調布在住、魔王な俺と勇者なあいつ

Snowsknows

第4話 勇者の目覚め


「ぬわっ!?」
 朋子は、唐突に夢から醒め、飛び起きた。
 頭を軽く振り、唖然としてぼんやりした意識を覚醒させる。すると、おぼろげだった像が結び、視界が鮮明になって来る。
 そこは馴染みある某電気ネズミのぬいぐるみがたくさんある部屋で、馴染みのある黄色と黒の虎柄ベッドで、馴染みの黄色いパジャマを着ている事が認識出来た。
 ふと時計を見やる。
 AM7:00前。
 もうちょいで、枕元にあるデジタル時計の目覚ましが鳴る時刻。中学時代からいつもこの時間に起きていたので、朋子の体内時計が知らず知らずに、その時刻になると起こすようになっていた。
 そして、それら全ては、なんらいつもと変わらない、朋子の平凡な朝。
 違いと言えば、ハンガーラックに掛かっている制服が、この前まで通っていた七中のものではなく真新しい多摩川高校の制服に変わっているくらい。
 ……そう間違いなく、ここは東京都調布市八雲台2丁目、久住家宅の二階にある朋子の部屋である。
 そして自分の名前は久住朋子。何の変哲もない、普通の女子高生。
 …の、筈だった。
 朋子は不意に目を擦った。そして何か湿っているのに気付く。
 ………なぜか、泣いている。
「……」
 …この日本に生まれ落ちて、15年と早数カ月。
 波風立つことなく平凡な日常を過ごし、平凡に生きて来た自分。
 特に勉学が出来るわけでもなく運動も苦手。おまけに極度の人見知りの引っ込み思案で、他人と会話するのも不得意。…一人、本を読むくらいしか取り立てた趣味もなく、それすらも人に声を大にして言うこともない。
 目立つのが嫌いな性分。自分でも思うくらい、つまらない自分。
 ……このままで私はいいんだろうか?
 年老い何も成さず死んで行くんだろうか?
 何かやるべきことが、あるんではないだろうか?
 そんなモヤモヤに終始まとわれて、そしてたまに、本当にたまに“悪夢の様なもの”にうなされる事もあった。
 それは身の毛もよだつ化け物に襲われるも、激しく闘う夢。
 自分ではない何者かの目線で闘い、命を奪い、……そして激しい闘争心に覆われる夢。
 そのあまりの日常とのギャップに、恐ろしさに、未だ夜中に目が覚め一人泣くことすらもあった。
 無論、親や先生に相談し、病院の心理科の門扉を叩いたこともあったが、結局、原因はストレスなどでは? などと曖昧な診断結果ばかりで、長い間解決に至らずじまいだった。
 ……でも昨日、その原因は、まるでジグソーパズルが一気に組みあがるように、電撃的に解決してしまったのだ。
 …彼に、出会ってしまった。
 魔王に、出会ってしまった。
 そして自分は、本来は、異世界の勇者であり、魔王を討たなければならないと!
 それが分かった時、身震いした。
 そして怒涛のように前世記憶が蘇えり、頭がオーバーヒートしそうになった。おかげ昨日の日中はずっと上の空で、授業内容は一切合財覚えていない…。
 でもそれは、些細なことなのだ。何しろ自分は知ってしまったのだ。
 自分に為さなければならない使命があると!
 その使命を託した彼らは、生活を捨て故郷を捨て世界を捨て、あまつさえ命を捨ててまでも、魔王を討とうとした尊敬して止まない高潔な者たち。勇者たちなのだ。
 彼らの魂を受け継ぐ私は、それに是が非でも応えなければならない。
 朋子は、そう、眠気眼で確信した。
 ウニャーウニャーウニャーウニャーウニャー
 と突然、なんとも間抜けた目覚まし音が鳴り響く。
「……もう」
 その起き抜けの間抜けな声に、何か気分を害された朋子は、無造作にその目覚ましを止める。
 それは、あまり可愛くないデフォルト調の招き猫をモデルにしたデジタル目覚まし時計で、ネコの上げた右手がスイッチになっている。さらに余計な高機能なことに二度寝防止のスヌーズ機能も付いていて、背中にある主スイッチを切らなければ、五分おきにあの間抜けな声を繰り返す代物である。
 朋子のちゃらんぽらんな姉が「朋ちゃん、これ好きっぽかったでしょ?」と何と勘違いしたのか、中学卒業祝に買って来てくれたものであった。一応、有難く使わせてもらうことにはしたが、正直、朝からあの脱力する声は頂けない。
 朋子はそんなことを考えながら、大あくびを一つして、ストンっとベッドから降りる。そしてピンクのモコモコスリッパを履き、一階にある洗面所に向かった。
 朋子が、洗面所で顔を洗って歯磨きを済ませると、「朋子ー、ご飯食べなさいー」と母の呼び声。「はーい」と、朋子はそれに導かれる様にパタパタとダイニングに向かうが、途中、リビングのソファに誰かが横になっているのに気付く。
 ふと近づくと、………鼻をつくアルコールの臭い。
「………おはよー」とその誰かに挨拶をする。
「………」
 返事がない。ただの屍のようだ。…って、実の姉を殺しちゃダメだってば。
 泥酔してソファに横になり爆睡していたのは、朋子の実姉久住くじゅう加奈子かなこ。20歳の大学生である。
 彼女はどうやら、朋子が起きる前の朝方に帰って来てすぐに力尽きた様であった。傍らには朋子の母が掛けてくれたであろう毛布が、無造作に肌蹴はだけている。
 加奈子は、シャギーの入った短めの茶髪で、付近には酔って脱ぎ散らかした衣服が散乱し、本人はキャミソールにパンツだけの姿。
 その格好がまた妹との育ちの違いを無意識に強調しており、朋子は若干ムスッとなる。それに前髪の隙間から覗く、その幸せそうな寝顔にはまだ厚化粧がてんこ盛りだ。どうやら洗顔する気力もなく、帰って来るなりバタンキュウのようだったようである。
 加奈子はここのところ、こんな調子で連日朝帰りしており、そのため妹である朋子とは、最近すれ違いばかりでロクに会話をしていない。
 朋子は、そんな風に中々関われないことを実は少し歯がゆく思っていた。
 だって唯一、遠慮しなくていい相手だったのである。一応実の姉で、そして数少ない気を許せる人物であるからだ。
 …ただし、尊敬出来うる人物かと問われれば、そこは首を捻るところである。基本がちゃらんぽらんな性格なので。
「お姉ちゃん、風邪ひくよー」
「……スー」
 妹の心配に、姉からは寝息の返事。
 ちょっと寂しく、むぅ、と唸った朋子は、もう加奈子の事はほっとく事にしてダイニングに向かった。
 モグモグと朝食を食べ終わった朋子は、部屋に戻って髪を溶かし制服に着替えて、日割りを見ながらモタモタと今日の授業の教科書を準備する。
 と、引き出しの中にある、とある物が目に留まった。
「……」
 不意にゴクリと息を飲む朋子。
 それは唯の日本の女子高生である朋子が、おそらく手に入れられる物では、最強の攻撃力を誇る代物だった。……無論、用途は人を攻撃するための物ではなく、小学校の授業などで用いる物である。
 しかし勇者の転生者である久住朋子には、聖剣カリバーンに代わる物が必要だった。
 ……万が一、必要になるかも知れない。
 彼女はそう暗に思い、それを鞄に静かに忍ばせた。
 と、その時、不意に朋子の部屋の扉がのそっと開く。
「……朋ちゃん、おはよう」
「うわっ! ……もう、ノックくらいしてよー」
 一階で寝ていた筈の加奈子が、二日酔いのげっそりした顔を出して来る。
 そのいきなりの酷い顔の出現に驚く朋子。
「今日、学校?」
「……そうだよ。もう春休み終わったよ」
 大学生である加奈子はまだ春休み中である。それにかまけて昼夜問わず遊び呆けていたので、曜日感覚を失い、実の妹が既に高校生になっていたことを知らなかったようだ。
 そんな加奈子は、虚ろな目で制服姿の朋子の身体をマジマジと見初めた。
「…お姉ちゃん、何?」
 と、朋子は怪訝けげんに実の姉を見る。
「…………かわいい」
「え?」
「朋ちゃん、可愛いい!」
 と、いきなり部屋に入り朋子に抱きついて来る加奈子。その悩ましげな体を実の妹に押し付ける。
 それと同時にアセトアルデヒトの匂いをプンプン部屋に漂わせた。
「ちょ! ちょっとお姉ちゃんお酒臭い!」
「ああん、もう、とうとう朋ちゃんも大人の階段を上がっちゃうのね」
 そう言って、頬を擦り擦りしてくる加奈子。…え? まだ酔ってる?
「ちょっと、お姉ちゃん! 本当に離れてよ! 制服に臭いついちゃう!」
 そう言って朋子は、無理矢理姉を引きはがすとさっさと鞄を手に取り、
「行ってきます!」
 とプンプンしながら自分の部屋を出て行った。
 そんな残念だが、あくまでマイペースな姉は、うーんと背伸びして、
「…んもう、まだ子供なんだから。お姉ちゃんとスキンシップしてよ」と不満に呟く。
 それから「ま、いっか。さて、もう一眠りしますか」と紡いで、妹のベッドにバタッと飛び込んだ。
 どうやら自分の部屋に行くのがめんどくさかったようであった。
 朋子は久しぶりの会話ではあったが、相変わらずダメダメな姉にぷんぷんしながら母から弁当を受け取り、玄関を出て一路駅へ向かった。
 路地を抜け甲州街道を渡った先を南へ抜けると、京王線国領駅のロータリーが見えてきた。朋子の多摩川高校への通学路線駅である。この駅はつい先年地下化され、モダンな駅舎へ建て替えられていた。京王線国領駅は各駅停車しか止まらない駅ではあったが、京王線管内の各駅停車駅としては最も利用者数が多い。
 朋子はpasmo定期を改札にかざし地下へ向かう。エスカレーターを下ると、ホームには通勤通学のサラリーマンや学生などでごった返していた。
 と、すぐ新宿上り方面の各駅停車が、地下ホームへと滑り込んで来て、ホームドアがプシューっと開く。すると朋子は上り電車の中の光景に、うっ、とたじろいでしまう。それは眼前に、
 人人人人人人人人人人人人、の詰め物が広がっていたからだ。
 東京名物の満員電車。しかもこれでも各駅停車。……もし特急に乗ったのならどうなることやら。
 東京生まれの東京育ちの江戸っ子気質は皆無な朋子だが、中学が徒歩圏内にあり、人混みもダメなため新宿や渋谷などにあまり行ったこともなく、常日頃電車を使うことは少なかった。
 そのため、いつもは感じることの少ない東京の人の多さを改めて実感し、感慨に耽る。
 ……まぁ、自分が使うのは下りの電車の方なのだけど。
 そんなことを思いながら、朋子は同じように滑り込んで来た、割かし空いている橋本行の各駅停車に乗り込んだ。
 京王多摩川駅の改札を抜けると交通量の少ない通りがある。そこを東へ向かうと既に葉桜の短い桜並木があり、すぐに多摩川高校へと辿り着く。
 朋子は、これから通うであろう道のりを一路校門へ向かう。
 昨日一昨日は、同じ中学の友達もおらず新しい環境である高校生活にガチガチに緊張し、正直億劫な道のりではあったが、今日は何か違った。思いのほか、足取りが軽かった。
 それもその筈なのだ。 
 自分は…勇者の転生者だったのだ。
 昨日までの自分は、将来の目標らしい目標もなく、極度の人見知りとあがり症で中々他人と馴染めず、自分からも人に話しかけられない、ダメダメな女子だったが、今は違う。
 朋子はそんな風に、自己暗示を掛けながら校門へと向かった。
 校門に立っていた先生方に軽く会釈をして朋子は校門をくぐり、立て替えたばかりの真新しい校舎なんとなく見上げて、玄関で上履きに履き替える。
 すれ違う生徒たちを尻目に、朋子の緊張が高まった。
 これから、……魔王がいる一年一組の教室へ向かうのだ。
 昨日は、散々な目に遭ったが、今日こそは……魔王を討つと言う、勇者の悲願を達成しなければならない。
 朋子は、新校舎一階にある自分の教室へ身体を向ける。
 そして一歩一歩、教室へ歩みを進めるたびに手に汗が滲み、心拍が高鳴るのが分かった。
 昨日一昨日も緊張していたと言えば、そうであったが、今日の緊張は朋子にとって未知のものだった。
 彼が、奴が、魔王がいる空間にこれから踏み込むのである。
 …そう、命のやりとりが始まるかもしれないのだ。これは決戦前の戦士の心境に違いない。
 朋子がそう意気込んでいると、その足は、とうとう一年一組の教室の扉へ前に辿り着いてしまう。
 するとガヤガヤという騒音が教室の中から聞こえて来た。
 勇者の転生者の耳にはそれが、
 矢が飛び交い、
 蹄の音や鍔迫り合いが鳴り響く、
 まさに戦場の喧騒に感じられた。
 そして、覚悟を決めた勇者の転生者は、怒号飛び交う戦場へと、汗の滲む右手で扉の取っ手を掴む。
 ……いざ、参らん!
 ガラガラと教室の前の扉を開いた朋子に、一瞬、注目が集まる。それに少し身じろぐ朋子。
 だが、すぐに皆は視線を戻し、ガヤガヤの中に戻ってしまう。
 …そう言えば、先生と魔王以外のクラスメートとはまだ会話らしい会話をしていない。
 もう皆は既にいくつかグループを形成してるようだった。……いいなぁ。
 一瞬、そんなことを思う朋子であったが、すぐにある一点に視線が釘付けになってしまう。
 奴がいた。魔王がいた。
 魔王は、椅子にけだるい感じで持たれながら、だるい顔で前の席の男子とのうのうと駄弁っていた。 
 奴は、倦怠感丸出しのこんなやる気のない顔をしながらも、裏で実は世界滅亡を目論んでいるのである。その姿をみて朋子は、ごくりと息を飲む。
 …見逃す訳には、行かない。
 朋子はそう憤然と眉を結ぶと、魔王の転生者に威圧を向けながら、傍目には慌てながら近づいた。
 そして、
 魔王の隣の席に座り、
 鞄を机の横に掛け、
 自分の机を睨んだ。
 ………。
 どうしよう。
 …………………どうしたらいいかわかんないっ!
 勢いに任せた昨日は別にして、朋子にはそもそも何か具体的な魔王討伐案がある訳ではなかった。
 一応、聖剣の代わりの代物を鞄に忍ばせてはいたものの、それを使って魔王の転生者を討つ、という度胸は、ただの臆病な女子高生である久住朋子にはない。そんなことをしてはただの犯罪である。家族や学校に迷惑を掛けてしまう。
 兎が獅子の生まれ変わりであると理解したとて、獅子の様に振舞える訳では無いのだ。
 ではどうするのか?
 どうしたらいいの?
 私は勇者として、どうしたらいいの?
 机に問うても答えは返って来なかった。
 取りあえず、左隣の席をチラっと見る。
 魔王の転生者こと、蘇我直人と言う男子は、机に片肘を付きながら、前の席の男子とウンザリ気味に何かゲームの話をしていた。
 話の内容から、信長のなんとかというシミュレーションゲームの奴で、朋子には全く興味のないゲームだった。……そう言えば信長も実は魔王だった、というのをアニメで聞いたことがある。やはりこの魔王も、他の魔王が気になるようだ。
 と、チラチラと魔王の転生者をなんとか観察していると、
 不意に彼と横目で目が合った。
 ビクッとなり、慌てて視線を机に戻す朋子。心なしか自分の顔が、紅潮しているのが分かる。
 ……うぐ。負ける訳にはいかない。
 そしてまた、今度は出来るだけ自然を装い彼の方をチラッと見る。
 どうやら今度は気づかれていない。
 …ふと、マジマジと改めて観察してみる。
 顔立ちは普通? イケメンの部類ではないと思う。似ている有名人とかは特にいなさそうだ。身長の方はあまり高い方ではない。現に昨日相対した時は、158㎝の自分と目線はそう変わらなかった。160㎝過ぎくらいだろうか?
 体格はどっちかというとやせ気味。
 ……改めて観察すると、彼があの魔王ギガソルドとは、朋子にはにわかに信じられなかった。だって前世の記憶では、最初の人型でさえも2mを越え、最終形態に至っては、見るのも恐ろしい巨大な甲虫種の化け物だったのだ。
 ……あの時、魔王は《転生の秘儀》で意志と力をもったまま生まれ変わると言っていたが、本当だったのだろうか?
 と、朋子がふと気が付くと、直人は目を瞑って何故か顰めっ面になっていた。
 …? なにかあったんだろうか?
「久住さん?」
 突然、なぜか別の男子に声を掛けられた。魔王の転生者と駄弁っていた男子だ。名前は全く覚えていない。
「は、はい!」
「……………直人のこと、なんかチラチラ…見てるけど?」
「はひっ!?」
 ……やばい。ばれている。観察していた事が魔王の側近 (たぶん)に気取られてしまった。
「………そ、その」
 言い訳が思い付かず、もごもごする朋子。冷や汗が流れる。
「ほっとけ」
 と、魔王の転生者。
 えっ…、と彼の横顔を見る朋子。
「……そう言えばさ。お前ら二人、千夏ちゃんに言われて放課後に教室の掃除したんだよな? ……何が、あった?」
 なぜか恐慌の表情を浮かべる前の席の男子。
 ……まさか、魔王と勇者が再対決した事を気付かれたんだろうか?
「…何も無いって」
 と、なぜか少し苦虫を噛み潰す魔王の転生者。
「だってよ…。放課後の教室に男女高校生が二人残ってだぜ…。それで何もないというのか?」
「黙れ。ギャルゲ脳」
「なんだと、このファンタジー脳」
 と、彼ら二人は、そのまま朋子のことがどうでもよくなったようで、また何かの話を続けた。
 ……やっぱり男子の話には付いて行けない。いや、魔王と話をしたい訳じゃないけど。
「はーい、みんな、おはよう!」
 と、ホームルームの時間になったようで、和歌月千夏が明朗溌剌めいろうはつらつな声で入って来た。クラスの皆はそぞろに居住まいを正す。
「はい、じゃあ、号令をお願い。クラス委員の、デーモン蘇我閣下」
「魔王だし! 別に相撲好きの悪魔じゃないし!」
 誰かがクスリと漏らすも、朝から微妙にしらける教室の空気。
「………はい、じゃあ起立」と、直人が釈然としない様子で号令を掛け、新学期3日目が始まった。

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