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別世界の人間は自分が無力だということを知らない

奈宮伊呂波

二話 金髪転校生はよく笑う

「疲れた」
 ラブホテルよりも硬い自分のベッド。寝心地はあっちの方がいいのになぜかこっちの方が安心する。
 鞄の中から財布を取り出す。
 とても自分の物とは思えない厚みを感じる。実際の厚さはそこまででもないけど。数枚の諭吉が重みを感じさせているのだろう。
 援助交際。
 私は数か月前からそれに手を染めている。もちろんいけない事だとはわかっている。それならどうしてそんなことをしているのか。特に欲しい物があるとか、お金に困っているとかそう言うことはない。
 毎日がつまらなかった。
 学校に行って、たまたま同じ場所に居合わせた友達と楽しく話して、本当に偉いのかどうかもわからない先生の授業を受けて、まったく楽しくない勉強をして、自分を簡単に評価するテストを受ける。そんな日々がつまらない。いっそ苦痛ですらあった。
 まるで終わることのないトンネルを歩かされているような。そんな閉塞感が私の心を縛り付けていた。
 何でもないその日に、私は気づけば出会い系のアプリをインストールしていた。
「お姉ちゃん。ご飯できたってー」
 妹が私を呼びに部屋の前まで来た。
「んー」
 気のない返事を返してのそのそとベッドから起き上がる。
 子供のころに買ってもらった勉強机の引き出しを開いた。その中にあるデスクトレイを持ち上げてその下に財布の中身を何枚か忍ばせる。このお金は家族に見られるわけにはいかない。
 ドアを開いて階段を降りると、香ばしいスパイスの匂いが鼻腔を擽る。この匂いはきっとカレーだ。図体ばかり成長して、他は子供のままの私は期待で胸が膨らむ。
 リビングに入るとお母さんとお父さんと妹が、私を待っていた。
 食卓には焼いたばかりのパンと目玉焼きとトマトとレタスで作った簡単なサラダが置いてある。カレーは夜に食べるのだろう。
 橙色の電球と家族の穏やかな笑顔が太陽よりも暖かく家を包む。
「このところ嫌なニュースばかりね」
 お母さんはテレビを見ていた。お父さんはすべてを聞き流して新聞を読んでいる。テレビを見てみると、アナウンサーの男の人が原稿を読み上げていた。
「二か月前、都内の某ホテル内で女子大学生が男性に殺害される事件について進展がありました。警察によると容疑者は―――」
 アナウンサーの人は、それを仕事然として読み上げる。仕事なのだから当たり前だけど、私にはそれがあまりのも機械的に見えた。


 ◆ ◆ ◆


 珍しく先生がチャイムが鳴る前に教室に入ってきた。
「はい。お前らー。座れー」
 雑な号令にも従う生徒諸君は将来立派な社会人になるだろう。なんてどうでもいいことを考えながら視線を黒板に向ける。
 先生は教室を見渡し、欠席がいないことを確認し、話を始める。
「今日は大事な要件があるからみんな心して聞くように」
 もったいぶる先生にお調子者の男子が「先生早く言えってー」と茶化す。先生が軽く睨むとやれやれとおどける。それを見た他の男子がケラケラと笑う。死ぬほどうざい。
「転校生が来た」
 先生がそう言うと、教室内に小さな歓声が沸いた。どこかで見たようにクラスメイト達が喚いた。
「男子? 女子?」「イケメン? ねえ先生イケメン?」「いや絶対女子だって!」「私昨日知らない人見たけど男だったよ」
 口々に噂や憶測が飛び交いあっというまに喧騒が教室を埋める。すぐ来るんだから黙って待ってろ。
「入ってくれ」
 騒がしくなった生徒を無視して先生は外で待っているであろう転校生を促した。
 静かにドアが開く。喧騒がだんだんと萎んでドアがこすれる音が目立った。自然とみんなの視線はそこに集中し、見えない力に強制されて私もそちらを見ていた。
 入ってきたのは金髪の少年だった。
 柔らかで違和感のない金色は聞かなくても海外由来の物だと分かる。全体的に小柄で、弱々しい印象の見た目だった。そんな印象を払拭するように少年はずんずんと歩く。
 教壇の横に立ち、丁寧に頭を下げた。金色の髪が宙を舞う。とてもゆっくりとその軌道が目に映った。
 彼は顔を上げて、笑顔を見せる。ニコッというよりニカッという人懐こい笑顔だ。
「レイナルド・ジョンソンです。レイと呼んでください。よろしくお願いします」
 余りに流暢な日本語は彼から一ミリも外国人感を感じない。日本生まれ日本育ちだろうか。
 堂々たる登場にクラスメイトは一歩遅れて反応し、やがてまばらな拍手が彼を迎えた。
「えーじゃあ。レイナルド。そこの空いてる席使ってくれ」
 といって指差したのはグラウンド側の窓際の一番後ろの席だった。すなわち私の席の隣。
 は。何でここなの。いやまあ。ちょっと前からこの謎の空席あったけどさ。最初は机も何もない空間だったのに急に現れやがったこいつ。まさか転校生が来る予兆だったとは。
 金髪外人転校生は初めて会うクラスメイト達に怯むことなく、その間を怖めず臆せず歩いてきた。コンパクトな手提げかばんを机の横のフックに引っ掛けた。
「よろしくね。えっと……」
「船川」
 私は自分の名前を教えた。目立つのはあまり好きじゃないけどここで教えないのも不自然だ。
「船川さん、よろしく」
「よろしく」
 レイナルドはにっこりと笑った。
 先生はチャイムが鳴るとそのまま別の教室に向かった。質問タイムを迎えぬまま授業が始まった。クラスメイト達は日本史の先生の言談の最中、先生の隙を見て金髪外人転校生という漫画のような要素盛りだくさんの人物に視線を向けていた。
 その隣を陣取った私にもいくつかやっかみが向けられていることも私は理解していた。
「レイ君って前はどこに住んでたの?」
「外国? でも日本語完璧だよね」
「英語喋れんの? どこの国?」
「彼女! 彼女いますか?」
 口々に捲し立てられて少し可哀そうに思うが、一つ一つ丁寧に返しているからああいうことは慣れてるのかもしれない。
 別に興味はないけど、聞きたくないわけでもない。盗み聞きした彼らの会話から、レイナルド・ジョンソンは日本生まれ日本育ちの日本人とイギリス人のハーフらしい。今回の転校は親の仕事の都合らしく、転校は今まで何度か経験しているらしい。英語は日常会話程度なら余裕だが、日本の学力的英語は並み程度だそうだ。趣味は漫画を読むことで、そのことでクラスの男子と盛り上がっていた。
 余談だが彼女はいないらしい。一部の女子がそれを聞いて黄色い声を上げていた。
「ごめん船川さん。消しゴム借りていい?」
 授業中、昼ご飯を食べて眠くなった頃、レイナルドは小さな声でこっそり囁いた。金髪と碧眼がよく光る。
「いいけど。忘れたの?」
「間違えないように気を付けてたけど眠くてさ」
「へえ。どうぞ」
「ありがとう」
 消しゴムを渡すとごく自然に板書に戻った。
 転校一日目にして違和感がなさすぎる。ハーフという個性がなければもはや元からいたのではと勘違いしそうになる。
 転校が多いから順応性が高いのだろうか。いいことなのか悲しいことなのか。
 放課後になってもレイナルドの人気は衰えない。今度はどこかに遊びに行こう飯に行こうと男女問わず引っ張りだこだった。結局最後には行きたい人達全員で行くらしい。
「待って」
 帰る準備が済んだ私の背中に聞きなれない声がかかる。どこに行こうかと悶着している集団の中からレイナルドが顔を出している。
「船川さんは来ないの?」
「今日は用事があるから。ごめんな」
「そうなんだ……」
 レイナルドの表所が少し曇る。そんな顔をされると罪悪感が芽生えなくもないが、たまたま席が隣になった私をどうして気にかけるのかわからない。
 適当に挨拶をして私は教室を後にした。

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