玄米先生と巫山さん

片桐ぎりす

玄米先生と巫山さん②

「あっ、巫山!オレの話しを…」
「…寄り道せず帰れよー」
行ってしまった。
結局、何も話せずじまいだったな。
巫山は自分だけ一方的に喋り、一度たりとも振り返らずにこの場から去った。
まるでオレが呼び止められて説教でも聞かされていた気分だ。
…今日職員会議があるんだっけな、少し早いが、もう行こうかな。
生徒たちが帰ってもまだ教師たちには仕事が残されている。
オレは生徒たちと接する時間こそが教員たる者の本腰だ、と考えているのだが、他の教員の中には生徒たちが帰ってからが本当の戦いだ。と言う先生方もいる。
まあ確かに眠気との戦いと云えばそれもそうなのだが。
オレはまだ新任と云う事もあり、なんの部活も担当していない。だから部活の顧問を受け持つ先生方には本当に頭が下がる。
職員室と部活動を行ったり来たりしていて、もの凄く忙しそうだ。
いつかオレにもその時が来ると思うと身が引き締まる思いだ。
…しかし巫山、変わった子だったな。
今の時代、教師を軽視する生徒なんて山程いるが、あの異常な態度はさすがに初めてだ。
良い所の娘さんってのは藤原先生から聞いていたのだが、まさかフヤマルセネクションのお嬢様とは、まあ確かに巫山の苗字が入っているのだから気付いてもおかしくはなかった…いや、やっぱり無理だろう。まさかフヤマで区切るとは誰も思わない。
父さんや兄たちの地位を脅しているみたいだったが、まさか、冗談だよな、巫山…。
オレは帰路に着き、ベッドの上でそんな事を考えながら気がつけば眠っていた。
あしたが楽しみだと言っていたが、一体何をするつもりなんだ、巫山…。




本鈴のチャイムが学校中に響き渡る。
四時限目、担任クラスでの授業だ。
「でさ~昨日みんなと行った…」
「ドラゴンボールをドラゴボって略す奴きら…」
「玄米~今日はビデオの日にしようよー」
オレが教室へ入った事などお構いなしに騒然としてる。
「チャイム鳴ってるぞ~昼休みまで残り一時間だけだから集中して頑張ろうな」
解っている、そんな事を言った処でこの子たちが私語を止めない事を。これもナメられている教師の宿命だな…。
「じゃあ昨日の続きから、プリントの問い八から説明しようか」
「元寇の主役はナンと言っても北条時宗」
てっきり巫山に朝から絡まれるのかとばかり思っていたが、今のところその様子はない。
「神風が起こった事は有名だと思うけれど、実は鎌倉時代の武士たちも頑張っていたんだ」
拍子抜け、正直そう思った。
何がどう、と訊かれたら難しいけれど、あの不気味な笑みは必ず何かを仕掛けてくる、そう云った表情だったからだ。
「じゃあ次、問い九を見ようか」
オレは巫山を考えている内に無性に気になり始めて、不意に横目で一番後ろの窓際の席に陣取った彼女の姿を視界に入れた。
「問い九ふぁっ ︎」
驚いて、やけに情けない声が出た。
「なに ︎びっくりしたんだけど!」
「バイブでも入れてんじゃね」
「玄米ヘンタイじゃん」
「変態産玄米」
一瞬にして教室中が収拾不可能になるまで荒れる。
「あーすまん、喉に何かつっかえたみたいだ」
「エッフォン、エッフォンッ」
咳払いのマネ事をするも荒れる一方だ。
確か隣では藤原先生が授業してるんだっけか、怒られるな。
「先生が悪かった、隣も授業してるから静かにしような」
無論、この言葉にはなんの抑止力もない。
仕方なくこのまま授業を再開しようとした時、隣の教室から恐ろしいほど強い力で教壇を叩いたであろう打音が聞こえてきた。
藤原先生の雷が落ちたのだろう。
すると、さっき迄の騒ぎが嘘かのように教室中が静寂に包まれる。
後で必ず謝りに行く事を誓い、オレは授業を再開した。
巫山実琴に視線を合わせないようにして…。
そして昼休み、さっそく巫山を問い詰めようと意気衝天と廊下を踏み締めたのだが、オレが藤原先生に取っ捕まった。
「コロスぞ」
それが彼女の大一声だった。
一体、か細いこの身体の何処にこれほどの力を隠し持っているのだろうか。
そう考えている内に生徒の為に用意された相談室に放り込まれ、こっ酷く叱られた。
藤原先生が買って来てくれていた購買のパンを食べながら、自分の担任のクラスさえ制御できないとは何事か、と、帝王学のなんたるかを教え込まれた。
そうこうしてる間に昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴る。
結局、巫山と話が出来たのは、また放課後になってからだった。
「巫山、ちょっと話があるから来なさい」
巫山は軽く頷くと、黙ってオレの後を付いてきた。
暫く二人、無言で廊下を歩く。
「ここで話そうか」
そう言い、入った教室はカウンセラールームだ。
月に一度、学校外からカウンセラーの先生が来られて、診断が必要な生徒を診察して貰っている。
それ以外の用途は聞いた事がないし、何よりこの辺は人があまり行き来しない場所だ。
昨日、あれだけ饒舌に話しきった巫山だが、やはり人見知りなのだろうか、オレ以外の人と話してる姿は見た事がない。
「遅いですよ伏見先生!昼休みに来るとばかり思っていたのに」
カウンセラールームに入るや否や、巫山は昨日の調子で捲し立てた。
「凄かったですね、あの音!もっと伏見先生の恥ずかしそうな反応、馬鹿騒ぎしてるサル共をどう手懐けるのか!見てみたかったのになー」
「藤原先生に感謝ですね!」
「あっ、知ってました?藤原先生って高校生の頃、読モしてたらしいですよ、読モ!今は鬼軍曹でも女子高生の時はJKらしいJKしてたんですね」
巫山のムードに流されないように、強めの口調で言い寄る。
「巫山、なぜ呼ばれたのか分かっているな?」
「分からないです、説明してください」
自覚しているはずだが、このままでは埒が明かないので仕方なく説明した。
「授業中、L座りをしながら目、見開いてリンゴ丸かじりするの止めなさい、先生知ってるから吹いちまったろ」
「黒いノートで授業受けていたのも気付いてくれましたか?」
「見たら笑うから見ていない」
「L知っているか、死神は、林檎しか食べない」
「リンゴを食べていたのは巫山だ」
「キン肉マンさんのマスクを被って、伏見先生に茹で卵を投げつけるって言うのも考えていたんですけど、それは少し過激かなって」
「それは絶対やめなさい」
頭が痛くなってくる。
「伏見先生がジャンプっこ、なのは調査済みです!」
「それにしても私、初めてキン肉マンさんを拝見したのですが、とっても唇がセクシーな方なんですね」
「アレはマスクの柄だ」
「巫山、真剣な話だ、こう云ったフザケた事は今日限りで止めなさい」
「どうしてそれを授業中に注意しなかったんですか?」
…巫山は只でさえクラスから浮いているんだ、こんな下らない悪ふざけがクラス中に知れたら、いじめの標的にされるかもしれないだろ。
「巫山オレは…」
「答えは簡単、伏見先生のご家族が人質になっているから、そうでしょ?」
「公衆の面前で私の事を怒れば、後で何をされるか分からない、要するに私の脅迫に屈したんですよ、伏見先生は」
「しかし驚きですね、こんな腰抜けの伏見先生がマガジンのGTOでしたっけ?に、憧れて教員になっただなんて、私昨日ペラっとその漫画を読んでみたのですが、大笑いしました」
「だって伏見先生とアノ金髪の教師、全く違うじゃないですか!私ビックリしました、どうして目指しているはずの人物と、伏見先生は正反対の教師になったんだろうなって」
「あっ、もしかして私の玄米発言が原因だったりします?だったら最高です!ゾクゾクします!」
「巫山おちつい…」
「私ずっと思っていたんです、人生って詰まんないなって」
「まあ、よく考えなくても理由は明白なんですけどね、だって私は全てを持っているから、容姿端麗頭脳明晰運動神経抜群に加えて動体視力、家柄までも完璧」
「そこで、最近一番笑った事ってなんだろうなって記憶を辿ってみたんです」
「そしたら気付いたんです、伏見先生が玄米って言われた時の反応が一番面白かったって事に」
「ここまで来たらもう理解出来ますよね?私、決めたんです!」
そう言うと、巫山はオレの心臓に握り拳を置き、耳元に近づいて、甘美な囁き声をオレの耳の中に吹き入れた。
「暇だから伏見先生で遊ぼうって」

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