調布在住、魔王な俺と勇者なあいつ

Snowsknows

幕間 その三


 鬱蒼うっそうとする巨大な森が拡がっていた。
 日はまだあるが、その木々があまりに巨大なため光が底まで届かず薄暗い。
 そしてそれを助長するかのように、不気味にうごめく霧がそこかしこに立ち込め、暗鬱あんうつという空気をかもし出している。
 そこは創世神話の時代から残ると言われる古き樹海。
 外界の手をね付ける神霊たちの住処。
 人領と魔族領の境界入り乱る場所に所在する、
 “大森海マレ・マニス”と呼ばれる広大な森林地帯であった。
 ザクッ ザクッ
 そんな場所の奥深く、大地を重く踏みしめる音が木々の間から聞こえてくる。
 苔むした地面と、枯れ木や枯れ葉に刻まれるその足蹠そくせきは、人の物ではある。
 ぜぇ ぜぇ
 同時に聞こえる、野獣のような荒い息遣い。しかし満身創痍の人の息遣いにも聞こえる。
「はぁ、はぁ…。まだつかないのか…」
 そして大地を重く踏みしめる者、勇者エルフィンが、息も途切れ途切れに弱音を吐いた。
 白銀色のミスリルの銅当てを真っ赤に染め、拾った枝を杖代わりに。
 エルフィン率いる勇者一行は、遂にギガソルド軍の地上界最後の拠点“悠久の迷宮ラビリンタ・マエタニフェ”を陥落させ、一時の小康状態を得ることに成功していた。
 ただ悠久の迷宮ラビリンタ・マエタニフェに魔王ギガソルド本人の姿はなく、代わりに夢幻四天王が一人、アラクネのゾゾが待ち構えていた。
 彼女は最初、妖艶を体現するかのような美女だったが、変異し戦いを挑んできた姿は、見るも恐ろしい巨大な女郎蜘蛛の化け物であった。
 勇者一行は、彼女の強靱な蜘蛛の糸や毒撃に苦戦するが、野暮用で席を外していて後から応援に駆け付けた武闘家カレンの、魔炎を纏う火竜拳法のおかげで辛うじて勝利を手に入れる。
 しかし大戦士ヴァルターが毒撃による致命傷を負わせれらてしまい、手に入れたモノも、彼女の最期の言葉の、“夢幻世界”に魔王は存在している、という情報のみであった。
 …大元を絶たぬままでは再び地上界侵攻のおそれがある。
 しかし夢幻世界へ渡る方策はわからず、打つ手と仲間一人を欠いてしまう勇者一行。
 エルフィン、カレン、サンドラの三人だけになってしまった彼らは、一旦人領の王都まで退き聖教会治療院にヴァルターを預けたあと、“夢幻世界”なる異世界へ渡る方策を他に探した。
 そして勇者一行が大森海マレ・マニスの畔にあるエルフ族の住処“エルダウの庄”を訪れた際、ある情報を得る。
 大森海マレ・マニスのさらに奥、詠唱術に長けたエルフ族も危険で近づかぬ最奥部に、“全ての英知を得し者”と称される女エルフが隠遁いんとんしているという。
 その者であればあるいは、と。
 ただしその者は人間はおろか同族すらも拒み、外界との繋がりを全て断ち切って、森羅万象全てを操ろうと、詠唱術研究に明け暮れる変人だとも。
 他に夢幻世界への手がかりも無かった勇者一行は、その者に一縷いちるの望みを賭け最奥部を訪れた。
 しかし待っていたのは、彼女のテリトリーを守る泥人形ゴーレムの群れであった。
 既に百戦錬磨であった勇者一行は、襲い来る泥人形ゴーレムどもを鎧袖一触で蹴散らすが、最後に現れた“全ての英知を得し者”の、強大な聖力と詠唱術の前に為すすべなく敗れ、そして武闘家カレンと僧侶サンドラの二人が土属詠唱術で石に変えられてしまう。
 勇者エルフィンだけは精霊の加護により辛うじて石化を免れたが、“全ての英知を得し者”のさらなる未知の詠唱術により、今度は精霊の加護そのものすらも封じられてしまった。
 自らの根本たる力と仲間を失い、茫然自失に陥ってしまうエルフィン・エルリード。
 そんな彼に、“全ての英知を得し者”は言う。
 全てを得たければ、己が力のみで意志を示せ、と。
 …仲間を救い、力も取り戻し、魔王を倒したければ、全ての英知を得し者の課す試練をこなせと言う。
 それは大森海マレ・マニス最奥部を、さらに抜けた先にある“死の谷モリタル・バレ”へ精霊の加護なし、単独で赴き、そこのに住まうという毒竜の頭骨にある魔石を期限の内に持ち帰るというもの。
 その死の谷モリタル・バレは魔王ギガソルドが、昆虫だったころに住んでいたという魔力に満ちた場所だという。
 そして期限の内、最後の日。
 エルフィンは、知恵を絞って用意周到に罠を張り、虚を突いて毒竜を何とか討ち倒すことに成功する。
 それから満身創痍の身体を推し、刻限迫る大森海マレ・マニスへと、今戻って来きていたのだが、目的の場所を前にして、とうとう力尽きようとしていた。
「ぐぉっ…」
 全身に毒竜の瘴気が体に回り、ついに血反吐を吐いてしまうエルフィン。
 口を押え意識混濁のあまり、膝を突いてしまう。
「…動け。動け。この程度で…ッ! 畜生!」
 あと僅かだと言うのに、己の限界を感じ悪態を付く。
 …故国を魔族に滅ぼされ、絶望に塗れ、魔王討伐の旅を始め数年。
 魔王の侵攻により混乱の極みに合った各地を回り、心強い仲間や聖教会やガリア王国など残存国の支援を得て、必死の思いでギガソルド軍の地上界拠点をなんとか潰したが、魔王自体がこの世界にいないと言う結果。
 今、意識を失えばおそらく二度と目を覚ますことはない。こんなところで自分は、魔王を討つという目的を果たせず終わるというのか…。
 焦燥に囚われるエルフィン・エルリード。
 夢遊の如き感覚で天を仰ぎ、木々の間の刻限を示す宵の星を、心の底から呪った。
「無様だな」
 その時、恐ろしく凛として、無機質な響きが森に木霊した。
 エルフィンが声のした方向を事切れそうな動きでゆっくりと見やる。
 するとそこには、佇んだその姿だけで、まるで空間を切り張りしそこだけ絵画で表現したような、美しい女エルフが立っていた。
 エルフ刺繍の鮮やかな羽織を身纏い、後ろ手に結われた白銀の美しい長髪を暗鬱な森に靡かせ、深緑の双眸で瞬き一つせずこちらを眺めている。
 たがその美貌は無表情で固定され、彼女のりょするところはうかがい知れない。
 天女を一目見たように、一瞬時を忘れるエルフィン・エルリード。
 しかしすぐに今のこの現状が、この女エルフに原因がある事を思い出し、声をふり絞る。
「……何が、無様だ」
「お前の姿、足掻く様、全てがだ」
「……お前」
 女エルフのひどく見下したような言い様に、エルフィンはふつふつと腸《はらわた》が煮えくり返った。
 エルフ族は種族の性分として排他的であり、他種族を下に見る傾向がある。それは長大な寿命と高度な知性を持つことに由来するものからであったが、この女エルフはそれとは別に、個人としてかなり尊大な性格のようだった。
「ふざけるな…」
 怒りに声を荒げるエルフィン。
「ふざけてなどいない。現状を言ったまでだ。…お前は、精霊の加護という仮初《かりそめ》の力を我がものと過信し、勇者などと称して慢心していた。それがどうだ。精霊の加護が使えず特異の力を持った仲間の力も得られないのであれば、たかが毒蜥蜴とかげ一匹討つだけでその体たらく。…まさに片腹痛い」
 女エルフはそう言うが、無表情である。
 エルフィンは、苔むした地面に突いた手を、わなわなと震えながら握った。
 そんなことは言われなくても、我が身一つでの毒竜との戦いで気付いていたのだ。
 自分は唯の人間であったのだと。
 …数々の実戦経験を持ち、豊富な知識や数々の武具を操ることのできるヴァルター。
 …珍しい魔力耐性の持ち主で、人としてもずば抜けた身体能力を持つカレン。
 …詠唱術の天才で、若いながら神官の位を持つサンドラ。
 ……そんな彼ら彼女らに比べ、自分は唯の僻地の領主の息子に過ぎかったのだ。
 どれほど、精霊様の加護に頼りきりだったか。
 精霊の風の力により、大気のある場所なら無尽蔵に聖力を使え、
 あらゆる病や毒をも弾き、
 風を使って簡易的な飛翔すらも可能とし、
 そして雷霆らいていの力を行使して幾百の魔物を塵にした。
 いつからそれが、己の力そのものだと慢心を始めたのか…。
 エルフィン・エルリードは己本来の弱さを再認識し、そして愚かさを嘆いた。
「お前はその程度で、あの甲虫種を討つつもりなのか?」 
 その見下した言い様にエルフィンは反応した。 
 …あの甲虫種。
 無論、カミキリムシが魔物化しさらに甲虫種化した、魔王ギガソルドのことだろう。
 この女エルフ、昼夜も分からないような深い森で暮らしているくせに、外界の大事を知っているのか。
「…あんたに何が分かる。国を、故郷を、魔王に滅ぼされたんだ! だから俺は、絶対に奴を討ち滅ぼす! 例え精霊の加護を失おうとも…、これは使命だ!」
 エルフィンは力の限り吠える。
 信念とも、執念とも言える目的を見失うワケにはいかなかった。
「話はいろいろ伝え聞いている。人間どもの国が半分以上落ちたようだな」
 女エルフはどうでもいいことの様に淡々と紡ぐ。それがまたエルフィンの神経を逆なでした。
「…知っているのなら、どうしてこんなところで隠遁している!? あんたは全ての英知を得し者、賢者と称される詠唱術使いなのだろう! その力をなぜ世の為に生かさない!?」
「その理由は至極単純だ」
 全ての英知を得し者は簡潔に言う。
「興味がない」
 彼女のあまりに冷たい言い放ちに、エルフィンは愕然とする。
「興味がないだと?」
「そうだ。外界のことなど知ったことではない」
「あんた本気なのか? 人間の国のみならず、同じエルフ族の庄も幾つか滅ぼされているんだぞ!」
「だからなんだ。それと私に何の関係がある」
「あんたの仲間たちも多く死んでいる!」
「死は必然。永久不滅など存在しない。…私は感傷とは縁がないのでな。特になんとも思わん」
「だったら、…あんたは一体、何に、興味があると言うのだ…」
 女エルフの冷たい言い放ちに、とうとう奮い立つ体力すらも失われるエルフィン。視界がぼやけ頭を垂れ始める。
 何も紡げず、呼吸の息苦しさだけが脳裏に残る。
 どうして自分は、こんな女に一縷いちるの望みを賭けてしまったのか…。
 どうしてあんな約束・ ・を、こんな女としてしまったのか。
 後悔に覆われ、そして視界も黒に染められる。
 勇者だった男は、己の終焉をここに悟った。
 と、その時、
「…私の興味のあることか」
 妙に鮮明に聞こえた呟きと共に、エルフィンの身体が淡い緑の光に包まれる。朧げだった視界が回復し顔を上げると、女エルフが軽く印を結びこちらへ両手をかざしていた。
「…何を」
「毒竜の瘴気を聖力で中和している。あれの吐く瘴気は毒そのものいうより濃い魔力を含んだ息に過ぎん。魔族とて濃すぎる魔力を急激に浴びれば、体調を崩し下手をすれば死ぬ。聖力でも同じことが言えるがな。つまりは聖力と魔力は根本的には同じもの。ただ鏡の様に相反しているだけだ」
「……な、何?」
 彼女の唐突な説明に首を捻るエルフィン。
  女エルフは彼を無視して続ける。
「それはお前の精霊の加護も似たようなものだ。私は別にお前の力を封印したワケではない。風とは相反する土。土の精霊と強制契約させただけだ」
「…は?、け、契約だと?」
「風の精霊は、空を舞う。縛られぬモノ・ ・ ・ ・ ・ ・だ。逆に土の精霊は、地に足をつける。縛るモノ・ ・ ・ ・だ。性質は真逆。相反し相殺し合う。お前は精霊の加護を失ったように見えただけ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・だ」
「?…はあ」
「……最も、こんな強力な精霊契約は見たことも聞いたこともない。時が経てば、土の精霊との契約は勝手に解除され、元に戻っていただろう」
「そ、そうなのか」
「そうだ。四元素の一つを司る一柱、神霊クラスが唯の人間にこれほど力を与えるのは考えられん。有り得ない。しかも無条件に自ら与えたと言うのだろう?」
「…………ああ」
「何か意図があったと推察できる」
 ふと、エルフィンは体が急激に楽になるの感じた。どうやら目の前の、この人間嫌いである女エルフは本当に助けてくれるつもりのようであった。
「どうだ?」と女エルフ。
「………確かに、体は軽くなった」
 そうは言うが、やはり彼女の仕打ちが腑に落ちず、エルフィンは疑念に眉を結ぶ。
「お前は試練を果たした。毒竜を倒し魔石を持ち帰り刻限に間に合った。それだけだ」
 彼女の言葉にエルフィンは、怪訝に辺りを見回した。
 すると、ここは最初、泥人形ゴーレムどもに襲われた場所だった。所々に戦った形跡がある。
 エルフィンは石となった仲間を目印にしていたため、いつの間にか目的の場所についていたことに気付いていなかったのだ。
 身体が軽くなったこともあり拍子抜けしてしまう。…一瞬、最期まで覚悟したのはなんだったのだ。
 だがとなると、脳裏に疑問が浮かんだ。……カレンとサンドラの姿が見当たらないが?
「私の住処に移してある。こんなところに放置しては、森の野獣どもにバラバラにされる恐れがあったのでな。それでは筋が通らん」
 エルフィンの心でも読んだのか、それとも素直に顔に出たのか、二人の居場所を告げる女エルフ。
「…二人は無事なのか」
 エルフィンは仲間の所在と無事をを知り、多少安堵を浮かべる。
「無事、かどうかは首を傾げる。なにしろ石になったままだ。傷一つつけていないが」
「……では、あの約束・ ・も守ってくれるのか?」
 エルフィンは、死の谷モリタル・バレへ向かう際、ある約束をこの女エルフとしていた。
 それは、他に関心がなく世を憂うこともないこの変人の興味を惹かせるには十分な約束事であった。
「当然だ。私は人間や無遠慮に干渉して来る者は嫌いだが、それ以上に、筋が通らんことが嫌いだ。そこは信用してもらって構わない」
「……信用だと?」
「そうだ」
 女エルフはそう言い結ぶと、聖力の放出をやめ腰に手を据えた。
 エルフィンは、のそりと立ち上がり拳を握り確かめる。傷は癒えていなかったが、体調は大分戻っているようあった。
「…………礼は言おう」
 散々な目に合わせられたというわだかまりはまだある。だが命は助けたもらったのだ。礼を失することは騎士家系の出身として出来ない。
「礼を言われる筋合いはない。お前は試練を果たした。ならば私も約束・ ・を果たさなければならない。それだけだ」
「…………本当に、筋は通すんだな」
「当たり前だ。お前は私をなんだと思っている」
「血も涙もない冷血漢」
「な、何?」
 凛とした表情を少し崩し、眉をひそめる女エルフ。
 と、エルフィンが懐からあるものを彼女の眼前へ取り出す。
 魔石であった。
「全ての英知を得し者よ。何に使うか知らんがこの通り毒竜の魔石は持ち帰った。まずは仲間を元に戻すこと。そして精霊の加護を元に」
「フローネだ。その二つ名で呼ばれることは好かん。それは他の者が勝手に言っているだけなのでな」
 調子を崩されたエルフィンを尻目に、フローネと名乗った女エルフは踵を返す。
「ついてこい。私の住処で解術してやる。ついでに傷も癒すといい」
「……わかった」
 性急に歩みを進め出したフローネ。エルフィンは一瞬、戸惑いながらも、その後ろに付く。
 と、彼女が前を向きながら呟く。
「私の興味のあることだがな」
「な、なんだ?」
「お前にも、少し興味が湧いた」
「は?」
 虚を突かれキョトンするエルフィン。
「それは…」
「額面通りの意味だ。それ以上でも以下でもない。…さっさと行くぞ」
「ああ、待て」
 フローネは足を止めることなく性急に歩み、エルフィンも慌てて続いた。
 その後、二人は住処に辿り着き、フローネはカレンとサンドラ、精霊の加護を元に戻してやった。そして案の定、カレンらと一悶着あったが、賢者フローネの協力を取り付けることに成功する。
 そして再び魔族領へ舞い戻り、その極遠の地にある、弓なりの列島。
 そこで今も延々と噴火を続けているという“不死の山”を目指すこととなったのだった。

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