすることも出来ないんです! ついてくるなんて言わないでください。貴方にも守るべき家庭があるんですから。少しの間でしたけど、楽しかったです。貴方の事、絶対忘れません」

「マリカちゃん! うん。僕も絶対忘れないよ。お元気で……」

 男は自分から手を離し、どこかへ走っていった。決して振り返らないように。
 女の人は「よし」と呟いて歩いて行った。
 傍観していた周囲の人々は散り散りに元の雑踏に戻っていった。
 何、なんなの。ドラマの撮影でもあったの? にしてはカメラとかないしそもそもこんな街中の一般人もいるのに撮影なんてしないだろうし。
 え、じゃあ。いまのってリアル? なんかすごい犯罪っぽいというか、やばい感じがする。絶対に関わりたくない。
 社会の闇の一端を覗いてしまったモヤモヤを抱えて、俺は帰宅した。
 ライトノベルは俺の想像以上に読みやすくて面白かった。何回笑ったのか数えられないほどだ。
 その日のうちに一冊を読み終え、俺は充足感と共に眠りについた。

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