アイドルとマネージャー
第1章 真実
あの日の前日の話しだ。
収録が終わった後、雪を家まで送り届けた後、ケーキを買って帰った。
苺の甘いショートケーキを二つ。
家に帰って冷蔵庫に入れ、風呂に入ってから、メモ帳を開いて明日のスケジュールの確認をしてから眠りにつく。
ケーキを買って帰った事以外は、いつも通りである。
「何故、ケーキを買って帰ったのですか?」
「嬉しかったからです。雪、いえ、娘さんは、こんな俺に対して、ありがとうって言ってくれたんです」
いつもありがとう。
この言葉を聞いて、どれだけ嬉しかったか…しかし、今となっては、アレは雪なりの、別れの挨拶だったのだろう。そう思うと、怒りしか湧かない。
「…雪で構いませんよ。続けて下さい」
忘れもしない、いや、忘れられるハズがないあの日、待ち合わせ場所に早く着いてしまう。
しかし、それはいつもの事なので、特に気にせず、タバコに火をつけて雪を待っていた。
「いつもなのですか?」
「はい。渋滞や故障などで遅刻しない為にと、心掛けておりましたので、雪と待ち合わせをする場合は、10分前には必ず待機しています」
社会人の常識である5分前行動なだけで、特に驚くような事ではないだろう。
いつも通り。
いつも通りを俺は過ごしていた。
しかし、待ち合わせの時間になっても、雪は現れなかった。とりあえず、待ってるとだけラインして、雪を待っていたが…やはり雪は現れない。
「こういう事は頻繁にあるのですか?」
「…はい。しかし、遅れるといっても5分ぐらいですし、その際はきちんと連絡をしてくれる子です」
駆け出しの頃ならいざ知らず、今では超がつくほどの売れっ子である雪。疲れが溜まってしまい、寝坊する事など良くある話しであった。
「遅刻の理由は何だったんですか?」
「様々ですよ。忘れ物だったり、鍵やガスの元栓の締め忘れとかです」
しかし俺は、寝坊ばかりしていたとは言えなかった。最も、寝坊以外の理由もあったので、嘘ではないのだが…。
「…そうですか。あっ!?す、すいません。これでは、話しが進まないですね」
「いえ、構いません」
そろそろ出発しないと遅刻になると判断した俺は、合鍵を手に取り、雪の家に迎えに行く事にした。
「合鍵…を使って…ですか?」
「やましい事は何もないですよ。こういった仕事をしていると、頼まれ事があった時ようにと、合鍵を預かるのが普通になっています」
「頼まれ事というのは何なのか、お聞きしても?」
「はい。これも様々です。例えば、17時に収録が終わる予定だったので、19時に宅配物をお願いしたとしましょう。しかし、収録が長引いてしまい、終わるのが20時になるらしい。そういった時に私が合鍵を使って、荷物を受け取りに行く…とかです」
他にも、ペットの様子を見て来いなどと言われるマネージャーもいるらしく、その為にと、合鍵を渡されるらしい。
「…なるほど。続けて下さい」
インターホンを鳴らしても返事がなかった為、珍しく寝坊でもしたのかと思い、部屋の鍵を開けて中に入った。
可愛らしい小物が置いてある綺麗な玄関。
傘立てや靴箱などもこだわっているのか、全て茶色で統一されている。
いい匂いがするのは、アロマキャンドルがあるからだろう。靴を脱いで、部屋の前で雪に声をかける。
しかし、いくら呼んでも返事がなかった為、雪の部屋をノックしてから開ける事にした。
「…霧島さん。霧島さん!」
「……!?すいません」
「いえ。大丈夫…ですか?」
「…大丈夫です。続けます」
どうやら、呼吸がおかしくなってしまったらしい…小さく深呼吸をし、再びあの日の事を思い返す。
ーーーーーーーー
部屋に入り、壁のスイッチを入れて、部屋の電気をつけた。
「おい!雪!ったく、寝坊なんてお前らしくないな?具合が悪い…とかか?」
部屋の電気をつけながら、ベッドの上で眠っている雪に声をかけるが…返事がない。
やはり寝ているのか?と、思いながら、再び声をかける。
「…そろそろ起きないと、遅刻になるぞ。ほら!起きろ」
眠っている人を起こす為に、よく毛布を剥ぎ取って起こすという行為があるが、流石にそんな事はしない。
雪は女性なのだから。
右肩に手をあてて、軽く揺さぶるだけだ。
しかし、やはり雪は起きる気配がなかった。
どうするか?何か別の方法を考えなくては…。
そう考えた俺は、部屋の中を見渡した。
タンスやテーブル、本棚に机。
可愛らしいぬいぐるみが並んでいる、女の子らしい部屋。
「いやいや。部屋の中の物を使って起こすとか、あり得ないだろ」
どんなプレイだよ!と、一人でツッコんだ俺は、軽く頭を振ってから、再び雪に向き合う。
あまりしたくはないが、仕方がない。
時間がおしているのだから…。
そう自分に言い聞かせ、雪の頬を軽く叩いた。
雪が芸能人だからという理由も、ある事はある。
頬を叩いた事により、跡が残ってしまったら問題だろ?それに、どんな理由があろうとだ。女の子を叩くという行為が好きではない。
「ほら、雪!いい…か…げんに…し…つ、冷た…い?」
軽く頬を叩いた時、ようやく、異変に気付いたのだった。
「嘘…だろ?お、おい!雪!!」
なり振り構わず毛布を剥ぎ取り、雪の状態を確認する。
お腹がへこんだり膨らんだりする事はない。
鼻付近に手をあてても、風を感じる事もない。
心臓や脈に手をあてるも、音を聞く事もない。
「ハハ、ハハハハ……」
死んでいる。
そう実感が湧いた時、急に体が重くなっていくのが分かった。
頭が痛くなってきて、胃の中の物が逆流しそうになる。
両膝から崩れ落ち、両手を力強く握った俺は、全力でベッドの上に、握り拳を振り落とす。
「久しぶりに見たな、その格好。やっぱり…ダセェや」
涙で見えなくなる景色の向こう側。
雪が着ていたのはパジャマではなく、寝巻き姿だった。
5本ラインが入った茶色いジャージに、見た事も聞いた事もない何かのキャラクターがプリントされたTシャツ姿。
かつて、雪と修二が初めて出会った時の格好をしたまま、神姫雪は、深い、深い…眠りについていたのであった。
ーーーーーーーー
それからの事は、あまり覚えていない。
警察や千尋に電話をかけ、雪が死んでしまった事を伝えた事や、マスコミの対応に追われたりしたのは覚えている。
内容は覚えていないがな。
テレビやラジオ、新聞など、メディアと呼ばれるものを見なくなったのは、連日報道される雪のニュースを見たくなかったからだ。
過酷なスケジュールに耐えかねての自殺だと報じられ、マネージャー無能すぎwwwなどと、叩かれまくった事も原因の一つであり、全てを千尋に押し付け、俺は逃げるように自宅に引きこもったのだった。
「…これが、あの日あった出来事です」
そう締めくくると、両目を閉じ、ジッと何かを考えていた母親は、スッと両目を開きながら口を開いた。
「…ありがとうございます」
「お礼なんてやめて下さい。そんな、そんな資格、俺にはありません」
霧島修二という人間は、お礼を言われるような人間ではない。頭を下げられた俺は、慌てて止めに入った。
「では、私からも真実を告げなくてはいけませんね」
そう言うと母親は、テーブルの上に何枚もの新聞紙を置いていく。
見出し一面に書かれていたのは、神姫雪の真実と書かれた文字と雪の写真。
「霧島さん。新聞やテレビを、最後にご覧になったのはいつですか?」
聞かれた俺は、思い出せずにいた。
あの日以降の記憶があいまいなのもあったが、目の前にある新聞の見出しに、心を奪われてしまっていたからである。
「…娘がデビューする前の話しになります」
そう言って、母親は語り始めた。
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