別世界の人間は自分が無力だということを知らない

奈宮伊呂波

一話 夢の世界

 すべてが灰色だ。
 今日も私は一人夜の街で誰かを待っている。
 それなりに都会にある小さな劇場。シアター。そういうことになっているが、客層は大体三十代以上の男性に限定されている。原因ははっきりしている。この映画館がポルノ映画館だからだ。
 そして、その眼前ではたくさんの人たちが行き交っている。
 この街の昼間は大学生らしき若者やスーツ姿の中年とか奥様集団とか。およそ健全と呼べる人達が跋扈している。
 それに対して夜は酷い。ガラの悪い男連中とか、どう見ても堅気じゃない強面のおっさんとか、頭のネジが二本ほど抜け落ちてそうなケバい女とか。そんなのが多い。
 そんな中で女子高生が一人で蹲っているのは危険だろうか。
 ところが意外とそうでもない。この時間にこの場所にいるようになってからシアターの人達には顔を知られているし、目が合えば幾つか言葉を交わす。
 まあ、気を許せるかは微妙だけど。
「うさぎちゃんですか?」
 ボケっと人の往来を眺めていた視線を僅かに上にずらし、声の主の顔を見る。
 にこりと柔らかな笑顔を浮かべた優しそうなおじさんだった。スーツを着ている。
「そうです」
 愛想を削ぎ取って言うと少し驚いた顔になる。私の名前、ハンドルネームを尋ねてきた人はいつもこんな顔になる。存在の疑わしい幽霊を見たような。
 この顔を見ると私は些末な悦楽に酔いしれることができる。自分がこの人にとってある種特別な存在になっているのだと実感できる。
「ほんとに会えるんだね。驚いたよ」
「私、実は嘘ついたことないんですよ」
「嘘をついたことないって人は絶対に嘘つきだ」
「酷いです」
「うさぎちゃんは可愛いね」
 悪戯っぽく、てへと笑うとみんなこういう反応をしてくれる。なんて優しい世界なんだろうか。
「ありがとうございます」
 誉め言葉にもてへ、とはにかむとおじさんは満足そうに微笑む。こんな簡単なやり取りだけで私はいい気分になる。なんて安上がりなんだと私は常々感動している。
「うん。じゃあ行こっか。いいとこに案内してあげるよ」
 おじさんが私に手を伸ばす。
 そう。私は知っている。私の感動はこんな小さなものでは収まらない。
 私は彼の手を取り、誘われるように夜の街を移動する。もちろん何をするか予想はついている。そのうえで私は彼について行っている。
 誰かが私を連れ出してくれている間、この灰色の街が輝いて見える。建物や道路が立派で人が多いだけのこの街が鮮やかな彩りを放つ。
「ここだよ」
 おじさんが案内してくれたのは夜のお城だった。とっても豪華で幻想的にすら見える輝いた建物。
 おじさんが入城手続きを済ませると、おじさんは私を連れて魔法の箱の中に入った。番号を押して暫く待った。その間頭を撫でられていてすごく心地が良かった。
 軽やかな音が鳴ると箱が開いて、たくさん入り口がある世界に至った。
 真っ直ぐにおじさんは一つの入り口を目指して歩いた。しっかりと握られた手に従って私も同じ場所に向かった。
 入り口の向こう側に入ると、自動的に入り口が私達と外界を切り離した。部屋の中は全体的に淡い橙色の光で包まれていて暗めだった。白い壁紙やベッドは清潔感があって、宿泊施設として利用しても満足度は高いだろう。まあ、そういう世界じゃないけれど。
 おじさんは上着を脱いでハンガーに引っ掛けて振り向いた。
「うさぎちゃんはシャワー浴びたい? おじさんはどっちでもいいよ」
 浴びたいです。と私は応える。
 この質問をしてくれる人はいい人だ。経験からそう感じる。
 しゅるしゅると慣れた手つきで衣服を脱いでいくと、おじさんの視線が私に向いているのがわかった。
 自分がスペシャルだということを実感して私は調子よくバスルームへ向かった。
 水源のダムを開門して頭から温水を浴びる。全身が魚のように潤うと体を清潔にする泡をたてて纏う。髪の毛は一層丁寧に、揉むように洗う。私の想定を飛び越えて成長した天然の装甲がないかチェックして、発見したらお城に備え付けてあった刃で刈り取る。
 そうやって全身にメンテナンスを施し、準備を整える。自分の体から上がる湯気を見て満足する。風呂上がりの女の子は湯気を装備すべし。魅力度五割増しになるからね。
 バスルームを退出して、水滴をタオルで拭き取ったらローブを纏って部屋に戻る。
 おじさんは退屈そうにスマートフォンを弄っていたけど、私の気配を感じたらすぐに机に放り投げた。ずいぶん待っていてくれたみたいだ。
「ちょっとまっててね」
 おじさんは優しい声音で言うとシャワー室へ行ってしまった。
 数分ベッドの上で腰を下ろしていると、帰ってきた。
 私と同じローブ着ていたおじさんは私の横に腰掛けた。
 しばらく無言でいると、向こうの方から私の肩に手を乗せてくれた。
 向かい合う形になり、自然と、お互いの距離が縮まる。
 そこから、私はこの世で考えられるであろう最高級の至福の時間を味わうこととなった。



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