アイドルとマネージャー

伊達\\u3000虎浩

第3章 南めぐみという少女…④

 
 夕陽が出るまではいい。


 木の上にいる為、のんびりと過ごすとまではいかないが、携帯を取り出してポチポチと時間を潰していためぐみ。


 しかし、夕陽が出始めると、そうはいかない。


 いつベストショットが撮れるかが分からない為、常にカメラを構え、シャッターチャンスを待ち続けないといけないのである。


 夕陽が見え、木の上にいるヒナ達のバック(背景)に辿り着くまでの時間、カメラのシャッタースイッチの部分に右手を置き、左手でぶれないようにきちんと固定する。


 勿論、何かあった時の為にと、音楽は聴かず、落ちないようにしっかりとポジションをとる。


 万が一の為にと、ベルト部分に紐を通し、木の枝にくくりつけておく。まあ、安全ベルトみたいなものだ。


 ※念のために言っておくが、めぐみは木の上から撮る時のコツや訓練を先生から学んでいる。なので、真似したりしないよう注意してほしい。


 良い子は真似しないでね♡ってヤツである。


 ふー。と小さく深呼吸をし、その時をただただ待つめぐみ。


 ここからが写真家にとって、勝負の時と言っても過言ではないだろう。


 この一瞬に全てをかける!とは、名言ではないだろうか?いや、ダメだ。集中しろ。


 集中。集中。集中。集中。


 レンズ越しに巣を見ながら、ピントを合わせる。


 手ブレしないように注意しながら、めぐみはシャッターを切るのであった。


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 夕暮れ時。


 流石にそろそろ下山しないとマズイ。


 夜の山は冷え込む為、上着を羽織って帰り支度を整えるめぐみ。


「お?準備出来ているようだな」


「はい。先生」


 帰り支度を整え、先生と合流しためぐみは、どうだったのかを聞きたい衝動にかられるが、ギュッと口を閉じて我慢した。


 親しき仲にも礼儀あり。


 二人は無言のまま、家路へと向かうのであった。


 ーーーーーーーーーーーーーー


 次の日。


 めぐみは先生の家で、写真の現像作業をしていた。


 少しでも光が入るとダメなので、真っ暗な部屋の中もくもくと作業に勤しむ。


 作業部屋を後にし、先生のいる部屋へとたどり着いためぐみは、きちんと正座をし、先生に声をかける。


 先生の家は平家である。


 何坪あるんですか!?と、聞きたくなるほど広い平家。


 庭には池があり、松の木があり、桜の木がありと、写真家にとって憧れの景色が広がっている庭。


 その一室に、先生の部屋はある。


 ドアではなく、障子の戸。


 入室の許可が出たところで、きちんと両手で戸を開け、両足でスススと入室し、再度、両手で戸を閉める。


 まるで、どこぞの旅館の女将みたいである。


 しかしこれは、作法のようなものであり、決して嫌とは思わないめぐみ。


 むしろ慣れてしまえば、これほど気持ちのいい作法はないだろう。


 背筋をピンと伸ばし、両足をきちんと揃え、つま先立ちで動くこの作法。


 背骨の歪みなどの矯正にもなる為、ぜひ、一度試して頂きたい。


「…あ。し、失礼しました」


 どうやら考え事をしていた所為で、先生から呼ばれた事に気がつかなかったらしい。


 両手を揃えて床に置き、両手の甲の部分に額をあて(土下座ポーズ)謝罪するめぐみ。


「ふふふ。よいよい。で、どうだ?」


「はい。現像して参りました」


 現像して参りました。


 先生の写真とめぐみの写真を、現像して来たということである。


 先生の命とも呼べる写真をだ。


 つまり、それだけの信頼があってこその事なのである。


 現像して来たと告げためぐみは、先生に二つの封筒を差し出した。


 言うまでもなく、めぐみと先生の写真が別々に入っている封筒だ。


「どれどれ」


 と、言いながら、先生が最初に手に取ったのは、めぐみの写真が入った封筒であった。


 ごくり。と、小さく喉を鳴らす。


 10枚前後の写真。


 それを1枚1枚丁寧に眺めていく先生を、めぐみは正座しながら黙って見ていた。


 アゴに手をあて、ヒゲをさすりながら、う〜ん。と口にする先生。


 ビクビクする事などあり得ない。


 なぜなら自分は、まだまだ駆け出しで、注意される事が当たり前なのだから。


 ポスッと、机の上に封筒を置く先生。


 カン。カン。と、キセルに溜まった灰を落とす。


「さて、南」


「…はい」


 怒られているわけでも、これから怒られる訳でもないのは分かっているのだが、どうしてもトーンが下がってしまう。


「君が写真家を志した理由は知っている。そして、どういった写真が撮りたいと思っているかということもだ」


「ありがとうございます」


「質問させてほしいのだが、もしもそれが叶わなかったら、君はどうするのかな?」


 人とはいつか、夢を諦めてしまう生き物である。


 今なお夢を追いかけている人など、ほんの一握りしかいないのではないだろうか。


 例えば、夢を叶える事ができる人が、人類の5パーだったとしよう。


 70億人の中の5パー。数字にして3千5百万人。日本の人口が1億だった場合、数字にして500万人。


 さて、それに自分は入れるだろうか。


 いや、考えるまでもない。


「かならず、必ず叶えてみせます!」


 入れるか入れないかという事は、確かに大事な事だろう。


 10代、20代で夢を追い続けていると言えば、カッコいいと思われるかもしれない。


 30代ならどうだ?


 40代ならどうだ?


 50代なら…。


 果たしてそれは、カッコ悪い事なのだろうか。


 断じて違うと、私は声を大にして叫びたい。


「…理由を聞いてもいいかな」


 夢が叶わなかったらと言う質問に対し、必ず叶えると言う答えは、答えになっていない。


 ただの願望である。


 その為、先生からそう言われるのは仕方がない。


「先生。私はたくみになりたいと思います」


「………ほぉ。匠にね」


「はい。生意気かもしれませんが、どうか最後まで、聞いて下さい」


 そう言って、めぐみは頭だけを軽く下げた。


「いいだろう。話しなさい」


 先生の許可をいただき、めぐみは口を開いた。


 例えばの話しだ。


 10代後半、18歳でバンドを組み、プロのミュージシャンになる夢を抱いたとしよう。


 20代で路上ライブなどをして、腕を磨く。


 いたって普通の夢であり、頑張ってと、応援だってされるかもしれない。


 20代後半になり、25歳になってもまだ、路上ライブなをして、腕を磨いていたとしよう。


 さて、5年間の路上ライブ活動。


 カッコ悪いですか?おかしいですか?応援したくないですか?


 30歳になっても、35歳になっても、路上ライブなどで腕を磨いていたら、貴方せんせいはどう思いますか?


 では、それから40歳になり、45歳になり、そして…50歳を迎えた時、路上ライブ活動30年を迎えるのです。


 どうですか?


 カッコ良くないですか?


 その30年の中で、色々あった事でしょう。


 酔っ払いに絡まれたり、雨や雪にうたれたり、誰も聞いていないんじゃ?と、思いたくなるほど、人が少ない時だってあったでしょう。


 周りの知人が結婚したり、夢を諦めてサラリーマンとしての人生を送る中、貴方そのひとはひたすら夢を追い続け、気づけば30年という歳月がたち、独り身の独身。


 ん?独身は、おかしい事ではありませんよ?


 結婚が全てではない。という言葉があります。


 全くもってその通りだと、私は言いたい。


 と、真剣な表情で語るめぐみに対し、先生である阿久津は、うむ。結論は?と、尋ねる。


「はい。30年、夢を追い続けた分だけ、技術も当然あがる事でしょう。つまり、私が写真家の夢を追い続けた分だけ、いい作品が生まれ続けるという事です」


 努力は決して自分を裏切らない。


 いや、コレは本当である。


 結果がついてこないだけ。


 コレもまた、本当である。


 ラノベ作家を目指し、毎日、頑張って、頑張って、頑張って、作品を作ったとしよう。


 頑張った分だけ、作品は良くなる。


 しかし、悲しい事に、それに対して結果は?と、聞かれたら、必ずしもイエスとはならない。


 なぜなら、努力=結果ではないからだ。


 努力=自分。結果=自分だと言った方がわかりやすいだろうか。


 では、自分=と考えた時、何があてはまるか。


 問題はコレにあると、私は思うのです。


「ふむ。君は、その答えを持っているのかな?」


 そう聞かれ、めぐみは何の迷いもなく告げる。


 人生。


 自分=人生。


 ソレが、自分の答えなのだと。

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