選べるはずがない

伊達\\u3000虎浩



究極の選択という言葉を、聞いた事があるだろうか?


とある定食屋にて、和風ハンバーグにするか、洋風ハンバーグにするかという、どこかの漫才で聞いた事のあるような話しも究極の選択と言えるだろう。


だがしかし、本当の究極の選択とはそんな生易しいものではない。


究極の選択。


選べるだろうか?


ネタバレになるだろうが、はっきりとあえて言おう。


選べるはずがない。


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忘れもしない、中学1年の2学期が終わるそんな時期に、俺は、いや、俺と兄貴は究極の選択を突きつけられる事となった。


「私は今日限りでこの家を出て行く。どっちについて行くのかを、10秒で決めなさい」


はっきりと覚えているこの台詞に、固まってしまう自分。後ろの方で泣いている兄貴とは対照的に、涙1つ見せない自分は、異常なのだろうか。


いや、そうではない。


最初にどう思ったかと言えば、またかよ…てか10秒って笑、が正解である。その話しを今年に入って何回聞いた事か…と、正直に言えばリアルに受け止めきれなかった。


だってそうだろ?
何十回と喧嘩して、その度に子供部屋に避難する俺と兄貴と妹。喧嘩の原因は不明。
幼い妹は、何が起こっているのかが理解できずにキョトンとしている。
兄貴は泣き、俺はというと、漫画をパラパラとめくるだけである。


そして次の日には仲直りしているこの二人を見ていたら、リアルに感じる方が異常だと思わないだろうか?


喧嘩する当初は、自分も泣いていたような気もするが、流石に5〜6回目になれば、泣くのが馬鹿馬鹿しく感じられる。


「…そう。自分の選んだ人生に、悔いを残さないようにね」


そんな素晴らしい台詞を吐いて家を出ていた母親を、俺は無言で、兄貴は泣きながら見送ったのを、今でも覚えている。


俺と兄貴は、最後の最後まで、父親について行くなどとは言っていなかった。


ーーーーーーーーーー


部屋に戻る俺と兄貴は、父親の背中を見る事となる。当然、父親に噛み付いた。
何としてでも、母親を連れ戻してくれと。
その願いに父親は、心配するなと言った。


そんな二人のやり取りを、無言で見つめる俺は、正直に言うと、馬鹿馬鹿しく思っていた。


どうせ帰ってくるんだから、何を言ってやがるんだ?と。


しかし、母親は夜中になっても帰ってこなかった。


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時計の針は夜中をさしていた。
何時かは覚えていないが、明日学校や仕事である俺や兄貴に親父にとっては、寝ておきたい時間帯ではあるのだが、そんな事より大切な事があったのだ。


良い子は早く寝なさい?うるせーよ。


流石に自分も焦り始めていた。
まさか、まさか、まさか。
よぎるのはこの三文字の言葉だけ。


本気で離婚しやがった。


親戚や祖父などの家をくまなく捜索する俺や兄貴と親父。しかし、母親の姿はどこにもなかった。


今考えれば、そんな簡単に見つかる場所に隠れるはずがないだろう。
しかし、当時の中学生など、そんな事に頭は回らない。


そして、1つの疑問が浮かぶ。


あの時は思わなかったが、それからしばらく経ったある日、あの時必至に探し回っていた俺達を、親戚の連中はどう思ったのだろうか?と。


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翌日。


ただ漠然と歩きながら、考える。
流石に誰かと登校する気分でもないので、わざと違うルートから登校した俺を待っていたのは、忘れもしない、中学校時代の恩師の姿であった。


「こっちに来い」


俺を見つけるなり、名前を呼び、職員室へと連行する担任を見ながら、何かやらかしたか?と、焦っていた。


「大丈夫か?」


周囲を気にしたように、小さな声で尋ねた言葉。
大丈夫なはずがない。
しかし、何についてなのかが分からない以上、それは言えなかった。
いつものように話しを誤魔化そうとする俺に対して恩師は、両肩をがっしりと掴み、再度問い掛けるのだ。大丈夫か?と。


溢れ出す涙が止まらず、大丈夫だと告げた俺を見た恩師が、一緒に泣いてくれたのがあまりにも嬉しくて、親が離婚した事をきちんと報告した俺は、母親がいなくなってからきちんと泣いたのだった。


ーーーーーー


何かあったら相談しなさい!そう言われたものの、何を相談すればいいのかが分からない俺は、特に何も相談する事なく、生活を送っていた。


今思えば、些細な事でも良かったんだと思う。
いや、正確に言えば、元気に登校するだけで、良かったのだろう。


しかし、俺は心配させないようにしようと考え、あまり恩師に頼らなかった。


離婚したという事実を、重く受け止めていたんだと思われる。離婚=恥ずかしいみたいな事だ。


ある日、クラスの一人の男の子が俺の所にやって来て、ニヤニヤしながら尋ねるのだ。
離婚したって本当?と。


今なら、そうなんだよー笑。ぐらいで済ませれる話しだが、当時は、いや、してないけどという嘘をついた。ニヤニヤしていなかったらどうかと考えても、やはり嘘をついただろう。


直ぐにバレてしまうようなそんな嘘。


心の何処かで、離婚を認めたくないという思いがあったから出た嘘でもあった。


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母親がいなくなってから、私生活といえば普通であった。いや、むしろ良くなった気がした。


アレしろだのコレしろだのと、言われる事はなく、親父は、頑張るから心配するなと言って、仕事から帰ってくるなり、直ぐにご飯の支度に取り掛かる。


絶対にインスタントラーメンなどに頼らないと、決めていたのか、母親がいなくなってから、インスタントラーメンを食べる事がなくなったのだった。


お小遣いというものを生まれて初めてもらったのも、この時が初めてであった。
いや、言えばくれたと言えばくれたが、所詮は500円とかそこらだったのが、4千円になったのだ。しかも、何も言わずにだ。


あれ?離婚して良かったんじゃないか。と、訳も分からない気分に浸ってしまうほど、心の何処かが壊れていたんだろう。


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中学1年を無事に終了し、中学2年に上がった頃、地獄を経験する事となる。
生きてきた中で、断トツで地獄だったこの1年間に比べたら、他の年が幸せに感じるほどであった。


事件は突然訪れた。


いつものようにお小遣いをねだると、くれなくなったのだ。首をかしげる俺と兄貴だったが、この月だけだろうと考えていたのだが、次の月もくれなくなっていた。


理由を尋ねると、お前らは何もしない。との事だった。約束が違うだろう!とブチ切れる俺に対し、何故か親父を庇う兄貴の行動が、謎だった。


何もしない。
確かにそうだ。
しかし、父親と母親が勝手に離婚したからこうなっている訳であり、ご飯や掃除や洗濯など、どれか一つでも手伝えやなどと怒られる筋合いはない。


いやいや。
だってそうだろ?
朝は学校行って部活して、帰ってくるのなんて夜の20時とかだ。
そこから、風呂に飯に学校の宿題何かをやったら、早くても22時になっている。
正直言うと眠い。


多分、ここからだろう。
全てが終わってしまったのは。
そして、地獄が始まってしまったのは。


ーーーーーーーーーー


その日から生活は一気に変わった。


働かずもの食うべからずという素晴らしい方針に乗っ取り、その日から晩飯という存在がなくなった。


グダグタと語るのもアレだ。


育児放棄ってヤツなのだろう。


そして、その日からだろう…兄貴とマジ喧嘩をするようになっていったのは。


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学校だけが唯一の救いであった。
正確には、給食の時間だけが全てであった。いや、部活もあったから何とも言えないか。


恩師には月に一度は聞かれる言葉がある。


「大丈夫か?」という言葉だ。


一層の事、全てブチ撒けてやろうか?
だがしかしと考える。


ただでさえ母親がいないのに、父親まで失ったらどうなるというのだ?


それは、恥ずかしい事のように感じられ、俺は恩師に、嘘を付き続けた。


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家に帰るも、誰も居ない。


居ても居なくても自分には関係がない事だ。


部屋の襖や壁に大きな穴が空いているのは、兄貴と殴りあった跡である。


風呂に入って、かつては子供部屋と呼ばれた部屋はすでに自分の城となっている。


ご飯も食べないし、部屋にはテレビがない。いや、地上波が見れないだけで、ゲームをする為だけのテレビはある。
勉強もせずに、ゲームばかりしていた。


中学2年なんてそんなものだ。


勉強などするヤツが可笑しいという空気が、確かにあった。
思春期や反抗期といったヤツなのかは分からないが、授業を受ける大半の生徒は寝ている。
自前のタオルを机に置き、顔を埋めてグーグーと眠る。


それを注意しない先生の姿を見ながら、注意しろよ、と思うのだがしかし、真面目に授業を受ける生徒に対する嫌がらせが確かにあったのだ。


自分がされた方ではない。
自分がした覚えもない。


何故なら、学校にあまり行かなくなったからだった。


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不登校。


そう思われるかもしれないが、実は色々と事情があったのだ。


何故なら、唯一の生命線は学校の給食である。
行かないと死んでしまうのだ。
行かない理由がない。


しかし、行けない理由は山ほどあった。


朝起きた俺は、学校に行く準備を済ませ、誰も居ない部屋を出て、玄関へと足を運ぶ。


雨の音がする為、傘立てに目を向けると、傘がなかった。どっかから拾ってくるか?あるいは盗んでくるか?けっ。そんなこじきみたいな事出来るか!と、学校に行くのを断念する。


梅雨に入ると、当然雨の日が続く。


学校に行けない日々。
相変わらず、飯は食えないでいる。


何か食べるものはないか?
まるでこじきのように、残飯に目を向ける。


冷蔵庫にあったマヨネーズを舐め、理科で習った砂糖を銀ホイルの上に置いて、トースターで温めて食べるだけの毎日。


吐く、下痢になるのは当たり前であった。


当然、病院などには行けない。
行くお金があれば飯を食べている。
そして、身体がダルくなり、起き上がれなくなるのであった。


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学校に行かなくなって1週間が経ったある日、今は授業中のはずの我が家に、恩師がやって来たのであった。


俺の変わり果てた姿を見た恩師は、泣きながら差し入れに買ってきたコンビニのオニぎりを5個手渡すと、再度問い掛けるのだ。


「学校だけは来なさい」と。


中1の終わり頃に70キロ台だった体重は、この時、60キロ台に突入していた。
僅か3ヶ月の出来事であり、その日を境に、恩師は大丈夫か?とは聞かなくなった。


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次の日学校に行き、恩師にお礼を伝えた俺に、恩師は傘をくれた。
特に強請った訳でもないが、玄関に傘がない事を見ていたのだと思われる。


その日から学校に通うようになった俺だが、唯一罪悪感にあう出来事があった。


部活が終わり、友人と下校する。
たまには家に上がっていきなよというありふれたセリフに、断る理由がないので、上がりこむ。


夜9時ぐらいになり、そろそろ帰ろうかとする俺に、ご飯食べていきなさいという言葉がかけられた。


中2になって、晩飯が出なくなって、いつぶりか分からない夕食を食べさせてもらう。


それが、ほぼ毎日だった。
考えてみてほしい。
子供の友達とはいえ、赤の他人の子供が毎日ご飯を食べにくるのだ。主婦からしたらたまったものではないだろう。


まるで、晩飯を食べに来ているんじゃないのか?その為だけに、この友人と仲良くやっているんじゃないのか?そう思われていないか、当時は心配で仕方がなかった。


離婚の話しはしていない。
しかし、夜9時になっても、10時になっても、帰れと言われた事は一度もない。


しかし、一度食べてしまうと、夕食を食べないなんて有り得ないという思考に、戻ってしまうのだった。


今になっても俺は、この両親に頭があがらない。


いつか聞いてみようか?しかし、きっとあの二人は、話しをはぐらかすに違いないだろう。


本当に…頭があがらない。


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世界はうまくできているのだろうか?


部活に行き、違う友人の家に招かれても、同じような現象が起きていた。


ご飯を食べていきなさいと言われ、ご飯を食べさせてもらう。


今の自分があるのは、部活の友人の、正確には友人の両親の好意があったからだと、今でも思っている。


それと同時に、なぜ、自分ばかりこんな目にあっているのか?という最低な心が、思いが、確かに芽生えたのを今でも覚えている。


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そんな日は突然、終わりを迎える事となった。


俺にとっては悪魔でしかない、夏休みがやってきたのであった。


記録的猛暑の中、飯を食べていない自分に襲いかかる太陽の光。


全く食べていない訳ではないが、食べれるのは夕方からの練習だけである。


部活というのは、割り当てというものがある。


簡単に言えば、午前は野球部、午後はサッカーみたいな感じである。
午後に割り当てられた日だけは、友人の家に招かれてご飯を食べていた。
毎日来いなどと言ってくれたのだが、流石に毎日だと怪しまれると思い出した俺は、家で作ってくれているからと嘘をつき、食べない事を選んだ。


それが、如何に地獄だったか、想像がつくだろうか?


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身体が自分のものではない気がすると感じたのは、この夏休みが原因だった。


自慢ではないが、そこそこ運動もでき頭が良かった俺は、レギュラーであった。
勉強などはしていないのだから、頭が悪くなるのは仕方がない。


しかし、部活と給食だけが全てだった俺は、部活の自主練に費やした時間は、当時の中学生では断トツだと自負していた。


怒られる事などないのだから、夜遅くまで練習していたし、学校が休みの日は、何処にも出かけないのだから、朝から練習、部活、夕方前から夜中まで練習と、ずーっと練習ばかりしていた。


簡単な話しだった。


何も食べていないのだから、力がつく訳がない。
むしろ、練習のしすぎで、身体が痩せていく一方であった。


中1で身長が170、体重73キロだったのが、この時身長171、体重59キロと絶望的数字へと変化を遂げる事となった。


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殺したいと思った事や、死んでほしいと願う事が無かったと言ったら嘘になるだろう。
同時に、死にたいと願った数は、遥かにそれを上回る数字であった。


では、なぜ死ななかったのか。


答えは単純である。


生きたいと願う事の方が、強かったからである。


好きな漫画を読む。
続きが気になってしまう。
この最終回までは死ねない。
そんな単純な理由でいい。
名探偵コナンやワンピースやはじめの一歩など、気がつけば凄い続いている作品である。


または、誰かを好きになる…とか。


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初恋とまでは言わないが、人を好きになる事など普通にある。学生だけではなく、社会人になってもそれは当たり前の事であり、それは普通の事である。


第1印象はと聞かれたら、まず間違いなくフレンドリーすぎ、悪く言えば馴れ馴れしいヤツだった。


いきなり呼び捨て…しかも下の名前かよ。


そう思ったのが、第1印象だった。
しかし、親が離婚し、父親があんなロクでなしなのだから、苗字など嫌いでしかない自分にとって、名前で呼ばれる事が嬉しかったのだった。


学年のマドンナとかそういう存在ではない。
では、何処にでもいるかと聞かれたら、好きになった後だから何とも言えないだろう。
好きになる前なら、顔はこうだとか説明できるが、好きになった後に聞かれれば、可愛いとしか言い表わせないのではないだろうか?
そんな彼女に、親が離婚している事を初めて打ちあけたのは、何故なのだろうか?


とにかく、後に好きになる女の子の存在が、死にたくないと思うきっかけだった。


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自分にとって、学校だけが唯一の救いであった。


好きなように好きなだけ遊び倒し、好きな部活を好きなだけやる。そして、学校に行けば好きな娘に会えるのだ。しかも、その娘と仲が良い。


順風満帆か?と聞かれたら、ハイと答えるほど、当時は壊れていた。
夕飯が食べれないのが当たり前になってしまった自分にとって、それは当たり前の事なんだと思っていたからであった。


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部活はボロボロになっていく。
ボロボロと言っても、部活自体には参加するのだが、身体がついていかない。
頭のイメージとは違いすぎる。
昔出来ていたプレーが出来なくなっていく。


それは、恐怖であった。


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悪い事は続くものだと、身をもって知ったのは、この時だろう。


「今さ、好きな娘いる?」


ドキッとするような台詞を、ドキッとするような相手から言われた俺は考える。


究極の選択はここでもやってきたのであった。


しかし、以前とは違い、答えないわけにはいかないだろう。考え、考え、考えた結果、俺は嘘をつく。


「いないんだ!良かった。ちょっと待ってて」


これでいい。
今思いを伝えたとして、フラれてしまうのは分かっている。
嬉しそうな表情をする彼女を見て、改めて好きだということを再認識していると、一人の女の子がやってきたのだった。


「好きです。付き合って下さい」


固まってしまう俺は、彼女にどんな表情を向けてしまったのだろうか。聞いてみないと分からない事だが、聞く機会など二度と訪れない。


究極の選択とまではいかない。
何故なら、答えは決まっているのだから。


「どうして…ですか?」


涙を流しまいとしているのか、涙目になる彼女の表情が見れないまま考えてしまう。
今、好きな娘いる?とは、そういう意味だったのか、と。だがしかしと考える。
いると答えれば、誰?となるのは明らかだ。
ならば、いないと嘘をついた事自体は、間違えていないのではないだろうか?


だが、嘘をついた結果、この女の子は勇気を振り絞って、告白してきたこの気持ちに対して自分は、どうするべきなのだろうかと考える。


正直に答えるのが筋だろう。
真剣に考えて、告白をしてきた女の子に嘘をつく事が出来ず、正直に断る理由を話した。
泣きながら自分の元を去って行く彼女を見れず、しばらく固まっていると、好きだった女の子が怒りの表情でやって来てこう言ったのだ。


友人わたしに嘘をつきやがったな!お前なんか信用できねぇよ」と。


あの時、どう答えるべきだったのだろうか。
答えは今でも、分からないままである。


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全てが終わってしまった。


そう考えながら家に帰った俺は、玄関に挟まっている封筒を廊下に投げ捨て、風呂場へと向かう。
とりあえず風呂に入ってすっきりしようと考えた俺であったが、直ぐに風呂から出る羽目になった。


慌てて廊下に投げ捨てた封筒を拾って、中を開けると、ガスの停止をお知らせする通告書が入っていたのであった。


水で洗う髪がどうなるかご存知だろうか。
水で洗う身体がどうなのかは、想像がつくだろう。とにかく夏でよかったと、訳も分からない事に感謝しながら、身体を水で洗う生活がスタートした。


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部活では思うようにプレーが出来ず、ベンチスタートになってしまい、好きな女の子には絶交宣言をされてしまった俺は、学校に全く行かなくなった。正確に言えば、行っていた。
しかし、給食だけを食べに行くようになったのであった。


時間を見て、そろそろかと重い身体にムチを打ち、ノロノロと歩きながら、通常30分で着く道のりを、1時間かけて登校し、給食を食べて帰るだけの毎日だった。
休みの子がいればその子のパンを貰い、食べるフリをして鞄に入れる。
家に帰ってそれを、泣きながら食べる毎日であった。


周りからどう思われているのだろうか?
しかし、食べないと死んでしまう。
それに、嫌われたっていいのではないか?


もう好きな女の子は、喋ってくれないのだから。


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いつものように給食を食べ、帰ろうとする俺に、恩師が呼び止めた。ヤバイ怒られる!と、思ったのだが、怒られる事はなく要件は二つあった。


「一つ、帰る時は私の所に必ず来なさい。電話をかけて来ないと心配になるから必ずして」


そう言って、恩師は100円玉を手渡してきた。


「二つ、修学旅行はどうするの?行くならお金がいるけど」


すっかり、忘れてしまっていた一大イベントであった。


帰り道に恩師の言葉を思い出す。
電話なら、自宅の電話ですれば良いと考え、8枚入りの食パンを買って帰り、自宅の電話を手に取った俺は、この日初めて自宅の電話が繋がらない事を知ったのだった。


ーーーーーーーーーー


喋りたくはない。
しかし、喋らない事には始まらない。
仕方なく、まずは電話の件を伝えると、必要ないの一点張りであった。


学校行事というより、連絡網という存在を知らないのかコイツは?そう思った俺は、再度問い掛けると、父親の携帯番号を書いた紙を手渡され、ここに電話をするように言えと言われてしまう。
その場で紙を破ってやりたい衝動に襲われる。


友人からの電話に、何故こんなクソ親父経由をしなくてはならないのか?しかし、もう一つの重大な要件を伝える必要があった。


正直に言えばあまり興味は無かった。
修学旅行に5万とかかかるなら、金だけふんだくって修学旅行に行ったフリをして、そのお金でしばらく食べようと考えていたのだが、たった一言で片がついた。


行く必要なし。だとさ。


その後、壮絶な殴り合いを繰り広げたが、結局、あの男は1円足りとも出さなかった。


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何処から経由して伝わったのかは知らないが、ある日母親が自分の元へとやって来た。


修学旅行に行くお金を、工面してやったから行って来いとの事だった。


どうやら兄貴経由で伝わったらしい。


お小遣いである1万円を握りしめ、久しぶりに兄貴に感謝するのであった。


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修学旅行から帰って来た俺は、手持ちのお金を確認する。お土産何て死んでも買って来ないと決めていた為、修学旅行中に友人とご飯を食べたり、お菓子を食べたりする以外に使っていない為、そこそこあまっていた。


月に1000円しか使わない。


毎日食パンだらけだが、食べないよりかは全然いい。そのおかげで、何とか中2の冬を越せる事が出来た。


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家出をした事があるだろうか?
俺にはある。
丁度、寒い1月に入った頃であった。
毎日、水風呂に入る事に耐えきれず、親父にボロクソ噛み付いていると、それを聞いていた兄貴が耐えきれなかったのか、噛み付いてきたのであった。


あまりにもイライラしていた為、兄貴をボコボコにしていると、初めて親父に殴られてしまった。
殴られるというより、ラリアットを食らった俺は、親父をブン殴ってから、部屋を飛び出して行った。


真夜中を泣きながら自転車を漕いだ俺は、母子家庭である友人の家に転がり込んだのであった。


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約2ヶ月間は、その友人の家庭にお世話になった。理由を話した俺を、そんなヤツは親じゃないとキッパリと切り捨て、暖かく迎えいれてくれたのであった。


奇妙な生活の始まりである。


自宅からなら30分で着く学校に、2時間かけて登校する。と言っても、給食を食べてから帰るのだから、苦でも何でもない。
相変わらずお金を渡してくる恩師に申し訳がなく、恩師には黙って帰る毎日であった。


この友人の家庭の協力が無かったら、今の自分は無いと言っても過言ではない。


学校に行く友人を見送り、10時ぐらいに友人宅を出て学校に行く自分。そして、友人が帰ってくる前に友人宅に帰ってくるのだが、友人の母親から怒られた事は一度もなかった。


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心の何処かで、期待していたんだと思われる。


2ヶ月も自宅に帰らないとなると、普通の家庭ならば捜索願いを出すレベルだろう、と。


しかし生憎と、自分の家は普通では無かったのだと痛感させられた。


捜索願い所か、楽しそうに焼き肉を食べていた痕跡を見つけ、俺の中で父親はいなくなってしまった。


もう少し居ていいという言葉に、甘える訳にはいかないだろう。


春休みが明ければ、受験生である。
お礼をきちんと伝え、自宅に帰るのであった。


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中3なると、クラス替えがある。
好きな女の子と一緒のクラスではなくなってしまったのは、良かったのか、悪かったのか。


とにかく、新しいクラスでの生活がスタートする。


中3に入るも、身長は172と伸びなくなった。食べていないのだから、当たり前であり、体重も49キロと、こちらも食べていないのだから当たり前であった。


ーーーーーーーーーー


部活も引退する事になり、好きな女の子とも離れ離れになってしまう。
だがしかし、学校には、ほぼほぼ毎日登校していた。


相変わらず給食がメインだが、給食の時間ではなく、きちんと2時間目から受けている。
起きれたら、1時間目から受けるというスタンスに変わりつつあった。


受験生だからという理由も大きいが、単純に学校が楽しくて仕方がなかったのであった。


ーーーーーーーーーー


全員が受験を意識してかは分からないが、寝る生徒はいなくなっていた。
ワイワイ、ガヤガヤと賑やかなクラス。
悪く言えば、騒がしいクラスである。


ちなみに、パイという記号が、円周率を表していると記号だと知ったのはこの時期である。


ーーーーーーーーーー


楽しくて仕方がないこのクラスであったが、唯一忘れられないのは、やはり電話の事であった。


ある日いつも通りに、ホームルームの時間に登校した俺を待っていたのは、こんな言葉であった。


「休みの日に遊びの電話をしたら、繋がらないんだけど、もしかして電話止まってんの?」


恐らく、悪気はないのだろう。


「俺も、連絡網が回せなくて困ってんだけど」


ギャハハwww


よくある話しである。
悪ノリってヤツだ。


仲が良くて本当に良かったと、思っている。
もしも違っていたら?
教室で大暴れして、二度と学校には行かなかっただろう。


悔しくて、言い返す言葉が見つからない俺は、教室を飛び出した。
帰ろうとする俺を呼び止めた担任に、ボロクソ文句を言う。


何故、自分が笑い者にされなければいけないのか?と。


その後、電話について聞かれなくなったのは、担任が怒ったからなのか、友人達が気をつかったからなのかは、分からないし、聞きたくもないトラウマである。


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ある日の事であった。


遠足という行事の日に、恩師が俺を呼んだのだ。


何のようかと尋ねると、恩師は周りをキョロキョロしながら、可愛いハンカチに包まれた、弁当箱を手渡してきたのだった。


思わず顔をあげる自分に向かい、ニッコリ微笑んで恩師はこう言うのだ。
楽しんで来なさいと。


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その恩師は遠足だけではなく、運動会の日もそうしてくれた。


今でも、恩師には感謝しかないのは、こういった事をしてくれたのが、とてつもなく大きい。


しかし、その恩師を悲しませてしまう事を、自分はやらかしてしまうのであった。

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